日本の半導体企業で働いてそれからアメリカのシリコンバレイの半導体企業に移り,半導体のマーケッテングをアメリカで始めました、半導体の技術の発展とともに半導体企業の盛衰を見そしてまたソフトウエアーの会社に関わったりしながら、アメリカのスタートアップの色々な企業と関わりを持ってきました。Venture Capital の投資が一番多いのはシリコンバレイです。そしてBoston , New York など全国に散らばっています、新しい産業が起こるたびに、あるいは新しい技術が開発されるたびに資金が投下されます。日本でそしてシリコンバレイを始め世界中で新しい会社ができてきます。産業の米と言われて半導体産業、そして半導体を使うたくさんの企業が創出されました。Computer 産業、それからSoft ware の企業、Net work の会社、世界の産業は大変膨れ上がって行きます。新しい産業に大学でTechnology を開発した若者たちが次々と次々と新分野に飛び込んできます。半導体産業では Intel 社がIC を開発し、それがComputer に使われて産業の米となってComputer 業界が発展しました。 そして大型computer から、Potable Computer になり、さらにInternet の発展になり、cellular Phone になりと技術は発展しました。さらにはSoft ware の発展に伴い様々なマーケットの交流となって発展していきました。シリコンバレイのStanford 大学あるいはBoston の大学の優秀な学生たちが新しい会社を立ち上げまたインドや中国の優秀な若者たちがアメリカに進出して起業して産業を発展さてきました。

アメリカの発展はこのStart up の会社の成功によって産業がますます発展したのです。それらのスタトアップを育てたのがベンチャキャピタリストです。そして産業が発展することによってVenture Capital の資金もますます大きくなっていきました。今アメリカのベンチャーキャピタの投資額は昨年で50 Billion $(約5兆円) となっています。このお金がほぼ千社に投下されています。そしてうまくいくとBillion $ Companyとなって行きます。Google . Facebook, Amazon, Tesla Motor Apple computer などなど、Europe でもIntel に立ち向かえる半導体メーカArm holding社、などがあります。 Venture Business は魅力的です。ですからentrepreneur たちが 次々とChallenge してきています。しかしその生存率は実に低く千に三つと言われています。でも今日もまた夢を追い求めて若きEngineer たちが立ち上がっています。

Solar Panel のInverter は100watt ほどの出力パネルを数百枚繋げ最後に全体のDC 電圧を交流に変換していました。もし一枚のパネルが壊れたら全ての電源を止めてから一枚のパネルを交換しなければいけなくなります。それでパネル一枚一枚にMicro Inverter をつければ全体のSystem を止めないで修理が簡単になります。それで各社がMicro Inverter の開発始めました。とりあえず小型のトランスを使って製品が使われ普及し始めました。このInverterはトランスを使っているので まだ大きなものでした。スルヤ はトランスを無くする回路を開発しました。このため全体のセットが小さくなり修理が簡単になりました。日本のメーカーが採用したいというのでサンプルを出しましたが、日本の測定器で性能を図るとセットが動作しません。それでスルヤともう一人のエンジニヤを連れて日本で1週間滞在して原因を追及しました。測定器のせいでインバータが発信してしまっていました。なにせお上のお墨付きの測定器なので、この測定器で認証が取れないと日本のマーケとには販売できないという、行政の誤りですね。 残念ながら退散せざるを得なくなりました。もちろんこのMicro Inverter を使うと大幅なcost downになるのですが仕方なく次回のチャレンジと諦めました。
それで日本のマーケットを諦めてUS のソーラパネルメーカーとの商談に変更しました。資金もなくなってもう会社を閉めるほかはないとみんな諦めていました。幸いに大手のメーカーが会社を買収してくれました、スルヤの回路をすぐ使わずにとりあえず従来品の生産を継続してその後で新しい回路に変更しようということになったようです。この会社は確か400−500億の売り上げの大会社でした。これで我が投資もそのうち花が咲くだろと楽しみにしていました。しかし2年ほどしてどうしたわけか会社がChapter 11 になってしまいました。スルヤにどうしたのかと聞いたらなんと経営者が会社の利益が増えように見せるためにせっせと資金運営を行ったためにそれが失敗して大損をしたという。アメリカでよく見かけられる話でした。たとえばエンロンなどの例。全くせっかくのだい大会社を破産させてしまっています。スルヤは自分のPatent の権利だけを買って会社を辞めました。かれは前の会社でMicro Inverter を全てIC 化することによってすごく安く作れる特許を取得していました。捲土重来 次の弾です。また起業するのかな。また立ち上がるとまた加担せざるを得ないだろうな。これがシリコンバレイのネットワークです。 

Soft bank の孫さんがYahoo を率いて日本の通信業界を改革しようとしてInternet box(ADSL) を作り新橋駅前 、渋谷駅前などでただでADSL Boxを配りました。この努力によって日本でもInternet の利用が大きく伸びることになります。さすがの孫さんですね。だからあのように大きな世界企業に育てたのですね。まだまだ頑張ってもらわないと、またArm Holdings を買ったことは大変ありがたいですね。Arm は日本(孫さん)の会社です。半導体戦争にIntel に負けましたが孫さんがArm を買ったおかげでまだIntel と競走できそうですね。 Arm は日本の会社ですね。有効に活用したいものです。

この頃韓国ではADSL の普及が始まっておりADSL 用のセットが大変売れていました。特に韓国はその普及率が高く、Silicon valley のスタートアップがADSL 関連のセットがたくさん売ていました。韓国出身のエンジニヤーが始めた会社のめんどうを見ることになっていました。なにせ韓国のADSL の普及率はすごくて会社の売り上げは急上昇していました。韓国からの注文がたくさん来ていました。売り上げは伸びる一方でした。このころ友人夫妻とYellow stone park に遊びに行っていました。この時業績がいいので 証券会社が上場しよういうことで上場準備にかかりました。旅行に行く前に書類を持って出かけました。とうじはまだ ADSL がまだ韓国のように普及していませんでした、まだFax が通信手段でした。Yellow Stone parkのホテルにはまだFaxがありませんでした2日後に上場ということで楽しみにして待っていました。最後の書類にさいんして今日中にFax しろという。しかし泊まったホテルにはFaxありませんでした。聞いたらYellow stone Park の反対側のHotel しかないという。Fax のあるホテルまで真夜中にYellow stone パークを車を飛ばしてFax のあるホテルまで行きました。途中大きなBuffalo がものすごい速さで走っていきました。もし正面衝突でもしたなら一命を落としていたことかとびっくりしました。やっとFax のあるホテルについて書類をFaxしました。しかし、なんと数日後IPO がだめになったという連絡が入りました。ついにADSL バブルが弾けたのでした。そしてまたひとつの夢が消えて無くなりました。

通信業界はこれを契機にますます盛んになりSilicon valley は次の技術へと移っていまします。Net workの大手がたくさんできていました。Fiber Optics の敷設が急激に進みました。同時に高速のSwitch が必要になりました。Naveen は一緒に起業していた会社が倒産して、浪人を余儀なくされました。かれは次のTechnology はなにかと色々と勉強していました。技術セミナーがあれば全て参加していました。そして発表される Technologyを色色と勉強していました。興味のある技術の発表があれば発表した技術者をおいかけて行ってしてその技術者と議論していました。それでその技術者と懇意になっていました。ネトとワークの技術者、そして半導体の技術は者、ソフトウエアーの技術者、彼のRolodexにはすごい技術者のなまえが登録されていました。2年間の計画の後4、5名の同士が集まりました。それから数ヶ月彼らは Business Model を作成しましたそのモデルは High speed Switch でした。そのBusiness model を持ってナビンは Sand hill村(Venture Capital 村)に出かけて資金調達に行きました。時あたかもブーム到来Venture capitalist の財布が緩んだ時でした。ナビンは数10億円の資金を手に入れました。彼のRolodex の中の大半のエンジニヤが集まってきました。すごいIQ の連中でした。ビジネスプランを持ってその時の超優良Network の会社World com にプランを見せると大変喜んで ぜひ商品を使おというへんじをもらいました。製品は1000X1000 のOptical Switchでした。Memes を用いるものでした。振動のないTable が設置されて製品の開発が始まりましなおすごいExpert が昼夜兼行で開発が進められました。これができればもうBillion$の会社 間違いなしでした。Prototype の100X100のSwitch ができて大騒ぎしていました。しか好事魔多しです。時にLeman Shockが起りましたPotential Customer だった大手の通信会社が先に倒産してしまいました。そのために1000 x 1000 のプロジェとはなくなりました。Naveenは急遽開発の方向を変更しました。 超一流のScientist がいら なくなってしまいました。 その人達にやめてもらいました。業界のtop Scientist たちでした。それで急遽開発の方向を転換をしました。Internet の普及は相変わらずTarget でした。それで方向をFiber to Home に向けdistribution Box の開発です。これにはPON 用のIC が必要でした。しかしIC開発している半導体メーカーがまだ完全なものはできていませんでした。なんとかプロトタイプができてMarket にだしてみました。Fiber to Home わいぽんのfiber から30社のOffice にGiga のNet work がひけるというので次世代の大きなMarket になるとみんなExcite していました。 PON そのものがまだまだ普及してなくて数年頑張りましたが市場は立ち上がりませんでした。NTT にプロタイプを持ち込みましたnotorious なNTT の購買手法に外国勢が締め出しにあってアメリカ政府から非難を浴びた後であったので、公正な評価を期待して見積もりを出したらなんと日本製のものが我々よりも20%やすいという。PONのICはアメリカ製です、値段が20%も違うとは信じられないと公正を期しているのかを購買課長にただしました。日米で問題になった後だったのでそれらしき比較表なものを見せてもらいましたが実際はどうだったかわかりませんが、日本のメーカーの最初は赤字でも出して後から利益をとる形で値段を出したのかと思われる、やっぱり大NTTのMaker えの無限の圧力ですね。でも日米でPON のマーケットは思ったよりも立ち上がりませんでした。残念ながら次の年に会社をClose することになりました。またひとつ夢が消えてしましました。

ナビンはまた彼なりのベンチャ魂を呼び起こして次に立ち上がりました。今度こそはBillion $ Companyをめざしています。Network Securityの会社です 期待しましょう。

マナスはComputer Scientist です、Boston で企業していました。マナスは丁度DRAM がものすごく不足していてみんなが買いあさってすごく値段が上がっているのを見てなんとかmarketを平滑にできないかと考えていました。それでMarket Place を開いてDRAM の値段が安定かするようにできないかと考えてMarket Place をOpen することを考えました。そのためSoft ware を開発しました。アイデヤとしてはChicago Mercantile Exchange の Online 版でした。すごくいいSoft ware でうまくいけば色んな商品を乗せられられるのでいいBusinessができると踏んでいました。しかし2年ほどしたらDRAM の値段が極端に落ちてしまいビジネスとして成り立ちませんでした。

ちょうど1997年ごろに 世界の炭酸ガスの排出量を抑えないと地球の温度が2度ぐらい上がって北極の氷が溶けて大変なことになると国連で議論がありがあり京都で国連の議論がなされてCO2をへらそうおという国際会議が持たれました。日本が中心になって世界各國のCO2削減の目標を設定して頑張ろうということになりました。日本は確か20%削減を目標にしていました。世界核國が真剣にCO2削減に努力していました。日本から時の外務大臣 川口順子(元サントリーの取締役)が頑張って協定を作りました。日本の電気業界は電気機器の効率を上げて改善分をCO2 削減に換算することで目標を達成しようと努力しました、このおかげで日本の電子機器の省エネ製品の開発が進みInverter Motor の開発が大い進みAir Con 洗濯機、などの効率上がり、CO2 の削減が進みました。日本は真面目に電子機器の効率をあげて省エネによってCO2の排出を真面目に抑える方向で努力していました。日本の各社は本当に頑張ったとお思います。
先進国は石炭の使用量を減らしたり、また原子力発電を増やしてCO2の削減に努力していました。
Kyoto Treaty は低開発国に対しては 森林が吸収するCo2 を計算してその等価CO2 吸収の価値を換算して先進国で目標に達しない国に低開発国のこの森林が吸収するCO2を先進国に売ってこの換算分を低開発国の実現分とした。なかなか素晴らしい計画でした。さすがに川口さん達の努力でした。しかしアメリカ ロシアなどがこの協定に参加しなかったことなどで協定は有名無実となってしまいました。そしてさいど作年になってフランス大統領マクロン大統領が Paris 協定を設定しました。
しかしTrump 大統領はすぐさま アメリカはこの協定に参加しないと表明したのです。世界をリードすべき世界第一の国がこの調子なら世界の気象変化をどのようにして抑えればいいのでしょうか。このように世界を無秩序にしていたら人類が滅びることになりますね。世界大国のアメリカがもっとしっかりしないと世界がおかしくなります。マナスはこのCarbon Trading を彼のソフトウエアーで世界に提供しようとしていましたがまだその機にあらずとして次の手を探しました。

マナスはついに 石油を原料にしているPlastic bug, Bottle などを分解させる材料を開発して地上からPlastic 被害を無くする材料を開発しました、やっと世界の最も困っている問題の解決の糸口を掴んだのでした。台湾で数年前にデジ袋を生産していた工場でPhoto Degradable のプラスチクの材料の生産を始めました。鉱石から粉を作り、さらに植物繊維から作られるスターチなどを混ぜてプラスチック製品を作ると太陽光の紫外線で分解するプラスチク製品が作られました。また地中に埋められたプラスチクは 地中にあるバクテリヤによって分解されるものです。これでやっと世界ちゅうからプラスチクのゴミを処理することができます。海の魚が、亀が、クジラがプラスチクを食べて死なないようにすることができるのです。環境汚染がこれで改善されればやっと100年にも渡ってなくならない海洋の汚染をなくすることができます。マナスと20年にわたって努力したEntrepreneurの夢が実現しそうです。

相変わらず次の夢をおうアントレプレニアーたちは後を絶ちません。これまでに20社近くのアントレプレニヤーたちと夢と失望を共にしてきました。Technology はますます進歩しています。AI 全盛時代。物創りも進化していきます。ガンとの戦い、Pandemic との戦いまだまだくさん資金が必要です。日本の企業もこれかの若きアントレプレニアたちにたくさんの資金を投下してほしいものです。