シリコンバレーのエンジェル投資ブログ

投稿者: taira Page 9 of 10

我と来て遊べや親のない雀  一茶

ワイキキのホテルで雀の餌ずけを試みました。毎日ベランダのテーブルに餌をまき雀が遊びに来るのをじっと待っていました。来た来たやっと3日目から近付いてきたそっと座って餌を食べるのを身動きをせず眺めていました。
比較的人見知りしないのでこのまま数日続けるとそのうち手のひらから餌を食べてくれるのではないかと期待して毎日少しづつ慣らしていきました。

 

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来た来たついに沢山来てくれました。
 

日本の雀に比べて少し野性味がないようだ。 食べ物が十分にあるのであまり食べ物を探す努力が少なくなっているのではそのために飛びあるいて虫を探さなくてもいいので野性味が少なくなってしまっているのでは。人間のフリーターみたいになってしまったのでは。
雀はもっと野生的で羽につやがあってほしいものです。

 

与論島にいた子供のころ沢山の雀が庭で餌を食べていました。何とかあの雀を捕まえたいなあーと思い毎晩暗くなってから軒先の藁ぶきのどこに行って寝るのかなあーと毎晩見張っていました。しかし軒下の茅葺の中には行かないようで、どうも他のところで寝ているらしい。たまに一匹が軒下の萱の中に入って行ったもののこちらが下から眺めていると遂には危険を感じたらしく逃げて行ってしまいました。
雀の一匹捕まえたところで焼き鳥にしては少なすぎるしまた籠に入れて飼ってもたぶん暴れすぎて死んでしまうかもしれない。何せ可愛いものを自分で独り占めしたいと言う欲望のためにいろいろと思いを巡らせていたのかも知れない。

 

小鳥は小鳥の野生の世界に伸び伸びと生きてこそ幸せなのだと思うが。やっぱり大空を飛びあるき本来の食べ物である虫を食べてこそ活き活きとしていけるのではないかと思う。
そしてこそ羽の艶も良くなるし寒さに耐える羽にもなるのではないか。

 

何とかあのかわいい雀をものにしたいと笊で罠を仕掛けて雀捕りを試みました。
笊を絵のように使え棒で支えて中のほうにお米のえさをまきこのつっかえ棒に紐を結び雀の見えないところまでひっぱって行き雀が餌をとりに笊のなかほどに入ったころを見計らってエイヤー と紐を引っ張るのです。

 

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罠ありと脇へ知らせよひや雀。
                        一茶

 

長いあいだじっと待つこと1一時間以上いよいよ数匹の雀が笊 の中まで餌をとりに入ったこの時とばかり紐を思いきり引っ張ったしかし相手は野生の雀です素早く逃げて行ってしまいました。また仕掛け直して次の雀が来るのを待ちましたが。
待てど暮らせど第2団はついに現れませんでした。先に逃げた雀がみんなに言いふらしてしまったようです。
そんなわけで子供のころのこの目論見は一度も成功せずじまいでした。

 

そこで今度はハワイでは雀が手のひらから餌をとるまで慣れさせておいてついに エイ!ヤ! と捕まえることができると子供のころの夢が実現できるとウキウキしていました。
しかしもう明日はカリホルニヤーに帰らなければいけない。このプロジェクトは来年まで持ち越しですね。

 

 

 

一茶はどんな気持ちで雀たちと遊んでいたのでしょう。わたくしみたいに焼き鳥の対象にはしなかったに違いない。

 

 

子供たちと同じらいの扱いをしていたようです。

 

 

一茶にはたくさんの雀に関する俳句が残っています。たぶんいつもわが友達ぐらいの思って遊んでいたのではないでしょうか。2,3その句を見てみると。

 

 

  我と来て遊ぶや親のない雀。

 

  親雀い子を返せとや猫を追う。

 

  雀子に膝の飯つぶつませけり。

 

 

一茶はすでに雀が膝まで遊びに来ているのですね。

私もこの次は手のひらの飯粒をすませけり。と行きたいところです。 

 

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(カリホルニヤーの我が家の裏庭の雀、ハワイイのよりは野生的だ)

 

カリホルニヤーに帰ってきて我が家の雀を見るハワイのよりも自然にいるようだ。
来年はわが手のひらから餌を食べるように訓練してみたい。しかしカリホルニヤーの雀にわが手から餌をやるのは至難の業に見える。いったい一茶はどのような心で雀たちと仲良くなったのだろう。少なくとも一茶の精神に近づかなければ、これから毎日庭先に出て手のひらの上に餌をもって数時間じっとしているとそのうちわが手から餌を食べてくれるだろうか。
もう少し暖かくなってから試してみるのも面白いと思う。
成功したらまた報告します。

 

 

  雀の子そこのけそこのけお馬がとうる。

 

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( カリホルニヤーの雀たち。)

 

シリコンバレーの風|日米企業の違い

企業家倶楽部へ記事を提供しました。
企業家倶楽部2008年1月/2月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。

 

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利益を優先すべき

企業の存続には売上げと利益をあげることが必要だ。赤字を続けると借入れをしなければならず、この借金を返却できなければ倒産してしまう。倒産後の救済は再生機構あるいは他社への売却などが考えられる。最悪の場合は会社を清算し、従業員全員が解雇となり多くの失業者を出してしまう。会社が大きくなればなるほど従業員の数が増え、企業経営は社会的責任が重いのだ。
そこで、企業は十分な利益を上げることを優先しないといけない。「社会貢献を第一とすべき」とは会社が存続して初めて言えることであり、利益なき経営は最終的に社会的責任を果たせない。いわんや会社が倒産して大量に失業者を発生させることは最悪だ。終身雇用制が重んじられた日本の経営は雇用第一で利益は二の次という考えが優先しているように思われる。しかし企業経営は利益を上げることを優先すべきだ。
企業の価値は、利益率と将来の発展性で評価され、それが株価に表れる。会社の価値が時価総額として、総発行株数と株価の掛け合わした値で評価される。例え何兆円という売上げをあげても大幅な赤字の会社の場合、評価はゼロといってもいい。
日本企業の利益率は外国企業に比べて低いようだ。利益確保のために企業経営の効率化を考えないといけないし、利益が確保できるようなマーケットに展開を図る必要がある。さらには国際化の波に流されないように自らグローバルな展開を考えないといけない。

 

(キャプション)
日米企業の売上げ、利益、時価総額などの一覧

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日米企業の比較

 

 世界的な企業各社の売上、利益、時価総額、従業員数、利益率を比較した表がある。エレクトロニクス、IT,・通信関係が主だが、比較のため自動社会社を入れた。この中で時価総額が10兆円以上の会社は7社あり、米国企業の利益率が10%以上と高い。またインテルはトヨタ自動車以上の利益を稼ぎ出しているのが分かる。
 日本企業の利益率を見るとキヤノン、任天堂 トヨタが約10%で他は3%以下だ。このデータを見ても効率がどんなに悪いかが分かる。かつてソニーの出井伸之氏が利益率10%を目標にすると言っていたが、グローバルな視点で最も適切な数字ではなかったか。企業効率の上位は、グーグルが他を引き離している。時価総額が売上の14倍に達している。軒並み米国企業の時価総額は売上げの2倍以上は維持している。一方、日本の製造業を見るとキヤノンのみ、時価総額が売上げの2.7倍以上で、その他の企業は売上げ以下か、わずかに売上げ以上といった状態だ。

 

国際的なM&A

 この表で見るとソニーの価値はGEの14%にすぎず、もし市場でソニー株を買うとしたらGEの僅か株式14%でソニーを買うことができる。勿論そんなに安くは買えないが、企業価値が落ちていくと買収のターゲットとなってしまう。そこで、企業は利益率を上げ、企業価値を絶えず上げていかなければいけないのだ。日本の代表的な会社が外国勢に取られる危険性がここにある。日本企業で利益1000億円以上の企業は、この表でトヨタを除くと 松下、ソニー、キヤノン、任天堂だけだ。これは半導体装置メーカーのアプライド・マテリアル社の利益にも負けてしまう。
 国際化が進む中で世界的なM&Aが活発だ。米国のM&Aは自社株を発行して金のかからない買収が多い。もしインテルが自社株の10%強を発行すれば富士通の時価総額1兆6000億円の株を買収できる可能性がある。市場から株を買い集めることによって大株主になることも可能だ。国際化に対応して国の基礎である半導体産業を守るには、これらの会社の時価総額を上げる経営を企てないと日本の基礎が失われてしまう。

 

大統領型経営の勧め

 日本の経営効率はなぜ外国企業と差があるのだろうか。日本とシリコンバレーの半導体企業に約30年勤めた経験から考察をしてみたい。まずは、何と言っても企業は人なりだ。社長の像がそのまま会社の姿になる。社長が明確なビジョンを持っていないと様々な場面でタイムリーな決定が下されない。組織が大きくなり無駄が増え、閉塞感が増している。したがって利益率が下がり始めても、それを改善する施策を打たないままに過ぎている。新しいことに挑戦し失敗すると減点主義で評価する文化も問題だ。今度は誰も挑戦しなくなる。日本型経営の大きな欠陥は「待ちの経営」と言える。
 卑近な例をあげると日本の年金問題がそうだ。歴代の大臣が行動を起こさずに待ちに行ってしまったからだ。
 また、日本企業の欠陥は部下がトップの言うことを聞かないことだ。あるいは抵抗勢力になっているケースがある。ここは海外企業との大きな違いだ。もし社長の命令に背く場合はクビになる。しかし日本では長い間部下の抵抗勢力が確立されており大きな改革が難しくなっている。アメリカの大統領は強い権限を持っており、大統領の命令に抵抗する人はいない。日本政府の苦労がそっくり日本の大企業の実情といえる。社長にアメリカ型の権力のある会社が日本でも利益を上げ成功している。明確なビジョンと戦略を基に決定を下し、改革を実行できる社長が優良会社を育てている。

 

ボトムアップの経営

 大統領型のトップダウンも必要だが、常に部下からの新しい提案を上司が受け入れることも重要だ。しかし、従来路線をかえるのはリスクが大きく、失敗を恐れる傾向がある。
 米国のオークションサイト大手イーベイ社長のメグ・ウイットマン氏がイーベイでの仕事の進め方を紹介してくれた。社員から様々なアイデアが出され、それを検討し良ければ直ぐに実行に移される。
 あるとき従業員が玩具のミニカーのオークションを提案してきた。そのアイデアは直ぐ採用され、玩具の自動車のオークションが始まった。すると今度は本物の自動車を売りたいという社員がいた。今では本物の自動車のオークションが大変盛んになっている。今年は100万台の中古車がイーベイで取引されたという。私の友人もイーベイで高級車のレクサスを約700万円で購入したと聞き驚いた。今日では当たり前のように行われている。
 このように従業員が提案してくる案件を真剣に検討し、よければ直ぐ実行に移す。私の友人は会社に提案したが受け入れられず、上司に相談したところ、「それなら自分で創業したらどうだろうか」と助言された。米国企業では社員が独立する際に勤務していた会社が資金提供するケースもある。その友人は私も資金集めを手伝いベンチャーを立ち上げた。その後事業を成長させ、大きな会社と合併して成功した。

 

社長交代劇

 最近の例では、ヒューレットパッカード(HP)がそうだ。シリコンバレー発祥のきっかけとなったHPでさえも、例外ではない。エンジニアを大切にすることで有名なHPウェイの継承者ルー・プラット氏も押し寄せるIT革命に乗り遅れてしまった。米国では事業の停滞は社長の責任なので、すぐに取締役会が動く。取締役は大半が外部の識者なので社長交代はすぐに決定された。そこで1999年、マーケティングのプロフェッショナルとして評価の高いカーリー・フィオリーナ女史が外部から招聘された。社長就任後、コンパックを買収し、HPに大変革を起こした。しかし、社長就任から6年が経ち、PC事業の不振や安定した成長が困難になった。そして2005年、取締役はフィオリーナ氏を解雇し、小売向けPOS端末販売大手で実績のあるマーク・ハード氏を社長に迎えた。日本は今この2人を合わせたような人を社長にしないと生き残れなくなっている。

 

エンジニアの役割

 企業を継続的に発展させるためには技術開発、あるいは新しいマーケットを展開する必要がある。そのためには、エンジニアリングマネジャーが重要な役割を果たす。日本の技術者は出世するとレポートを作成する事務屋になってしまう。米国のエンジニヤリングマネジャーはいつまでも技術の仕事をしている。絶えずに技術の動向を把握していないと他者との競争に負けてしまう。
 2006年にスペインで開催されたETRE(欧州経営者会議)で参加企業のCTO(Chief Technology Officer) に話を聞くと、彼らは毎年、大学の博士課程の学生とどんな研究をしているか、あるいは主任教授にどんな研究が行われているか絶えず調べているという。自社で将来使う可能性がある場合は、コンタクトを続け、資金を提供し新しい技術を取り入れる。それはCTO自身の勉強にもなっている。また、彼らは絶えず学会やコンファレンスに顔を出している。日本企業の開発部門長は書類作りに追われていないだろうか。シリコンバレーの経営者は今でもカンファレンスではいつも前の席に座り、関連技術の論文の発表などは熱心にノートを取っている。日本企業の経営者も真似して欲しい。

 

挑戦せよ

 今の日本の大手企業には優秀なエンジニアが集まっている。その人達が絶えず自分の力を磨き、そして新しいアイデアを提案し、まずは自社内で挑戦する。新しい分野を開く努力を続ければ、日本企業ももっと元気になるのではないか。そして自分の提案が会社の方針と合わず受け入れられない場合は、スピンオフしてベンチャーを起こせばいい。そうすれば、日本でも技術系ベンチャーがもっと誕生するだろう。最近では、日本でも創業ベンチャーを支援するベンチャーキャピタルが育ってきている。
「日本のエンジニアよ、挑戦せよ」

 

平 強(たいら・つよし)

大塚美術館訪問 October 2007

今年10月に 信楽焼 の里にタヌキの焼き物を見に行った。かって半導体の営業を担当していた頃何時も 大きな額のフォキャストをし年末になると目標の半分も達成できなくて怒られたものでした。毎年大きな目標をフォキャストするとみんながまた大きなタヌキを殺して皮算用していると冗談を言われたものでした。
その後も相変わらず目標は大きく成果は小さい年が続きました。そんなわけでかって殺したたくさんのタヌキ乃ために供養しようかと思いタヌキの大きな置物を買って我が家の裏庭に備えて一人静かに供養しようかと思っていました。信楽焼にきてみると いるわ居るわたくさんのタヌキがいたのです。みんなかわいこのなから一匹だけを連れて帰るのは申し訳ないできればここにいる全部を買って持っていきたいと思った。そんなわけでこの次来るときはこの店先にある全部を買い取る心積もりで今回はあきらめました。

 

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 ここで 信楽焼の振興協会の会長もやられておられる 大塚オーミ陶業 の奥田 實 さんにお会いする機会に恵まれました。このときに奥田さんが名画を陶板で複製するプロジェクトに携わったことを聞き大変興味をそそられました。さっそく工房に案内していただいてそのプロジェクトの片鱗を見せていただきました。モネーだったかミレーだったかの色合わせに試作品を見せてもらいさらに国宝の伴大納言絵巻の陶板を見せていただいた、ここの陶板は1メートル X 2メートル の大きさまでできそれもそりがなくできています。ですから壁画大の作品もこれらのタイルをつなぎ合わせて大きなものができるわけです。日本のセラミック産業の基礎がこんなところからじっくり育て上げられたのだなあと感心しました。

そして大塚美術館のお話を伺いして是非一度訪問したいと思っていました。今回わづかの時間を見つけ想いって大塚美術館を訪問しました。大阪からバスがでており淡路島をとうり徳島側についたところに大塚美術館があります。鳴門北IC で降りるとすぐです。大塚製薬は鳴門で操業され世界屈指の製薬会社として成功しました。先代の大塚 武三郎 そして息子の今はなき 大塚 正士さんのときに会社の75周年を記念してみんなが楽しめる美術館を作ろうということでこの大塚美術館ができたそうです。このため大塚 さんは 私財200億円を投じてこのプロジェクトにかかとそうです。プロジェクトのきっかけは技術屋が鳴門の砂浜 の砂を大塚さんに見せてこの砂でタイルを作ろうという提案がきっかけになったそうです。そしてついには1メートル X 2メートル もする大きな陶板が世界に先駆けてできたそうです。このタイルの一部がいま国会議事堂の屋根瓦として既に使われています。この陶板の応用として世界の名画の複製を作りこれを展示して美術館にしようということで大塚美術館ができたのでした。

大塚美術館は山の斜面を切り抜いて地下5階地上3階の建物です。外観からすれば山の斜面に入り口があるだけで自然を壊さないで自然の中に埋まっています。入館料は大人3150円です。また大阪からのバス代も3150円でした。壁画をはじめ古代の教会のイコン画をはじめ、古代から中世、バロック、ルネッサンス、 近代そして現代と 世界各国の美術館からライセンスしてもらった絵画の複製が1000余点と展示されています。世界の名画が集まる パリーのオルセー美術館、ルーブル、 あるいはイタリヤ のウフイッツイ美術館、スペインのプラド美術館 バチカン、大英博物館、ニュヨーク、シカゴ、ボストン、フラデルフイアの各美術館が所有する名画が集められています。これだけの名画を世界中回ってみるには数年もかかるだろしまたお金も大変掛かります。それがわづか3150円で見られるのです。それも原画と全く違わない色合いが出ています。これはもう日本の宝だし世界の宝というしかありません。しかも陶板ですので1300度以上で焼かれており火事になっても焼けないし色あせがなく今後1千年先までそのまま残ります。特にダビンチの最後の晩餐などは原画はその色合いが毎年褪せてきますが。大塚美術館の 最後の晩餐はそのままいつまでも残るでしょう。もちろんその他のモネー、ゴッホ、ミレーなどもそのままの色合いを持ち続けるはずです。そのうち世界中の人たちが原画の色合いはどうだったのだろうかと大塚美術館を訪れる人が増えることかと思います。

よくこのプロジェクトに投資していただいたものだと思います。大塚さんは日本のフイランソロファーとして素晴らし方ですね。実際に名画のライセンスさらには現物での詳細の色合わせなどにたずさわった奥田 實さんの苦労話は大変感激しました。やっぱり後世に何か残すとするとこの様ないつまでも次世代の人たちが楽しめるものがほしいですね。

まず入口から入って最初の圧巻はバチカンの天井画と壁画 ミケランジェロ の 天地創造 と最後の審判ですね。本物を見てきたワイフ が全くかわれないしバチカンで見てきた感激とおなじだとかって見に行ったバチカンのシステーナ礼拝堂をおもいだしていました。

 

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ルネッサンス の時期のヴイナス の誕生、そして近代の印象派の数々の名画とても一日では見れない名画ばかりです。ルーブルからの モナリザ、そして数々のオルセー美術館の名画 モネ、ルノワール、ゴッホ、マネ など、されにモネーの大睡蓮 が屋外に展示されています。オランジェリーの美術館が改装を終えて360度の大睡蓮が展示されました。陶板ならではお屋外展示です。雨にも負けず風にも負けずモネーの大睡蓮は徳島の地でいつでも見れるようになっています。娘がイルサンルイ島に住んでいるのでオルセー美術館が近くほとんど毎年たずねています。そのたびにモネーをみて、ミレー、マネーの笛を吹く少年、草上の昼食、ゴッホのオーブエールの教会 などをみます。今回オルセー の名画が沢山あるので他にしみました。 つでに オーベエールの教会の小さな複製の陶板を買ってきた本物サイズができたら我が家にある練習生の画家の模写と置き換えるのだが。

 

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マネー、ルノワールなどの作品

 

奥田さんにこの陶板の製造に関してお話を伺いました。原画とおなじ色を出すのに相当苦労されたようです。特に焼き付けが終ってからされに原画と色比べをしてされに色の追加などをしたそうです。そのために世界各国の美術館に行きこれらの作業をしています。また特に現在も活躍している作家には当人に見てもらったりしています。されに新しく数約種類の色を開発したようです。
次に大塚オーミ陶業株式会社のWeb 頁から製造のプロセス 図を示します。この素晴らし美術館をぜひ一度見てください。 そしてそれからオルセー、ルーブル、ウフィッツイ 美術館などに行くといいかと思います。大塚美術館は手で触れます。そしていくらでも写真が撮れます。まさに愛好家がぜひとも訪問したい美術館のひとつです。

 

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陶板の製造過程
大塚オーミ陶業株式会社
Web Page(http://www.ohmi.co.jp/jp/index.html)から。

ベンチャー企業の資金調達法

企業家倶楽部へ記事を提供しました。
企業家倶楽部12月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。

「見えるモノ」を作る

ベンチャーを起業するときに最も苦労するのが資金集めだ。企業家は、これまでにないユニークなアイデアを持って投資家に資金提供をお願いするわけだが、これらのアイデアが投資家にすぐに理解され、投資を受けることができるとは限らない。

インターネット分野では、技術革新は日進月歩であることは誰も異論のないところだろう。PCの世界で起こったブロードバンド化は、モバイル分野では、さらに進化のスピードが速く、技術的にひとつ飛び越えることもある。このようにリープ・フロッグ(蛙跳び)な技術がどんどん開発されるが、ユニークであればあるほど、また飛躍していればいるほど理解されにくいのが現実だ。

そこで、これらのアイデアが投資家にある程度理解してもらえるようにソフトウェアの開発や、あるいはモックアップ(実物大模型)を作り、アイデアを「見えるモノ」にする必要がある。まずは、知人から最小限の資金を集め、「見えるモノ」を作る。このために少ないところで1000万円から1億円位が必要になる。

ベンチャーキャピタルから資金調達

シリコンバレーの企業家は、まず仲間内からこのようなシードマネー(創業資金)を集めて「見えるモノ」を作成し、その後、ベンチャーキャピタル(VC)に資金を仰ぎに行く。このVCの出資を初めて受ける段階をシリーズAと呼ぶ。そのプロジェクトの規模によって資金調達はシリーズB、C、Dと進む。開発や販売の遅れが生じ資金が枯渇した場合は、シリーズE、Fまで行くケースもある。トータルの資金調達額は、小さいものでも数億円から大きいものでは数百億円にもなる。

最初のシードマネーを出資してくれた個人をエンジェルと呼び、出資形態としては、シリーズAの株価が決まってから株に変換するコンバーチブル・ローン(転換ローン)にするのが一般的だ。転換価格は、シリーズAと同等か若干有利な条件が付与される。

会社の評価が決まってから株価は決まるので、シリーズAに出資するVCが会社のバリュー、すなわち企業価値(時価総額)を決める。ここで重要なのは、プロジェクトの難易度によってシリーズAの資金調達額が決められることだ。株式上場時の時価総額が予め想定されていて、それまでに何回資金調達が必要か、ゴールが設定されている。

タームシート作成

ベンチャーキャピタリストが正式な投資契約の前に投資条件の概要をまとめ、関係当事者が合意しやすいように資料としてタームシートを作成する。その後、他のVCにも呼びかけ、この条件で合意するところから投資を仰ぐ。タームシートには次のような項目が記載される。

1 今回の資金調達額
2 株価
3 優先株の発行総数
4 時価総額
5 配当
6 Liquidation(会社を閉めるときの投資家への資産の分配方法)
7 株式の変換(優先株を普通株に変換、IPO時)
8 持ち株比率の確保のための条件
9 表決権
10 株の登録権利
11 財務情報入手の権利
12 取締役の人数

一般的には上記の内容が記載されており、米国証券取引委員会(SEC)で要求される項目を網羅している。

このタームシートを持ってVC回りをして投資を募り、正式に投資契約書へのサインと進む。
正式な投資契約書には、

 1 株式購入契約書(この中に会社の概況優先株の総数、会社の法令尊守の表明)
2 投資家の権利に関する契約書(株の登録、財務資料の入手に関する件)
3 株主の契約書(株主の権利に関する条項)
4 表決に関する契約書(株主の表決権に関する契約)
5 会社の定款(優先株発行のたびに州政府への変更を報告するために株主にも修正の定款が報告される)

以上の5点が盛り込まれており、この書類にサインをもらい投資を受けることになる。

なお、SECではヘッジファンドに投資できる人の資格を規定している。とくに総資産がある程度以上(約1億円)、あるいは年間の総収入がある額以上(過去2年間で年間所得2000万円以上)であることと規定がある。これは投資家保護のためである。資産のない人が投資して、万が一その会社が倒産し、無一文になって路頭に迷わないようにという考慮から来ている。株式投資というのが本来リスクのあるものであり、会社が倒産した場合は投資家がその投資分を全て失うリスクがあることを理解していなければならない。株式投資はリスクがあることをSECがはっきりと警告している。

日本では以前、会社が倒産したら投資した金を保証するような条件で投資がなされていたのと大きな差がある。日本の投資が、銀行融資の延長みたいにしてなされていたことから来ているのだろう。

米国では、株式投資はあくまでもリスクマネーであり投資家は会社がつぶれても文句一つ言わない。「また、次のチャンスに頑張って」と声を掛けるのがシリコンバレー流だ。

シリコンバレーのVCがこのようなリスクマネーを投入し、新しい技術を開発し、新しい産業を創出する企業を育ててきた。

取締役会に参加

投資先のベンチャー企業へは取締役として経営に携わる。定期的に開かれる取締役会には、社長と顧問弁護士、外部取締役、このメンバーに私が加わる。3名の外部取締役はベンチャーキャピタリストだ。各投資家の思惑が入り、この会社の危機に対してホットな議論が行われる。弁護士は一番重要な役割を果たす。各動議が法的に問題ないか、各ラウンドの株主の権利が尊重されているか、SECのルールに合致しているかなど、絶えず各案件について細かくアドバイスを行う。

ベンチャー企業は資金繰りが命綱である。会社の存続のため最良の策を議論する。ベンチャーの成功率は大変低いものだ。これまで、何社もこのような会議に加わってきた。チャレンジもいいのが、企業を継続させることの難しさをつくづく味わってきた。

株価の決定

ベンチャーキャピタルからの第1回目の資金はどのように投入されるのか。企業家がプレゼンしたプロジェクトに興味を持ったVCが会社の時価総額を3億円と決める。次に発行株数の総数を従業員分も含めて10億株とする。株数は5億から10億株にするのが一般的で、日本のように極端に少なくない。これは1株の値段をある程度下げ、株式上場時に一般の投資家が株を入手しやすいようにしていることもある。そこで、1株の価格が0.3ドルと決まる。(1ドルを100円として計算)

シリーズAのラウンドで、1億円を集めようとすると約3億3330万株が必要になる。出資を受けると発行株式数はこの時点で13億3330万株になり、シリーズAで出資をしたVCの株式シェアは25%となるわけだ。

最初の10億株のうち、約15%から20%を従業員のストックオプションとして配分する。ストックオプションは、役員や社員のヤル気を引き出すインセンティブとして、一定期間中に株式に換える権利が与えられる。資金の少ないベンチャー企業では人件費を節約するためによく使われる手法だ。残りの8億株を創業者や経営陣で分けることになる。

早速、集めた1億円でプロトタイプ(試作モデル)の制作に取り掛かるが、すぐに資金は底をついてしまう。なんとか製品が完成しても、次に生産ラインに移すため、あるいはマーケティング費用のために資金が必要になる。そこで、経営陣は2回目の資金調達を考える。これをシリーズBと呼ぶ。

本格的な資金調達

シリーズAで集めた1億円で、ある程度の「見えるモノ」が完成したところで本格的な資金集めを始める。

VCが商品開発を終了させるのに4億円必要だと算出し、この金額を集めるのだ。企業価値を13億3330万円とすると、ちょうど1株100円となるので、4億円を1株100円で募集する。シリーズBの段階で、会社の発行株式総数は17億3330万株となる。VCなどの外部の持ち株比率は25%から42%に上がった。

商品開発を終了し、製造段階やマーケティングに移行する際にはさらに資金が必要になる。そこで、シリーズCも同様の手続きを経て、1株200円で10億円集めた。その後いよいよ大量生産に移る際には、1株300円で20億円の資金を集めることになった。シリーズDの段階では、外部の人たちの株式シェアが65%となり、創立者と従業員のシェアが35%と下がった。

もしここで、株式上場(IPO)を達成し、株価が2000円付いた場合、時価総額は580億円となり、創業者と従業員の取り分が200億円となる。持ち株比率は下がるが、創業者をはじめ従業員も十分な報酬となるわけだ。

この会社の場合はシリーズDまでに35億円の資金調達を行った。この間の資金集めは最初にリードしたVCが最後までこの会社を支える。ベンチャーキャピタリストは、単に金を出して後は放っておくと言うことはしない。投資先企業1社平均で5億から10億円を投資する覚悟で支えるのだ。

このように会社が軌道に乗るまでの面倒を見るのがペンチャーキャピタルの役目なのだ。リスクも大きいが、運が良ければ10倍前後のリターンが取れる。日本のVCもこのように力をつけて欲しい。

経営陣のシェアより企業価値を優先せよ

事業は必ず成功するとは限らない。シリーズDで資金調達したが、その後市況が悪くなり商品が売れなくなるケースがよくある。会社は売り上げが挙がらないし、いよいよ従業員を減らし、賃金カットを行う。ついには事業を縮小せざるを得なくなる。さらにVCも追加資金を出さないといった状況に陥る。

企業家が一番苦労するのが、企業価値を極端に下げて資金調達を行うダウンランドのときだ。米国ベンチャーの取締役は外部の人が大半だ。普通は会社側からは社長が一人だけ取締役として入る。もう一人技術担当取締役(CTO)が入ることもあるが、取締役は各ランドの投資家が主になっている。
最後まで会社を存続させるために取締役会で喧々諤々の議論が行われる。

この場で、それぞれの立場で会社の将来に対する判断を下す。この先成功はないと判断すれば追加出資に応じないし、取締役を降りるなどして関係を絶つ。あるいは何とか将来成功すると判断すれば、増資を全部引き受けて大株主になることも可能だ。

1株の株価を10円まで落とし、5億円を調達した場合、シリーズEで5億円を投資したVCが63%の大株主となる。経営陣のシェアは10%台と極端に低くなるが、会社の存続のために受け入れざるを得ない。

しかし、シリコンバレーではこう考える。例え従業員と創業者の持ち株が15%に下がったとしても、その後順調に成長し時価総額が1000億円で株式上場すれば、従業員は150億円の取り分となる。アイデアと汗水流した努力の結果として、150億円の価値がつけば苦労は報われる。

資金調達の過程では、企業価値を上げることが重要で、いつまでも経営陣のシェアに固執してはいけない。往々にして日本の経営者は自分の持分の減ることだけに目が向いていて、大きな利益を見ないままに会社がおかしくなっていくケースがあるようだ。小を捨てて大に付くべきだと私は思う。

日本の資金調達も今後変わっていって欲しい。

ヨーロッパに街角から(October 2007 in Europe)

セーヌ川のほとりの古本屋

セーヌの流れの散歩道に古本屋が並ぶ川岸のコンクリートの塀の上に斜めに作られた箱の上に古本が並べられている。開店と共に箱の鍵を開け何日も売れなかった本がさらされる。
オーナーはその横にいすを出してのんびりと本を読んでいる。
これで生業を立てているのか不思議である。風物詩として市が援助しているのだろうか。
英語の本も置いているがたいていがフランス語である。
夜になるとふたを閉めて鍵をかけてオーナーが帰っていく。
観光客が時折本を手にしているが売れた所を見たことが無い。
オーナーが楽しみに日向ボッコをしているのだろうか。

 

 

セーヌ川のほとりの古本屋

 

 

パリの街角で。

パリのカフェー、レストラン は大変狭い所のいすを並べてお客は肘をつき合わせてのんびりとコーヒーやビールを楽しんでいる。人と人のふれあいがいいのだろうか。急ぐでもなくゆったりと時間を過ごしている。
特に店の前の歩道に並べられているテーブルが人気が有る。ここに同じように肘をつき合わせて恋人同士あるいは友達同士が外を見ながら楽しんでいる。10 月少し寒いがそれを物ともしていない。
夜になるとガスヒーターがともされてその下は暖かい。
レストランも肘突き合わせているお互いが狭い中で楽しんでいるようです。
奥のいすに入るのにとりあえずテーブルを前に引っ張り出してからおくにはいらないといけない。
かえってひと人と人が身近にいると言うのが安心かんをそっそるのだろうか。

 


歩道の前のテーブルがいつも混んでいる。

 


肘つき合わせて楽しいデナー。

 


イルサンルイにある勇鮨、なたが新鮮でとても美味しいい。
かって時々岸恵子さんが見えていた。

 

Frits De Mer (海の幸のサラダ)


パリにきたら必ずこれを食べることにしている。
生牡蠣と貝類,の生と蟹 を大きな皿の上に氷を乗せてその上に貝類が載ってくる、2 人分が普通ですごく食べ応えがあり堪能できる。
特に生牡蠣は塩の味がすごく残っており今海から引き上げてきたような感じで大変美味しい。

 

パリーの市場にて


パリの市場 イルサンルイ 島の近くの市場によく魚を買いに行く特にブルーという螺貝 のゆでたのが美味しいかって来て直ぐ食べられるので楽しいい。
例のFrits De Mer にもふんだんに入っている。
野菜果物、魚も肉も大変フレッシュなものがいっぱい売られている。
雉、鶏、ウサギなどがまだ衣をつけたままで売っている。
ジャストオン タイムなのだろうか。
オリーブのつけたものイタリアの キノコなども売っている。
見ているだけで楽しい市場です。

 

 

シャンソンを聴く

モンマルトル の丘の直ぐ下にラパン(ウサギ小屋)と言うシャンソンを聞かせる店がある。
モンマルトルの丘の上では画家が沢山集まって似顔を書いたり彼らの作品を売ったりして生業をたっている。
かって ゴホ 、ロートレックス、ユトリロあるいはピカソなどがこの近くに住んでそしてこのラパンに よくきたようです。
五、六拾名 座れるライブハウスになっていてシャンソン歌手が数名で合唱したり独唱したりする。


ピアノの プレイヤーは日本語がとても上手で日本の客がおおと思われる。
かって はお金の無い画家が自分の描いた絵を持ってのみにきたようです。
そんな絵が壁に沢山かけられていた。ピカソの絵もあったが酒代なのかあるいはコピーか定かではない。

 


Lapin の客席

 


後ろの絵はピカソのもの 本物? こぴー?

 

 

ここは日本の昔の歌声喫茶です。歌手のリードで皆が楽しく歌っています。
我々を見つけてこの人達はカナダから来たので歌を教えてあげようと言うことで我々に歌詞の一節を指導してくれたそして歌えと言うしかしどう聞いてもフランス語では耳に残らない。
しかしよく効くとどうも”かえるの学校は川の中“と聞こえるのでさあ歌えと言われたときに大声で”かえるの学校は川のなか。”と大声で歌った、隣のワイフと娘はと言うと”腹減った腹減った”と歌っている。終わると皆が拍手喝采をしてくれたそして最後にフランス語で我々をたたえたあとに “Ymaha“ と言われたつい“Sanyo”と言ってしまった。
ながねんのサラリーマンの習性で終身雇用の精神がしみこみしかも企業えの忠誠心はいまだ消えていないのに我ながらびっくりした。
これが日本のかっての強みだったのかなあ と思ったり。

 

 

日本の歌声喫茶もまた復活したとか是非又行って “雪よ岩よわれらが宿り”とか”雪の白樺並木”などと大声を出して歌いたいものです。
たぶん外国人がきたら同じように一節を日本語で同じように教えてあげてもいいかも。

 

 

ノルマンデー海岸

パリーからセーヌ 沿いにドーバー海峡に出るとノリマンデー 海岸にでる。
ここはフランスの避暑地で特徴のある建物が素敵です。
画廊お土産ものやが海辺にありパリーからの観光客でにぎわっています。

河口の街 Honfleur

 


友達との会話 サルコジ大統領はどうかね。
彼は若いからとてもチャレンジするね。
シラクは年とりすぎて危険な賭けはしなかった。
それにかれはとてもデモが怖くデモに結びつくような政策は打ち出せなかった。
サルコジはその点改革するね。
少しは変わるかも。
まるでフランスの小泉 純一郎ですね。
きっと改革推進するでしょう。

 

 


Honfleur 海岸端を少し走ると リゾート地に来る。
ノルマンデー独特のホテルやアパートが素敵だ。

 

 



市庁舎 とリンゴの木 アップルサイダーが美味しかった。

 

 


ノルマンデーの海辺

 

 

兎はどこに行った。 8月28日 California の月

8月28日朝3時37分に皆既月食が見えるということで我が家の庭で観察した。素人の写真で三脚も立てないで写しているので途中ぼけてしまった。
3時過ぎ皆既の少し前に撮影を終えました。
 

 

念のため双眼鏡を持ち出してつきの表面を眺めてみました。
 

 

不思議、ウサギはいなくなっていました。

兎はどこに行ったのでしょう。日本では確かにウサギが見えたはずなのですが。 それとも日本で見ればやっぱり兎はいるんだろうか。
念のためつきの表面をスケッチしました。
そしたらびっくり何とザリガニ(東海岸のロブスター)のつめが鮮やかにあるではないですか。
チキショウ かって日本レストランで私の指にくらい付いたあのザリガニのつめです。
アメリカではあのザリガニが兎を食べてしまったらしい。
すっかり夢が破れ皆既を待たずに寝床に着きました。
今度、日本に行った双眼鏡を持っていってウサギをじっくり眺めたい。
 

 

 

 

 

 

 

我が家の裏庭にすんでいるウサギ。

シリコンバレーの風 シリコンバレーの半導体産業の母 スハス・パテル博士

企業家倶楽部へ記事を提供しました。
企業家倶楽部10月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。

 

企業家倶楽部

 
スピンオフの歴史
 シリコンバレーのシリコンバレーたる由縁は、やはり半導体産業の基礎を作ったところにある。1947年にトランジスタ(増幅装置)を発明したウィリアム・ショックレーがシリコンバレーにショックレー研究所を作ったのが始まりだ。ここの優秀な研究員であったロバート・ノイスとゴードン・ムーアら8名が1956年に独立して、フェアチャイルド・セミコンダクターを立ち上げ、ここシリコンバレーの基礎を築きあげた。
 さらにノイスとムーアはフェアチャイルド・セミコンダクターから1968年に独立してインテルを設立、マイクロプロセッサ(中央処理装置)を開発し、世界最大の半導体メーカーに育て上げた。このマイクロプロセッサを電卓へ応用することで半導体産業が大きく立ち上がっていった。そして、1980年代にはパーソナルコンピューター(以下、PC)がもう一つの大きな増幅器となって半導体産業を大きく発展させていったのだ。それでは、半導体とは何か。半導体は、電気を通す「導体」と電気を通さない「絶縁体」の中間の物質をさすが一般的にはこの半導体素材の上に抵抗素材を配置し、様々な機能を持たせたIC(集積回路)のことを指す。現在では、このICはPC以外にもあらゆる電子機器に搭載されており、私たちの生活になくてはならない必需品になっている。
 かつては電卓、PCなどに使われるICは半導体のエンジニアでなければ設計できない非常に難しいものだった。それが回路設計のツールが開発され、半導体のエンジニアでなくても設計が可能になり、さらに市場が拡大した。シリコンバレーの発展は、エンジニアによって支えられているといっても過言ではない。この回路設計の手法を開発し半導体を世界産業にした貢献者を紹介しよう。

 

半導体産業の母

  今回紹介するスハス・パテル博士がその人だ。パテル博士はインドのジャムシュドプール市出身で、名門校インド工科大学(ガラガプール)を卒業後、米国に渡りマサチューセッツ工科大学(MIT)の助手をしながら博士号を取得した。その華やかな経歴からは想像し難いが、米国に渡る際にはわずかな所持金しかなかったという。1970年から75年まで、MITで電気工学の助教授として勤め、生業を立てながら技術者の先端を極めた。MITで教鞭を取った後、米国最大のコンピューターサイエンス研究所であるプロジェクトMAC(マルチ・アクセス・コンピューター)にディレクターとして参加し、コンピューターシステムの設計に携わった。
 1975年から1980年の間、ソルトレイク市のユタ大学に移り、コンピューターサイエンスの教授となった。彼は長年に渡りコンピューターの設計や、ICのデザイン方法論に関わる仕事に従事した。この経験を活かし、新しい半導体の設計技法を開発し、1981年にパテル・システムズ社を設立した。この会社が後のシーラス・ロジック社の前身となる。シーラス社は集積回路のファブレス企業で、前期売上高は約200億円、900以上の特許を保有している半導体メーカーである。

 

コア技術の進化が世界産業を創る
 80年代半ばでは、半導体製造の過程はまだ黎明期だった。シーラス社は、いわゆる半導体工場を持たないファブレス企業の走りだった。独自の設計手法でPCや各種電子機器のICを設計・製造を行いファブレス半導体メーカーとして華々しい発展を遂げた。当時のIC製造の引き受け手は日本の半導体メーカーだったが、80年代後半になると、半導体製造は日本から台湾に移って行った。1987年に、TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing company)が設立され、2002年には世界トップ10の半導体製造工場にまで急成長した。TSMCはシーラス社の一番のクライアントになったのだ。
 90年代に入り、PCの普及が半導体産業をさらに発展させていった。ICの性能は年々向上し、インテル創始者の一人が提唱するムーアの法則が実証された。これは、半導体の性能が18カ月から24カ月で倍増するというものだ。半導体メーカーが競って高性能のICを設計し、製造・販売していった。シリコンバレーが注目され始めたのもこの頃である。
 しかし、PC市場の急成長にICの製造が追いつかないという現象が起こった。半導体不足を引き起こし、各ファブレス企業は危機を迎えた。シーラス社は、半導体の供給確保のためにAT&Tと組み、工場に投資することになり多大の資金を投入した。しかし、その後、景気の波が大きく振れて、部品あまりの状態となってしまった。シーラス社は今もその後遺症に悩んでいる。半導体産業の宿命だが、需要供給の波はどの産業にもあることだ。
 だが、注目すべきは1947年のトランジスタ発明が、今日の世界的な半導体産業を創り出した事実である。

 

パテル博士との出会い

 1992年、私はロバート・リーという若いエンジニアがピコパワーという会社を設立する際に支援した。私が以前勤めていた三洋電機の米国支社から資金を出してもらいファブレス半導体企業を設立した。本格的にノート型PCが市場にでた頃で、多様な機能ICが必要とされていた。ロバートは業界初となるパワーマネジメントのアイデアを持っていたので大好評を得ることになった。IBMをはじめ日本のPCメーカーがこぞって採用した。
  一方、シーラス社も順調に業績を伸ばしており、ピコパワー社の急成長に興味を示していた。そしてシーラス社の代表としてパテル氏がついにピコパワー社を買収したいと申し入れてきた。私は自分が手塩にかけた子供を取られる思いがあり反対だったが、経営陣は市場での戦いに疲れており、シーラス社の提案に乗ろうという意見が大半だった。ついに私も折れて買収提案を了解した。売却額は約70億円だった。その後、シーラス社株の好景気で価値は200億円に跳ね上がった。会社としては20%の持ち株があったので、約40億の資金を得た。当初は私がこのM&A に反対していたので、パテル氏はいつも私に悪いなという感情を持っていたようだ。その後、彼とはいくつもの事業を一緒にやっているので今は家族ぐるみの付き合いになっている。

 

コミュニティと良き助言者
 1992年にパテル氏ら事業で成功したインド系の企業家7名が集まり、「どうやって後進を育てるか」と長い時間をかけて話し合い、ザ・インダス・アントレプレナーズ(TiE)という組織を作った。その後、有志は20名まで増え、パテル氏が初代会長に就任した。現在では、シリコンバレーで年に一度5月にイベントが開催され、世界中からインド人を中心に4000人を集めるカンファレンスにまで成長した。私はたまたまこの仲間の一人である元IBMのジョシ博士と友人だったので、TiEのミーテイングの度に彼と参加していた。そんな理由でTiEのメンバーとの交流が多くなり、また多くのインド系ベンチャーに投資を行い、比較的いい結果をだしていたので、彼らから仲間のように扱われてきた。
今ではTiEのチャーターメンバーとして、インド人のコミュニティの中で活動に参加している。
 パテル氏はさらに後進の指導をするために小さなビルを購入し、インキュベーター(ベンチャー支援)施設を作った。若手の経営者を自分の手元に置き指導している。入居しているベンチャーの為に大企業並みの通信設備とセキュリティーを備えるといった熱の入れようだ。当然、支援にも力が入る。ある通信系のエンジニアが入居し、打合せを重ねているときには、「結局のところ通信とは多くの人とコミュニケーションすることだ」と、気付き旅行代理店を設立してしまった。現在は、インドからの旅行者のためにサービスを開始し、ビジネスは順調にいっている。パテル氏のビジネスの経験とネットワークが上手く活用されたいい例である
  シリコンバレーはこのようなメンター(良き助言者)が多く存在し、若い企業家を指導しながら事業の展開を手伝ってくれる。ここでも、TiEの組織が大きく貢献しているようだ。
 また功をなし、ある程度財をなした企業家が後進を育てるということを気持ちよく行っている。日本ではまだまだこのようなメンターが少ないのではないかと苦言を呈する。

 

 

日本に必要なもの
 パテル氏に日本で企業家を育てるにはどうしたらいいかと尋ねると、「第一にリスクテイクするベンチャーキャピタルが必要だ」と答えが返ってきた。特にアーリーステージ(株式上場前の創業ステージ)のベンチャー支援が重要だという。
 次に、メンターが夢を持った若き企業家にビジネスについて教え、マーケットを一緒に検討し、マネジメントについて指導することが必要だという。 
  パテル氏は決して若者のアイデアの中身を変えさせるとは言わなかった。肝心なのは、若い企業家に成し遂げたい夢があること。そして、燃えるような情熱が必要だという。
 若者に向けて、「もし、あなたが燃えるような何かを持っていたら、いいメンターを見つけることだ」とアドバイスを送っている。最後に必ず早い段階から弁護士と付き合ったほうがいいという。証券取引委員会の規則や税金のこと、そして企業統治についてなど、弁護士が指導してくれるからだ。そういう意味では、シリコンバレーではキャピタリストと弁護士、会計士が積極的にベンチャーに参画してくれる。
 パテル氏は現在、6社のベンチャー企業の面倒を見ている。近いうちに数社が10億円企業になりそうだという。パテル氏の若者をガイドする滅私奉公の成果がもうすぐ現れると思うと楽しみである。
 
平 強(たいら・つよし)
 

シリコンバレーの風 サンバと友に

企業家倶楽部へ記事を提供しました。
企業家倶楽部8月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。
 

 

 前回はシリコンバレーから見た日本市場の特異性や日本政府および日本全体のガバナンスを述べた。今回はシリコンバレーの核心に迫り、どんな企業家がどんな会社を立ち上げ、悪戦苦闘しているかを皆さんにご報告しよう。
1999年、まだインターネット業界が成長期にあったころの話である。インド系の優秀な半導体エンジニア、ムトウー・ローガンが筆者のところに新しいアイデアを持ってやってきた。ムトウーは通信関係のエンジニアで、製品の開発、生産、受注、販売、顧客管理などのすべてをネット上で関係者がいつでも見ることができる業務工程ソフトを開発すれば、すごく便利だし経営管理の効率が上がり相当売れるだろうと事業プランを明かした。ムトウーとサンバ・マーティ、そして私で創業資金を出し合いイージャンクション社を設立した。その後、私の友人である台湾の会社と日本のVCから約1億6千万円の投資を受けることができ、本格的に会社が動き出した。
このソフトは大変好評ですぐ顧客がついた。まず、ノキア、エクスピードが導入した。ノキアは徐々に利用者を増やし、順調に行けばノキア本社でも使うかも知れないという。社員は全員興奮していた。さらに通信業界の大手ジュニパー(06年度売上2600億円)が検討を始めた。もしジュニパーが導入したら利用者の数が一気に増え、会社は利益がでると大喜びしていた。このソフトは業界でも注目され始め、同じようなソフトウェアを提供し、2000年初頭にビリオンダラー(約1000億円級)の株式上場を果たした、セレクティカの会長、ラジ・ジャスワ(現Tie Con 会長)がM&Aの話を持ち込んで来た。
しかし、世の中はそう甘くない。2001年3月、米国のネットバブルが弾けてしまい、通信業界が一気に冷え込み始めた。もちろんジュニパーが最初に波をかぶることになった。またネット特有であるビジネスモデル主体のベンチャー企業が軒並み打撃を受け、それから1-2年の間にネット企業が店じまいしてしまった。その後の9.11事件でさらにシリコンバレー企業の大半が苦境に立たされた。ムトウー、サンバと私もついにこれ以上事業を継続できないと判断し会社をたたんだ。
ムトウーは以前、インテルに勤めた後、アセンド・コミュニケーションでブロードバンド関連グループを率いていた。アセンドがルーセントに買収され、しばらくして退社し、我々とイージャンクションを設立したのだ。ムトウー はイージャンクションの失敗後、数ヶ月ほど次に挑戦するテーマを探し、チームを組み直していた。もちろん私もサンバも彼の新しい会社に投資し、サポートした。彼の新しい会社はブロービズ(broadband Vision)といい、2003年に起業。現在は、インドのチャナイに本拠地を置き技術陣をここに集中させている。VCとの接点として、米国カリフォルニアにも事務所を置き、WiMAX , WiFi(いずれも無線通信の標準規格) のサービスをインド大陸、中東、アフリカ、アジアに展開している。特にこの地域はネットのインフラがないので、このような手頃にハイスピードのネットワークが組めることで、すでに4500台のシステムが出荷されている。ムトウーの第二のスタートアップは順調に行きそうだ。
サンバとは彼が半導体業界出身なので意気投合し、イージャンクションの経営を通して親交を深めてきた。シリコンバレーの企業家は、従来にないまったく新しい最先端テクロノジーへの挑戦、世の中にないものを創造する、あるいは「これは私が世界で最初に始めたのだ」という自負が支える風土の中に生きる人間である。サンバ はその代表的な人物ではないだろうか。また成功の後に後進を育て、世の中に貢献したいと言う慈善活動の精神に満ちている。家族もまた彼の夢を支えてくれる。サンバ が新しい会社を始めるまでの無給時代を奥さんが小学校の先生をして家計を助けていた。サンバ の企業家精神の発揚である遍歴を少し追ってみよう。
サンバ は1985年にインドからシリコンバレーにやって来た。そしてシーク・テクノロジー(後にLSI Logic に買収)に入社。シークはインテルからスピンオフしたゴルディエ・キャンベル(後のチップス・アンド・テクノロジー社の創設者)などによって不揮発性メモリー開発のために設立された。シークが世界最初の電気的に内容を消去することができるメモリーを開発し、さらにフラッシュメモリーを開発して業界の鏑矢となった。シーク はその後、イーサネット(ネットワークの規格)のIC(半導体集積回路)を開発して通信業界の基礎作りに貢献し、スリーコム(ネットワーク機器メーカー)に商品を納入して通信業界の発展につくした。
サンバ はICエンジニアとして、この画期的な技術開発チームと仕事をすることになった。シーク の開発のおかげでイーサネットのデザイン開発が簡単にでき、サンバの開発スピードを大幅に縮めた。このころスタンフォード大学の教授であったレン・ボザックがルーターの原型を作り、シスコを設立し通信機器業界の発展の基礎を築いた。サンバ はそんなわけで通信業界の草分けたちとエキサイティングな仕事に没頭してきた。それがサンバを通信業界に魅せられるきっかけになっている。さらに、彼は IEEE 802.3 業界規格の設定に参加した。すべて世界で最初となる仕事をしているのだ。
彼はこのようなエキサイティングな仕事に関われたことを大変幸運に思うし、それは「Right place and Right timeで、ラッキーだった」と語っている。1995年半ばにシークを辞めて新しいことを始めようと考え、シーク時代のお客さんであったアラック・デブをはじめアンディ・ベクトシャイム (サンマイクロシステムズ 共同創業者) などと議論しながら次のテーマを探している。結局いろいろな手探りの結果アラック, ラマ・ラマクリシナンと組んでギガビット・イーサネット(非常に高速なLAN規格)のIC を開発することにした。それまで100Mイーサネットを世界最初に10倍まで上げてギガネットにしようということになった。
ところがお金を集める段階でどこも資金を出したくれなかった。みんな次世代のネットワークがどうなるか分からなかったのだ。やっと96年夏に資金を集めることができた。約15億円をシティバンク、メリルリンチ、そして日本の伊藤忠、およびChina Developing Corp.から投資を受けることができた。伊藤忠はなかなかの目利きがいたようだ。CTC の元会長、佐竹氏のようにサンマイクロが立ち上がるころから目をつけて手弁当でサポートしたという話を聞いたことがある。伊藤忠というのはそのような遺伝子があるのだ。サンバの会社の名前は、シャテキー。世界最初の2.5GBPS の半導体チップを3個開発して市場に提供した。99年5月シャテキーはビテッシー・セミコンダクターに買収された。金額は約65億円で投資家に6倍から12倍で返すことができた。その後、1年ほどビテッシーにおり、今度の新しい会社、シャンバラをシャテキーの仲間アラック及びラマ・ラマクリシナンとともに始めた。
現在、彼が新しく挑戦している世界最初のセマンテック・プロセッサーの会社シャンバラを紹介したい。2003 年の2月に事業会社から7億5千万円を集め、さらに2005年9月に17億5千万円をVCから集めた。VCはジャフコ、および元インテルの副社長がはじめたモアー・ダビッドゥの2社。さらに今回20億円を集める予定だ。様々なアプリケイションが展開されるにつれて、いろんな通信規格が飛び交う。HTTP, SIP, XML, HTML, SOAP これらの通信規格を理解し、処理しなければデータのアクセスが大幅に遅れ、サービスが悪くなる。例えば、部品番号、お客の種類、従業員の所在地、 郵便番号、注文の金額の多寡などがあり、さらにはキーワードの認識メッセージや同時にセキュリティ処理をしなければいけません。セマンテック・プロセッサーは、これらを解決し処理できる。
セマンテックとは辞典によれば 言葉、語句、あるいは文章とある。いわゆる情報の中のデータと中身(コンテンツ)の両方を理解する半導体チップなのだ。特にデータの遅れをなくさないといけないので物凄いスピードの処理能力が必要だ。グーグル、イーベイ、 ヤフーが大量のコンテンツを動かしている。そこで、何万台というサーバーを使って情報を処理している。セマンテック・プロセッサーがあればサーバーの台数を減らす可能性がある。シャンバラの今後のお客さんとなるわけだ。
サンバ はこれこそ向こう4、5年で解決しなければいけないネットワークの重要な問題と実感していたわけだ。通信規格を理解し、さらに中身を理解し、これを変換そして計算の実施、セキュリティをかぶせる、大変な半導体チップが必要だ。そしてこの各々の専門家が必要になる。チームの構成、さらにエンジニアをひとつの方向に動かすことは、サンバ の挑戦だ。
当時の業界の意見はこのセマンテック・プロセッサーはまだ市場がなく、たぶん2007年の後半からしか立ち上がらないとの意見が多かった。確かに今がその時になっているしシャンバラの開発も遅れていた。今お客を教育しているので市場はこれからのようだ。
IC の設計ではすでにシャテキーで実証済み、今回はまたひとつ上の性能に挑戦している。今回は218Millionトランジスタの半導体チップを開発している。インテル、AMD のMulti Core (複数の処理装置を実装)の半導体をはるかに超える性能でさらに省電力の設計になっている。彼らのIC はCPU を 21個も含んでいるので処理能力がインテル、AMD のMulti Core をはるかに超えている。
何せいろんな通信規格を理解しルール変換を行い、コンテンツを理解し、内容を計算して出力するので大変な処理能力とスピードが要求される。今シスコもApplication Oriented Networking (AON)ということで同じような展開をしようとしている。世界のシスコを相手にサンバ たちの技術は今一歩先に進んでいるように思われる。あるいは数年したらシスコ が数千億円で買収しにくるのではないか。
今後はデータセンター、金融業界, メールサーバーなどで使用されていくものと思われる。
開発からすでに4年が経過しており、すでに25億円を使いここまで来ている。たぶんベンチャーの世界では99里まで来たがまだ道半ばというところかも知れない。さらに今追加で後20億円の投資を募っている。現在の従業員は約55名、年間の総給料額は5億円と推測される。今後、2,3年費やしやっと利益が出るものと思われる。それだけでも10-15億円が必要になる。これからが正念場だが、サンバならきっとやりぬくことだろう。
世界初の最先端テクノロジーを開発するにはこのように多くの才能と多額の金がかかる。このあたりがシリコンバレーのベンチャーキャピタリストの底力だ。テクノロジーにかける目利きがいること。また、新しいことに果敢にチャレンジするサンバやアラックのような企業家がいることがシリコンバレーのダイナミズムなのだ。(第4回に続く)

 

 

平 強(たいら・つよし)

 

 

シリコンバレーの風

企業家倶楽部へ記事を提供しました。
企業家倶楽部6月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。
 

企業と政府のガバナンス

 

タザンインターナショナル代表 平 強

 

 シリコンバレーで日本の政治情勢を知ろうとすれば、米国で印刷された日本の新聞かローカルで流されている日本語放送のニュース番組を観るしかない。したがって重要法案が国会を通過したことは分かるが、どういった経過でどんな議論がなされたかは新聞紙上で窺うことはできない。
 新聞報道はどちらかというとバッシング中心の気がしてならない。その法案が今後の日本経済や政局に及ぼす影響についての解説が足りないのだ。記事を読んでいると日本の政治はどうなっているのだろうかと気になる。ニュースメディアはもっと中身を報道すべきではないか。読者の視点からは、殆どが骨抜きになった法案が国会を通過したという印象を持つ。自民党の派閥政治、あるいは関係各省の既得損益が原因と結論付けられており、いったい政治家や官僚は国民のために尽くしているのだろうか疑問だ。果たして日本にとって国際的に何が重要かということを考えながら行動している政治家はどのくらいいるのだろう。

 

ベンチャー的政権誕生

 

 2001年4月の小泉政権誕生の時には、やっと日本にもアメリカ的、すなわちベンチャー的な政権が誕生したと感じた。これで官僚のしがらみから抜け、本格的に日本を改革する総理大臣が誕生したと大いに期待したものだ。
 しかしマスコミの報道からは小泉政権のバッシングが目立ち、改革へのサポートは少なかった。特に竹中平蔵大臣に対するバッシングが目立った。竹中氏は彼の著書「構造改革の真実」の中で、小泉政権での奮闘を振り返っている。民間から登用され経済財政政策担当大臣に就任し、不良債権処理、郵政民営化、経済財政諮問会議の構造改革を通して小泉前総理の揺ぎない信念が描かれていて興味深い。管轄の省内部、関係各省との葛藤が見事に描かれている。
 官僚は、既得権あるいは権威を守るために新しい改革に抵抗を示す。このために長期的な国益は二の次になっている。自分たちの既得権を守ることに汲々としているのだ。こういった状況での不良債権の処理、企業再生、郵政改革は、大変な苦労だったに違いない。
 竹中氏の注目すべき点は、問題解決のシナリオとその対策を十分に検討し、経済諮問委員会の民間議員に十分検討してもらい、更には関係省庁に対して十分な根回しをしていることが挙げられる。日本文化の中で育っただけあり、根回しの重要性を十分熟知している。
 しかし、何といっても小泉前首相の意思の強さが素晴らしい。特筆すべきは、徹底的に竹中氏を信頼し、常にバックアップすることも忘れなかった点だ。小泉前政権を見ているとシリコンバレーのスタートアップ企業の経営に似ている。スタートアップ企業の社長は確固たる信念を持ち、戦略を立て、更に選択と集中をして企業運営に当たっている。
 企業経営は戦略を明確化し、目標に向かって徹底的に立ち向かうことが成功の秘訣だ。社内に抵抗勢力があれば成功の確率は下がる。私の経験から言えることだが、成功するスタートアップ企業のチームワークは強固で素晴らしい。経営陣のケミストリー(相性)がすごく良い。こうでないと成功はまずない。
 日本文化は社長の意向が時として無視して運ばれてもあまり気にかけない。また、そういう風にして事が上手くいく例が多い。しかし、ここシリコンバレーでは、経営者が強力な指導力を発揮しなければ事業は成功しない。トップがビジョンと進むべき方向性を社員にはっきりと示せなかったら事業の成功は望めない。

 

企業はトップで決まる

 

 日本の多くの大企業の場合、上層部の指導力が曖昧で、外部から見ると主力事業に集中して運営されていないように見える。事業の重複と無駄が繰り返されている。いわゆる総花的経営だ。これでは環境の変化に勝てない。戦略を練って集中しなければ国際競争力で負けてしまう。
 米国では経営者が方向性を示せない会社は業績が上がらない。日本の経営者はビジョンを部下に示せない人が多いように思う。いわゆる名ばかりの社長で、運営は部下に任せてしまう。社歴の長い企業では組織としてしっかりと動いているように見えるが、トップの顔が見えない会社は気になってしまう。
 「企業は人なり」、やはりトップの顔が見えることが重要だ。米国企業の場合、社長の名前と企業名が同等に知名度がある。文字通り、「企業は人」になっている。例えば、シスコのジョン・チェンバース、アップルのスティーブ・ジョブス、GEのかつての会長であるジャック・ウェルチなどが挙げられる。他にもゴールドマン・サックスの会長であったヘンリー・ポールソン(現ブッシュ政権の財務長官)など枚挙に暇がない。
 それでは、日本企業ではどうだろうか。松下電器の中村氏、キヤノンの御手洗氏、日本電産の永守氏、あるいは京セラの稲盛氏など限られた経営者のみだろう。米国の投資家は誰が社長かによって投資を決める。また、株価も社長で大きく左右される。それだけに統帥力やビジョンが重要視されるのだ。
 最近、企業ではいろんな不祥事が起こる。その原因は企業のガバナンス(企業統治)にある。これは社長の指導力が弱くなっているからだ。米国の企業経営は各部署が損益を絶えず考えながら運営することを強いられている。また、SEC(証券取引委員会)がいつも企業統治に目を光らせている。したがって、普段の訓練がいつでも社長に任命された場合の下準備ができている。ところが日本企業の経営では、損益は経理畑の人間と社長の責任で、各部署の長までは意識がない。順番で社長に就任しても、企業運営が旧態以前として結局改革は起こらない。ここ最近の同族会社の破綻などがいい例だ。
 米国企業の場合、普段からベンチャー企業の社長同様、企業運営を絶えず考えているので、毎日が社長になるための訓練をしているようなものだ。また部下に対しては、絶対的権力を持ち部下を十分活用する術を知っている。

 

取締役会の重要性

 

 面識のあるヒューレット・パッカードの元CEOのルー・プラット氏は、HPウェイを実践されている方で、部下をとても大事にされていた。しかし取締役会は「彼では今後の変化についていけない」と判断し、新しい社長を雇うことになりカーリー・フィオリーナを引き抜いてきた。ところが創業者グループと意見が合わず、さらに彼女を選んだ取締役会とも意見が合わなくなり、解任された。新しい社長マーク・ハード氏は今のところ業績を上げつつある。これからヒューレット・パッカードの顔になっていくのではないだろうか。
 変化に対応できないか、あるいは会社の業績を次のステージに牽引できない社長を長くその責においておくと倒産してしまう。米国の取締役会は非常に権限があり、過半数が外部の人間なので、物事を公平に判断する。その代わり、取締役の法的な責任も重いものがある。日本の取締役はほとんど内部の人間であり、トップの言いなりになっている。このことが原因でたびたび不祥事が起こる。改革への意識がないのか、企業の発展性を高めるために社長を交代させるといったことは殆ど聞かない。
 経営陣を公平にチェックする機能が必要だ。そして公平に会社の運営を行う必要がある。企業のガバナンスは大変重要だ。 ガバナンスの確立されていない会社は業績が上がらない。日本企業の大半が売上げよりも時価総額がはるかに小さい会社が多すぎる。このことは、格好のM&Aの対象になることを意味している。なんとか企業価値を上げ、押し寄せるグローバリゼーションに耐え、会社の顔が見えるような企業がたくさん増えることを期待する。

 

平 強(たいら・つよし)
 

 参考書籍
「構造改革の真実」竹中平蔵

シリコンバレーの風

企業家倶楽部へ記事を提供しました。
企業家倶楽部4月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。

 

 
親指文化が作るマーケットの壁

 
親指で文章を打つ日本人

 

 シリコンバレーに長年住んでいると、時々日本に帰った際に浦島太郎のように驚くことが多々ある。それは、携帯電話が大変な勢いで普及していった頃、電車の中で若い人たちが大きな声で通話していたことだ。「公衆道徳が地に落ちたものだ」と嘆いていたが、数年すると電車の中での通話はほとんどなくなっていた。それに変わり今度は若い女性、あるいは高校生が盛んに親指を動かしiモードの交信を始めている。キーボードも見ないで、すごいスピードで文章を作っている。携帯電話の普及はアメリカより日本がはるかに早く、日本に行くたびに驚いたものだ。
 さらにiモードの普及に伴って様々なアプリケーションが普及していた。着信音楽をはじめ、ゲーム、さらにはコンサートの予約、株の売買など携帯電話でのビジネスが物凄い勢いで増えている。アメリカでは目にする事のできない状況だった。これこそ親指文化で形成された大きなローカルな市場といえる。
 逆に私の心配は親指だけを使って慣れてしまうとパーソナルコンピューター(以下、PC)の操作に慣れにくいのではないかということだった。「PCの普及が遅れるのではないか」と心配し、友人に話したら、「1ページの文章を携帯電話とPCとで競争したら携帯電話で打ったほうが勝ったのだから心配はいらない」と言う。IT家電が普及し、テレビでインターネットの入力をするならこの方式こそ日本市場に向いたものとなり、親指文化に保護された市場となるかもしれない。
 ちょうどデジタルデバイド(情報格差)が世界的に言われていたときだけに、この携帯電話の普及は日本のPCユーザーを大幅に減らすのではないかと非常に心配した。もしかしたらPC業界の低迷の原因になっているのでは、そんな心配で朝日新聞社の記者に、「これは大変だ。日本の若者に情報格差が起こり将来が危ない。警告を発してほしい」と伝えた。しかし、彼の記事は三面の隅っこに載っただけで誰も気にかけなかったようだ。

 

米国ではフルキーボードの携帯電話が大ヒット

 

 ビジネス文書あるいはソフトウエアの開発はやっぱり10本の指を使わなければ遅れをとる。英語は26文字を覚えればよくキーの数が少なくてすみ、キーの機能を重畳する必要があまりない。我々日本人や中国人は漢字をあやつらなければいけないので余計なキー操作が必要である。この分だけでも英語圏の人たちは効率の良い仕事ができている。
 もちろん英語も日本の携帯電話のように10キーでiモードができるわけだが、まずアメリカ人は10キーで文章を作るのは苦手である。だからPCと同じフルキーボードをあの小さな電話にも導入したブラックベリーがすごい勢いで売れている。メールの送受信ができることがその要因だが、アメリカ人のあの大きな指で小さなキーボードを押してメールをしている。ブラックベリーの他にトレオなどフルキーボードの携帯電話がビジネスマンに好評で大変よく売れている。

 

文化の違いで売れ筋商品が変わる

 

 このように文化の違いで商品の売れ筋が大きく変わる。また、独特な文化が外来からの市場参入に対する大きな壁となっている。現在、私はアメリカで生活しているが、クレジットカードを日常的によく使う。まず現金はほとんど持ち歩かないし、100ドル札が財布に入っているときはずいぶん金持ちだなあという気分になる。ところが日本では1万円札を持っていても大変心細い。
 こんなことがあった。日本であるとき13万2523円を他の銀行に送らなければいけないのでシティバンクに行き、「すみませんが口座から送ってくれないか」と頼むと、それはできないという。これでは銀行の役割を果たしてないのではと憤慨し、ではどうすればいいのかと聞いたら、係りのお嬢さんが「とりあえずキャッシュカードで現金を14万円下ろしなさい。そしてATMマシンに現金を入れて送り先の銀行名、口座名、金額を記入して送金しなさい」という。7477円のおつりは帰ってくるのだろうかと疑問に思ったが、とにかく手伝ってくれと係りのお嬢さんにお願いし、送金が完結するまで固唾を呑んでみていた。そしたらおつりがちゃんと帰ってきた。まったくもって浦島太郎である。日本の機械は大変進んでいると感心した。現金社会であったからこんなに素晴らしい機械が作れたのかもしれない。この現金主義の経済が機械の精度をこれほどに仕上げたものかと思った。
 同様に、JR東日本のICカード「Suica」(スイカ)も現金を介してチャージする。どうしてクレジットカードからチャージできないのだろうか。これも文化の違いによる市場の差なのだろうか。コンビニエンスストアに行きスイカで買い物をする。店は間違いなく代金を回収できるわけだ。それはそのまま現金と同じだからである。
 ところがもし、このスイカに何十万円も入れておいて、失くしたり盗まれたりすれば被害が大きい。クレジットカードだと紛失したら銀行に連絡するとすぐ止めてくれるから、被害はあまりない。
 中国ではほとんどの人がクレジットカードを使わない。中国は現金流通社会だからだ。日本のATMマシンを中国に持っていったら流通業務が改善されるのではと思う。中国は現金でデビットカードを買ってからインターネットで買い物をしている。これが中国版のスイカである。

 

グローバリゼーションを拒む壁

 

 最近よく言われているグローバリゼーション(国際標準化)は必然の成り行きだが、このようにローカルな市場が文化によって守られている面もある。しかし、この文化の差が逆にグローバリゼーションの妨げになっている。例えば日本の企業では、人事あるいは経理関係のソフトは日本のソフトが大半だ。しかし、そこから発展して国際競争に出られないでいる。
 今後、グローバリゼーションが進んだ場合、この文化で保護された市場だけに安住していたら押し寄せる外国の競争に負けてしまうかも知れない。日本はいろんな点から外国の商品が入りにくくなっている。外国人が日本に来てビジネスをしようと思ってもこれら文化の壁が大きく立ちはだかっているのである。
 その証拠に日本で起業しようと考える外国人が少ない。例えば、現在、私はシリコンバレーで毎年5月に開催されるTiEcon 2007の企画で講演テーマの選択に入っている。TiEconというのは、インド系出身のビジネスで成功を収めた人たちが次世代の起業家を育てるためにボランティアで運営されている組織である。このカンファレンスに世界各国からアントレプレナーが集まり、自分のやりたい事業が見つかったらシリコンバレーで起業する場合もある。あるいはインド、中国でも起業したいと考える人もいる。だが日本で起業したいと思う人がなかなかいない。
 企画会議では、「シリコンバレーに地域を限定してこの会のテーマを決めるべきでない」という意見が大半だ。「アントレプレナーがインドに行ったり中国に行ったりしてもいいのでは」という議論になった。何名かの人たちが「インドと中国の市場は非常に大きい。だから講演のテーマはグローバルなものでないといけない」という発言があった。中国あるいはインドでの起業ということを少なくとも10回ぐらい聞いた。「日本市場が大きいから日本に進出する人もあるのではないか」との意見は一つもなかった。世界第二の経済大国であるはずなのだが、どうやら日本は起業家にとって魅力のない国のようだ。今後日本に対する理解をTie Con で推進していきたいと考えている。
 先ほどの親指文化と同じように文化の壁が、外国人が日本でビジネスをしようとしたときに大きな壁となっているのではないだろうか。「SAPの業務用ソフトは日本にそぐわないから今後は使わない」という話を聞くこともある。文化が自然の障壁となり日本のソフトウエア開発会社を保護しているのではないだろうか。グローバリゼーションが進むとそのうち文化の壁を越えて黒船がやってきそうである。今一度グローバリゼーションに耐えうるような商品開発を心がけたらどうだろうか。

 

平 強(たいら・つよし)

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