挑戦せよ。平 強 (Tsuyoshi taira)

シリコンバレーのエンジェル投資ブログ

参禅苦行 超禅寺での坐禅

昨年から剣道をはじめた。
われわれの子供の頃には赤銅鈴之介 という漫画が大人気であった本屋で立ち読みするのが楽しみでした、自分も同じようになりたいなと思ったこともあった。
流れ流れてここシリコンバレイに来て剣道に触れる機会もなくすごしてしまった、仏教教会で教えているらしいとは聞いていたが昼夜兼行でわれを忘れて勤務する日本企業に働いていればそんな機会も作れないでいた。最近になって、たまたま 大美 明広さんと知り合いになって彼がボランテヤでアメリカの人達に剣道を教えていることを知り彼の 誠心塾に入ることにした。

昭和の剣聖 大森 曹玄 の”剣と禅”という本のなかに剣、禅 一如 という言葉が随所に現れて剣の達人が禅の修業によって剣の道を会得するのだという。
それも坐禅によってその 道を会得するのだという。
いったい唯、座っていてそんなものが得れるのか不思議でならない、でもそれなら自分も座ってみるかという気になった。大美さんは昨年みんなを連れて京都の禅寺に行ったという是非次の機会に参加させてもらおうかなと思っているときに大美さんがハワイの超禅寺での剣道および 空手道の 参禅訓練を企画してくれた。
大変楽しみにこの企画に参加した。

プログラムは朝の5時起きそしてすぐ坐禅を30分行う。それから剣道、空手の訓練がある。それから朝ごはん 一汁一採であるが沢庵が3切れ付いていた。
どうやら横山禅師が自ら味噌汁を作ったらしい。運動の後さすがに美味い もういっぱいご飯を食べたいが禅寺では一汁一菜と聞いているとにかく我慢しよう。
10分ほどの休憩の後から呼吸法などの訓練があったそれから二回目に坐禅30分、そして老師の禅武道の講話、それからお昼 今回は一汁一菜と野菜の煮つけが付いた大変おいしい少しおなかすくなあー、これが禅僧の生活なのだ、役の行者の修行の話を聞いたことがあるそのときの食事は1日に一度だけ、それも一汁一菜とものすごく薄い沢庵がふた切れという、もう、おなかがすいてご飯の一粒一粒がとてもありがたく大事に食べたという、まだわれわれのほうは野菜の煮つけが付いたりヒジキが付いたりしている。ありがたいと思った。
お昼にはおやつが出た小豆と果物が付いている最高のおやつです。
やっぱりわれわれはまだ甘やかされているのか。

朝ごはん一汁一菜と沢庵が2切

夜はシャワータイムがありそれから 夕食その後に坐禅でそれからお経の朗読、そして9時に消灯してみんなで道場に寝袋でねる。 ハワイなので暖かい消灯の後はさすがにつかれきって直ぐ寝付いてしまう。

このようなスケジュウルが2日半ほど組まれている。
大森 曹玄の”参禅入門“ をハワイ行きの前に読んだ、座り方などが書いてあるそして坐禅することによって人生を知り、無を体験し、そして悟りを開くという。
大体一回の坐禅では40分ぐらいを座るらし。それには線香の一本がほぼ40分だというだから30分あるいは15分にするには線香を短くして線香の燃え尽きをみながら座るといいという。
大体座って人生を考えるなどあるいは悟りを開くなどとは初心のものには無理な話しである。雑念がいっぱい湧き上がって静かに座ってなんか入れないと思う。
そのときは自分の息を数えるのだそうです。

座り方はお尻に座布団を敷きお尻のほうを少し高くして両足のひざとお尻の3点で体を支え背筋を真っ直ぐにして座るという。そして眼は開いて自分の先1.5メートル先を見て座るのだという。眼を閉じたら寝てしまうのでなるほどと思う。
正座ではないのであまり足に負担はかからないがしかし座ったことがないので大変苦痛だ、おまけに膝の関節が直ぐに痛くなってくる。

さて最初の坐禅が始まった、いろいろ姿勢を正して体を安定させてから老師が席に着くそして拍子木を2回たたいてから引磬(いんさん、ちいさいかね)をならす。引磬は4回なったそして4回目の音が消えたところから体を動かしてはいけないのです。
老師が線香に火をつけたあれがみんな燃え尽きるのに40分か大変だなあ、とにかく座り始めたが足の関節が痛いもう年で油が切れている。とにかくこの40分をどうしてすごすかが大変だ。痛さをこらえるには何かを考えて気を紛らわせるしかない。
羊を数えるといいとも言うそのとき福岡で食べたギュウタンを思いださしそのギョウタンが鹿児島の大きな牧場から来るのだと聞いていた。そしてこの牧場の主は1頭一頭の牛の顔を覚えていて必ず朝に皆の牛に挨拶するとのこと、それも牧場全体で千頭もいるという。
この主人は牛の顔を見るだけでその健康状態がわかるとのこと。また毎日何頭かの牛を殺さないといけないのでその日に殺される牛は主人の顔を見ただけで ああ 今日は俺が殺される番だと分かって涙ぐむそうです。しかもおまけにここには千頭の牛がいるわけです。千頭もいるならこの牛を数えたら40分は持つわいと思いこの主人よろしくおのおの牛の顔を作り上げて、牛の勘定に入った。一つ、二つ、三つと勘定していたら牛が大きすぎて4頭目でモウー 頭の中からはみ出していったしまった、仕方なく今度は羊を勘定することにした。スコットランドの牧場で牧羊犬とともに勘定することにした。
牧羊犬は数えた羊を片方に押し分けてくれて数えやすいようにしてくれる。いまのところ牧羊犬はわが意のままに動いてくれている。
21頭目で一匹の羊が群れから外れてしまったこの瞬間に 牧羊犬が迷える羊を追っかけていってしまた。そのためあとの20頭もまたもとの群れに入ってしまった。
そのとたんにアー膝が痛いお尻が痛いさあ大変だ、線香をみるとまだほんの少ししか燃えていないこれは大変だ 途中で降参か。
もはや羊はやめて数を数えることにした。こちらのほうがわれを忘れることができない段々痛くなる。先日あたらしい ビジネスプランを持ってきた男がいた。それは写真をいろんな形でデスプレイしてそれから宣伝をその間に入れていくというものだった。
今のイメジ プラロセッサー ならいろんなことができる。そのうち自分でとってきた写真のイメイジ が走馬灯のように浮かびあがってきた、昔よく行った北八が岳の写真、 奥穂高、スイスの登山鉄道でアイガーの北壁で槙 有恒さんがビバーグしたところから北壁を望んでまたぞっとしたこと、ユングフラウ でスケッチをしていたら叔母さんが覗き見て大変素敵ですね生まれて初めてほめられこと、 そしてグリデンワルドの友人のシャトレー の写真など、がでてくる。
そうこうしているうちにEurope Technology Round Tableであったフイリップス のMr. Wouter Von Roost  の顔が出てきた、彼とはバロセロナの会議でランチを一緒にして 非同期 のプロッセッサー の開発の話をしたことがあった デイストラクテブ な技術の開発を担当しているしかも彼がエンジニヤーではなく哲学科出身だという。
ゲリー ラングフォドの顔が浮かんできた、かれは47士の研究を永年やっていてなぜ浅野匠の守 が 吉良に嫌われたかの説をいろいろ説明してくれたそして47士の一人、  矢間真六光風 を描いた 絵を私の誕生にくれた、一緒に開発した Internet用のIC の会社はうまくいきませんでした。そして次に囚人のためのネット でのサービスソフトウエヤ がとてもよいという報告があってからまた音沙汰がなくなった多分これも旨くいかなかったのでは。シリコンバレイの アントレプレニヤーは飲まず食わずでチャレンジが続いている。
彼は今の天皇が皇太子のときサンフランしこで 47士の話を殿下にされたそうです。彼のうちはレットウットシテイ の山の中にあり仙人が住んでいそうなところでした。パーテーに来ていた連中がまた同じ穴の狢、連中の話題もフリロソフィカルなものに集中している。禅の話デモしてやろうかと思ったがボキャブラリーが足りないのでやめた。まるで霞の味がどんなものかみたいな議論をしていた。

ラリー、キルデル の顔が出てきた、彼はぺブルビーチ、ゴルフ場の16番ホールの上に家を構えていた、IBMがOSを探して訪問したとき残念ながら彼はヒコーキ 乗りに出かけていた、だからデイジタルレサーチの CPMのOSでなく名もない(当時)ビルゲイツ のマイクロソフトのOSが採用されてマイクロソフトが大成功したのでした。その後キルデルはスマートホンを開発しようとして頑張っていました。2インチX5インチのLCD がほしいというので研究所にお願いしてサンプルを作ってもらった
サンプルができたので電話をすると家にもってこいというので家まで届けた。ぺブルビーチの16番のグリーンを見ながらLCD のスペックの打ち合わせをした。家にはランバギーニが2台駐車していた。丁度ガス規制が施行されたので最早公道では運転できないという。時々電話するがまだスマートホンの機能を決めるのに時間がかかっているということだった。しばらくしてテキサスから電話がありLCD に関する質問が2,3きた、どうもプロジェクトはあまり進んでいないようだった。それから数年して彼がハートアッタクで死んだという記事がサンノゼマーキュウリーの片隅に載っていた。確かそれは1994年だったと思う。52歳の若さだった。
成功するかあるいは名もなく消えていくかはほんの一寸したチャンスをものにできるかどうかで人の運命が決まるようです。彼の後半の人生はどのようなものだったろうか。
やっぱり悔しかったに違いないだろう。

線香をみるとまだまだである。突然老師が立ち上がってそして正面の仏壇に向って一例をしてそこから棒をとりだしてきた。そしてわれの前と静かにゆっくりとあるきはじめた。
あ これがあのけ警策(けいさく)というやつで身動きした奴とか居眠りしている奴を打ちそえるものなのだと思った、老師はすごくゆっくりとあるかれる。 右足の指先を天に向けてからそれからゆっくりたたみにおろしてそれと同時に後ろ足のかかとがゆうくりと上がる。
この歩き方はまるで獲物を狙う猟師の歩き方でる。さあ大変だと直ぐに背筋をまっすぐに伸ばすことにしたどうかわが前をと売りすぎてほしいと祈りながらあるきさるのを待った。
警策を細いほうを上にして担いでいる肩をたたくのはひらぺったいほうだと思うのだが。
いずれにしても恐怖の数分が過ぎてくれた。われわれは初心じゃだからたたかれまいと思うけれどもあの獲物を狙うような歩き方は誰か犠牲になるのではないかと思ったがみな無事であった、われわれは総勢 12名 小学生一人中学生一人、女性5名男性5名
のメンバー一回りして老師が自分の席に着いた線香はまだ1/3 も燃えていない。
足がすごく痛いもうだめだ、しばらくして老師が拍子木を一回打ったそしてみんな立てという。ああ足が痛くて立てない何とかこすりながらやっとたちあがった、そしたら今度は手を胸の前で組んで歩けという。 経行(さんひん)という道場を一回りすると今度は道場を斜めに走るそしてまた一回りして自分の席に着き座る。
座ってからまた 引磬が鳴らされるそれからまた坐禅が始まる。この途中に立って道場のなかを歩くのは足の血行を良くしてくれるのでなるほど理にかなている。
線香はまだまだ残っている、走馬灯も中断されてしまった。仕方なく数を数得ることにした。長い長い30分であった。とりあえず一難が去った次は後2回の試練に耐えられるのか。
坐禅悟りを開いた禅僧の話がいっぱい本に載っている。ある僧は20年間も日夜参禅シテやっと悟りを開いたという。達磨さんは壁に向って9年も坐禅してやっと悟りを開いたというあまり長く座り続けたので手も足も出なくなったところから今日の達磨さんの像ができたとのこと、また達磨禅師に教えを請うた 恵可 は達磨禅師に断られてのでわが腕を切って(ほんとに切ったかどうかは定かでないらしいが)その熱意を示しやっと弟子入りすることができたとか(恵可断臂)。 又剣士は昼夜一日に何べんも坐禅して剣の奥を探ろうとす。
山岡 鉄舟 はあばら家で坐禅をすると屋根裏のねずみが静かになるという、また悟りを開いたあとからは鉄舟が書を書いているとねずみが肩まで上がってうろちょろしていたというまたある禅僧は年取ってからも毎日坐禅することを欠かさなかったというそしてもう足がまがらなくなって病気になった余命いくばくもなくなったとき座禅をしたという当然足がまがらないのでついにはボキと骨が折れような音を立てて坐禅をしてそして大往生したという。 とにかくすさまじいかかぎりの話ばかりです。

何のこれしきで30分も座れないのではわが人生も終わりだなと心に決めて最後まですわってみせるわいと心にきめた。

昼食のおいしいことヒジキが付いていた。
それから禅の呼吸法を教わった 大事なのは へその下を丹田というこの丹田に力を入れて呼吸をするという。そして自分の気をこの丹田のしたまで押しこむ。
こうすることによってその気が腹を温めて暖かい蒸気が上のほうに上がっていく、ですから寒いときにもこのような呼吸法を用いることによって暖かくなるという。
数々の剣聖があばら家でたいした布団もなく冬でもすそごせてのはこの坐禅のおかげだという。

禅の呼吸法はこの丹田のしたまで気を静めるというのがこつでまた吸う息よりもはく息を長くするのだという。老師が息を吐いて見せたがその長いことは肺活量がわれわれの数倍あるみたい私のように肺活量のちさい人には無理のようだ。
とにかくはく息のときも腹を膨らませるとのことだから絶えず腹は膨らんだ状態であることがこつみたいです。それだから座っていても腰がまっすぐになっていて長いあいだ座っていられるのです。
4回目の坐禅、とにかくここまではこれたこの最後の坐禅を行えば今日はおわりです。
そろそろ頭が朦朧としてきた、目を1.5メートルさきを見据えている。突然ゆかがもり上がって自分の口の高さに盛り上がっているそしてしばらくするとなんとそれがハワイアンブレットです、もう少しで口のところまでどどきそうである。そうすれば一口たべられそうだ。もう直ぐ口のところに届きそうになってからハワイアイアンブレッドはまたスーと下がっていった。それが何回かくりかえされる。ギリシャ神話でゼウスの神に罰としていけのなかにつながれたタンタロス のようにのどが渇いて水を飲もうとして口を水のところにもっていくと水がスーと下がって水が飲めないまた頭上に大変たくさんの果物があるので手をのがせて取ろうとするとまた水位が下がって手が届かない乾きと飢えの苦しみの罰を与えられたタンタロス なみに罰を与えれれたらしい。 このタンタロスと同じような苦しみを繰りかえした。相当おなかがすいているに違いない。また鐘の音で救われた、経行 のときがきたありがたい少し足の血行を良くして残りに時間に耐えなければいけない。

また 警策が回ってきた突然 大美さんのところで止まった彼が打たれるときがきたのである。合掌してけいさくを受ける肩を落として老師に向う最初場所確認で少し打つそして本番なんと渾身の力で3回も打たれたのである。すごい音がした 休憩時間に壁にかかっていた 警策をみたら真ん中で割れていてそれをテープでとめてある。
話を聞くとブラジルに行って坐禅の指導にいったのだがそのときは 警策を5本も折ったというはしを聞いて背筋がぞっとしたのです。アーこれがあのように 渾身の力でうたれたらいくつあっても折れてしまったのだと思た。
大美さんは代表として誰かが犠牲ならなければいけないと思って警策わざっとを受けたのだと思った。 あのすごい音を聞いてまた背筋に冷や汗た流れて祈るような思いリー、バートン老師が自分の前を問う過ぎるのを待った。

開放されて最後のレクチャーがお経を上げる練習。AOUEI をみんなでがしょうするふしぎに30分も練習するとみんなの波動がいっちしてすばらしいリズムになっていた、どうりでお寺のお経があのすばらしい音色になるのだと理解できた。

9時しょうとう やっと一日が終わった、明日からがまたたいへんだ座るのがこわい。
すっかり疲れてあっというまにふかいねむりについた目がめがさめたら5時近くだった
これからまた朝食まえの坐禅がはじまる。

合宿は道場で寝袋で、女性は別室の畳に上で

朝の坐禅を無事に終えた、庭先にワイルドオオキッテが咲いている。リー老師にこの花は植えたのかと聞いたらそうではないという。
この花は野生の花で人が植えようとしてもうまく育たないというしかしどうしてここに生えているのかと聞いたら、実は 田上禅師が種をまいたという。植えたのと同じではないかというと違うとのこと、ある日田上禅師が種を持って空を見上げてるそして雨が降り始めていた、そこで 禅師が突然種をまきあげた それがこのオキットだという。
自然にしか生えないし人手で植えられないが禅師の気合が花を根ずかすのだという。
またリー禅師が田上天心 師についてのもう一つのエピソードをはなしたくれた。
リー禅師が岡の上にいたとき 田上禅師が おいリーそのあたりに異常はないかというのであたりを見回しても何も異常はないので何もありませんといったらおかしいも一度あたりを見回してくれという 見回したが別に異常はない また異常はありませんというと 田上禅師怒って左に5歩進めそうして後ろに三歩進め何かあるかという。
なんとそこには石をぶつけられてきずつぃた雀があるのです。雀が怪我していますというと。もって降りてこという。雀をもっていくと田上禅師がそれを受け取り左手の中にそっと持っていたそして禅師はほかの人たち仕事の話をしながら あちこち歩いているそして元に戻ってきたときに雀をそっと空にほうり上げたなんと雀は元気に飛び立っていったのです。

そんな禅師が田上禅師だったのです。そしてその禅師に教えを受けた面々が今このお寺の活動をささえている。
素晴らしい禅師であったようです。
田上天心は ハワイ一の剣の達人だったようです。大美さんの話し、大森 曹玄がハワイに来たときに田上天心が 大森 曹玄に教えを請うた。そしてハワイには禅を教える人がいない是非一緒に禅寺を作って禅を教えてほしいと懇願されそしてそれでこの超禅寺を一緒に作ることになったようです。このお寺をすべてポランテヤの人たちが作り上げてお寺だという。たくさんの石をよけたり動かしたりして作り上げたようです。
静かな山奥にあります。 石を動かすときも無理に動かさないで石がうこきたい方向に押せば石は自然に動くのだというそんなことを田上禅師が教えながらこの超禅寺ができたのだという。
田上禅師の教えがその弟子達に受け継がれており更に周りの人たちに薫陶されているようです。

朝ごはんがおいしい、昔の人たちはこの一汁一菜でよくたいへんな修行ができたのだと感心する。しかも剣の修行はたいへんなエネルギーを使う。
精神りょくなのか。れいの丹田の下に気を押し込むことによってエネルギーを蓄えているのか。
お昼の坐禅を何とか切り抜けた後二回、でもあの警策とやらを一度受けてみたい、休み時間にリー禅師にすみませんがれいのけいさくで今度打ってくれますか。とにかくやわらかくお願いしますと頼んだ、さて3回めの坐禅にいよいよ警策の洗礼を受けてみるチャンスがあるぞと心待ちにしていた。れいの鐘の音で坐禅に入った、先ほどから廊下の外で近所の百姓さんがサムイを着て、たっていた。坐禅がはじめまるとくだんの百姓さんが尺八を吹き始めた、朗々として静かな空気の流れのような音色を奏でる。 すごくこの坐禅にぴったりのねいろです。
そして延々とわれわれが座っているあいだ中吹いてくれていた。そろそろ後半の坐禅になったいよいよリー禅師がけいさくをとりに行く時間だが、しかし一向に立ち上がらない。さては尺八の演奏を邪魔しないように今回は けいさくの回遊はないみたい、残念これでけいさくを受けるきかいがなくなるのではないだろうか。
尺八の音は実に気持ちがいいし坐禅の苦しみをやわらげてくれた。
あの百姓は尺八の名手で本田老師だったのです。
なんと午後の講義は尺八の講義であった例の本田老師が講師であった、まずは呼吸の仕方を教えてくれた全く禅の呼吸と同じである息を吸ってから吐き出すときにできるだけ長く吐き出すとのことそしてそのとき腹を膨らませて吐き出すのだという。
本田老師おもむろに腹を出して呼吸がどうんるかを見せてくれたすった息が腹を膨らませる、そうして腹は膨らませたままで息を長いあいだだしつずけている。
まるで坐禅の呼吸そのものである。なるほど虚無僧と尺八があうわけだ。
それからプラスチック の尺八を渡された全員で音だしをする。唇をわずかにつけていきを吹き込むのだという。
吹けども吹けど音はでなかった大美さんと2,3の人が音がでっている。吹いているとやっと音が出できたと思ってらとなりの和美さんの笛の音だったしかなく廊下に出て他の人の音が聞こえないよに一身プランに息を吹くが音がでない。
なるほど芸とはこんなことか何の変哲もない笛が音を出してくれないとは。
尺八には楽譜がないというだから自分の気分で雰囲気に合わせて音を出せばいいという。
そう言えばわれわれが坐禅している間中音に切れ目なしに心地よい音色が最後まで流れていたのです。おかげで慧作の恐怖からも逃れることができた。

尺八の名手 本田老師

休み時間に超禅寺の運営に携わっている会長の リムさん と大美さんとともにあった。
彼はアルコア のエグゼクテブ の訓練を担当していて毎年アルコアのエグゼクテブを30名ほどこのお寺で訓練していたという。そしてその訓練は非常に効果があったという。

アメリカではアスペン講座というのがあって、アメリカのトップの エグゼクテブ をアスペンの山の中に集めて講座を開いているという。この講座は プラトン、とかショペンハウエルとか 波動力学とか シェピクスピアなどの本を参加者が前もって読んできてそれに対して参加者が議論するのだそうです。これでアメリカの指導者のレベルを上げるのだそうです。なるほどアメリカの指導者というのは自分の哲学を持っているのはこういう訓練を受けているのだと理解しました。日本でも経済同友会の小林陽太郎さんが軽井沢で同じような試みをされたと聞いています。
超禅寺が禅の心を理解させると同時に経営者に自分をしかり見直すための機会を与えているのだと感心しました。これは是非とも今後の日本を支える若い経営者をここに連れてきてじっくりと坐禅を通じて人生を経営を考える機会をつくれればなあーと思った。

そして三日目の朝が来ました。今日は警策を受けるぞと張り切って座りました。
早速老師が警策を持ってそろりそろりと歩き始めました。まず大美さんが一番に両手を合わせて警策を受けました。ヘンリーもまた同じ思いで警策を受けました。隣なので横目で見ろと まずは打つべき肩を軽く打って覚悟を決めあせるそしていよいよ本番なんとすごい力で思い切り3回打ったのです。その音の多きいことなるほどブラジルで5本も壊したのだと思うとぞっとした次は私の番です、もう逃れられないあきらめて合唱して警策を受ける。背を平にしてけいさくを受けた痛かったがいい思い出となった。
超禅寺はホノルルのはずれの山の中の小高い丘の上にあります。空気がすんでいて霊気が漂っています。エネルギーが満ち溢れています。
忙しい世の中で2,3日ここで坐禅して経営を考えることも大事ではないだろうか。
勿論人生を考えるのもいいがそれはあまりにも大きな命題だからとりあえず少しはなれての日常の経営を考えるのもいいのでは

リー老師が 沖縄民謡のガジャで風 というのを踊ってくれた。
これは踊り子が宮廷で王に踊りを披露して自分の恨みを晴らすために王に近づくための

おどりだそうです。そしてそのセンスが武器となりこれを王に向けて 放つのだそうです。
リー老師は白の袴をはきセンスをもって踊ります。
すごく ゆっくりした歩みです。足の運びは剣道の摺り足です。あの歩き方は警策を持って歩くときの歩き方です。そしてセンスの使い方に気合が入っています。
又その動きは空手の動きをゆうくりしたものです。ここでも武と舞が一緒になっています。武道の道に通じたものは舞踊の道にも通じています。
リー老師を女装させたらそのまま美女の踊りです。

首筋にハートの刺青にあるザッカリー青年はここで修行している。毎朝6時半になると彼が鐘を鳴らす。7回ならしていた。横山禅師はその鐘の音を聞いて今日はザックは心ここにあらづだとわかるそうです。周囲の住人はこの鐘の音で朝起きるのだという。ある朝ザックが寝坊して鐘を突くのが遅れてしまったら周辺の人たちも会社に遅れてクレイムが来たそうです。この鐘の音はここらの住人の生活の一部となっているようです。
ザック青年はわれわれに呼吸法を教えてくれた、息を吸うとき口を真横にものすごい勢いでひっぱたようにしてものすごい音とともに息を大きくすうのです。
このときのザックの顔がすごいどっかでみたなあーと思ったらお寺に門の横に立っている仁王様そっくりでした。あの仁王様もこのようにして息を吸い込み形相ものすごくして仏様を守っているのだなーと思った。
最後の超食をいただいて 横山老師 いつもまかないをしてくれたソニヤー さんにお礼を言って三々五々超禅寺をあとにした。
ザック青年はニュウヨーク の恋人のもとに帰えるのだという。
また誰か実習に来るだろうか。

日経エレクトロニクス|エンジェルの実像

日経エレクトニクスに私のインタビュウ記事がのりました。
日経エレクトロニクス2008年12月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。


日経エレクトロニクス 12月号

掲載記事PDF 

稲盛 和夫 さんのこと

一生のうちで会いたい人が何人かいます。
松下幸之助 さん と稲盛和夫さんがその人たちでした。しかし松下幸之助さんには生前にはついにお会いすることができませんでした。
日本の企業組織は、社長に会うにはその下の数々の障壁を乗り越えなければ会えないものです。従業員にしてもしかりです。
アメリカの会社だと社長はいつでも、My office is always open , please come to see me.
といってくれるので会おうと思えば簡単に合えます。そしてたいがいが壁のないオープンなオフイスです。
しかし日本の会社の社長は一番奥の大きな個室となっています。多分人事部長の部屋、総務部長の部屋、秘書課の部屋などを過ぎたその先にありますから面談をするのもこれらの部署を経由してアポイントを取らなければいけません。たいがいば第一番目の関所ではねられてしまいます。
どうしても会いたいならこれらの関所のない自宅の門前で座り込みをしなければいけないわけです。信念のある人はそのようにして目的の人にあったものです。
移民の父といわれて鹿児島から農業移民を300名もアメリカに送り込んだ 内田善一郎氏は一週間も座り込みをしてつぃに通産省の役人に会うことができたのです。そして自分のアイデヤを説明して補助金をもらったそうです。

かって三洋電機の半導体事業部USA に勤めていた頃、井上 敏 会長に会いたいと思ってとにかく筋を通さなければいけないだろうと思い、敏会長に一番近いだろうと思われる取締役に面談をおねがいしました。そしたらくだんの取締役氏いわく平君あなたの身分で会長に会うのは失礼だよ、それが日本の組織というものだよとのたまわれた、何か提案があるなら私に持って来い、善処するからとのこと。
敏会長とは氏が群馬でオーデオ事業部長だった頃私はエンジニヤーとしてたびたびお使えしたことがあるので直接乗り込めば会えないことはなかったと思います。
しかしトップグループのこのような硬直ではあまり期待が持てないと思い敏会長にお会いするのをあきらめました。それからしばらくして私を三洋をやめて独立しました。
日本の大企業はほぼ同じような状況かと思います。社長が My office is always open
Please come to see me any time となるよな雰囲気を作らない限りいい人材は育たないのでは。

スタートアップの会社の技術屋を連れて日本の大手企業の事業部長クラスにアッポイントをとるのですが。まづ総務課あるいは秘書室ではねられます。いくら素晴らしい技術だといてもけんもほろろに断られます。アメリカだと興味があれば必ず会ってくれます。またこちらが小さな会社でも快くあってくれます。アメリカのほうがその意味ではビジネスが大変やりやすかったと思っています。

10年ぐらい前に日経ビジネス の何十周年かの行事で大きな講演会がありました。
このときにNASDAQ の当時の会長 Frank Zarb氏を呼べないかということで相談を受けましたので、やってみるかと引き受けました。まずは友人を通じてZarb 氏の電話番号をもらいました。日本だとこの秘書の段階でまず総務部に回されるか、その場で断られるのが落ちですが。Zarb 氏の秘書は話しを聞いてくれました。そして日本経済新聞社主催の講演会に日本に来て講演してくれないかと頼みました。勿論日本経済新聞社のブランドがあるからだと思いますが、話を聞いてくれました。いろいろ話しを聞いてくれてZarb 氏のスケジュウルを追いかけてくれました、そして4、5日かけてやっと訪日を了解してくれました。日経ビジネスも大変助かったと思う。
このときの日本の講演者が ソニーの出井さんでした。 彼はキャシュフローの経営について滝に流れ込む川で流木につかまっている経営者がアップアップしている絵を出してキャシュフロー経営がいかに大事かを話した居られました。多分ソニーではそんなことができてないときに出井さんが導入したのではないかと思われます。このときの出井さんの話が素晴らしくそのうちお会いしたい人の一人に加えておきました。

Zarb 氏は Nasdaq がベンチャー企業の上場を助けそれがアメリカ経済を大きく貢献していることを説明していました。そんなことがあって日本でのNasdaq 市場ができたのかと思います。彼のはなしは アメリカのベンチャー企業のがどのようにして成功してそしてNasdaq に上場した後大きな企業になっているかを説明していました。日本のベンチャーの鼓舞になったかと思っています。

1996年ごろからInternet が立ち上がりまじめました。この頃Yahoo が立ち上がりサーチエンジンが各社から発表されました。このころスタンホードで勉強中のインドの学生数名がサーチエンジンを開発していました。縁あって彼らと会社を始めることになりました。
会社の名前がジャングリー です。資金集めで台湾の友人からシードマネーその後日本の企業からの投資を仰ぎました。そのなかに京セラがはいっていました。
会社はその後波に乗って順調に推移して、創業後3年後にアマゾンの目に留まりました。アマゾンが会社を180億円で買ってくれました。何せIT バブルです。アマゾンの株が半年のあいだに9倍にもなりました。これですべての投資家に相当なリターンをお返しすることができて胸をなでおろしたところでした、何せベンチャー投資の確率が1%も満たないのが常識でしたから。  勿論京セラもこの恩恵に浴しています。
次のスタートアップの資金集めのときに今度は稲盛さんに会おうと思いすじをとうしてアッポイントを入れるのでがやっぱりブロックされました。
多分このときは自分に“動機は善なりや、私心なかりしか” を自分に問いかけてなかったのがいけなかったのでは、ちょっとした、成功だけで押し付けがましくアッポイントを申し入れたのがいけなかったのだろうと思っています。それ以来どうして稲盛さんに会えるかをいろいろ考えていました。

幸いについ最近に盛和塾シリコンバレイができるということで友人の阪 和彦氏におねがいして塾に入れてもらいました後で聞いたら年齢制限をオーバーしていたようですが稲盛さんにお会いしてゆるしてもらいました。

稲盛さんのかづかづの本を読み稲盛さんの人生哲学に触れることができました。
特に西郷南州遺訓の教えに共感を持たれて利他の心を実践されておられます。
すなわち ”動機善なりや、 私心なかりしか。“ということを絶えず自問自答してことに当たられたようです。特に第二電電を作られるときこの問答を繰り返し私心なくして賛同者を集めることができそれでNTTに対抗できる会社を作り上げることができたようです。そして自分は一株ももらわないでこの大事業を成功させます。
まさしく 動機は善なり。私心なかりし。 でした。このおかげで日本の人たちが全国どこでも安い電話をかけることができるようになったのです。昔は東京から北海道に電話すると大変高いものでした。(それにしてもNTTとはどうしてあんな高い料金を設定できたのでしょうか。NTTこそ”動機は善なりや“は思う必要があったのでは。)

成功された方は成功の事実だけが残りその足跡がわかりにくいものです。しかし稲盛さんの ”稲盛和夫のがきの自叙伝“には稲盛さんが企業経営でいろんな苦労をされたこと。仲間を守るための苦労、あるいはあたらし技術の開発に死に物狂いで取り組み世界で始めての多層のセラミックパッケイジを開発して半導体産業の進歩を助けたこと。そしてPHSなどの次世代の通信インフラを作り上げ通信のコストダウン に貢献されたことなどがかかれています。起業をする人たちは是非この本を読んで燃えるような信念を持ち続けて会社を経営すれば必ず成功するとの確信を得ることができます。

稲盛さんは又 フイランソロフアーとしても鹿児島大学に稲盛経営講座を開いたり私財を投げうって稲盛財団を設立したり京都賞を設けて学術芸術の功労者を表彰したりされています。
またアミバー経営法を編み出して利益の上がる会社経営法を編み出しています。

やっと稲盛さんにお会いできて身近にお話を伺う機会ができました。大勢の塾生ともに話をいただき塾生一人一人を大事にその悩みを聞いていただきそして的確なサジェッションを与えてくれます。
仏門に入っておられたので仏の法話を聞いているような思いで一言一言が心に響いてきます。

致知出版社の藤尾秀昭 さんが”ちいさな人生論“ の中で二十代だった稲盛さんが
松下幸之助さんの話を聞いたときのことが述べられています。
幸之助さんは ”ダム式経営すなわち人材と資金をダムのようにプールして経営をしなさいという話をされたようです。そのとき聴講者から質問がありどうしたらダム式経営ができるのですか。秘訣を教えてください。と質問したら幸之助さんいわく“わかりませんな”と答えてそして”ひとつ確かなことはまず”ダム式経営をしょようと思うことです“ といわれたようです”。
このとき稲盛氏は そうかまづは思うことなのかと脊髄の奥に火がついたように感動して心を熱くしてその心の火が信念となって凝固したと述べられています。

そしてその信念が京セラを確固たる地位を確保することになったと言われています。

信念あるいはビジョウン が最も大事でしかものその信念をあるいはビジョウンを従業員全員で共有してはじめて事業が成功するのもです。
稲盛さんはこのビジョウの共有のために絶えず従業員と膝を突き合わせています。
そして仲間をまもるためにどのような経営をすればよいかを絶えず考え続けてこられたようです。

アメリカン エクスプレスからIBM の会長になったルー、ガースナー氏の著書”巨像もおどる“ のなかでも ビジョウンをすべてのIBM の従業員にいきわららるために大変苦労しています。そしてビジョウンがいきわたってはじめて 巨像も踊ったのです。

更に稲盛さんはビジョウのほかに利他ということを絶えず言い続けています。

私はやっと20年目にして稲盛さんに身近にお会いすることができました。そして稲盛さんの燃えるような信念に感化されました。
この感動を次の世代の人たちに伝えたいものです。
合唱。

日本の会社の人の生かし方(南部 修太郎さんの話)


ベンチャー経営心得帳   南部 修太郎 著

  

南部さんが 本を出されました。”ベンチャー経営心得帖“という本です。
                     
南部 修太郎 さんに会ったのは確か彼がIEEE の委員をされており講演会を企画されてその講師を私に依頼して来れれて講演したときがはじめてでしょた。

講師は私のほかに2名でその一人がベンチャーでIPOされた会社の社長でした。私はシリコンバレイのチャレンジ精神について私の過去の経験から話して何とか日本のアントレプレニャーを 鼓舞しようと思いそのような話をしました。私の次にIPOされた社長が壇上に立ちいきなりシリコンバレイの人はあまりにもシリコンバレイが良い所だと喧伝しすぎます。シリコンバレイなにものぞ、われわれは今日本で頑張っておりしかも上場を果たした。私などはシリコンバレイに行ったこともないし行く必要も感じないと思う、あまりシリコンバレイの賞賛はおかしいのではないかわれわれもすばらしい技術を持っている、何もシリコンバレイにおもねなくても良いのではとの発言でした。

彼は日本でむつかしいIPO を果たしたのでそれなりに意気軒昂だったとおもいます。しかしこれはもう明らかに私に対する嫌がらせではないのかと一瞬思い講演が終て懇談会のせきで噛み付いてやろうと戦闘準備をして講演が終わるのを待っていました。
講演が終わってからまず南部さんが私のところにすぐ飛んできて挨拶されました。そして大変すばらしい講演でしたといわれ、アントレプレナーについてよくわたったと大変なお褒めをいただきました。先ほどから戦闘準備をしていたのもすっかり忘れて平静な心に戻りくだんの講演者とも仲良く話し合いができました。そして南部さんが松下電器での半導体の仕事をしておられるというのでまた大変話が弾みました。

それから数年して携帯電話のIC を開発している会社に投資してその会社のICを日本メーカーに売り込みにエンジニヤとともに日本メーカーを訪問しました。そのとき松下電器にコネがなく何とか松下のエンジニヤーに会いたいので南部さんにおねがいしてアポントをとってもらい携帯電話の事業部を一緒に訪問してもらいました。

私が南部さんは松下の携帯電話の基礎を築いた人でしかもガリウムアーセナイドのICを最初に開発した人で松下の携帯電話の父なのだと紹介しました。エンジニヤも大変喜んでお互いに話が弾んでいました。

南部さんの”ベンチャー経営心得帳“の本 を読んで当人が携帯電話の父だといっているのを、うべなるかなとおもいました。彼が自分で言う携帯電話の父には日本の企業内の複雑なしがらみがまとわりついていていてその思いはペイジの行間ににじみ出ています。

それから数年して南部さんは松下電器をやめて自分で会社を設立します。そして日本のアナログ技術を何とか世界に冠たるものにしようと”高周波アナログIC研究会“を立ち上げます。

そしてまた私もまた縁あって第1回目の講演会に京都大学のイノベイションプラザ京都で講演をさせてもらいました。私はアメリカにおける高周波のアナログIC の現状と将来について話させてもらいもらいました。大勢の日本の権威の方々が集まっておられて大変光栄な役をいただいたと思っています。そしていかにして日本のアナログ技術を発展させるかのどについて意見交換することができました。

南部さんの ”ベンチャー経営心得帳“(アセットウイッツ社出版) の本は大変考えさせられる本です。そして日本のR&D について大変考えさせられる本でいろんな 示唆をいっぱい含んだ本でした。

今日本の大企業が大変な閉塞感に満たされています。大企業に働く優秀なエンジニヤーが腐っています。それをなんとかしないといけないのです。私も日本の企業に働いていた一員です。ですから南部さんの苦労がとてもわかります。

大企業の閉塞感はどうして起こるのでしょう。
大企業は 上司が部下を殺すからです。その殺された一人が南部修太郎さんです。松下にとっては大きな損失でしよう。しかし南部さんは自分のビジョウンをしかり実現して最後に殺されたのでまだ救いがありました。そうでないと業半ばでは 死に切れません。日本の企業ではとにかく出る釘は打たれてそして殺されるのです。

かって日経ビジネスの 有訓無訓 に登場させてもらったことがあります。そのなかで編集者からの質問で日本の大企業は新しいイノベイションが出ないし優秀なエンジニヤーが見えないそのうち大企業はつぶれてしまうのではないかとの質問でした。それに対して私はいや日本の大企業にはすごい人が4, 5人いてその人たちがあの大企業を支えているのです。と答えました。すなわち骨のある奴がかならず4、5人いてその連中が必死になって新しいアイデヤを出しわが身を賭してそのアイデヤを実現して会社を救っているのです。と説明してあげました。出る釘は打たれます、また打たれてもへこたれない数人がいるのです。大企業はこのほんの一握りの人たちで支えられています。

今でも時代劇で下級武士が殿に申し入れをします。 もしその意見が受け入れられなければ切腹を覚悟での提案です。その提案が優れておりあるいはその人の意気込みの凄みがあれが 殿も受け入れて実行させます。大企業のなかにも同じような志士がいるのです。そしてヒット商品を生んで会社を救っているのです。

自分のビジョンをしっかりと持って身を賭している数人が大企業のなかにいるのです。だから日本の大企業はまだ大丈夫なのだと 有訓無訓で述べさしてもらいました。

しかしほんとはそのプロジェクトを大成功させたエンジニヤーは残念ながらその後に殺されてしまいます。 まずは 殿に向って階級を超えて行動したことがまず減点一となります。そして次は上司が目障りになりいよいよ上司が彼を殺しにかかります。目の上のたんこぶになってしまっているのです。しかしそれでも勤皇の志士は次々と出て大会社を支えます。武士道は下級志士にこそ残っているものです。

この優秀な人たちが殺されないようになるまでは日本のカルチャーを長い時間をかけて修正していく必要があります。それは出る釘が打たれない環境を長いあいだにかけてつくりだしていかなかればいけないのです。とにかく企業内で成功すると足を引っ張られます。殺されないようにして会社を救うプロジェクトを推進する必要があります。

私の面倒見てくれた上司がいつも私に言ってくれました。お前はどちらかというと”出る釘だから“足を引っ張られないようにしかりと大きな石にでもしがみついていなさいとよくいわれた。 かれはもしかすると彼自分が大きな石だと思っていたのではないかと思う。そして俺にしかり捕まえておれ といったのかもしれません。

しかし彼こそまた大変に出る釘でしたから私よりも先に殺されてしまいました。さて私をどのように自分をまもろうか。とにかく自分のやりたい仕事ができるようにとにかく足を引っ張られて倒されないようにしようと考えました。なにせ自分の好きな仕事ができなくなってはおしまいです。ですから頭を低くして風が頭の上をとうり過ぎるようにして身を低く自分を守ってきました。そんなわけで大変いろんな面白い仕事をさせてもらったと思っています。

出る釘は打たれるのですがまた上層部はこのでる釘がどこにいるのかちゃんと知っていますそして緊急時にはこれらの人を動かして企業を救うのです。

ある大企業の副社長と話したことがあります。そしてこれこれのプロジェクトがあるのですが。貴社では誰にもっていたら良いですかとお聞きしたところその副社長がなんとその件はテレビ事業部だとA君が良いね。そしてコンピュウター事業部なら B君だね。LCDならC君だね と全社の侍(出る釘)の名前を全部知っているのですね。この会社は出る釘を大事にしているようです。ですから彼らを殺すのは中間間管理職ですね。そしてこれらの出る釘のなから次の社長が出るときに山下とびとか14人抜きなどの人材が出るのですね。短い人生とにかく出る釘で行きましょう。そしてそのために討ち死にしても必ずあなたを生かしてくれるところがあります。チャレンジしましょう。

人を生かす経営
南部さんは部下を非常によく育てています。そして十分に力が発揮できるように仕事を与えています。R&D の仕事はどのようにしてチームが張り切って開発にチャレンジできるようにするかが重要です。とにかくビジョウンを掲げそれを共有して目から火が出るほど努力する、それが成功の秘訣です。特に大企業のなかでは部下が目を輝かせて開発に携わるよなテーマが与えられていないことが多すぎるのでは。また特に部下が目を輝かせてできるプロジェクトを与え、もしその事業が会社として小さければその部門をスピンオッフして会社としても援助を行えばその会社が大きく発展したときに持ち株からの収入を上げることもできるので積極的に活用して日本の底力を挙げたほうが良いのでは、南部さんも 殺される前にもしスピンオッフできていたら世界一のGaAsの会社ができたのではないかと思う。シリコンバレイではスピンオッフはよくあります。

インテルに働いていた2人のデーターベースのエンジニヤーが自分たちの技術をインテルからライセンスしてもらって新しいサーチエンジンの会社を設立しました。インテルにはその見返りに会社の株を渡しています。そしてインテルもまた彼の会社に投資してくれています。

私のインド人のもうひとりの友人はHPでインターネット でリース業務の管理をするソフトウエヤーを考え付きをこれを上司にHP のなかでプロジェクトとして取り上げてもらうように交渉します。しかしHP ではこのプロジェクトは取り上げてもらえなかったようです。しかし上司はそれなら自分で会社を作って独立したらとサジェッショウンしたそうです。それで彼女は独立して会社を作り大成功しました。

このようにアメリカの企業はエンジニヤーの個性を尊重するしその人の適材適所を第一に考えてくれているようです。私もTI をやめるとき上司がいろいろ変わりの適所を提案してくれてそれでも私がフーヤチイルドにどうしても行きますといったらそれでしょうがないね、Good Luck といって送り出してくれました。

日本の大企業は優秀なタレントをたくさん抱えながら大半をそれらの出る杭いを自ら殺してしまっています。早く人材の流動性が増えてくれれば良いと思いますが。

逆に日本のエンジニヤーはあまりにも横のつながりがなくしたがって横えの移動そのものが無理な状況に置かれています。もっと水平思考で行きたいものです。 終身雇用制の悪弊として縦型社会の壁が高すぎてよそが見えないようになっています。日立ファミリー、東芝ファミリー、NEC ファミリーとなって外部との接触がなくなっています。この弊害を乗り越えるにはもっと学会に出て新しい情報を身につけまた外国のエンジニヤーともネットワークを広げるべきです。 アメリカのエンジニヤーは自由に横のつながりを作り上げて自分の幅を広げています。

今はWorld is flat です。日本中のみならず世界中にねとワークを張って自分の視野を広げるべきです。そしてこのなかから人生の友が見つかかもしれないしまたは起業できる仲間ができることもあるはずです。とにかく日本の大会社の優秀なエンジニヤの皆さんネットワークを広げてスピンオッフを考えましょう。南部さんのこの本を読んでぜひ参考にしてください。

本は書きWeb Page からも買えます。 www.asset-wits.co.jp
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株式会社 アセット・ウィッツ
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夢海を渡る カリフォルニア移民の父

夢海を渡る – カリフォルニア移民の父
内田善一郎 伝  野本一平 著

1955年からアメリカの難民救済法を利用して日本からのたくさん農民をカリホルニヤに送り込んだ 内田善一郎さんの伝記を読むことが出来た。

戦争で焼け野が原になった鹿児島そして台風による被害で鹿児島の農民は大変な苦労をしていました。そこに内田善一郎氏が 農民を救おうとしてアメリカの難民救済法を利用して農民をアメリカに送ります。

ここ鹿児島の串木野の地は明治維新の頃ここから薩摩の留学生19名が密出国でイギリスのわたります、この中には森有礼、寺島宗則 更にはカリホルニアのサンタローザでブドウを作りワイン生産に貢献した長沢鼎 などが含まれています。進取の気風は島津斎彬公の薫陶でありそしてそれが西郷、大久保などにうけづがれていきます。そして国家を思う有能な人物がたくさん生まれています。早くから薩摩が世界に開けていたから絶えずグローバルなものの見方が出来る人材が育ったのだと思われます、勿論、島津斉彬という優れた城主そして維新の指導的な立場を演じた 小松帯刀がいたことも大きな要因ですが。 アジヤとの交易さらにはオランダポルトガルとの交易など世界の情報が入っていたからこそ視野の広い人物が出たのだろう。グロバリゼイッションの必要性がここにあります。

丁度シリコンバレイにある鹿児島大学のシリコンバレイ。オフイスの主催で 篤 姫の話を 鹿児島大学の篤姫の時代考証をした原口 泉 教授が語りその後に 内田善一郎氏の 息子さん 誠一郎氏を迎かえてパネルデスカッショウンが行われました。

ちょうど一週間前に ロスアンジェルスの 鶴亀 彰さんのはからいで内田誠一郎さんからお父上の ”夢海を渡る“ の本をいただいてあったところでした。

内田善一郎さんは太平洋戦争の敗色濃くなった頃にニュウギニア に配属されます。
それからは米軍の激しい攻撃にさらされてニユウギニア、フイリッピン と退却の連続であった。食料はほとんどなし弾薬は尽きて戦いようのない惨めな状況であったようです。
マラリヤに罹り大変な苦労をされた、そして戦友が次々に倒れていく、次は 自分の番と思いながら必死の退却をしていく。そしてついにマラリヤの熱で民家の前で倒れてしまう。
民家の人が彼を見つけてゲリラに襲われたらいけないと地下にかくまって介抱してくれる 善一郎氏は彼を救ってくれたアルフォウンソ、グスマン家族のことはいつまでも忘れることが出来ない。そしてつくづく世界平和を願い他人を大事にすることを行動の規範としていったようです。西郷の精神 利他の精神です。

善一郎氏の父親もまた鹿児島の串木野で自分の田畑を売って人のため町のために尽くした人でした。その背中を見て育った善一郎だからまた彼も人のためを第一にして努力されたことと思う。

いろいろな苦労の末になんと鹿児島から330名の農民移民をカリホルニア に送り込むのです。善一郎氏の思い込んでからの活動にすばらしものがあります、壁にぶつかっても決してあきらめないし目標の成就のために東京にアメリカにまた時のGHQにと飛んで行きます。 また農林省の役人の家に面会を求めて1週間も座り込みを強行してついに面談にこぎつけて農業補助金をかちとります。これも戦争体験からきた利他の思いそして自分が受けたニュウギニヤ フィリッピンで現地の人達から受けた恩をほかの人に分かち合うためにすごい力を発揮していくのです。
その後カリホルニアに移住したひとたちの家族をアメリカに呼ぶためにまた私財をなげうって努力を重ねていくのです。
善一郎さんの長男 誠一郎さんは今 カリホルニアの ギルロイにすんでおられます。
善一郎さんはアイデヤマンでそしそのアイデヤをものすごい勢いで実行していきます。
いわゆるアントレプレニア なのです。

善一郎氏の夢は次々に広がるばかり南米の コロンビヤ のボゴタで花の栽培をやっている日本の青年と意気投合して
“花一コロンビア” を設立します。これで南半球と北半球のすばらしい花を世界中に供給すると言う夢を実現していきます。

南米のボゴタで作られた花の販売を始めるときもわが息子に大学を辞めてすぐ帰って来いと命令します。そして大学で習うことよりじぶんの 内田大学のほうがよっぽど良い勉強が出来るから帰れという。無茶苦茶な親父である、しかしまたこの息子も二の返事ですぐ帰りますという。何か親子3代血が通っている、そして息子に南米からの花を売りにいかせる。
21歳の息子は商売したことがない。デトロイトに行ってから仕方なく親父にどうして花を売ったらいいのかと電話で聞いたら、親父もどうして売ったらいいか知る由もなし 俺は21歳で若いのだ プリーズ ヘルピミーと 言って花を売ってこいという。 息子もまた親の行動力をよく知ている、かれなりの努力で商売も順調に伸びていきます。


講演中の 内田誠一郎 さん

ある年に、
移民した仲間を募って日本の会社に投資をすることになるのですが。その日本の会社がおかしくなり、そのために永年面倒を見てきた仲間から訴訟をされます。そして多大の借金を負ってしまいます。
それからまたこの借金を返すために悪戦苦闘が続きます。
あくまでも利他としての投資であったのが残念なことになってしまったようです。
しかし彼はその仲間達を決して恨むことなく自分の不徳のいたすこととして反省します。

すばらしいを夢を持ちいつも利他の精神で動いていた善一郎さん奥さんが一番苦労されたようです。何せ収入もないのに大勢の人たちが絶えず内田家を尋ね寝泊りしていくのです。また子供達もいつも親の意思で動かされて大変は思いをしたのだろう。娘をサンフランシツコのジョン竹田氏に養子にやるのに、“まるで犬の子供を置いていくようにポントおいていたわね”、と娘さんが後で善一郎さんに語ったそうです。

しかしこれらの子供たちは善一郎さんの利他の心を十分に受け継いでいるように思われます。西郷 の“子孫に美田を買わず”、 のそのまます。 しかし誠一郎さんを見ている限りす晴らし美田が彼の心の中に宿っています。多分また娘の富美子さんもお父さんの薫陶が充分とどいてまたその子供達に伝えられていることでしょう。

善一郎さんは その後かってアメリカが大勢の移民を受け入れてくれたことに感謝して今度はわれわれがアジアの貧しい国々の青年を農業実習生として受け入れるべきだということで政府におねがいして数百名に及ぶ農業実習生を受け入れることに成功します。

善一郎さんはこのほかに戦争中から日記をつけていて その日記を息子さんの誠一郎さんが自費出版しています。”鍬で大陸をとる“ 戦争での大変な経験そして内田さんをかついで最後まで助けてくれた戦友達の話、もう涙がぼろぼろ 落ちてとまりませんでした。

そして 廣池千九郎 氏の提唱したモラロジー (道徳教育と科学)に共鳴しサリナスにモラロジー の道場の建設に力を貸します。今は誠一郎氏がその後を受け継いでいます。

日本のすがらしい うつくしい人を見ることがでました。

2006年、積年の業績をたたえて 旭日双光章叙勲 が3月27日に通知されがこのときはすでに病床に付していたそして奥様と誠一郎氏に皇居に行って叙勲をいただくようにと伝えて3月30日にお亡くなりになった。


パネルデスカッション
左から 長嶺 総領事(San Francisco)
原口 泉 鹿児島大学教授
内田誠一郎さん
鹿児島大学理事 面高俊宏 さん
安藤茂彌 さん (Rans Pacific VC)
橋本千香 さん (Gallasus,Inc.)
司会は Pixera Corp の 井手さん

この本は 南日本新聞社の刊行でアマゾンでは売っていない。是非鹿児島の南日本新聞社にコンタクトして是非 かって読んでください。
すばらしい日本人です。素敵です

また今、日本政府も緒方貞子さんの率いるJICA で発展途上国の人たちのためにいろんな援助を提供しています。世界平和のためにそして貧しく困っている人たちのためにみんなが力をあわせていかなければいけないかと思います。

東京大学大学院技術戦略専攻 学生のシリコンバレイ訪問(Tie(タイ)Officeにて)

東京大学大学院技術戦略専攻 学生のシリコンバレイ訪問(Tie(タイ)Officeにて)

 

9月後半に 東京大学大学院技術経営戦略学の学生さんが30名ほどシリコンシリコンバレイを訪問しました。 シリコンバレイの話を聞きたいこと、更にここのスタートアップ会社がどのようにして仕事しているかを聞きたいというので Tie のコンファレンスルームを使い私の話と、エクシデヤーの森川君に話をしてもらい、さらに Tie の会長 ラジ ジャシュワ 氏に話してもらうことにしました。

 

シリコンバレイの、チャレンジ精神、開拓者魂、ひいてはアントレナーシップがここのベンチャー企業の人達に会えばその雰囲気が感じられます。またTieの組織がこのアントレプレニャー を育てる大きな役目をしています。

 

ここのエネルギーというか何でもチャレンジしてやろうという熱い思いがなんとなく伝わってくるものです。特に若い学生の場合は先入観なしに素直にその熱を受けて帰るようです。そして自分も頑張りたいという気持ちを鼓舞されるのでしょう。若い頃にこの意識を心に秘めることによって彼らの将来の成長につながるし日本の閉塞感を彼らが将来打ち破って活躍する人が一人でも二人でも出てくれば彼らのシリコンバレイの訪問も大きな意義があるでしょう。

 

今、各大学が学生の意識改革の一環としてシリコンバレイえの研修旅行を企画して彼らにシリコンバレイのアントレプレナー精神をつたえようとしています。九州大学では毎年50名ほどの学生をシリコンバレイの研修に参加させています。ほかに東北大学更には鹿児島大学などもこのような企画が行われています。時折これらの学生達にアメリカのベンチャーの話をしてあげています。皆さんその中から何かをつかんでいっているようです。そしてお別れパーテーでの皆さんの感想を聞くとおのおのすごい感化を受けています。やっぱりシリコンバレイの絶えざるチャレンジ精神 あるいはイノベイショウンに対する対ざるチャレンジを十分感じて持ち帰っているようです。

 

私は知り合いの大学教授からの依頼で 慶応大学のMBA、日本大学のMBA の学生さんそしてまた東大の皆さんなどにお話させていただく機会があります。

 

やっぱり縛られていない感受性 でここの雰囲気を受け止めてくれるので大変頼もしく思います。 これが日本で話をすると雰囲気があまり伝わらない感じがします。やっぱりシリコンバレイのエネルギーがそうさせているのでしょう。鉄は熱いうちに打てというが 熱くしているから不純物が抜けてピュアーになっているのだろう。

 

熱いうちにもっと武者修行する人達が増えてほしいですね。

 

それももっと深いイノベイションを追求できる分野に出てほしいものです。

 

私は投資したスタートアップの会社で失敗した会社の例だけを挙げて何にチャレンジしたかどうして失敗してのかだけを話しました。学生さん達もこのときにどうしてこんな対策をしなかってのかなどいろいろ議論に加わってくれてかえって起業をするとはどういうことかという検討になっていい議論になりました。日本の社会人達に講演すると質問がほとんどないしジョウクを言っても笑ってもらえないのがっかりしますが。学生さんはジョウクも理解してくれてありがたかった。

 

Xcidia 森川社長の ベンチャーの苦しみと苦しみの話

Xcidia 森川社長の ベンチャーの苦しみと苦しみの話

 

森川君の エキシデヤの話しはさすがに同年代に近いせいかみんな大変興味がありたくさんの質問がありました。
Tie の会長の ラジ には11時半に来て20分話しをするように頼んだのだが時間になっても現れない(あの野郎折角若い学生さんが来ているのに、すぽかしやがってと内心怒っていたが)みんなで帰る前に写真を撮ろうとして全員並んだところに現れた、車がこんでいたとのこと。(この日はヨガをやる日だったと聞いているのでヨガでもやりながら眠っていたのでは)

仕方なく1分間で学生のためのはなむけを喋れといったら さすがシリコンバレイのアントレプレニヤー だけあり次のようにしゃべってくれた。

 

”シリコンバレイの エッセンスは アントレプレニヤー ということにつきる この地は アントレプレニヤーが 会社を興しイノベイショウンによってあららしい企業を 創出してきた、HP しかり アップルしかり サンマイクロ そしてGoogle, E-bay. ですからこのアントレプレニャー が大事ですと。皆さんもしかりと起業家精神を持って今後の活躍をしてください。“

 

なんとアントレプレニャーとい言葉が8回も出てきました。 かれは セレクトリカ というIT の会社を興し当時5B$ の当時最高のバリュウーで上場させた成功者の一人です。

 

学生さん、この1分の話のがきっと心に残ったのではないでしょうか。最後に旅行を企画されたコーデナイターから 学生に一言というので次のような話をしました。

 

これからの長い人生のなかで一度は自分のやりたいことを5年ぐらいみちり打ち込んでほしい。そしてそれからほかに転換してもいいがこの5年間というのが自分の基礎になります。そしてそれからほんとに自分は何をしたかを探してそれからチャレンジしてほしい。何かの基礎がないと次の展開が中途半端になってしまします。一つことを追求してくれば次のことの追及はその応用でいけます。ですからどうかまず 石の上に5年それから大きく飛躍してください。と伝えた。そして質問をしなかった一人の学生にあなたの夢何ですか。と聞いたら彼女はなんと”私は幸せになりたい“とのこと大変大きなゆめですね。といってまいりましたと伝えました。

 

さて学生の皆さんはどんなどんな感想を持って日本に帰ったのでしょうか。。

 

ここシリコンバレイの雰囲気は刺激的です。特にまたTie のコンファレンスは4000 名も人が集まる 大きなコンファレンスです。この熱気はすごいものでアントレプレニヤー のエネルギーです。

 

日本の若い起業家に是非この雰囲気を味わってもらい, さらにはグローバリゼイッションをすすめて彼らも大きく羽ばたいてほしいという思いで毎年若い企業家を募ってこのTie Conference にきてもらっています。彼らはこのコンファレンスに来て刺激を受けて帰っていきます。そしてまたグローバリゼイションに大きな展開をしています。2009年のTie Con は5月15,16 日です自費を払って会社の有給休暇と取ってあるいは大学の講義を2,3日休んで参加する価値が十分にあります。今から計画したらどうでしょうか。

 

www.tie.orgからTie の活動を見てください。

 

Tie のOffice で学生と 森川社長。

Tie のOffice で学生と 森川社長。

 

街角の四季

カリホルニヤ はサバンナ気候です。
すなわち乾期と雨季の二シーズンだけです。
雨は12月から降り始めて3月ごろまで降ります。その後は乾期で山々の草が枯れてしまいます。あっという間に緑の草原が禿山に変化します。樫の木(オーク)だけが乾燥したなかでもまだ青い葉を保ち続けています。樫の木(オーク)はその根元に水分を蓄える機能があり乾期でも青々としているのだということを聞いたことがあります。ですからこの枯れ草の草原の中に樫の木だけが青々として立っています。カリホルニヤ州の木であるこのオークトリーは日本のナラ の木が近いそうですが。しかし どんぐりは 日本のどんぐりに似ています。  スタインベック の赤い子馬などに出てくる情景描写はまさしくこの枯れ草のなかの樫の木の情景が出ています。
12月ごろから降る雨は山々の草を緑に変えていきます。最初は分らないように少し色がつき2週間ほどするといつの間にか緑の草原が出現します。毎日の雑念で頭がいっぱいのときは あ!いつの間に山が緑になったのかわからない変化をすることがあります。

そして我が家の裏にいよいよ雑草が青々と伸びていきます。
そして5月になり雨が止むとまた雑草が枯れていきます。不思議なことにアザミはこの雑草が枯れ始めてからめきめき伸びていき洋々とそのとげを磨いていきます。
この草はある程度水が十分しみこんだ後に成長するのだろうか。雑草が枯れてから、私はこのアザミ退治をしています。
我が家の裏にはに毎年2月後半から 坐禅草まがいの花が芽を吹き出しそして花が咲きます。日本の友人が坐禅草だという。日本の坐禅草とは少し違うようですが。海を渡ると少しキリスト教的になるのだろうか。日本の坐禅草は肉厚の花で達磨禅師が坐禅しているような花です。どうもこれは坐禅草ではないのでは。

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そして5月になるとまたかれてしまう。
もうすっかりかれてしまった来年また生えてくることでしょう。

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すっかり枯れ草の山となった丘と樫の木 もうすぐ市の業者がこの枯れ山の草を刈りに来るこれは消防省の要望で山火事防止のためです。我が家の裏庭の枯れ草も火災保険の条件として毎年枯れ草を刈り取るようにいわれています。

5月から道端のいろいろな花が咲き始める特にカリホルニヤ ポピーは色鮮やかである。雑草だが我が庭に植えたいのもだ そのうち種が飛んできて咲き乱れるのを待つことにしよう。

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道端のポピー

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我が家の2階の雨樋の中に鳩が巣を作ったもう、2,3週間卵を温めているようだずいぶん長い気がするがなかを覗くにはベランダから少し高いところに上らないといけないので老体を気遣ってやめているが あるいは人がのぞいたということになったらもしかして 卵を温めることをあきらめるのではないかと思いやめることにしている。ただし朝おきて窓をそっと開けて親鳥がいることだけは確認している。

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今朝見たらもう鳩君は巣にいないもう子供生まれたのだろうか、そして庭に例の鳩が餌をあさっているさては引越ししたのだろうか。どこに引越ししたのだろうか何匹子供が生まれたのだろうか。いろいろ外敵がいるのに我が家雨樋のほうが安全なのにやっぱり人間は信用できないのだろうか彼らは人は焼き鳥を食うという概念で固まっているのかも知れない。来年もどなたか(鳩のなかの)またこの巣を利用してくれるといいが。

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カリホルニヤの鶉
まるでアフリカの王様のように頭に王冠を備えている。
いかにも威厳がある。これからはレストランで鶉を食べるのはやめよう。
こんな格好をしていると思えば恐れ多くて食べる気がしない。
いかにも悠々としている。

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カリホルニヤのフクロウ
日が落ちて宵が迫る頃裏山に出たところで目の前に木の上に2組の梟を見つけれう急いで部屋に帰ってカメラを持って来る幸いに四羽ともまだ飛び立っていなかった、フラッシュをたいた為にすごい目をしている。左のフクロウは背をこちらに向けて頭を360度回転しているようだ。一羽だけは飛び立ってしまった。毎晩ホーホーとないているようだ。まだ自然が残っている。

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ハミングバードの水のみ
羽を 毎秒55回ほど動かした静止しながら花の蜜を吸う。疲れないだろうか。

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リス
かって冬の北八で雪のなかでリスを見つけて大変感激してたくさんの写真を撮ったことがある。日本では町の中では見られないのだがカリホルニヤーではふんだんに見られる。オーク トリー に登り忙しそうに動き回っている。ドングリが好物らしい。

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野兎の子供ゴルフ場の芝生で遊んでいる。

裏山の野兎は警戒心が強く人の姿を見るとサーと逃げていく。
裏山には コヨーテ(狼)がいたり マウンテンライオン(豹の一種) が居りウサギも警戒心が強いみたいだ。
これからは乾期がつづき、暑さもまして来る。鹿たちも里から山奥え移動しているようでこのごろは見かけない。

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マウンテンライオンがでたらなるべく自分を大きく見せることと注意書きが裏山に上るところに掲げている。裏山に上るときはいつも木刀を持ってのぼることにしている。

カリホルニヤの春です。

TiE Conference 2008

 

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シリコンバレイ で5月16,17日に Tie Con (タイコン)が開かれます。昨年のTie Con は3400名の人達が参加しました。

 

タイコンのモットーは若い起業家を育てあげることを使命としています。このタイの組織を支えるのがチャーターメンバーです。現在約400名のチャーターメンバーが居りこれらに人達のボランタリー活動で会が支えられています。
タイの モットーを実現するための一つの行事として Tie Con のときにE-Bazaar というのを行っています。これはこれから起業したい若いアントレプレニヤーを一対一でベンチャーキャピタリストに紹介するもので約100名ほどのアントレプレニヤーが応募してきます。またシリコンバレイのベンチャーキヤピタルの会社のほとんどが何名かのパートナーをこの企画のためにボランテヤーとして参加します。しかし彼らは良いアイデヤがあれば当然投資をするという前提に立って参加します。

 

さてエベントの前にまずチャーターメンバーがこれらの応募者の臨時のメンターとなります。ビジネスプランを見てあげて中身の検討を一緒にしてあげてベンチャーキヤピタリストがわかりやすいような内容にしてあげます。それから発表の予行演習を見てあげます。
何せ ヴェンチャーキャピタリストとのミイーテングはたった15分です。
ですからこの間に自分のやろうとしていることを的確に伝えないと次のミーテング につながりません。ベンチャーキャピタリストは一回のミーテングで投資しません。このような一回のミーテングで投資を受けられればそのビジネスプランがものすごくよかったかあるいはリープフロッグの技術である場合でこの時は成功間違いなしですね。

 

チャーターメンバーが4名ほどの起業家の面倒を見てこのバザーに送り出します。 去年私は4名の起業家の面倒を見ました。
そのうち3人が2回目のミーテング間で行ったというので私としてはメンターの責任を果たしたと思います。

 

今年も4名の人たちの面倒を見ることになりましたが。今年の応募者はこらから起業をしたい意気込みだけでビジネスプランを考えたこともなくどれくらいのマーッケトがあるかの予測もできない人が3名もいました。
代一回のミーテング でマーケットサイズはどれぐらいあるのか、どれぐらいのお金が必要か、売り上げの予測はどれぐらいあるのか。などを聞き更にベンチャーキャピタリストの思惑は何か、なぜ投資するのかを十分にはなしたあげて、とりあえずビジネスプランをパワーポイントで15枚、作ってくるように宿題を渡しました。そしてもう一回発表の予行演習を私にすることになっています。

 

このなかの一人は全然狙っている市場が投資を受けて起業するに当たらないようなものでしてのでそれなりに話をしてあげてプランをもう一度練りなをすように指示しました。
多分彼は最後に参加しないだろう。

 

さて15分で相手の心をつかむにはどうしたら良いだろうか。
とにかくどうして自分を売こむかが 重要です。まず自分を買ってもらなければいくらビジネスプランがよくても投資は受けられません。
要は何をするのかを的確に手短に話すこと。
チームの構成がどうなっているか。
自分の情熱をどのようにして伝えるか。
自分の人生観をどのようにしてつたえるか。

 

さて皆さんだったらどうする。
さて今年の起業家の何名が2回目とミーテングにいけるだろうか。

 

昨年の TiE Conでは13歳の小学生がカードゲームでビジネスしたいと堂々たる発表を4000名のまえで行い拍手喝采を浴びました。
Anshul Samar 君今年は14歳のなりました。彼の Elementeo.comは順調のようで売り上げも増えているようです。カードゲームで 化学の知識でゲームをするのです、敵を倒すのに化学反応を用いて倒します。
大変教育的でケミカルソサエテイ の会長が大変感激して子供の化学教育に大変良いと賞賛していました。
彼もタイのメンターがサポートしてあげました。
Anshul 君はテレビの番組の”60ミニツ” に取り上げられるそうです。

 

さて日本の若者も彼に負けないように頑張ってほしいものです。
それと同時に日本でも若い起業家をガイドするメンターがたくさん出てほしいものです。
タイのメンターの役をやっていてほんとにこれから起業しようという人達には手取り足取りしてガイドしてあげる経験をつんだメンターが必要なのだと言う事がよくわかります。
シリコンバレイでは成功した人達がメンターになって若い起業家をガイドしています。
日本もこのようなメンターがでてきてほしいものです。
タイコンへの参加を是非お勧めします。今年参加できなかって人は来年是非参加ください。

 

平 強

タイランドの旅

娘が東京からバンコクまでの飛行機の切符を送ってくれてワイフの誕生祝に リゾートホテル に招待してくれた。  学校卒業して自分で 生業をやっていけるようになったことこそ何よりですが。
されに親孝行してくれるので大変感激して無理やりに時間を作りタイえのたびにたった。バンコクから2時間半もするファヒン というリゾードで高級ホテルが立ち並ぶところにShiva Som という高級スパがありました。

 

4月13日から15日までがタイの旧正月 で毎年同じ日だそうです。娘の誕生日が4月12日なので誕生祝をかねての旅でした。

 

タイのこの正月は Songkran といって 人のためになることを行う日で、家々をきれいにし、目上の人を尊敬し、お坊さんに捧げものをし、かごの鳥を自然にはなしてやり、また魚を川に放してやる日でもあります。

 

特に水を仏さまにかけてあげて目上の人の手のひらに水をかけて年上の人を敬う日でもあります。ですから 最後の15日はお互いに水をかけあって正月を祝うのです。
バンコクの街中でも人々が水を掛け合って正月を祝っていました。
そして白い粘土を水に溶かしたものを顔に塗るつけていました。

 

ホテルでのこの正月の行事は従業員全員で祝います。タイの霊妙な手の動きの民族舞踊を先頭にホテルのなかをパレードしてから、いよいよみなお互いに水を掛け合って楽しく正月を祝いました。ホテルのマネジャーがプールの投げ込まれ年のはじめに身を清めていました。 そして勿論われわれも他人から水をかれられついにはわれわれもあいてかまわず水の掛け合いではしゃぎました。

 

祭壇に小さな金色の仏が祭られておりその仏にみんながならんで水を掛けそして粘土の白い化粧を仏の顔に施してから両手を合わせて祈っていきます。
そしてホテルのゲストがいすに座っているところに来て手に水をかけまた白い化粧を施してまた両手を合わせて拝んできます。

 

一瞬自分が仏になった気分になります。

 

 

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タイの人達はすごく穏やかです。とても良い顔をしています。そして会うと両手を合わせて サバテカップ といって微笑む。またありがとうをいいときも カップンカップ といってまた両手を合わせて、微笑む。 何とやさしいことかさすがは仏の国です。
すごく穏やかで微笑があり、心が和んできます。大変穏やかの数日を過ごしました。
この国にはまた来たいなあと思います。

 

どうりで娘が猛烈な仕事のあとにここに息抜きに来るのがよくわかったし、そしてわれわれ夫婦にもこのよさを味わってもらうために招待してくれたのです。
砂浜には小さな蟹が砂のなかから出てきて周りの砂を丸めて後ろに投げていくそうして小さな穴の周りに蓮の葉のような模様を作っていくこれもまた仏えの供養なのだろうか一日中そこらじゅうがこのような模様で埋め尽くされている。人が来るとすぐに穴の中に隠れてします。試してに穴を砂でふさいで見るとまた2, 3分してからのこのこ上がってきてまた同じように砂を丸めて後ろにながつけていっている。あちこちの穴をふさいでどれくらいで上がってくるか日がな一日遊んでいたあるものは2, 3分あるものは10分あるものはあきらめて出てこなかったり。

 

面白い蟹がいるものだ仏に蟹にされてその供養をしている過去の人物ではないだろうか。日本でも敦盛草とか平家蟹とがいるしもしかして私の祖先はこの蟹になったのでは清盛も鎧の上に法衣を着たりしたから多分 蟹にされてここで毎日砂を丸めて仏に供養しているのでは。

 

 

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正月の夜にあと驚くことに空をランタンの火が飛んでいくではないか風に乗って東のほうに飛んでいったそしているとまた飛んでくる浜辺に出てみるとなんと隣のハヤット リーゼンシーの浜辺から上げられて飛んでいく。どうもプラスチックの入れ物に入っていて バルーンのようにガスを発生させて上に飛ばしえいるみたい。ランタンの火をガスでつけたとするとこれが浮遊力になってランタンが飛んでいくのだろう。何と幻想的なことそしてこれらがはるかかなたの上空に行きまるで星座のひとつになっていく。
もっと早く見に行けがどんな仕掛けかわたったのだが。いずれにしても原理を考えるよりもそれにランプが飛んでいってそれが星になってとおもうほうが幻想的で仏の国でに似つかわしいと思う。

 

 

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ランタンの火が空に登りついに 星になっています。

 

蓮の花、ここのはすの花は日本のものと違い花が丸々としているそして花弁が一つづつ丸まって開いていく。 どっかでたくさん取れるのだろうホテルにはたくさんの花が一つ蓮の葉の上に飾られているそれがまた見事です。でもこんなにたくさんとってきてなくなりはしないかと心配になる。何せ蓮一本から花一つしか咲かないから大変たくさんの花がとられてしまっているのではでも仏の国だから蓮の花はたくさんあるのだろう。

 

 

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椰子の木に赤い実がなっているなんだろうと聞くとなんと植木をしてあるのだという。
確かに若い木にも接木といおうか植木をしたといおうか違う小さな木が植え込まれているお互いに助け合ったいるのだろうか。

 

 

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夜になるとイカ釣り船が緑のランプをつけてたくさん漁を営んでいる。
かがり火ではなく緑の蛍光灯です。

 

”かがり火は日も夜もなく またたきぬ くがは海より悲しきものを“

 

ここは仏の国かがり火さえもまた 悩みのなき光をはしているみたい。
今度来たらお寺に行ってみたいそして蓮の花が一面に咲いているだろうと思われる池にもいってみたい。
そしてできれば空飛ぶカンテラを新潟の山古志村で上げてみたい。
そしたら錦鯉の新種ができるかも。

 

娘のWeb Page   http://www.karinataira.com/

今年の月蝕 2月20日7.01 p.m. to 7.51 p.m.

昨年8月28日の月蝕は朝3時37分から始まったので明け方まで起きていなければいけなかった。今年は夕方7時からというので期待して待っていたが、しかしあいにくの曇り空残念ながら前半は殆ど雲の中で見ることができなかった、最後8時近くになって月蝕が終わるころに、やっと晴れ間が見えてなんとかこの写真をとることができました。この次の皆既月蝕は2010年の12月21日までないそうです。

 

 昔のギリシャ人はこの地球の影が月の上に投影されているのを見て地球は平坦ではなく丸いのだと考えるようになったようです。コロンブスの冒険よりも早く地球が丸いことを予測していたのですえね。それがまた今は逆に World is Flat になってしまいました。どこまでも行き着くことのない平坦な世界になったようです。
この続きは2010年までお待ちください。

 

 

月食の様子 

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