シリコンバレーのエンジェル投資ブログ

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日経エレクトロニクス|エンジェルの実像

日経エレクトニクスに私のインタビュウ記事がのりました。
日経エレクトロニクス2008年12月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。


日経エレクトロニクス 12月号

掲載記事PDF 

稲盛 和夫 さんのこと

一生のうちで会いたい人が何人かいます。
松下幸之助 さん と稲盛和夫さんがその人たちでした。しかし松下幸之助さんには生前にはついにお会いすることができませんでした。
日本の企業組織は、社長に会うにはその下の数々の障壁を乗り越えなければ会えないものです。従業員にしてもしかりです。
アメリカの会社だと社長はいつでも、My office is always open , please come to see me.
といってくれるので会おうと思えば簡単に合えます。そしてたいがいが壁のないオープンなオフイスです。
しかし日本の会社の社長は一番奥の大きな個室となっています。多分人事部長の部屋、総務部長の部屋、秘書課の部屋などを過ぎたその先にありますから面談をするのもこれらの部署を経由してアポイントを取らなければいけません。たいがいば第一番目の関所ではねられてしまいます。
どうしても会いたいならこれらの関所のない自宅の門前で座り込みをしなければいけないわけです。信念のある人はそのようにして目的の人にあったものです。
移民の父といわれて鹿児島から農業移民を300名もアメリカに送り込んだ 内田善一郎氏は一週間も座り込みをしてつぃに通産省の役人に会うことができたのです。そして自分のアイデヤを説明して補助金をもらったそうです。

かって三洋電機の半導体事業部USA に勤めていた頃、井上 敏 会長に会いたいと思ってとにかく筋を通さなければいけないだろうと思い、敏会長に一番近いだろうと思われる取締役に面談をおねがいしました。そしたらくだんの取締役氏いわく平君あなたの身分で会長に会うのは失礼だよ、それが日本の組織というものだよとのたまわれた、何か提案があるなら私に持って来い、善処するからとのこと。
敏会長とは氏が群馬でオーデオ事業部長だった頃私はエンジニヤーとしてたびたびお使えしたことがあるので直接乗り込めば会えないことはなかったと思います。
しかしトップグループのこのような硬直ではあまり期待が持てないと思い敏会長にお会いするのをあきらめました。それからしばらくして私を三洋をやめて独立しました。
日本の大企業はほぼ同じような状況かと思います。社長が My office is always open
Please come to see me any time となるよな雰囲気を作らない限りいい人材は育たないのでは。

スタートアップの会社の技術屋を連れて日本の大手企業の事業部長クラスにアッポイントをとるのですが。まづ総務課あるいは秘書室ではねられます。いくら素晴らしい技術だといてもけんもほろろに断られます。アメリカだと興味があれば必ず会ってくれます。またこちらが小さな会社でも快くあってくれます。アメリカのほうがその意味ではビジネスが大変やりやすかったと思っています。

10年ぐらい前に日経ビジネス の何十周年かの行事で大きな講演会がありました。
このときにNASDAQ の当時の会長 Frank Zarb氏を呼べないかということで相談を受けましたので、やってみるかと引き受けました。まずは友人を通じてZarb 氏の電話番号をもらいました。日本だとこの秘書の段階でまず総務部に回されるか、その場で断られるのが落ちですが。Zarb 氏の秘書は話しを聞いてくれました。そして日本経済新聞社主催の講演会に日本に来て講演してくれないかと頼みました。勿論日本経済新聞社のブランドがあるからだと思いますが、話を聞いてくれました。いろいろ話しを聞いてくれてZarb 氏のスケジュウルを追いかけてくれました、そして4、5日かけてやっと訪日を了解してくれました。日経ビジネスも大変助かったと思う。
このときの日本の講演者が ソニーの出井さんでした。 彼はキャシュフローの経営について滝に流れ込む川で流木につかまっている経営者がアップアップしている絵を出してキャシュフロー経営がいかに大事かを話した居られました。多分ソニーではそんなことができてないときに出井さんが導入したのではないかと思われます。このときの出井さんの話が素晴らしくそのうちお会いしたい人の一人に加えておきました。

Zarb 氏は Nasdaq がベンチャー企業の上場を助けそれがアメリカ経済を大きく貢献していることを説明していました。そんなことがあって日本でのNasdaq 市場ができたのかと思います。彼のはなしは アメリカのベンチャー企業のがどのようにして成功してそしてNasdaq に上場した後大きな企業になっているかを説明していました。日本のベンチャーの鼓舞になったかと思っています。

1996年ごろからInternet が立ち上がりまじめました。この頃Yahoo が立ち上がりサーチエンジンが各社から発表されました。このころスタンホードで勉強中のインドの学生数名がサーチエンジンを開発していました。縁あって彼らと会社を始めることになりました。
会社の名前がジャングリー です。資金集めで台湾の友人からシードマネーその後日本の企業からの投資を仰ぎました。そのなかに京セラがはいっていました。
会社はその後波に乗って順調に推移して、創業後3年後にアマゾンの目に留まりました。アマゾンが会社を180億円で買ってくれました。何せIT バブルです。アマゾンの株が半年のあいだに9倍にもなりました。これですべての投資家に相当なリターンをお返しすることができて胸をなでおろしたところでした、何せベンチャー投資の確率が1%も満たないのが常識でしたから。  勿論京セラもこの恩恵に浴しています。
次のスタートアップの資金集めのときに今度は稲盛さんに会おうと思いすじをとうしてアッポイントを入れるのでがやっぱりブロックされました。
多分このときは自分に“動機は善なりや、私心なかりしか” を自分に問いかけてなかったのがいけなかったのでは、ちょっとした、成功だけで押し付けがましくアッポイントを申し入れたのがいけなかったのだろうと思っています。それ以来どうして稲盛さんに会えるかをいろいろ考えていました。

幸いについ最近に盛和塾シリコンバレイができるということで友人の阪 和彦氏におねがいして塾に入れてもらいました後で聞いたら年齢制限をオーバーしていたようですが稲盛さんにお会いしてゆるしてもらいました。

稲盛さんのかづかづの本を読み稲盛さんの人生哲学に触れることができました。
特に西郷南州遺訓の教えに共感を持たれて利他の心を実践されておられます。
すなわち ”動機善なりや、 私心なかりしか。“ということを絶えず自問自答してことに当たられたようです。特に第二電電を作られるときこの問答を繰り返し私心なくして賛同者を集めることができそれでNTTに対抗できる会社を作り上げることができたようです。そして自分は一株ももらわないでこの大事業を成功させます。
まさしく 動機は善なり。私心なかりし。 でした。このおかげで日本の人たちが全国どこでも安い電話をかけることができるようになったのです。昔は東京から北海道に電話すると大変高いものでした。(それにしてもNTTとはどうしてあんな高い料金を設定できたのでしょうか。NTTこそ”動機は善なりや“は思う必要があったのでは。)

成功された方は成功の事実だけが残りその足跡がわかりにくいものです。しかし稲盛さんの ”稲盛和夫のがきの自叙伝“には稲盛さんが企業経営でいろんな苦労をされたこと。仲間を守るための苦労、あるいはあたらし技術の開発に死に物狂いで取り組み世界で始めての多層のセラミックパッケイジを開発して半導体産業の進歩を助けたこと。そしてPHSなどの次世代の通信インフラを作り上げ通信のコストダウン に貢献されたことなどがかかれています。起業をする人たちは是非この本を読んで燃えるような信念を持ち続けて会社を経営すれば必ず成功するとの確信を得ることができます。

稲盛さんは又 フイランソロフアーとしても鹿児島大学に稲盛経営講座を開いたり私財を投げうって稲盛財団を設立したり京都賞を設けて学術芸術の功労者を表彰したりされています。
またアミバー経営法を編み出して利益の上がる会社経営法を編み出しています。

やっと稲盛さんにお会いできて身近にお話を伺う機会ができました。大勢の塾生ともに話をいただき塾生一人一人を大事にその悩みを聞いていただきそして的確なサジェッションを与えてくれます。
仏門に入っておられたので仏の法話を聞いているような思いで一言一言が心に響いてきます。

致知出版社の藤尾秀昭 さんが”ちいさな人生論“ の中で二十代だった稲盛さんが
松下幸之助さんの話を聞いたときのことが述べられています。
幸之助さんは ”ダム式経営すなわち人材と資金をダムのようにプールして経営をしなさいという話をされたようです。そのとき聴講者から質問がありどうしたらダム式経営ができるのですか。秘訣を教えてください。と質問したら幸之助さんいわく“わかりませんな”と答えてそして”ひとつ確かなことはまず”ダム式経営をしょようと思うことです“ といわれたようです”。
このとき稲盛氏は そうかまづは思うことなのかと脊髄の奥に火がついたように感動して心を熱くしてその心の火が信念となって凝固したと述べられています。

そしてその信念が京セラを確固たる地位を確保することになったと言われています。

信念あるいはビジョウン が最も大事でしかものその信念をあるいはビジョウンを従業員全員で共有してはじめて事業が成功するのもです。
稲盛さんはこのビジョウの共有のために絶えず従業員と膝を突き合わせています。
そして仲間をまもるためにどのような経営をすればよいかを絶えず考え続けてこられたようです。

アメリカン エクスプレスからIBM の会長になったルー、ガースナー氏の著書”巨像もおどる“ のなかでも ビジョウンをすべてのIBM の従業員にいきわららるために大変苦労しています。そしてビジョウンがいきわたってはじめて 巨像も踊ったのです。

更に稲盛さんはビジョウのほかに利他ということを絶えず言い続けています。

私はやっと20年目にして稲盛さんに身近にお会いすることができました。そして稲盛さんの燃えるような信念に感化されました。
この感動を次の世代の人たちに伝えたいものです。
合唱。

日本の会社の人の生かし方(南部 修太郎さんの話)


ベンチャー経営心得帳   南部 修太郎 著

  

南部さんが 本を出されました。”ベンチャー経営心得帖“という本です。
                     
南部 修太郎 さんに会ったのは確か彼がIEEE の委員をされており講演会を企画されてその講師を私に依頼して来れれて講演したときがはじめてでしょた。

講師は私のほかに2名でその一人がベンチャーでIPOされた会社の社長でした。私はシリコンバレイのチャレンジ精神について私の過去の経験から話して何とか日本のアントレプレニャーを 鼓舞しようと思いそのような話をしました。私の次にIPOされた社長が壇上に立ちいきなりシリコンバレイの人はあまりにもシリコンバレイが良い所だと喧伝しすぎます。シリコンバレイなにものぞ、われわれは今日本で頑張っておりしかも上場を果たした。私などはシリコンバレイに行ったこともないし行く必要も感じないと思う、あまりシリコンバレイの賞賛はおかしいのではないかわれわれもすばらしい技術を持っている、何もシリコンバレイにおもねなくても良いのではとの発言でした。

彼は日本でむつかしいIPO を果たしたのでそれなりに意気軒昂だったとおもいます。しかしこれはもう明らかに私に対する嫌がらせではないのかと一瞬思い講演が終て懇談会のせきで噛み付いてやろうと戦闘準備をして講演が終わるのを待っていました。
講演が終わってからまず南部さんが私のところにすぐ飛んできて挨拶されました。そして大変すばらしい講演でしたといわれ、アントレプレナーについてよくわたったと大変なお褒めをいただきました。先ほどから戦闘準備をしていたのもすっかり忘れて平静な心に戻りくだんの講演者とも仲良く話し合いができました。そして南部さんが松下電器での半導体の仕事をしておられるというのでまた大変話が弾みました。

それから数年して携帯電話のIC を開発している会社に投資してその会社のICを日本メーカーに売り込みにエンジニヤとともに日本メーカーを訪問しました。そのとき松下電器にコネがなく何とか松下のエンジニヤーに会いたいので南部さんにおねがいしてアポントをとってもらい携帯電話の事業部を一緒に訪問してもらいました。

私が南部さんは松下の携帯電話の基礎を築いた人でしかもガリウムアーセナイドのICを最初に開発した人で松下の携帯電話の父なのだと紹介しました。エンジニヤも大変喜んでお互いに話が弾んでいました。

南部さんの”ベンチャー経営心得帳“の本 を読んで当人が携帯電話の父だといっているのを、うべなるかなとおもいました。彼が自分で言う携帯電話の父には日本の企業内の複雑なしがらみがまとわりついていていてその思いはペイジの行間ににじみ出ています。

それから数年して南部さんは松下電器をやめて自分で会社を設立します。そして日本のアナログ技術を何とか世界に冠たるものにしようと”高周波アナログIC研究会“を立ち上げます。

そしてまた私もまた縁あって第1回目の講演会に京都大学のイノベイションプラザ京都で講演をさせてもらいました。私はアメリカにおける高周波のアナログIC の現状と将来について話させてもらいもらいました。大勢の日本の権威の方々が集まっておられて大変光栄な役をいただいたと思っています。そしていかにして日本のアナログ技術を発展させるかのどについて意見交換することができました。

南部さんの ”ベンチャー経営心得帳“(アセットウイッツ社出版) の本は大変考えさせられる本です。そして日本のR&D について大変考えさせられる本でいろんな 示唆をいっぱい含んだ本でした。

今日本の大企業が大変な閉塞感に満たされています。大企業に働く優秀なエンジニヤーが腐っています。それをなんとかしないといけないのです。私も日本の企業に働いていた一員です。ですから南部さんの苦労がとてもわかります。

大企業の閉塞感はどうして起こるのでしょう。
大企業は 上司が部下を殺すからです。その殺された一人が南部修太郎さんです。松下にとっては大きな損失でしよう。しかし南部さんは自分のビジョウンをしかり実現して最後に殺されたのでまだ救いがありました。そうでないと業半ばでは 死に切れません。日本の企業ではとにかく出る釘は打たれてそして殺されるのです。

かって日経ビジネスの 有訓無訓 に登場させてもらったことがあります。そのなかで編集者からの質問で日本の大企業は新しいイノベイションが出ないし優秀なエンジニヤーが見えないそのうち大企業はつぶれてしまうのではないかとの質問でした。それに対して私はいや日本の大企業にはすごい人が4, 5人いてその人たちがあの大企業を支えているのです。と答えました。すなわち骨のある奴がかならず4、5人いてその連中が必死になって新しいアイデヤを出しわが身を賭してそのアイデヤを実現して会社を救っているのです。と説明してあげました。出る釘は打たれます、また打たれてもへこたれない数人がいるのです。大企業はこのほんの一握りの人たちで支えられています。

今でも時代劇で下級武士が殿に申し入れをします。 もしその意見が受け入れられなければ切腹を覚悟での提案です。その提案が優れておりあるいはその人の意気込みの凄みがあれが 殿も受け入れて実行させます。大企業のなかにも同じような志士がいるのです。そしてヒット商品を生んで会社を救っているのです。

自分のビジョンをしっかりと持って身を賭している数人が大企業のなかにいるのです。だから日本の大企業はまだ大丈夫なのだと 有訓無訓で述べさしてもらいました。

しかしほんとはそのプロジェクトを大成功させたエンジニヤーは残念ながらその後に殺されてしまいます。 まずは 殿に向って階級を超えて行動したことがまず減点一となります。そして次は上司が目障りになりいよいよ上司が彼を殺しにかかります。目の上のたんこぶになってしまっているのです。しかしそれでも勤皇の志士は次々と出て大会社を支えます。武士道は下級志士にこそ残っているものです。

この優秀な人たちが殺されないようになるまでは日本のカルチャーを長い時間をかけて修正していく必要があります。それは出る釘が打たれない環境を長いあいだにかけてつくりだしていかなかればいけないのです。とにかく企業内で成功すると足を引っ張られます。殺されないようにして会社を救うプロジェクトを推進する必要があります。

私の面倒見てくれた上司がいつも私に言ってくれました。お前はどちらかというと”出る釘だから“足を引っ張られないようにしかりと大きな石にでもしがみついていなさいとよくいわれた。 かれはもしかすると彼自分が大きな石だと思っていたのではないかと思う。そして俺にしかり捕まえておれ といったのかもしれません。

しかし彼こそまた大変に出る釘でしたから私よりも先に殺されてしまいました。さて私をどのように自分をまもろうか。とにかく自分のやりたい仕事ができるようにとにかく足を引っ張られて倒されないようにしようと考えました。なにせ自分の好きな仕事ができなくなってはおしまいです。ですから頭を低くして風が頭の上をとうり過ぎるようにして身を低く自分を守ってきました。そんなわけで大変いろんな面白い仕事をさせてもらったと思っています。

出る釘は打たれるのですがまた上層部はこのでる釘がどこにいるのかちゃんと知っていますそして緊急時にはこれらの人を動かして企業を救うのです。

ある大企業の副社長と話したことがあります。そしてこれこれのプロジェクトがあるのですが。貴社では誰にもっていたら良いですかとお聞きしたところその副社長がなんとその件はテレビ事業部だとA君が良いね。そしてコンピュウター事業部なら B君だね。LCDならC君だね と全社の侍(出る釘)の名前を全部知っているのですね。この会社は出る釘を大事にしているようです。ですから彼らを殺すのは中間間管理職ですね。そしてこれらの出る釘のなから次の社長が出るときに山下とびとか14人抜きなどの人材が出るのですね。短い人生とにかく出る釘で行きましょう。そしてそのために討ち死にしても必ずあなたを生かしてくれるところがあります。チャレンジしましょう。

人を生かす経営
南部さんは部下を非常によく育てています。そして十分に力が発揮できるように仕事を与えています。R&D の仕事はどのようにしてチームが張り切って開発にチャレンジできるようにするかが重要です。とにかくビジョウンを掲げそれを共有して目から火が出るほど努力する、それが成功の秘訣です。特に大企業のなかでは部下が目を輝かせて開発に携わるよなテーマが与えられていないことが多すぎるのでは。また特に部下が目を輝かせてできるプロジェクトを与え、もしその事業が会社として小さければその部門をスピンオッフして会社としても援助を行えばその会社が大きく発展したときに持ち株からの収入を上げることもできるので積極的に活用して日本の底力を挙げたほうが良いのでは、南部さんも 殺される前にもしスピンオッフできていたら世界一のGaAsの会社ができたのではないかと思う。シリコンバレイではスピンオッフはよくあります。

インテルに働いていた2人のデーターベースのエンジニヤーが自分たちの技術をインテルからライセンスしてもらって新しいサーチエンジンの会社を設立しました。インテルにはその見返りに会社の株を渡しています。そしてインテルもまた彼の会社に投資してくれています。

私のインド人のもうひとりの友人はHPでインターネット でリース業務の管理をするソフトウエヤーを考え付きをこれを上司にHP のなかでプロジェクトとして取り上げてもらうように交渉します。しかしHP ではこのプロジェクトは取り上げてもらえなかったようです。しかし上司はそれなら自分で会社を作って独立したらとサジェッショウンしたそうです。それで彼女は独立して会社を作り大成功しました。

このようにアメリカの企業はエンジニヤーの個性を尊重するしその人の適材適所を第一に考えてくれているようです。私もTI をやめるとき上司がいろいろ変わりの適所を提案してくれてそれでも私がフーヤチイルドにどうしても行きますといったらそれでしょうがないね、Good Luck といって送り出してくれました。

日本の大企業は優秀なタレントをたくさん抱えながら大半をそれらの出る杭いを自ら殺してしまっています。早く人材の流動性が増えてくれれば良いと思いますが。

逆に日本のエンジニヤーはあまりにも横のつながりがなくしたがって横えの移動そのものが無理な状況に置かれています。もっと水平思考で行きたいものです。 終身雇用制の悪弊として縦型社会の壁が高すぎてよそが見えないようになっています。日立ファミリー、東芝ファミリー、NEC ファミリーとなって外部との接触がなくなっています。この弊害を乗り越えるにはもっと学会に出て新しい情報を身につけまた外国のエンジニヤーともネットワークを広げるべきです。 アメリカのエンジニヤーは自由に横のつながりを作り上げて自分の幅を広げています。

今はWorld is flat です。日本中のみならず世界中にねとワークを張って自分の視野を広げるべきです。そしてこのなかから人生の友が見つかかもしれないしまたは起業できる仲間ができることもあるはずです。とにかく日本の大会社の優秀なエンジニヤの皆さんネットワークを広げてスピンオッフを考えましょう。南部さんのこの本を読んでぜひ参考にしてください。

本は書きWeb Page からも買えます。 www.asset-wits.co.jp
アセットウイッツ株式会社出版電話(075-681-7825)

高周波アナログ半導体ビジネス研究会 事務局
株式会社 アセット・ウィッツ
担当:西河、高橋
〒601-8047 
京都府京都市南区東九条下殿田町13九条MIDビル102
TEL: 075-681-7825 / FAX: 075-681-7830
E-mail: h-analog@asset-wits.co.jp

夢海を渡る カリフォルニア移民の父

夢海を渡る – カリフォルニア移民の父
内田善一郎 伝  野本一平 著

1955年からアメリカの難民救済法を利用して日本からのたくさん農民をカリホルニヤに送り込んだ 内田善一郎さんの伝記を読むことが出来た。

戦争で焼け野が原になった鹿児島そして台風による被害で鹿児島の農民は大変な苦労をしていました。そこに内田善一郎氏が 農民を救おうとしてアメリカの難民救済法を利用して農民をアメリカに送ります。

ここ鹿児島の串木野の地は明治維新の頃ここから薩摩の留学生19名が密出国でイギリスのわたります、この中には森有礼、寺島宗則 更にはカリホルニアのサンタローザでブドウを作りワイン生産に貢献した長沢鼎 などが含まれています。進取の気風は島津斎彬公の薫陶でありそしてそれが西郷、大久保などにうけづがれていきます。そして国家を思う有能な人物がたくさん生まれています。早くから薩摩が世界に開けていたから絶えずグローバルなものの見方が出来る人材が育ったのだと思われます、勿論、島津斉彬という優れた城主そして維新の指導的な立場を演じた 小松帯刀がいたことも大きな要因ですが。 アジヤとの交易さらにはオランダポルトガルとの交易など世界の情報が入っていたからこそ視野の広い人物が出たのだろう。グロバリゼイッションの必要性がここにあります。

丁度シリコンバレイにある鹿児島大学のシリコンバレイ。オフイスの主催で 篤 姫の話を 鹿児島大学の篤姫の時代考証をした原口 泉 教授が語りその後に 内田善一郎氏の 息子さん 誠一郎氏を迎かえてパネルデスカッショウンが行われました。

ちょうど一週間前に ロスアンジェルスの 鶴亀 彰さんのはからいで内田誠一郎さんからお父上の ”夢海を渡る“ の本をいただいてあったところでした。

内田善一郎さんは太平洋戦争の敗色濃くなった頃にニュウギニア に配属されます。
それからは米軍の激しい攻撃にさらされてニユウギニア、フイリッピン と退却の連続であった。食料はほとんどなし弾薬は尽きて戦いようのない惨めな状況であったようです。
マラリヤに罹り大変な苦労をされた、そして戦友が次々に倒れていく、次は 自分の番と思いながら必死の退却をしていく。そしてついにマラリヤの熱で民家の前で倒れてしまう。
民家の人が彼を見つけてゲリラに襲われたらいけないと地下にかくまって介抱してくれる 善一郎氏は彼を救ってくれたアルフォウンソ、グスマン家族のことはいつまでも忘れることが出来ない。そしてつくづく世界平和を願い他人を大事にすることを行動の規範としていったようです。西郷の精神 利他の精神です。

善一郎氏の父親もまた鹿児島の串木野で自分の田畑を売って人のため町のために尽くした人でした。その背中を見て育った善一郎だからまた彼も人のためを第一にして努力されたことと思う。

いろいろな苦労の末になんと鹿児島から330名の農民移民をカリホルニア に送り込むのです。善一郎氏の思い込んでからの活動にすばらしものがあります、壁にぶつかっても決してあきらめないし目標の成就のために東京にアメリカにまた時のGHQにと飛んで行きます。 また農林省の役人の家に面会を求めて1週間も座り込みを強行してついに面談にこぎつけて農業補助金をかちとります。これも戦争体験からきた利他の思いそして自分が受けたニュウギニヤ フィリッピンで現地の人達から受けた恩をほかの人に分かち合うためにすごい力を発揮していくのです。
その後カリホルニアに移住したひとたちの家族をアメリカに呼ぶためにまた私財をなげうって努力を重ねていくのです。
善一郎さんの長男 誠一郎さんは今 カリホルニアの ギルロイにすんでおられます。
善一郎さんはアイデヤマンでそしそのアイデヤをものすごい勢いで実行していきます。
いわゆるアントレプレニア なのです。

善一郎氏の夢は次々に広がるばかり南米の コロンビヤ のボゴタで花の栽培をやっている日本の青年と意気投合して
“花一コロンビア” を設立します。これで南半球と北半球のすばらしい花を世界中に供給すると言う夢を実現していきます。

南米のボゴタで作られた花の販売を始めるときもわが息子に大学を辞めてすぐ帰って来いと命令します。そして大学で習うことよりじぶんの 内田大学のほうがよっぽど良い勉強が出来るから帰れという。無茶苦茶な親父である、しかしまたこの息子も二の返事ですぐ帰りますという。何か親子3代血が通っている、そして息子に南米からの花を売りにいかせる。
21歳の息子は商売したことがない。デトロイトに行ってから仕方なく親父にどうして花を売ったらいいのかと電話で聞いたら、親父もどうして売ったらいいか知る由もなし 俺は21歳で若いのだ プリーズ ヘルピミーと 言って花を売ってこいという。 息子もまた親の行動力をよく知ている、かれなりの努力で商売も順調に伸びていきます。


講演中の 内田誠一郎 さん

ある年に、
移民した仲間を募って日本の会社に投資をすることになるのですが。その日本の会社がおかしくなり、そのために永年面倒を見てきた仲間から訴訟をされます。そして多大の借金を負ってしまいます。
それからまたこの借金を返すために悪戦苦闘が続きます。
あくまでも利他としての投資であったのが残念なことになってしまったようです。
しかし彼はその仲間達を決して恨むことなく自分の不徳のいたすこととして反省します。

すばらしいを夢を持ちいつも利他の精神で動いていた善一郎さん奥さんが一番苦労されたようです。何せ収入もないのに大勢の人たちが絶えず内田家を尋ね寝泊りしていくのです。また子供達もいつも親の意思で動かされて大変は思いをしたのだろう。娘をサンフランシツコのジョン竹田氏に養子にやるのに、“まるで犬の子供を置いていくようにポントおいていたわね”、と娘さんが後で善一郎さんに語ったそうです。

しかしこれらの子供たちは善一郎さんの利他の心を十分に受け継いでいるように思われます。西郷 の“子孫に美田を買わず”、 のそのまます。 しかし誠一郎さんを見ている限りす晴らし美田が彼の心の中に宿っています。多分また娘の富美子さんもお父さんの薫陶が充分とどいてまたその子供達に伝えられていることでしょう。

善一郎さんは その後かってアメリカが大勢の移民を受け入れてくれたことに感謝して今度はわれわれがアジアの貧しい国々の青年を農業実習生として受け入れるべきだということで政府におねがいして数百名に及ぶ農業実習生を受け入れることに成功します。

善一郎さんはこのほかに戦争中から日記をつけていて その日記を息子さんの誠一郎さんが自費出版しています。”鍬で大陸をとる“ 戦争での大変な経験そして内田さんをかついで最後まで助けてくれた戦友達の話、もう涙がぼろぼろ 落ちてとまりませんでした。

そして 廣池千九郎 氏の提唱したモラロジー (道徳教育と科学)に共鳴しサリナスにモラロジー の道場の建設に力を貸します。今は誠一郎氏がその後を受け継いでいます。

日本のすがらしい うつくしい人を見ることがでました。

2006年、積年の業績をたたえて 旭日双光章叙勲 が3月27日に通知されがこのときはすでに病床に付していたそして奥様と誠一郎氏に皇居に行って叙勲をいただくようにと伝えて3月30日にお亡くなりになった。


パネルデスカッション
左から 長嶺 総領事(San Francisco)
原口 泉 鹿児島大学教授
内田誠一郎さん
鹿児島大学理事 面高俊宏 さん
安藤茂彌 さん (Rans Pacific VC)
橋本千香 さん (Gallasus,Inc.)
司会は Pixera Corp の 井手さん

この本は 南日本新聞社の刊行でアマゾンでは売っていない。是非鹿児島の南日本新聞社にコンタクトして是非 かって読んでください。
すばらしい日本人です。素敵です

また今、日本政府も緒方貞子さんの率いるJICA で発展途上国の人たちのためにいろんな援助を提供しています。世界平和のためにそして貧しく困っている人たちのためにみんなが力をあわせていかなければいけないかと思います。

東京大学大学院技術戦略専攻 学生のシリコンバレイ訪問(Tie(タイ)Officeにて)

東京大学大学院技術戦略専攻 学生のシリコンバレイ訪問(Tie(タイ)Officeにて)

 

9月後半に 東京大学大学院技術経営戦略学の学生さんが30名ほどシリコンシリコンバレイを訪問しました。 シリコンバレイの話を聞きたいこと、更にここのスタートアップ会社がどのようにして仕事しているかを聞きたいというので Tie のコンファレンスルームを使い私の話と、エクシデヤーの森川君に話をしてもらい、さらに Tie の会長 ラジ ジャシュワ 氏に話してもらうことにしました。

 

シリコンバレイの、チャレンジ精神、開拓者魂、ひいてはアントレナーシップがここのベンチャー企業の人達に会えばその雰囲気が感じられます。またTieの組織がこのアントレプレニャー を育てる大きな役目をしています。

 

ここのエネルギーというか何でもチャレンジしてやろうという熱い思いがなんとなく伝わってくるものです。特に若い学生の場合は先入観なしに素直にその熱を受けて帰るようです。そして自分も頑張りたいという気持ちを鼓舞されるのでしょう。若い頃にこの意識を心に秘めることによって彼らの将来の成長につながるし日本の閉塞感を彼らが将来打ち破って活躍する人が一人でも二人でも出てくれば彼らのシリコンバレイの訪問も大きな意義があるでしょう。

 

今、各大学が学生の意識改革の一環としてシリコンバレイえの研修旅行を企画して彼らにシリコンバレイのアントレプレナー精神をつたえようとしています。九州大学では毎年50名ほどの学生をシリコンバレイの研修に参加させています。ほかに東北大学更には鹿児島大学などもこのような企画が行われています。時折これらの学生達にアメリカのベンチャーの話をしてあげています。皆さんその中から何かをつかんでいっているようです。そしてお別れパーテーでの皆さんの感想を聞くとおのおのすごい感化を受けています。やっぱりシリコンバレイの絶えざるチャレンジ精神 あるいはイノベイショウンに対する対ざるチャレンジを十分感じて持ち帰っているようです。

 

私は知り合いの大学教授からの依頼で 慶応大学のMBA、日本大学のMBA の学生さんそしてまた東大の皆さんなどにお話させていただく機会があります。

 

やっぱり縛られていない感受性 でここの雰囲気を受け止めてくれるので大変頼もしく思います。 これが日本で話をすると雰囲気があまり伝わらない感じがします。やっぱりシリコンバレイのエネルギーがそうさせているのでしょう。鉄は熱いうちに打てというが 熱くしているから不純物が抜けてピュアーになっているのだろう。

 

熱いうちにもっと武者修行する人達が増えてほしいですね。

 

それももっと深いイノベイションを追求できる分野に出てほしいものです。

 

私は投資したスタートアップの会社で失敗した会社の例だけを挙げて何にチャレンジしたかどうして失敗してのかだけを話しました。学生さん達もこのときにどうしてこんな対策をしなかってのかなどいろいろ議論に加わってくれてかえって起業をするとはどういうことかという検討になっていい議論になりました。日本の社会人達に講演すると質問がほとんどないしジョウクを言っても笑ってもらえないのがっかりしますが。学生さんはジョウクも理解してくれてありがたかった。

 

Xcidia 森川社長の ベンチャーの苦しみと苦しみの話

Xcidia 森川社長の ベンチャーの苦しみと苦しみの話

 

森川君の エキシデヤの話しはさすがに同年代に近いせいかみんな大変興味がありたくさんの質問がありました。
Tie の会長の ラジ には11時半に来て20分話しをするように頼んだのだが時間になっても現れない(あの野郎折角若い学生さんが来ているのに、すぽかしやがってと内心怒っていたが)みんなで帰る前に写真を撮ろうとして全員並んだところに現れた、車がこんでいたとのこと。(この日はヨガをやる日だったと聞いているのでヨガでもやりながら眠っていたのでは)

仕方なく1分間で学生のためのはなむけを喋れといったら さすがシリコンバレイのアントレプレニヤー だけあり次のようにしゃべってくれた。

 

”シリコンバレイの エッセンスは アントレプレニヤー ということにつきる この地は アントレプレニヤーが 会社を興しイノベイショウンによってあららしい企業を 創出してきた、HP しかり アップルしかり サンマイクロ そしてGoogle, E-bay. ですからこのアントレプレニャー が大事ですと。皆さんもしかりと起業家精神を持って今後の活躍をしてください。“

 

なんとアントレプレニャーとい言葉が8回も出てきました。 かれは セレクトリカ というIT の会社を興し当時5B$ の当時最高のバリュウーで上場させた成功者の一人です。

 

学生さん、この1分の話のがきっと心に残ったのではないでしょうか。最後に旅行を企画されたコーデナイターから 学生に一言というので次のような話をしました。

 

これからの長い人生のなかで一度は自分のやりたいことを5年ぐらいみちり打ち込んでほしい。そしてそれからほかに転換してもいいがこの5年間というのが自分の基礎になります。そしてそれからほんとに自分は何をしたかを探してそれからチャレンジしてほしい。何かの基礎がないと次の展開が中途半端になってしまします。一つことを追求してくれば次のことの追及はその応用でいけます。ですからどうかまず 石の上に5年それから大きく飛躍してください。と伝えた。そして質問をしなかった一人の学生にあなたの夢何ですか。と聞いたら彼女はなんと”私は幸せになりたい“とのこと大変大きなゆめですね。といってまいりましたと伝えました。

 

さて学生の皆さんはどんなどんな感想を持って日本に帰ったのでしょうか。。

 

ここシリコンバレイの雰囲気は刺激的です。特にまたTie のコンファレンスは4000 名も人が集まる 大きなコンファレンスです。この熱気はすごいものでアントレプレニヤー のエネルギーです。

 

日本の若い起業家に是非この雰囲気を味わってもらい, さらにはグローバリゼイッションをすすめて彼らも大きく羽ばたいてほしいという思いで毎年若い企業家を募ってこのTie Conference にきてもらっています。彼らはこのコンファレンスに来て刺激を受けて帰っていきます。そしてまたグローバリゼイションに大きな展開をしています。2009年のTie Con は5月15,16 日です自費を払って会社の有給休暇と取ってあるいは大学の講義を2,3日休んで参加する価値が十分にあります。今から計画したらどうでしょうか。

 

www.tie.orgからTie の活動を見てください。

 

Tie のOffice で学生と 森川社長。

Tie のOffice で学生と 森川社長。

 

街角の四季

カリホルニヤ はサバンナ気候です。
すなわち乾期と雨季の二シーズンだけです。
雨は12月から降り始めて3月ごろまで降ります。その後は乾期で山々の草が枯れてしまいます。あっという間に緑の草原が禿山に変化します。樫の木(オーク)だけが乾燥したなかでもまだ青い葉を保ち続けています。樫の木(オーク)はその根元に水分を蓄える機能があり乾期でも青々としているのだということを聞いたことがあります。ですからこの枯れ草の草原の中に樫の木だけが青々として立っています。カリホルニヤ州の木であるこのオークトリーは日本のナラ の木が近いそうですが。しかし どんぐりは 日本のどんぐりに似ています。  スタインベック の赤い子馬などに出てくる情景描写はまさしくこの枯れ草のなかの樫の木の情景が出ています。
12月ごろから降る雨は山々の草を緑に変えていきます。最初は分らないように少し色がつき2週間ほどするといつの間にか緑の草原が出現します。毎日の雑念で頭がいっぱいのときは あ!いつの間に山が緑になったのかわからない変化をすることがあります。

そして我が家の裏にいよいよ雑草が青々と伸びていきます。
そして5月になり雨が止むとまた雑草が枯れていきます。不思議なことにアザミはこの雑草が枯れ始めてからめきめき伸びていき洋々とそのとげを磨いていきます。
この草はある程度水が十分しみこんだ後に成長するのだろうか。雑草が枯れてから、私はこのアザミ退治をしています。
我が家の裏にはに毎年2月後半から 坐禅草まがいの花が芽を吹き出しそして花が咲きます。日本の友人が坐禅草だという。日本の坐禅草とは少し違うようですが。海を渡ると少しキリスト教的になるのだろうか。日本の坐禅草は肉厚の花で達磨禅師が坐禅しているような花です。どうもこれは坐禅草ではないのでは。

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そして5月になるとまたかれてしまう。
もうすっかりかれてしまった来年また生えてくることでしょう。

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すっかり枯れ草の山となった丘と樫の木 もうすぐ市の業者がこの枯れ山の草を刈りに来るこれは消防省の要望で山火事防止のためです。我が家の裏庭の枯れ草も火災保険の条件として毎年枯れ草を刈り取るようにいわれています。

5月から道端のいろいろな花が咲き始める特にカリホルニヤ ポピーは色鮮やかである。雑草だが我が庭に植えたいのもだ そのうち種が飛んできて咲き乱れるのを待つことにしよう。

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道端のポピー

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我が家の2階の雨樋の中に鳩が巣を作ったもう、2,3週間卵を温めているようだずいぶん長い気がするがなかを覗くにはベランダから少し高いところに上らないといけないので老体を気遣ってやめているが あるいは人がのぞいたということになったらもしかして 卵を温めることをあきらめるのではないかと思いやめることにしている。ただし朝おきて窓をそっと開けて親鳥がいることだけは確認している。

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今朝見たらもう鳩君は巣にいないもう子供生まれたのだろうか、そして庭に例の鳩が餌をあさっているさては引越ししたのだろうか。どこに引越ししたのだろうか何匹子供が生まれたのだろうか。いろいろ外敵がいるのに我が家雨樋のほうが安全なのにやっぱり人間は信用できないのだろうか彼らは人は焼き鳥を食うという概念で固まっているのかも知れない。来年もどなたか(鳩のなかの)またこの巣を利用してくれるといいが。

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カリホルニヤの鶉
まるでアフリカの王様のように頭に王冠を備えている。
いかにも威厳がある。これからはレストランで鶉を食べるのはやめよう。
こんな格好をしていると思えば恐れ多くて食べる気がしない。
いかにも悠々としている。

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カリホルニヤのフクロウ
日が落ちて宵が迫る頃裏山に出たところで目の前に木の上に2組の梟を見つけれう急いで部屋に帰ってカメラを持って来る幸いに四羽ともまだ飛び立っていなかった、フラッシュをたいた為にすごい目をしている。左のフクロウは背をこちらに向けて頭を360度回転しているようだ。一羽だけは飛び立ってしまった。毎晩ホーホーとないているようだ。まだ自然が残っている。

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ハミングバードの水のみ
羽を 毎秒55回ほど動かした静止しながら花の蜜を吸う。疲れないだろうか。

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リス
かって冬の北八で雪のなかでリスを見つけて大変感激してたくさんの写真を撮ったことがある。日本では町の中では見られないのだがカリホルニヤーではふんだんに見られる。オーク トリー に登り忙しそうに動き回っている。ドングリが好物らしい。

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野兎の子供ゴルフ場の芝生で遊んでいる。

裏山の野兎は警戒心が強く人の姿を見るとサーと逃げていく。
裏山には コヨーテ(狼)がいたり マウンテンライオン(豹の一種) が居りウサギも警戒心が強いみたいだ。
これからは乾期がつづき、暑さもまして来る。鹿たちも里から山奥え移動しているようでこのごろは見かけない。

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マウンテンライオンがでたらなるべく自分を大きく見せることと注意書きが裏山に上るところに掲げている。裏山に上るときはいつも木刀を持ってのぼることにしている。

カリホルニヤの春です。

TiE Conference 2008

 

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シリコンバレイ で5月16,17日に Tie Con (タイコン)が開かれます。昨年のTie Con は3400名の人達が参加しました。

 

タイコンのモットーは若い起業家を育てあげることを使命としています。このタイの組織を支えるのがチャーターメンバーです。現在約400名のチャーターメンバーが居りこれらに人達のボランタリー活動で会が支えられています。
タイの モットーを実現するための一つの行事として Tie Con のときにE-Bazaar というのを行っています。これはこれから起業したい若いアントレプレニヤーを一対一でベンチャーキャピタリストに紹介するもので約100名ほどのアントレプレニヤーが応募してきます。またシリコンバレイのベンチャーキヤピタルの会社のほとんどが何名かのパートナーをこの企画のためにボランテヤーとして参加します。しかし彼らは良いアイデヤがあれば当然投資をするという前提に立って参加します。

 

さてエベントの前にまずチャーターメンバーがこれらの応募者の臨時のメンターとなります。ビジネスプランを見てあげて中身の検討を一緒にしてあげてベンチャーキヤピタリストがわかりやすいような内容にしてあげます。それから発表の予行演習を見てあげます。
何せ ヴェンチャーキャピタリストとのミイーテングはたった15分です。
ですからこの間に自分のやろうとしていることを的確に伝えないと次のミーテング につながりません。ベンチャーキャピタリストは一回のミーテングで投資しません。このような一回のミーテングで投資を受けられればそのビジネスプランがものすごくよかったかあるいはリープフロッグの技術である場合でこの時は成功間違いなしですね。

 

チャーターメンバーが4名ほどの起業家の面倒を見てこのバザーに送り出します。 去年私は4名の起業家の面倒を見ました。
そのうち3人が2回目のミーテング間で行ったというので私としてはメンターの責任を果たしたと思います。

 

今年も4名の人たちの面倒を見ることになりましたが。今年の応募者はこらから起業をしたい意気込みだけでビジネスプランを考えたこともなくどれくらいのマーッケトがあるかの予測もできない人が3名もいました。
代一回のミーテング でマーケットサイズはどれぐらいあるのか、どれぐらいのお金が必要か、売り上げの予測はどれぐらいあるのか。などを聞き更にベンチャーキャピタリストの思惑は何か、なぜ投資するのかを十分にはなしたあげて、とりあえずビジネスプランをパワーポイントで15枚、作ってくるように宿題を渡しました。そしてもう一回発表の予行演習を私にすることになっています。

 

このなかの一人は全然狙っている市場が投資を受けて起業するに当たらないようなものでしてのでそれなりに話をしてあげてプランをもう一度練りなをすように指示しました。
多分彼は最後に参加しないだろう。

 

さて15分で相手の心をつかむにはどうしたら良いだろうか。
とにかくどうして自分を売こむかが 重要です。まず自分を買ってもらなければいくらビジネスプランがよくても投資は受けられません。
要は何をするのかを的確に手短に話すこと。
チームの構成がどうなっているか。
自分の情熱をどのようにして伝えるか。
自分の人生観をどのようにしてつたえるか。

 

さて皆さんだったらどうする。
さて今年の起業家の何名が2回目とミーテングにいけるだろうか。

 

昨年の TiE Conでは13歳の小学生がカードゲームでビジネスしたいと堂々たる発表を4000名のまえで行い拍手喝采を浴びました。
Anshul Samar 君今年は14歳のなりました。彼の Elementeo.comは順調のようで売り上げも増えているようです。カードゲームで 化学の知識でゲームをするのです、敵を倒すのに化学反応を用いて倒します。
大変教育的でケミカルソサエテイ の会長が大変感激して子供の化学教育に大変良いと賞賛していました。
彼もタイのメンターがサポートしてあげました。
Anshul 君はテレビの番組の”60ミニツ” に取り上げられるそうです。

 

さて日本の若者も彼に負けないように頑張ってほしいものです。
それと同時に日本でも若い起業家をガイドするメンターがたくさん出てほしいものです。
タイのメンターの役をやっていてほんとにこれから起業しようという人達には手取り足取りしてガイドしてあげる経験をつんだメンターが必要なのだと言う事がよくわかります。
シリコンバレイでは成功した人達がメンターになって若い起業家をガイドしています。
日本もこのようなメンターがでてきてほしいものです。
タイコンへの参加を是非お勧めします。今年参加できなかって人は来年是非参加ください。

 

平 強

タイランドの旅

娘が東京からバンコクまでの飛行機の切符を送ってくれてワイフの誕生祝に リゾートホテル に招待してくれた。  学校卒業して自分で 生業をやっていけるようになったことこそ何よりですが。
されに親孝行してくれるので大変感激して無理やりに時間を作りタイえのたびにたった。バンコクから2時間半もするファヒン というリゾードで高級ホテルが立ち並ぶところにShiva Som という高級スパがありました。

 

4月13日から15日までがタイの旧正月 で毎年同じ日だそうです。娘の誕生日が4月12日なので誕生祝をかねての旅でした。

 

タイのこの正月は Songkran といって 人のためになることを行う日で、家々をきれいにし、目上の人を尊敬し、お坊さんに捧げものをし、かごの鳥を自然にはなしてやり、また魚を川に放してやる日でもあります。

 

特に水を仏さまにかけてあげて目上の人の手のひらに水をかけて年上の人を敬う日でもあります。ですから 最後の15日はお互いに水をかけあって正月を祝うのです。
バンコクの街中でも人々が水を掛け合って正月を祝っていました。
そして白い粘土を水に溶かしたものを顔に塗るつけていました。

 

ホテルでのこの正月の行事は従業員全員で祝います。タイの霊妙な手の動きの民族舞踊を先頭にホテルのなかをパレードしてから、いよいよみなお互いに水を掛け合って楽しく正月を祝いました。ホテルのマネジャーがプールの投げ込まれ年のはじめに身を清めていました。 そして勿論われわれも他人から水をかれられついにはわれわれもあいてかまわず水の掛け合いではしゃぎました。

 

祭壇に小さな金色の仏が祭られておりその仏にみんながならんで水を掛けそして粘土の白い化粧を仏の顔に施してから両手を合わせて祈っていきます。
そしてホテルのゲストがいすに座っているところに来て手に水をかけまた白い化粧を施してまた両手を合わせて拝んできます。

 

一瞬自分が仏になった気分になります。

 

 

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タイの人達はすごく穏やかです。とても良い顔をしています。そして会うと両手を合わせて サバテカップ といって微笑む。またありがとうをいいときも カップンカップ といってまた両手を合わせて、微笑む。 何とやさしいことかさすがは仏の国です。
すごく穏やかで微笑があり、心が和んできます。大変穏やかの数日を過ごしました。
この国にはまた来たいなあと思います。

 

どうりで娘が猛烈な仕事のあとにここに息抜きに来るのがよくわかったし、そしてわれわれ夫婦にもこのよさを味わってもらうために招待してくれたのです。
砂浜には小さな蟹が砂のなかから出てきて周りの砂を丸めて後ろに投げていくそうして小さな穴の周りに蓮の葉のような模様を作っていくこれもまた仏えの供養なのだろうか一日中そこらじゅうがこのような模様で埋め尽くされている。人が来るとすぐに穴の中に隠れてします。試してに穴を砂でふさいで見るとまた2, 3分してからのこのこ上がってきてまた同じように砂を丸めて後ろにながつけていっている。あちこちの穴をふさいでどれくらいで上がってくるか日がな一日遊んでいたあるものは2, 3分あるものは10分あるものはあきらめて出てこなかったり。

 

面白い蟹がいるものだ仏に蟹にされてその供養をしている過去の人物ではないだろうか。日本でも敦盛草とか平家蟹とがいるしもしかして私の祖先はこの蟹になったのでは清盛も鎧の上に法衣を着たりしたから多分 蟹にされてここで毎日砂を丸めて仏に供養しているのでは。

 

 

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正月の夜にあと驚くことに空をランタンの火が飛んでいくではないか風に乗って東のほうに飛んでいったそしているとまた飛んでくる浜辺に出てみるとなんと隣のハヤット リーゼンシーの浜辺から上げられて飛んでいく。どうもプラスチックの入れ物に入っていて バルーンのようにガスを発生させて上に飛ばしえいるみたい。ランタンの火をガスでつけたとするとこれが浮遊力になってランタンが飛んでいくのだろう。何と幻想的なことそしてこれらがはるかかなたの上空に行きまるで星座のひとつになっていく。
もっと早く見に行けがどんな仕掛けかわたったのだが。いずれにしても原理を考えるよりもそれにランプが飛んでいってそれが星になってとおもうほうが幻想的で仏の国でに似つかわしいと思う。

 

 

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ランタンの火が空に登りついに 星になっています。

 

蓮の花、ここのはすの花は日本のものと違い花が丸々としているそして花弁が一つづつ丸まって開いていく。 どっかでたくさん取れるのだろうホテルにはたくさんの花が一つ蓮の葉の上に飾られているそれがまた見事です。でもこんなにたくさんとってきてなくなりはしないかと心配になる。何せ蓮一本から花一つしか咲かないから大変たくさんの花がとられてしまっているのではでも仏の国だから蓮の花はたくさんあるのだろう。

 

 

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椰子の木に赤い実がなっているなんだろうと聞くとなんと植木をしてあるのだという。
確かに若い木にも接木といおうか植木をしたといおうか違う小さな木が植え込まれているお互いに助け合ったいるのだろうか。

 

 

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夜になるとイカ釣り船が緑のランプをつけてたくさん漁を営んでいる。
かがり火ではなく緑の蛍光灯です。

 

”かがり火は日も夜もなく またたきぬ くがは海より悲しきものを“

 

ここは仏の国かがり火さえもまた 悩みのなき光をはしているみたい。
今度来たらお寺に行ってみたいそして蓮の花が一面に咲いているだろうと思われる池にもいってみたい。
そしてできれば空飛ぶカンテラを新潟の山古志村で上げてみたい。
そしたら錦鯉の新種ができるかも。

 

娘のWeb Page   http://www.karinataira.com/

今年の月蝕 2月20日7.01 p.m. to 7.51 p.m.

昨年8月28日の月蝕は朝3時37分から始まったので明け方まで起きていなければいけなかった。今年は夕方7時からというので期待して待っていたが、しかしあいにくの曇り空残念ながら前半は殆ど雲の中で見ることができなかった、最後8時近くになって月蝕が終わるころに、やっと晴れ間が見えてなんとかこの写真をとることができました。この次の皆既月蝕は2010年の12月21日までないそうです。

 

 昔のギリシャ人はこの地球の影が月の上に投影されているのを見て地球は平坦ではなく丸いのだと考えるようになったようです。コロンブスの冒険よりも早く地球が丸いことを予測していたのですえね。それがまた今は逆に World is Flat になってしまいました。どこまでも行き着くことのない平坦な世界になったようです。
この続きは2010年までお待ちください。

 

 

月食の様子 

我と来て遊べや親のない雀  一茶

ワイキキのホテルで雀の餌ずけを試みました。毎日ベランダのテーブルに餌をまき雀が遊びに来るのをじっと待っていました。来た来たやっと3日目から近付いてきたそっと座って餌を食べるのを身動きをせず眺めていました。
比較的人見知りしないのでこのまま数日続けるとそのうち手のひらから餌を食べてくれるのではないかと期待して毎日少しづつ慣らしていきました。

 

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来た来たついに沢山来てくれました。
 

日本の雀に比べて少し野性味がないようだ。 食べ物が十分にあるのであまり食べ物を探す努力が少なくなっているのではそのために飛びあるいて虫を探さなくてもいいので野性味が少なくなってしまっているのでは。人間のフリーターみたいになってしまったのでは。
雀はもっと野生的で羽につやがあってほしいものです。

 

与論島にいた子供のころ沢山の雀が庭で餌を食べていました。何とかあの雀を捕まえたいなあーと思い毎晩暗くなってから軒先の藁ぶきのどこに行って寝るのかなあーと毎晩見張っていました。しかし軒下の茅葺の中には行かないようで、どうも他のところで寝ているらしい。たまに一匹が軒下の萱の中に入って行ったもののこちらが下から眺めていると遂には危険を感じたらしく逃げて行ってしまいました。
雀の一匹捕まえたところで焼き鳥にしては少なすぎるしまた籠に入れて飼ってもたぶん暴れすぎて死んでしまうかもしれない。何せ可愛いものを自分で独り占めしたいと言う欲望のためにいろいろと思いを巡らせていたのかも知れない。

 

小鳥は小鳥の野生の世界に伸び伸びと生きてこそ幸せなのだと思うが。やっぱり大空を飛びあるき本来の食べ物である虫を食べてこそ活き活きとしていけるのではないかと思う。
そしてこそ羽の艶も良くなるし寒さに耐える羽にもなるのではないか。

 

何とかあのかわいい雀をものにしたいと笊で罠を仕掛けて雀捕りを試みました。
笊を絵のように使え棒で支えて中のほうにお米のえさをまきこのつっかえ棒に紐を結び雀の見えないところまでひっぱって行き雀が餌をとりに笊のなかほどに入ったころを見計らってエイヤー と紐を引っ張るのです。

 

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罠ありと脇へ知らせよひや雀。
                        一茶

 

長いあいだじっと待つこと1一時間以上いよいよ数匹の雀が笊 の中まで餌をとりに入ったこの時とばかり紐を思いきり引っ張ったしかし相手は野生の雀です素早く逃げて行ってしまいました。また仕掛け直して次の雀が来るのを待ちましたが。
待てど暮らせど第2団はついに現れませんでした。先に逃げた雀がみんなに言いふらしてしまったようです。
そんなわけで子供のころのこの目論見は一度も成功せずじまいでした。

 

そこで今度はハワイでは雀が手のひらから餌をとるまで慣れさせておいてついに エイ!ヤ! と捕まえることができると子供のころの夢が実現できるとウキウキしていました。
しかしもう明日はカリホルニヤーに帰らなければいけない。このプロジェクトは来年まで持ち越しですね。

 

 

 

一茶はどんな気持ちで雀たちと遊んでいたのでしょう。わたくしみたいに焼き鳥の対象にはしなかったに違いない。

 

 

子供たちと同じらいの扱いをしていたようです。

 

 

一茶にはたくさんの雀に関する俳句が残っています。たぶんいつもわが友達ぐらいの思って遊んでいたのではないでしょうか。2,3その句を見てみると。

 

 

  我と来て遊ぶや親のない雀。

 

  親雀い子を返せとや猫を追う。

 

  雀子に膝の飯つぶつませけり。

 

 

一茶はすでに雀が膝まで遊びに来ているのですね。

私もこの次は手のひらの飯粒をすませけり。と行きたいところです。 

 

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(カリホルニヤーの我が家の裏庭の雀、ハワイイのよりは野生的だ)

 

カリホルニヤーに帰ってきて我が家の雀を見るハワイのよりも自然にいるようだ。
来年はわが手のひらから餌を食べるように訓練してみたい。しかしカリホルニヤーの雀にわが手から餌をやるのは至難の業に見える。いったい一茶はどのような心で雀たちと仲良くなったのだろう。少なくとも一茶の精神に近づかなければ、これから毎日庭先に出て手のひらの上に餌をもって数時間じっとしているとそのうちわが手から餌を食べてくれるだろうか。
もう少し暖かくなってから試してみるのも面白いと思う。
成功したらまた報告します。

 

 

  雀の子そこのけそこのけお馬がとうる。

 

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( カリホルニヤーの雀たち。)

 

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