シリコンバレーのエンジェル投資ブログ

投稿者: taira Page 7 of 10

一生懸命ふまじめ   武宮正樹

囲碁の神様に2局打ってもらいました。

三連星を考えだした囲碁の神様的な存在である武宮正樹さんとお会いする絶好の機会にめぐまれました。起業家クラブの徳永さんがグアムでのゴルフ大会を企画されたので参加しましたら何とそこに武宮さんも参加されていました。有りがたいことに初日の夜に武宮さんの講演がありました。もうわくわくして講演をききました。何せ三連星という布石は一世を風靡した布石で武宮さんの発想でこの三連星で何勝も連続で勝ち続けた幻の布石でした。ちょうど“一生懸命ふまじめ”という本を上梓されて参加者に一冊づつ配っていただきました。どんな戦略を駆使してあのように連勝されたのかと聞いたら何とその答えは“私は打ちたいところに石をうっているのだ”というのです。そしてさらに驚くことに私は地にはこだわらないというのです。囲碁の基本は地所を取ることです。それを何と地にこだわらないというのです。やっぱり名人の域に達すると地にこだわれずに地がとれているのでしょう。打ちたいところに打ち地にこだわらないで打つもうこれは仙人の域なのだとおもいました。地を取るとは財産を増やすことににています。武宮さんは財産を増やそうとは思わないという、それよりも自分のやりたいことをやるのが一番いいし健康で楽しく生きていければそれが一番だという。なるほど財を築いていい生活をしたいのが凡人の考えだがさすがは名人の域にたっすると世俗を越えてしまわれるのですね。素人は必至になった地取りに専念するし、石を殺されてはいけないので必至になって我が石を守ろうとする、そしてまた財を稼いで少しでもいい暮らしができるようにお金がたまるようにとおもうものです。

なるほど名人はすでに

地を去り戦略を去り 我が思うところに石を打つのだろう

と名人の心を知ることができました。

とにかくいつでも自分のやりたいところに打ちたいところに打つのだという。実生活もまた自分のやりたいことを一生懸命にやるのだという。今武宮さんはダンスに凝っておられて今はプロの域にたっしています。何と一週間に3日それも着替えを3着ももって練習にいくそうです。一回の練習で汗びっしょりになるのですぐ取り換えるのだという。そして3回もとりかえるのです。大変な遊びをまじめにやっておられる、そしてまた碁の方は今またすごい勢いで勝ち抜いていらっしゃるようです。今58歳だそうですが。ますます碁はさえているようです。打ちたいところに打つそれが脳細胞をやはらかくしているのだろうか。今年はタイトルを又取るのではないかといわれているようです。たのしみです。かって 本因坊、十段位、そして名人位など数々のタイトルをものにしてそして今60に近くなって又タイトルをうかがう位置におられるようです。


いよいよ対局。
夕食後に徳永さんと二人で一局おねがいしました。二人とも5目おいておねがいしました。本来なら9目おいてもかなわないのですが。5目しかおかせてもらえませんでした。打ち始めてどうもスーと空気が抜けていくようで相手の抵抗がない。なんだか空気を相手にしているようでいささかきがぬけてします。とにかく我々の碁はとにかく負けるものかと必死に打つものだから相手の意気込みがひしひしと伝わってくるのでこちらも力がこもる。かって学生時代に柔道をやっていたときに先輩の高段者と取り組む時相手と組んだ時何と空気を持ったようでちっとも相手が感じられないことがあった、少しこちらが押したり動いたりするといつの間にか畳の上に叩きつけられていたのに似ている、しかし碁の方が叩きつけられる感覚がないからなおこまる。しかししばらくすると我が石は瀕死の重傷を負っていた。なるほどこれだけ実力が違うと相手にしてもらっているのかどうかもわからない内にもうさんざんやられていた。とにかく面白くない感じでした。柔道なら畳にたたきつけられて十分な稽古をつけてもらったというありがたみがあるがこの神さまとの対局は結局空気と戦っているみたいでもういただけませんでした。やっぱり分相応にへぼ碁でもやっている方がいいのかなあ。もう少し修行してからそのうち又教えを請うことにしよう。同時並行で徳永さんも終わっていました。徳永さんの方は少しまあまあーに戦っていたようです。

次の日が終わってから今度は徳永さんと打つことにしたどうも二人とも同じような実力のようで私が黒を持ってうちはじめた。さてこちらはお互いの気力がひしひしとつたわってきます。お互いに負けてはいかないという気合が伝わってきっます。だから素人同士の碁はおもしろいものです。打ちたいところに打つなどとはとても考えておれません。もう地をとりにいきます。そしてまた貪欲にも相手の石をころしにいきます。とにかく戦略は地を取ること相手の石を殺すこと、将軍の戦ではなく足軽の戦です。こんなことをしていて人に講演するときは戦略を考え、競争相手の手の内を十分に読み我が方に有利なように兵を動かすごとくビジネスをしなさいと、高いところからの賜っている自分を思い出しながらひたすら相手の石を殺すことに集中しています。まだまだ人間ができてないのですね。それはともかく打ちたいところでなく相手を倒さなければいかないところに打ち、地を取るために必死に青手につかかていきます。そして時には自滅してまけるのです。徳永さんは私のがむしゃらを軽くいなされてユウユウとうたれていた。
でもいい勝負でした。又の機会を見つけてうちたいものです。ゴルフも碁もやっぱり人生そのものですね。名人のゴルフはやっぱり名人のゴルフでした。いつの日か雨宮さんの迫力がわかるようになってから又教えていただきたいものです。

そして又ゴルフでも一緒の組で回らさせていただく光栄にめぐまれました。さすがに碁のぎふうのように宇宙流のゴルフです。けしてりきまず、しかしダンスで鍛えた足腰はしかりと大地に根をはやしています。私の方は力任せになるべく遠くに飛ばそうともう毎回、親の仇を討つべくクラブを振りまわしている割にはボールは決して真っすぐには飛んでいきません。さすがに武宮さんのゴルフもまた棋風そのものでした。グアムのゴルフはこの後大雨に襲われたコールドゲームとなってしまいました。女優の藤田佳子さんはさすがに雨の中でいいスコアーでまわっていました。ベットをお願いしたらやめておいた方がいいわよと軽く言われて、まったくそのようになってしまいました。

2日目もゴルフ、今日は武宮さんと一緒でないので名人に気兼することなく我がゴルフを徳永さんの息子健一君と組んでたのしみました。夜は打ち上げのDinner 今回はホテルコーポレイッションの田中健介社長のご厚意でグアムのシラトンホテルとそのゴルフ場で歓待していただいた最後のDinnerをごちそうになってプレジデントスイートで歓談した後せっかくだからこのチャンスにもう一度武宮さんに一局を打ってほしいと厚かましくおねがいしました。今回は石を殺されないように頑張ってみたが歯が立たないのはしかたがない。我々の碁は60目ぐらい負けていても大体最後に大逆転で10目ぐらい勝てるので決して途中で辞めないで最後までうちつづけるのです。そして最後には All or Nothing でゲームがおわるのです。ゴルフの18番ホールのDouble Or Nothing みたいなものです。たいがいDouble で支払いする羽目になっていますが。

さて田中社長、音響の大朏社長などが観戦されていたもう大半が負けていたので田中社長がもう60目負けているからそれで終わりなさいと宣言されたのでここでギブアップしました。そして今度は田中社長と武宮さんの対戦になりました。武宮さんは田中社長の先生で大変きびしい指導をされていると田中さんははなしておられた。段の上の人ながらときどき武宮さんが3目おいて打たせたりするそうです。そんなわけで田中さんはプロ並みの碁をうたれているようです。さて対戦がはじました。武宮さんの気迫は全然感じられないそれに比べて田中さんの気迫のすごいのが感じられる。やっぱり高段者との差がここに出るのか。武宮さんの打たれる石はそれほど奇抜ともおもわれない。相変わらず空気が打っているような雰囲気でした。しかし我々観戦者はもうその一目一目の重みのあることなるほど高段者の碁というものはこういうものかと関心させられた。夜も更けてきた、また田中社長の石が安定したところでもうこれだけにしようと終わりになりました。田中さん方が少し有利のように見受けられた、いや素晴らしい一局をみせてもらいました。

いやー人生はあまりは力まない方がいいようですね。
最後に武宮さんにサインをいただいた。
わざわざ毛筆で何とその書が

“遊神”

楽しいですね。
いつの日かもう一興局相手の息が感じられるようになったらお手あわせいただきたい。

アルバトロスと野鳥と共にゴルフ。

ゴルファーの夢アルバトロス、とても一生の内で実現できない夢、でもここハワイのカワイ島のゴルフ場ではアルバトロスをふんだんに見ることができる。アルバトロスはアホードリの一種で羽根を伸ばすと2メートル近くになる大きなとりです。羽根を固定して風に乗ってグライダーのように飛んでいます。何千マイルも飛んで行けるそうです。ハワイのカワイ島がLaysanAlbatrossの棲みかです。このカワイ島に11月から6月ごろまで過ごしここで卵をうみ雛を育てる。12月の初めごろに卵を一個産み2カ月ほど温めて2月の初めごろに雛がかえります。雛がかえって親鳥たちは遠くまで餌を取りに行って雛にあたえる。イカなどを海から取ってくるようです。時には餌を取りに数日かかることもあるようです。そして7月ごろにみんなで飛び立っていきます。そして北太平洋を周回して又Kawai島にかえってきます。

卵はオスの鳥が温めます。アルバトロスが卵を温めているところには4メートル以内に近寄るなという立て札が立っている、しかし親鳥はちっとも恐れる様子はない。安心して卵をあたためています。ゴルフ場のあちこちに卵を抱いた親鳥がいます。メスの鳥は時々集まって井戸端会議らしく身振りたくましくの会議をしています。これもまた5,6メートルに近寄っても気にしていない。ここでは鳥たちも人の仲間のようだ。そしてギースが大ぜいで散歩している。さらにここカワイ島ではかっての台風の時に鶏がみんな逃げてしまい、今は野生の鶏があちこちでみうけられる。時々ひよこを引き連れた親鳥をみかけるときもある。

ここのホームレスは食べ物に不自由しないだろうなあ。
ゴルフの下手な方どうでしょう。アルバトロスを楽しみながらカワイでゴルフでもいかがですか。

■ギースもフェヤウエイを散歩

■アルバトロスとその雛

■グリーン上の雄鶏 

日本大転換 出井 伸之 著   幻冬舎新書未来を悲観するな。

出井さんは1昨年”日本進化論“を出版されたこの本はその続編として日本としてどうのように世界と対応していくかの提言をされている。
時あたかも民主党鳩山政権の誕生と合わせて日本としての行く道を示唆されていてタイミングのいい出版だとおもいます。
出井さんはソニーを引退されてから、企業を離れて日本と世界を視野にいれたおおきな活動に入られた。それが氏の主催されるAsian Innovation Forum でした。
当初アジヤの視点から福岡で二年間開催され、昨年は東京で開かれた、アジアの視点から世界の視点に変わったものかと思われます。
日本の閉塞感を打ち破って次の発展のために日本で何をすべきかを考えるフォーラムでした。
今回は若い世代の人たちも企画に加わり問題点の解明と対策を打ち出さんとしたフォーラムでした。
本の中で参考文献として取り上げられている、サミュエル、ハンチントン の“文明の衝突と21世紀の日本”もまた日本の特殊性とその文明が他の文明と大きく異なっていて、独自の文明を作りだしていること、そしてその文明は中国ともアメリカとも違った文明だと述べている。
そして21世紀が違う文明と文明の衝突によって各地で紛争が起こっている。イスラエルとアラブ諸国との紛争。東欧におけるイスラム文明と 東方正教会との摩擦。それに加えて米国の超大国が相変わらず世界のポリス然として自国の勢力を伸ばそうとしていること同時に中国が第二の経済大国として近隣を自分の勢力範囲に入れようとしているなどによって世界は新しい勢力範囲が形成されようとしている。
ハンチントンも日本は文明的にはアメリカとも中国とも違う、したがってどちらに近づくかが大変難しい選択であると述べている。
卑近な例では鳩山総理が 東南アジヤ構想を打ち出せばオバマ大統領はすぐさま環太平洋構想を打ち出して東南アジヤ構想はアメリカ抜きには駄目だぞというサインを送っている。
日本は経済的には中国との提携なしでは考えられないし、又勿論アメリカとの提携は安全保障上からも経済上からも必要なので両国とのかかわりにはいろいろ注意が必要になりそうです。
ハンチントンも日本は其の特殊な文明のために中国ともアメリカとも摩擦の種を持っていると述べている。そんな中で日本はどう動いていくのか又日本の経済を立ち直らせて違った文明とどのようにかかわっていくのかを考えなければいけなくなるようです。

出井さんは中国の天津でのコンファレンスに出られて天津の様子を沸騰する都市であると述べられている。今ここでは世界の金融の人たちが集まって金融の中心たらんとして動いているそうです。そしてシンガポールの会社がここにエコーシテイ を中国政府と共に建設しているとのこと、これこそ出井さんが日本の企業に期待する21世紀の産業だと考えておられることです。出井さんは日本のインフラ産業を集めて組織化すれば開発途上国の発展のために貢献できるとみています。

時あたかも世界中が新しい技術すなわち、Green energy,(太陽電池、風力発電、地熱発電)、また CO2を出さない エコーシテイ、エタノールの開発、21世紀の問題、飲み水を作る技術、そして又新幹線の技術などを必要にしている。ありがたいことにこれらの技術はすべて日本が持っている、もしこれをアグリゲイトするソフトと企画があれば日本の企業群が世界に貢献できるのだと説く。
これこそ日本の東南アジヤ構想の要とすべきだと提唱されている。

私が思うのに今こそ日本の商社がこの役割は果たせるのはないかとおもう。ただし従来どおりの系列だけのアグリゲイッションではなく、系列を越えたアグリゲイッションでなければ世界に対して優位に立てないのではないかと思う。そんな意味で商社も冬の時代を抜け出せるのではないだろうか。

又出井さんは日本の会社は グローバル に展開しなければいけないという、日本の会社は初めからガラパゴスとなっているたとえば会社の名前がJ(Japan)だったりN(日本)だったりあるいは東京だったりする、JR, 東日本、東京電力、初めから日本だけのマーケットをめざしてしまっている。出井さんはG(Global)とか,あるいはA(Asia)にしたらと。
ガラパゴスの最たる例が日本の携帯電話です。NTTが日本独自の規格を決めてしまったので日本のメーカーは 外国向けの商品を作ることができずに気がつたら世界のマーケットから締め出されていた。それにつけてもフインランドのノキヤ が何と世界一の携帯電話メーカーとして大変な勢いを保っています。ノキヤが何と世界の40%のシェヤー、その次がサムソン、日本のメーカーは完全に蚊帳の外に置かれている。いかにグローバリゼイッションが必要かをものがたっています。自国だけの規格は外部からの競争をシャットアウトするけれども逆にグローバリゼイッションをシャットアウトしています。やっぱり国際規格に賛同してそれに参画すべきですね。

志のあるベンチャーを志のある大企業がそだてる。と提言されています。しかし私は大企業の NIH(Not Invented Here)が底に流れているところでは無理ではないかと思う。
むしろ大企業が胸襟を開いて優秀な技術を開発しているベンチャー企業を買収して自社の研究部門として取り入れて開発を進めていけば大企業もまた一つ先に大きくなれるのではないでしょか。そのためにはNIH をなくすと同時にベンチャーの技術を正当に評価できるマネジャーの存在が必要かとおもう。
日本のM&Aは大きな会社で経営がおかしくなったのを引き受けてそれを立て直すという例はたくさんあるけれども、ベンチャーをM&A して自社の発展の柱にする事例をあまり見あたりません。
一方シリコンバレイではシスコ のように技術を持ったベンチャーをたくさん買いあさってそれらの技術を自分の企業の核として大いに発展しています。
いわゆるアントレプレニヤーのイノベイション を十分に活用しているのです。

このようなベンチャー企業はまずはベンチャーキャピタル がある程度まで育て上げています。そしてシスコ、あるいはグーグルが買収した時でも十分な利益をあげています。
そんなわけでシリコンバレイのベンチャーキャピタル と大企業はお互いに利用し合ってテクノロジーの強化と企業の発展に大いに利用しています。
日本のベンチャ―キャピタルの投資総額は年間はわずかに3千億円ぐらいです。それに比べてアメリカでは10倍の3兆円です。せめて日本のベンチャーキャピタルの資金がアメリカの半分一兆5千億円ぐらいまでベンチャーキャピタルに金が入れば日本のイノベイッションももっと増えてくるのではないでしょうか。
日本の株式市場(イクイテイ)もこのようなベンチャーがM&A されたりあるいは上場することによって株式市場もおおきくなり一般の投資家もベンチャー企業への興味も増していくのではないだろうか。
もっともっとベンチャーキャピタルが凄いテクノロジーを持った会社をたくさんサポートして大きくしていかなければいけないのでは、日本の金融業界はベンチャーキャピタルへの投資が少なすぎる、又税法上の優遇策も必要に思う、企業が失敗した時の税の控除あるいはアメリカ並みにキャピタルゲインの税率は下げて投資家の保護をもっとすべきではないでしょうか。日本の機関投資家がベンチャーキャピタルに金を出さないなら政府が7千億ぐらいだしてベンチャーキャピタルに運営を任せる、同時に日本の大会社が30社程集まって7千億円ほど投資してこれもベンチャーキャピタルに運営を任せるそうすれば5年ないし10年以内にはこの中から世界に誇れるベンチャーができるのではないかと思う。そうすれば日本のシスコ、あるいはグーグルができるのも夢ではないだろうか。
そしてそのようなベンチャー企業が大手にM&A されてますます大きくなっていけば経済の拡大あるいは活性化されるのではないだろうか。
日本でアントレプレニヤーの育成ベンチャー企業の育成が21世紀の向かって一番大事ではないだろうか。

TiE2007 Keynote Speech (シリコンバレイにて)

TiE2007 Keynote Speech (シリコンバレイにて)

シルクロードコンサート
ソニーミュージックで長年にわたってマイケルジャクソンを見守り続けた出井さんポップシンガーして 越境と統合を成し遂げた偉大なるミュージャンの死をいたく悲しんでおられる。同時に日本のミュージッシンもまた其の特異な文化がもたらす、世界に受け入れられるユニークな音楽を作り出しているのではないかといわれる。

そんなわけで出井さんはシルクロードコンサートを提案する、日本のグループ“エキザイル”あるいは 安室 奈美恵、ユーミンなど世界に通用するミュウジッシャンでコンサートをして、その利益でシルクロードの砂漠を緑のロードの変えることができるのではないかと提案する。

又京都が持つ独特の文化は世界に誇りうるものだし、奇しくも地球温暖化の議論の末に決まった京都議定書はまさしく京都をそのエコ シテーとしてのシンボルにするにふさわしい協定だと思う、出井さんが言われるように京都発でエコカーのラリーをするのもまた京都文化を世界に知らしめる一つではないだろうか。
それこそ日本文明の世界への発信ではないかとおもう。

アメリカの ウオルストリート のグリーデーさがが(アメリカ文明の落とし子として)世界の金融危機をもたらした。
今こそ日本文明で世界の発展をどのようにして持続させるかを世界に示して、今回の様な金融危機が二度と起こらないように示す必要があるかと思う。それこそ神道、仏教、儒教、あるいは禅から来る心の持ちようを 世界にしめすときではないだろうか。
日本のユニークな文明が世界を救うのではないだろうか。

出井さんの本を楽しみ、かついろいろと考えさせられました。

子供にマネーゲームを教えてはいけないキャシー 松井

9月のある日アメリカの蘭の帝王、アンデイ、松井さんに紹介していただいて、日本のゴルドマンサックスで働いている、娘さんのキャシイ、松井さんにお会いして彼女の本についていろいろおききしました。
本の話から父親のはなしそして挙句の果てには現在の日本の閉塞感をどうしたら打ち破れるか、そして子供の教育、また若い人たちにどうしたらもっと夢を持てるようになるにはどうしたらいいかなどなど話しがつきませんでした。
日本の社会の困ったところを修正することはお互いに微力ながらがんばらないといけないね、と又の機会に語り合うことにしました。

Asian University for Women (AUW)の立案者カマール アハマド氏からの一通のメイルをもらった時キャシーさんはこのプロジェクトに参画するのが自分の使命であると直感してすぐこのプロジェクトに参画します。
そして大学を建てるための日本での資金集めの責任者を引き受けます。
また同時にAUWのボードメンバーにも就任します。
キャシーさんはアメリカカリホルニヤのサリナスの生まれで日系移民の二世です。
ハーバード大学を卒業後、日本輸出入銀行、バークレーズ証券を経て現在ゴルドマンサックス証券のマネージングデレクター/チーフ日本株ストラジストとして大活躍しています。そしてもう日本で20年もすごしているそうです。

どうして日本で働くことを考えたのだろうか、つい聞きそびれてしまいました。
彼女は父親がアメリカの未知の世界で苦労して大成功を収めているのを見て自分は逆に日本で頑張って成功したいという気持ちがあったのではないだろうか。
それともアメリカのチャレンジ精神の旺盛なところが未知の国また父親の国で自分を試したかったのでしょう。
彼女もまた父親のように開拓者魂に満ち満ちていたのでしょう。

AUWは東南アジアでまだ高等教育に恵まれない女性のために大学を設立しようと2001年にバングラデッシュ 出身の カマル、アハモド氏を中心にアメリカで立案された。
アハマド氏はハーバード大学の松井さんの後輩にあたるかたです。
この若さですごいかたですね。(キャシーの若さから推して後輩の彼も若いはず)
学校はバングラデッシュのチッタゴン市にたてられます。設立資金は3億1千万ドルです。
ビルゲイツ&マリンダ ファンデイッションから 5百万ドル、松井さんの働くゴールドマンサックスからは都合280万ドル、そのほか Citi Corp, デイビット& ルシールパッカード ファンデイッョン など多数の国際企業が寄付しています。そしてまた松井さんご夫妻も多額のお金を寄付しています。
残念ながら日本の企業からの寄付がないのが残念です。ただハーバード大学の日本の卒業生の多数がたくさんの寄付をしています。
どうして日本では寄付が集まりにくいのかを松井さんも本のなかでかいています。税制の関係できふが難しいことはわかりますが。日本の企業の中のソーシャルフイランソロフイ に対する理解がないことによるものとおもわれます。
日本の大企業はもっとこの点を変えていってほしいものです。とにかく他を顧みないところがありすぎる、会社とは社会の公器だと昔の経営者言っていました、困った人を助けたり将来えの投資こそ公器のやくわりではないだろうか。
大企業の寄付が10万円とか20万円では悲しいです。それに比べてキャシーご夫妻は数千万円の寄付をしています。
そんな社会風土でキャシーさんは日本での資金集めに相当苦労されたことかとおもいます。
日本政府が 世界各国に小切手を切るだけが寄付する行為であったら残念です。

AUWの教程はアクセスアカデミーが1年、 (この期間に英語や数学を教えて次に備える)
大学課程  3年
大学院課程 2年   計6年の課程でこ構成されている。
大学のミション、
能力が高く有望な女性達を斬新なリベラル アーツ (一般教養)をとうして育成し、地域の課題に立ち向かい、真の変化を起こすことができる思慮深く倫理意識の高いリーダ を輩出していきます。
今の日本の大学教育がこの一般教養をおろそかにしているのではないかと思われます。そんな中でこの目標 はすばらしい。
専門教育では  1)情報、通信技術
2)環境技術、環境工学
3)企業家教育、経営学
などが考えられている。
今世界各国から優秀な教授を迎え入れようとしている。
2009年にはスタンホード大学から教員としてポストドクターが2名参加、さらにデンマークのオーボルグ大学からコンピュウターサイエンスの教員をうけいれる。
学生はアフガニスタン、ブータン、カンボジア、中国、インド、インドネシア、ネパール、パキスタン、パレスチナ/ガザ、タイ、スリランカ、ベトナム、マレイシア、ミャンマー、から募集。
2008年4月から入学した129名の一期生が2009年7月に卒業して秋から学部課程にすすみます。
松井さんはAUWの日本での資金集めの責任者としてまた AUWのボードメンバーとして忙しい中から時間をやりくりして頑張っています。

AUWの設立祝賀会においてグラミンバンクの創立者でノーベル賞受賞者のモハメド ユナス博士から 女性の啓蒙と啓発に多大な貢献をしたとして 2008年のリーダーシップ アワードがキャシー松井さんと彼女が務める ゴルドマンサックスに贈られた。
このときの松井さんのスピーチが又すばらしい。
その内容は次のようなものでした。
”あなたがた、自身はパイオニアです。そしてあなた達は人々を導く灯台の役目をはたします。あなた達は重大なそして重要な変化をもたらす、使徒です。それはあなた達のコミュニテイだけならず世界全体の中での使徒です。あなた達はたくさんのミラクルをおこすことができます。あなたは不可能を可能にします。そして必ずや夢を実現させてくれるでしょう。“

何と素晴らしいスピーチでしょう。これもまた彼女自身の歩んだ道のビーコンかもしれません。
私はキャシーの父親 アンデイさんをよく存じています。アンデーさんの利他の心がそのままキャシーさんにうけつがれています。

子供たちがのびのびと成長できない日本の社会的な圧力、あるいは恐ろしい事件が起こる日本、それはどんなところから来るのだろうか。
親の考えを子供たちに無理じいしているのだろうか。
子供はどのように育てらいいのだろうか。社会がいろいろな要因によって人間関係に影響してくる。そしてそれが又子供たちをちじこませている。
キャシーはアメリカで育ちアメリカの社会の個性によってそだてられてきた。
それと同時に父母からの薫育によってキャシーの人生観がうちたてられてきた。
日本にすでに20年をすごし彼女の洋才(米国流と松井家流)が今日本の社会を見て何を変えないといけないのかよくわかっているようです。
キャシーの子育ては子供の個性を伸ばし、チャレンジできる子に育てようとしている。そしてそれが日本の子育てで何が欠けているものがあることを語ってくれた。
キャシーは日本の青年の夢のなさチャレンジ精神のなさを何とかしないといけないと思っている。(ハーバード大学への希望者を面接してその中から大学に推薦している、いろんな学生に会って彼らの考えをよくみてきています。)
そして何よりも彼女自身が挑戦していることがすばらしいいつも父親の挑戦を見続けていたからかもしれない。
今の日本の若者は覇気がない、あるいはたくさんのニートをうみだして社会が沈滞している。

彼女も何とかこの閉塞感をどうして打ち破ることができるかをいつもかんがえてくれている。AUW のボードメンボーとして将来日本からの学生もたくさん参加できるようになればいいなと考えているようです。

サンフランシスコ在住のPo Bronson という作家が”why do I love these people” という本の中にアンデー松井さんのことが紹介されている。
キャシーさんの本にもアンデーさんのことがよくかかれています。
日本からの移民としてポケットに1万円を入れてアメリカに入植しバラの栽培からそして今蘭の栽培で世界の帝王と言われるまで大成功しています。
ジョン スタインベックの小説“エデンの東” のくにサリナスで世界一の 蘭の栽培をしています。
そして数100億の資産を自分のお世話になったサリナスの地に還すべく松井財団を作り貧しい学生のための奨学金にあてています。
すばらし子育てをしたアンデー松井さんそして今キャシーさんが又二人の子供の子育てに挑戦しています。
この本の中で子供を小さい時からボランチアー活動に積極的に参加させることをこころがけています。
だから “自分が人からやってほしいことを人にほどこす” 孔子の教えでありキリストのおしえでもあります。このことを子供のころから身につけさせるのです。
キャシーの子育て論が本の中でのべられています。次の日本を変えるには子供達をのびのびと育てるのが急務です、それは同時に両親の変革を同時にしなければいけないのです。そしてチャレンジできる子供たちをたくさん送り出すことが日本のアントレプレナー を作るてだてになるかとおもいます。
そして彼らが チャレンジして日本経済の底上げをしてくれるのではないでしょういか。

今は “Change”と“challenge” の秋です。
そしてこの本でアンデー松井又キャシー松井のすばらしいチャレンジを見てほしいとおもいます。

たまたま タビオ 株式会社の 越智直正さんの ”男児志を立つ“という本の中で西郷南州 の漢詩を見つけた なるほどこれが西郷さんの心いきなのだと感激した。そしてまさにこれを アンデー松井さんが実行しているのです。

この漢詩を本からそのままうつさせてもらいます。

偶 感

幾歴辛酸志始堅
丈夫玉砕恥甎全
我家遣法人知否
不為児孫買美田
解釈)
いくたびか艱難辛苦を経験して初め志がはじめて堅くなり
不屈の精神が養われる
男子たるもの散るべき時は玉と砕けても、醜い生き恥はさらさらない。
我が家には先祖から伝わった、子孫の守るべき掟がある。
子孫のため田畑など財産を残し
安楽に世を遅らせるようなことは絶対にしないことだ。

アンデーさんの4人の子供たちいずれもハーバード大学の卒業生です。
60歳の誕生日に子供たちに財産はすべてサリナスの土地にかえすと宣言します。そして自分の財産を当てにするなといいます。しかし子供たちはずでに立派な社会人として十分な生業をいとなんでいます。
まさしく西郷さんの子孫に美田をのこさず、です、すばらしい利他のこころです。

この教えはいま キャシーが自分の子供の向かってしようとしています。
さてキャシーなら又いいアイデヤを考えて第二のキャシーをあるいは第二のアンデーをそだてることでしょう。
子供達がどのように巣立っていくかたのしみです。
キャシーさんがんばれ。

東京大学大学院技術経営戦略専攻学生達と語る。 September .25. 2009

去年同じ専攻の大学院生20名ほどと話をしました。今回は24名でこの中に中国からの留学生が5,6名はいていました。日本にも外国から勉強に来る学生がふえているようですが、逆に日本からも外国に留学する人が増えてほしいものです。
グローバリゼイッションが浸透するなか日本はまだまだグローバルにものを考えたり見たりする企業なりあるいは個人が少ないのでは、シリコンバレイの持つ様々なエネルギーといろんな文化が交錯するこの地でそこで働く人たちと交流しその雰囲気に触れることで日本から来た学生たちは大いにエキサイトされるようです。 修士の学生だけに将来に対する意識をはっきりと持っています。シリコンバレイにきてますます自分が将来何をすべきかをしっかりと自覚したようです。
将来何をやりたいのかについて聞いてみると大半がエネルギー関係の仕事をしたいという(やっぱりClean Techがはやりのようです)。また経産省に入って日本の企業にために何かをしたいという人もいる。
この学生のプロジェクトは学生が自分たちでプログラムを作りそして企業訪問先の選定からアポイントまで自分たちでやっているようです。そしてスポンサーとしてトランスコスモスが社員二名を同行させてある程度の資金の援助を含めてこのプログラムをサポートしているようです。
企業としてこのように将来を担う若者たちをサポートしくれるとは大変ありがたいものです。日本の閉塞感を打破するには若者の鼓舞から始めないといけないのです。
そして私が期待するのは是非ともイノベイッションが生みだせる若者、そしてチャレンジ精神に富んだ若者が出てきてほしいものです。

かって 佐竹さんがCTC の会長のときに全国の学生から日本の将来をどうするかという懸賞論文を募集してその選に入って人たちのすべての経費を負担してシリコンバレイへ20名ちかくの学生をおくりこんだことがありました。佐竹さんはサンマイクロなどシリコンバレイのベンチャーを始まった頃から付き合いをして大いにサポートして日本えの展開をしてあげたりしていました。シリコンバレイのベンチャー企業の気風を充分知っていて学生達にその意気込みを見てきて君たちも頑張れという思いをそえていたのだとおもいます。
たまたまこのときにこの学生たちが私のところにもきましたのでシリコンバレイのアントレプレニヤの話しをし、そしてチャレンジ精神ということをしゃべったことがありました。とにかくかれらは凄く感激してその感動を日本に帰ってからシリコンバレイで何を学んだかをほかの学生たちに発表していました。それがほかの学生達に相当な影響の与えたようです。 その後9/11 などがあり景気も後退し、また佐竹さんも会長職を辞したこともあってその後のCTCの企画はなくなってしまいました。残念です、どこか同じような企画をしてくれる企業が出てくればいいのだが。

現在トランスコスモスは学生のシリコンバレイ探訪の企画を支援してすでに3年も続けているとのことぜひとも今後とも続けてほしいものです。トランスコスモスの奥田会長にはかってお会いしたことがありますが。後進を育てるという心意気のあるかただとおもいます。

このシリコンバレイのチャレンジ精神とイノベイッションを起こす素地はぜひみならってほしいものです。

九州大学の卒業生でSynnex という大会社を作り上げた Bob Huang という起業家が後進のために多額の寄付を九州大学にしました。そのお金で毎年九州大学の学生が10日ほどシリコンバレイの企業訪問とスタンホード大学などとの交流を行っています。彼らにも話をする機会があり彼らもまた大変感化されて今後の日本の担い手たらんという意気込みで日本へかえっていきます。

このように成功した人たちが後進のために手を差し伸べてくれることは大変ありがたいことです。もっと大企業がトランスコスモスと同じように若い人たちをシリコンバレイに送り込んでイノベイッションと チャレンジ精神を肌で感じてもらうような企画を援助してほしいものです。

大学のMBA の学生などがこのような企画をしてシリコンバレイをほうもんしていますが。やっぱり企業の援助があればもっと多くに学生が来れるのに。
日大のMBA の学生、慶応大学のMBA の学生なとの訪問をうけたこともあります。
草の根運動として将来の担い手を少しでも多くこういうチャンスを与えてほしいものです。
シリコンバレイでも ウエブ進化論の著者 梅田 望夫さんたちが若手の技術系の人たちを鼓舞するためのNPO JTPA という組織を作り毎年若手の活動に援助を行っています。

さて東大の学生26名とともに弁当の夕食をはさみながら話しをしました。
弁当を食べながらみんなとこごに話ができるので講演の一方通行よりもこの方が学生たちにもいいのではないかと、夕食を食べながらの話しあいをしました。
その後にシリコンバレイのベンチャーがどんなものかを見てもらうために Xambalaというセマン テックプロセッサーを開発した、Samba Murty(インド人)にも話をしてもらった、またサリナスで蘭の栽培で世界一の企業を立ち上げてアンデイ 松井さんについては私が変わりに説明してあげました。そしてもう一人アメリカのベンチャーに勤める
ドクター西田にDyyno という会社の紹介をしてもらった、若い人がシリコンバレイのベンチャーでどのように活躍しているかの例をも見てもらうためにおねがいした。

さて学生はシリコンバレイにきて3日目,時差が相当に答えているようで私の話のときはもう目がふさがってしまう人が数名出てきた、眠さにはかてないようでした。
眠くなるのをものすごくこらえて聞いている学生もいた。
しかしこの中に数名の人が目を輝かせて熱心にきいてくれた。やっぱり何人かの将来を担う人たちがこの中にいるのを確認できたような気がして安心しました、そして彼らが成長して日本を変えていってくれることを期待したい。

学生に対するサジェッション として卒業して企業に入ったらぜひとも5年はじっくりとその仕事を究めてほしいそうしてからほんとにやりたいことを見つけてそれから転向すればよいのです。
深くある道を極めたらそれが新しい事業をやるときに必ず応用がきくものです。
だから最初は5年ぐらいじっくりと一つのことに深くかかわってほしいとはなした。

またアメリカと言わずインドなど世界の国ぐににもでかげて見聞を広めてほしい。
たとえばガンジス川で沐浴するインド人を見つめて思いを巡らすのも考えさせられる経験だと思う。

最後に人の評価はその人の徳によります。イノベイッショウン、起業をしたいという野望は青年として当然持ってほしいいとおもいます。同時に自分の徳を積むことをおろそかにしてほしくない。そんな意味で座右の書を見つけてほしいという思いで安岡正篤の本から2,3章を読んできかせた。

安岡 正篤 の書より。
青年の精神
[大人を恥じさせるような純真さ若若しい情熱と気魄。不羈奔放(ふきほんぽう)な理想と寝食も忘れる勉強ぶりと偉大な人物に 私淑し。万巻の書を読み 師友を求め名山大川に遊び 酔生夢死に飽き足らず、何か感激に死のうとするような、やむにやまれぬ魂こそ青年の尊い精神である。]

また私は学生のころよく山に登った、今になってその時の思いと自然から受けた英気は
今でも時々自分の支えになっている。だから自然にも遊びなさいとつたえた。

徳を積むには、それにはやっぱり古典をよむことです。西郷隆盛が多くの漢籍を読みそれが西郷をして大人物にそだてあげたのです。
ありがたいことに多くの漢籍がわかりやすく解説された本がたくさんでています。
学生にぜひそういう本を読むように伝えた私が特に最近読んでいる安岡正篤さんの本をぜひ読むようにとサジェスッションした。

座右の書
{心を打たれるような身に沁みるような古人の書をわれを忘れて読み耽るときに、人間は生きるということは誰でもが知る体験である。それを積んでおると、しだいに時間だの空間だのという制約を離れて真に救われる。いわゆる解脱をする。そういう愛読者を持つことが、またそういう 思索、体験を持つことが人間として一番幸福であって、それを持つのと持たぬ のとでは人生の幸、不幸は懸絶してくる}

学生総勢 と Samba Murty , Dr.西田.

学生総勢 と Samba Murty , Dr.西田.

弁当Dinner をみんなで

弁当Dinner をみんなで

講演の合間にくつろぐみなさん。

講演の合間にくつろぐみなさん。

出会い
あの人に会ってみたい話を聞いてみたいと思う人があるものです。

その出会いの哲理 を 安岡正篤 は次のようにいっています。
{[人間は一生のうち逢うべき人には必ず会える。
しかも一瞬早 すぎず
一瞬 おそずぎないときに—]
これは「出逢い」の内にひめられた、神意というか、天意のめぐみについてその哲理の表現でありますとともに、一見偶然と見られる事柄も、すげて必然性の作用(はたらき)
によるということです。}

今日の学生たちとの出会いで彼等が何か得るものがあったとすれば私にとっては何よりですが。

Asia Innovation Forum 2009 と 北八

Asia Innovation Forum

9月14日と15日に 出井伸之さんが主催するフォーラムに参加させてもらった。
出井さんの日本を活性化させるためにどうしたらいいかとの問題に対する解答を探るためのフォーラムです。金融危機からの再建、そして日本が対処しなければならない問題をいろんな角度からデスカッションが行われた。
その道の権威が登壇してそれにベテランのモデレーターが議論をガイドしていく。
大変考えさせるフォーラムでしたが、しかし回答を得るにはまだまだ大変だなあという気がした。
日本に欠けたものを引き出して見せてくれたフォーラムでしたがさて回答はというといま一つ歯がゆいものがある。空回りのデスカッションもあったし。

日本には企業を成功させるための何かが欠けているように思う、ただ大変だなあということで大変疲れた二日間でした。さて出井さんもどれだけのまんぞくが得られたのだろうか。
国の再生、発展のためには何がだいじだろうか。鳩山政権が一つの解答であろうという期待感はあるでしょう。またこのようなフォーラムからの提言を起業家が捉えてイノベイッショウンを
起こすことがまた解答かもしれない。日本のベンチャーキャピタルの力のなさ、いや日本の資産家がリスクのある投資をしない所にイノベイッショウンをサポートできない理由があるのかもしれない。

フォーラムの2,3のデスカッショウン を見てみたい。
元東大の教授 松井 孝典 先生の “地球(知球)システムと調和的な人間”の講演は大変考えさせられる講演でした。人類の創造から地球上の資源についての説明と資源をどのように使わなければいけないかを説いてくださった。そして、では残されている資源をどのように有効に使わなければいけないかの人類に対する警告を行ってくださった。
137億年前にビックバンによって宇宙が生まれそして単なる素粒子しか存在しなかった宇宙から地球ができそして爬虫類から植物ができ、ホモサピエンスが人類の祖先となり今日の世界をつくりあげてきた。当初は狩猟生活でスタートしてさらに農業社会ができ、それから工業化社会えと発達していく。いずれの社会においても地球が生み出す資源を増え続ける人間がどのように消費しあるいは補充していったかの歴史であると言うこと、そして今人類の生存のために増え続ける人口を支えるために化石燃料をたくさん使わなければいけないようになって来ている。
しかし増え続ける人類を支えるには化石燃料の埋蔵量は残り少なくなっている。
そのために今Green Energy の開発、CO2に削減をしていかなければ人類はついには滅亡するのだと、警告されました。
宇宙の歴史から人類の歴史を踏まえて将来、我々がしなければいけないことをはっきりと示してもらって大変だなあと思うと同時に、大変な命題だなあとおもった。
100万年レベルの長期にものをみ、地球レベルでものを見ていけば今世界であるいは日本の社会で起こっている人間の行動のネガテブな部分を早目に解決して次の100万年を考えなければいけない時のようです。
火星に水があるかも知れないあるいは昔生物が生きていたとも聞いたことがある。火星探検の宇宙船が撮影した映像を友人があれは都市の構造をしていたと言っていたのでもしかすると本気で火星で人類が生存できるようなか環境を作り地球の半分の人類が移住しなければいけない時がくるかも知れない。子孫のためにたぶんやるべき一つのプロジェクトかもしれない。

シンガポールの取組
シンガポールの国家投資部門であるセマテックのユウケン、ホア氏がシンガポールのソフトウエヤーをもとにして中国でエコーシテイの建設に成功されている例を発表された。
これは中国の地方政府と共同で5万人前後の中都市を創り出すプロジェクトでGreen Cityの設計施行です。CO2 の排出の少ないビルデング から交通機関として電気自動車のみとしてガソリンカー がない都市、また太陽電池、などのクリーンエナジーを主体とてなるべく化石燃料を使わない都市としています。さらに水処理、ごみ処理などクリーンな都市をめざしています。
なんだかこのプロジェクトは日本企業に最も向いているのではとおもったが。

しかし三菱地所が丸の内有楽町界隈で エコーフレンドリーな都市計画をじっくりと実行に移している話を井上 成さんが発表された。また三菱重工業の福泉 靖史さんが化石燃料からの脱却と電化についていろいろな可能性を説明していただいた。日本の企業のここの実力をみせていただいて大変心強くおもった。
日本はこごには素晴らしい技術を持っているがこれを総合することがへたなためにグローバルな展開のときにシンガポールなどに負けてしまうのではないかと思う。
インフラを作る時いろんな技術を持った会社をアグリゲイトして一つのプロジェクトにまとめ上げるタレントがいないのだとおもいます。
社会工学のような講座がすくないのだろう。これこそ日本のコンサルタントがこのような役割をしてグローバルに展開しないといつの間にか畑はすべてほかの人に耕されてしまっているのでは。出井さんの思いもセマテックの発表を反面教師にしたいのでしょう。このような日本の強い産業を横につなげた、プロジェクトこそ今後の化石燃料の削減に貢献できるのでは。
特にAsiaにおいて一番力を発揮できるのでは。出井さんの思いもここらではないだろうか。

ソシャルアントレプレナー
ベネッセの福武 総一郎さんの話は大変エンカレッジされました。企業の社会貢献の素晴らしさ、シリコンバレイでは 大なり小なり行われているのですが。福武さんが地方の活性のために会社の利益の数パーセントを割いて投資している話を聞いてとてもエンカレッジされました。
シリコンバレイの セールスホース ドット コム がコーポレイトのフイランソロフィ として会社の利益のなかから社会貢献費用の次のようにだしています。
1% 株式の1%を社会のためにつかう。
1% 従業員の時間の1%を社会のためにつかう。(ボランテア活動に従事する)
1% 会社の商品の1%を社会のために使う。
1% を地球のために使う。
福武さんは瀬戸内海の月島で島の復興のためにArtでもってしまの復興に貢献しています。
そして全国いろんなところで町起こしを行い過疎地域の復興に貢献されています。
短い時間で残念でした、モデレーターが自分のジヨークが多すぎてもともっと福武さんのエッセンスを引き出してくれるといいのにと残念です。

産業創出のための議論
新産業創出についての議論がなされたが、シリコンバレイのようにイノベイテブな産業を創出をするにはまずアントレプレナーの存在が必要です。その次はリスクマネーを投下できる個人の投資家さらにはベンチャーキャピタルの存在が不可欠です。
今回政府が産業革新機構をたちあげましたが。ベンチャーにどれだけの援助ができるか楽しみですが。過去にも同じような対策を行ったがあまり成功していません。
やっぱりベンチャーキャピタルのようなプライベイトな機関に運営をゆだねるのが本筋ではないでしょうか。最近の新しい日本のベンチャーキャピタルもシリコンバレイ並のハンズオンのベンチャーキャピタルがでてきています。また彼らの目利きもだんだんと確かなものとなりつつあるとおもいます。日本の年間のベンチャーキャピタルの投資額はわずかに3ビリオンドルですが。アメリカはこの10倍で30ビリオンドル となっています。日本も少なくとも10ビリオンドルぐらいに上げないとシンバポールのセマテック並の投資をしないと新しい産業の創出が難しいでしょう。そして何よりもアントレプレナーの育成が一番だいじかとおもいます。

分科会; 次世代エクセレントアプリをアジアでどう共有するか。
日本の経営者のビジョンのなさアクッションのおそさ、このテーマのパネリスト夏野さんが、ドコモをやめて非常にセイセイしたと何べんも発言しておられました。
見事に今の日本の問題点が彼の発言にあらわれています。
イノベイッションを生み出すことが難しい経営体質、そんな中で夏野さんみたいな元気のいい一握りの侍が先頭に立って企業をひっぱってきたのです。先頭に立って出る釘は打たれながら
プロジェクトを立ち上げてきたからこそI-modeが世界に普及してきたのです。
インホシスジャパンのスリラム氏の日本でのビジネス展開はまさしく日本文化との戦いであったとおもわれます。日本文化のネガテブな部分すなわち(出る釘が打たれさらに足を引っ張られる文化)その戦いを根気よく頑張ってきてやっと日本でのビジネスが立ち上がっているようです。したがって彼らがほかの国ではもっと早くビジネスが立ち上がるはずなのに日本では相当な時間をかけています。
このパネルデスカッションは結局のところ日本の経営の効率の問題、出る釘は打たれる文化あるいはもっと本質的に日本の経営者のビジョンのなさ効率の悪さそんなものを浮き彫りにしてっています。むしろそんなテーマを議論する場が必要では。いずれにしても夏野さんのセイセイした理由をもっとみんなで見つけ出して日本の企業の創造と再生を考える必要があるのでは。

奥山清行氏の講演
アブダビでMasdar Eco-City というプロジェクトがありなんと20ビリオンドルの投資を行い石油を一切使わずCO2を一切出さない町を作る計画が進行中です。そのプロジェクトに日本のデザイナー奥山さんが参加しています。石油は後50年で枯渇するといわれています。
ですからそれを見据えて今石油を一切使わない町を計画しているのです。大変未来を見越した国家プロジェクトです。
奥山さんはフェラリーを設計された世界的に有名なデザイナーです。彼は未来の電気自動車のコンセプトを持ってこのプロジェクトに参加されているようです。
世界的な人物と夢のようなこのMasdar Eco-City楽しみですね。
さて日本でも日本のすべての世界的な技術を凝縮したような夢のあるプロジェクトを立ち上げてほしいですね。福武さんがベネッセでもっともうけて数ビリオンドル貯めた暁には何か出るのでは、期待したいその時は奥山氏のデザインが採用されんことを。
次にMasdar のプロジェクトの絵を添付します。

Masdar のプロジェクト

北八え。
9月18日(金曜日)ミーテング二つほどこなした、どうも体からエネルギーがなくなってしまったようだ。
、これはチャージしに行かないといけないと思いつき、夜汽車に飛び乗った行先はやっぱりいつもの北八。茅野で降りてもうバスはないので昔よくいつもそばを通って山にはいった渋の湯に電話して宿を確保してついでに夕食も頼んだ。タクシーで宿に辿り着いて温泉に入って夕食をいただいた。

初代の主はすでに交代していて今 おやじと息子が渋の湯の運営をしていた。
客はわたくし一人でした。
致知という雑誌にある人が、日の出の43分まえにすべての植物は酸素を吐き出すその時小鳥たちが一斉に鳴き出すという記事があったので時々日の出の43分前に起きて我が家の裏山に登って小鳥のさえずりを待ってみたがカリホルニヤの小鳥は朝寝坊のようでそれから一時間ぐらいしないと起きてこないようです。
いずれにしてもこの植物が炭酸ガスを吸って酸素を吐き出すということを間に受けてついでに私も酸素にあやかろうと大体そんな時間に起きて酸素のぐらいをチェックしてみるのです。
いずれにしても都会は疲れるましてや出井さんの大命題もまたつかれる。

山はもう秋の空気です。肌寒い、朝起きて温泉につかって食事を頂いて昔足しげく通った高見石を目指して山に登った、山の空気がおいしい。
エネルギーが満ち満ちている。やっぱりCO2の削減は急務であるべきです。
40,50分ごろ歩いたところでモーハヨウー(カモシカ語でおはよう) と聞こえたそしてガサガサという音がする。
びっくりして林の中を見ると、いた、いた日本カモシカがいたのです。

カモシカ

ずいぶん年取ったカモシカです。でもよく姿を現してくれたとうれしくなりました。
仲間が現れてくれたようにうれしく思っているようで、彼女もまたそこらのコケを食べている様子でした。
何十年前によく通った道ですが。賽の河原に出るまでは初めて歩るくような感じの道でした。
賽の河原は新しく岩に赤丸を白丸で縁取ったペンキが塗られて登山者が迷わないようになっていた。ここは冬でも登っていたが、その頃は高見石の連中が絶えず道をラッセルして道をつけてくれていた。勿論冬は竹の棒を立ててその先に赤ギレを巻きつけて標識としていた。
老体に鞭打って高見石の小屋についた。

高見石の小屋へ

いつもなら薩多さんが迎えてくれるところだがそんな何十年前の幻影が今現れる分けでもなし。小屋に上がらせてもらって飲み物を所望して、一人、昔の思いにふけっていた。学生が二人小屋番をしていた。
いつもならここで泊まって行くところだが今日じゅうに東京に帰らなければならないのでわずかの時間だけノスタルジアにふけって麦草峠へといそいだ。ここはかってウサギ汁を食いっぱぐれたところです。
高見石から丸山を通って麦草峠までずいぶん長い道のりのようだったがなんとか麦草峠のヒュッテについた。コーヒーをもらいされに山菜ソバをいただいた。
今は茅野からバスがここまで来るのでだいぶ楽になったようだ。

茶臼と縞枯れ山を登って横岳まで行くつもりだったが、茶臼の急こう配を見てもう登る意志をなしさっさとサイドトレイル を通って横岳のロープウエイのところにいくことにした。
トリカブトが鮮やかな青を誇らしげにみせていた。

トリカブトの鮮やかな青

酸素をいっぱい吸ってエネルギーをもらって下山した。久し振りに懐かしい山に訪れた、今度はカラマツの色ずくころに来たいそして白秋の詩でも吟じながら歩きたいものだ。

時どき若手の経営者といろんなことを議論する。思うに山のこの英気は何とか若い経営者達に吸ってもらいたいと思う。日の出の43分前でもいし、またたくさんあるこの山のエネルギーを吸ってこれからの日本を担っていってほしいいとも思う。そして夜は満天の星を見ながら宇宙に思いをはせて、明日を語りたいものだ。
今年の11月はここに若い経営者をつれてきて合宿しようかな、そしてこの山の英気を浴びてもらって次代を背負ってもらおうかな。

一射絶命,超禅寺での弓道と禅の修行

超禅寺はホノルルのカリヒバレー の閑静な山裾にある。
剣の達人で禅師であった 大森曹玄 老大師 がハワイの田上天心 老師 と共にこの超禅寺を起こされた、寺の建設には田上老師と修行者そして多くのボランテヤーがこのお寺の建設に貢献しました。そして今も禅と武道、陶芸などの修業の場として多くの人たちに利用されています。そしてまたアメリカの経営者の修業の場ともなっています。

今回座禅をとうして自分たちの企業をどのように育てていくかを考えてもらおうと若手の経営者を連れて座禅と弓道の修業に行きました。

禅は達磨大師がインドから宋の時代に中国に伝え、それが鎌倉時代に日本の入ってきて武士の間に普及しました。
武士の精神的な支えとし大いに普及したようです。武田信玄、そして 上杉謙信 なども禅の修業者であったし。 そしてさらに秀吉、家康に引き継がれて武士の心のよりどころとして多くの帰依者をふやしていったようです。

武士道もまたこの流れから来たものと思われる。
禅の修行は座禅によって自分を見つめてどのように人生を歩むかを会得して悟りをひらくものです。我々は3日間ですから悟りを開くなど大それたこのではなく、自分を見つめてさてこの不況をどのようにして乗り越えていくかで考える機会があればと思うぐらいです。

悟りを開くには何年も何年も長い時間を 結跏趺坐してはじめてえられるそうです。
江戸城の無血開城を果たした山岡鉄舟は 何年も毎晩のように結跏趺坐して45歳の時に悟りを開いたという。
鉄舟が座禅を始めると家じゅうのネズミがみんな静かになったというそれだけ迫力があったようです。しかし鉄舟が悟りを開いてからは鉄舟が書をしたためているとネズミが彼の肩の上にとって遊んでいたという。鉄舟はあばら家の貧乏暮しで鼠が沢山住んでいたようです。
悟りを開いた後の鉄舟の剣は向うところ敵なしであったようです。ですから江戸から並みいる官軍の中を薩摩藩の藩士と二たりで静岡まで西郷隆盛に江戸城の無血開城をの交渉に会いに行けたのだという。また彼の書もこの悟りを開いた後のものはことさら迫力のあるもののようです。
山岡鉄舟は人によく書を 所望されると簡単に書いてくれたようです。ですから後世になって鉄舟 の偽物が沢山出回って高くでうれたようです。しかし見る人が見るとうまくまねしていてもわかるようです。それだけ迫力が違うのだそうです。
書家も陶芸家もまた武道家も悟りを開いてその道の奥義を極められるのでしょう。

超禅寺には 陶芸家の作品が展示されています。そして悟りを開く前そしてその少し前それから悟りを開いた後の三つの作品がならんでいます。
横山禅師が説明でこの三つの作品には大きな差があるという。悟りを開いた後の作品にはすごい迫力があるという。A,B,Cの順に迫力がすごいという。(私にはわからない)
そして最後に四角のつぼをさしてこの迫力どうだという、(ますますわからない)。
さて参禅の後でこれを見る目が少しでも違ってくるだろうか。

迫力の違い

迫力の違い

今回は武道の経験のない人が多いのと女性も入っているので誰もやったことのない弓道を訓練の主体としました。
座禅、弓道、書道、尺八、さらに、お経,を入れたプログラムを横山老師が作ってくれた。

呼吸、禅の基本は呼吸法にあります。
呼吸は腹の底からやるらしい、丹田(へその下5センチぐらいのところにある)が体の中心でこの丹田に力を込めることによって自分の中心をしっかりと固定するのだという。
座禅は朝5時半から第一回めそしてお昼と夕方にあと一回づつ行われる、一回15分から20分ぐらい、初日はとても足が痛いが2日からは痛さを耐えることができた。

禅の呼吸法は吸気をこの丹田の方に押し込めて行う。胸での呼吸では姿勢が定まらないという。座禅にしろ、弓道もすべてこの呼吸法が基本となっている。
呼吸法を教えてもらって座禅に入る、座禅で呼吸法を会得してから、これを弓道、尺八あるいは書を行うときに応用していく。もちろん剣道、空手などすべてこの呼吸法が基本となっている。

弓道、の修業
津波(ツハ)老師が弓道、の師範です。
さていよいよ弓道の指導がはじまりました。まずはしかり立つことこれは風が吹いても雨が降ってもしかり立っていることです。人が押してもビクともしないようにしかりと地上に立っていることです。この訓練を一日中やらされた。次の日は一日中弓の構え方弦の引き方そして矢を離すときのタイミングと矢をはなした後に姿勢などをじっくりくんれんしてもらいました。
津波さんは弓道を治めるにはこのような準備は何年もやってから初めて矢をつがえさしてくれるという。しかし我々は数日でその真髄を得ようというから大変なことです。
しかしこの各々の動作がなかなか決まらないなるほど芸は永い永い訓練の後になんとか一人前になるのだということがわかる。
構えて矢をつがえてそして弦を引きそれから矢をはなす。そのあとの姿勢がまた大変である、しかりと大地に立っていなければいけない。
一連の動作の中でどっかで呼吸が乱れてしまい。連続性がなくなってしまいます。
後で実際に矢をつがえて的を撃つときにこの乱れがそのまま矢のみだれとしてあれわれてします。
いよいよ最後の日やっと矢をつがえて的を狙える日がきた。
とりあえず1メートル先の俵の的に向かってすべての儀式を踏まえて矢をいる。
ほんの1メートル先の俵の的に初めて矢を放つ、そのうれしさで心が高ぶり早く矢をはなして俵の中心に深く打ち込もうという思いでもうすべての動作がちぐはぐになって呼吸は乱れてしまっている。さて矢をはなしたらなんと俵を支えている板に矢が当たってしまった。

ケネス クリスナの一射絶命の本の中にも弓道を修行する人は1年間はこの俵の的だけを練習させられと書いていたのでなるほどと思った。呼吸が整っていない丹田に力が入っていないすべてがちぐはぐになって1メートル先の俵を射ることもできないのです。
この一瞬で弓道の深さを見たようなきがした。
しっかり大地に立ち丹田に気を込めて呼吸を整えないと矢は真っすぐにとんでいかないのです。

津波 老師の指導

津波 老師の指導

津波老師がまずデモンストレイション をしてくれた。一礼して“足踏み”という地球に磐石に立つことからはじめます。
そして“胴 作り”と呼ばれる次のスッテプ、“弓構え”いよいよ矢をつがえる。
“打ち起こし”で弓を頭の上まで持ち上げる。”引き分け“ 弓を1/3 ほど、まで引き最終的に口のところまで弓を引く。
″会“ 弓を充分に引き体の縦横を十文字に作る。“離れ”そして弓がはなれる。“残心”矢を放たれたあと体は十文字になってしかり地球の上に立っている。

どういうわけだが矢は2本もっている。結局は2回的を射るわけだけれど。一本をつがえて後の一本を右手の小指にはさんでもっている。一射絶命なのになぜ2本なのか、例のロピンフートが自分の息子の頭の上のリンゴを射る時、彼はもう一つの矢を隠し持ったのに似ている、津波さんに聞いたが答えはなかった。
座禅で呼吸法をしかりと身につけてそして心を無にして的にむかう、弓禅一如なのです。
いよいよ的を射る時が来たはじめは5,6メートルから初めてだんだんと 離れていきついには28メートル 先の的を射る。
一つも当たらない、津波 老師が離れが悪い構えが悪い、残心がなっていない、と講評してくれるなるほどはじめから終りまでの一つずつのどの動作の狂いが矢の方向をくるてしまう。
どこかに余計な力が入ってしまい。くるっているようです。ついに心に思うような矢は一つも出ない中で最後の修業が終わってしまった。

武道と禅がこれほど合い補うのかを理解することができた。沢庵和尚の不動智神妙録は柳生宗則に与えた書なのですが。沢庵和尚はまるで剣の達人のように剣の極意を言いえて妙である。
悟りを開いた禅師はそのまま武道にも通じているものなのか。

不動智神妙録では自分の心をどこにも留めないことがだいじだという。もし敵の刀に心を止めるとその先の行動が刀だけに心がとめられて他からの攻撃におうじられなくむなしく切られるのである、あるいは四方の敵に対処できなくなる。
要は心をどこにも置かないでいることによってとっさの事態に対処できるのだという。
間髪をいれずとは二つものが重なって間には髪の毛さえも入る余地がないことです。
あるいは石火の機(石を打ち合わせると火が出るのと石を打つ間には隙間がない)ことなのです。
弓を引くために心をどこにも置かないで弓を引きそして矢をはなさないといけない。
そうでないとシークエンス の途中で狂いが生じて離れがうまくいかない、この離れが"石火の機“でなければ矢は的に当たらないという。
沢庵和尚の禅の教えはすなわち武道の教えであったし、また芸術の遂行の過程もまたしかりのようです。
弓を引くことがすなわち禅の実行なのです。

ケネス クリシュナーの ”一射絶命“

ケネス クリシュナーの ”一射絶命“

横山禅師の不動智神妙録の話をうかがう。老師も英語が第一言語です。難しい、よくも禅の真髄を英語でしかも沢庵和尚のこの不動智神妙録をこれほどまで理解できているのかどうして修業したのだろうか、田上天心 老師もまたどのように修業して後進を育てたのか、一度ゆっくりきいてみたいものです。 横山老師の話は宇宙のはなしから 波導工学にも及ぶまるで物理学者の話そのものです。そしてまた禅をとく。悟りを開いた人の話はすごいそして人を見る目がすごい。
老師の講義の中で一人ずつ 大きな声で気合をかけさせられた。そして全員が終わったあとで各人に次のように講評した。
あなたはもっと大なしごとができるはず、おもいきりやりなさい。
あなたは周りのことを気にかけすぎる、自分の思うことを迷わずにおこないなさい。
あなたはリーダーだから自分のやりたいことを部下に迷わず実行させなさい。
参加者の人となりをしている私として大変びっくりした。適格な評価です。
いったい悟りを開いた人というのは人を見る目がこれほどできているのか。
まるでわれわれと10年以上の付き合いをしているような講評でした。

例の 百丈和尚のところに大潙山の主人選びに来た老師が修行僧を一人ずつ呼んで三歩あるいてから”エヘン“と咳ばらい をさせて人物を見たという。まずは一番弟子が”エヘン”とやったがこれは駄目だと即座にはねられた、とうとう最後に典座(炊事係)であった潙山が“エヘン”とやったらこれだと言って、潙山が大潙山の主人になったという。
まさにそれである。
もしかするとベンチャーをはじまめるまえに 起業家を連れて来て横山老師に見てもらえば人物判断ができるかもしれないと一人でほくそえんだ。

書の修業。
今回の修業に書道をいれてもらった、どんな風に教えてもらうのかとたのしみにしていた。
横山老師がフロワーに新聞紙を広げて硯と墨汁を持ってきて大きな筆をもってきた。
そしてみんなに ”一“という字をかかせた。さてみんなが書き終えてからそれをはりだして一づつ講評してくれる。例の気合のときの講評とほぼ同じで見事にその人物のことを見事に言いえていた。
そして書とはすなわちその人の人間性が表れるのだとそしてその勢いが書にあらわれるという。山岡鉄舟の話とおなじである。どれだけ勢いのいい字が書けるかは禅の修業の深さによって現れるという。やっぱり只管打座して禅の真髄にちかいづかない限りいい書が書けないようです。達人の書はその墨が机の板の中までも入るのだという。
なるほど山岡鉄舟の書が優れておりあるいは白隠和尚の、あるいは沢庵和尚の書が迫力に富んだものだということがよくわかる。
そして気合いの入れ方を教えてもらってそして次の日もまた同じ”一“という字をかかされた。初日の ”一“と 二日目の”一“ を比べて 横山老師も進歩したねと褒めていただいたようでした。
結局は技術ではなく精神なんだというごとです。丹田に力を込めてそして気合いもろともにかくのです。ですから武蔵とか、達磨大師の書のあるいは超禅寺にある大森曹玄の書のすばらしいこと。
とにかくきれいな字を書くのではなくいかに自分の全精力をうちこむかということのようです。結局は書の修業は ”一“を二つ書いて終わりになりました。

 ”一”を書く山下さん

 ”一”を書く山下さん

ケネス クリシュナー というアメリカ、ウイスコンシンの青年がアメリカで禅の修行をし、そして超禅寺に弓道の修業にきた。禅の修行と弓道の修業をしてさらに弓道にひかれ日本に渡り須原 耕雲 和尚に弓の手ほどきを受けます。 禅の修行の過程そして弓道の修業の初心のころからの経験は書いた本で日本語訳も出版された。
とてもよくかけた本です。特に日本文化にどのようにして溶け込んでいくのかの過程そしてまた難しい弓の道をどのようにして会得していくかを書いてくれるので非常にいい本でした
“一射絶命”がそのほんです。我々にみたいな座禅が初めての経験そうして弓道もはじての人にすばらしい入門書です。また外国人がこれほどまで禅を理解しされに弓道まで理解するその努力はすばらしいものです。

剣禅一如、書禅一如、さらには弓禅一如 と禅の修行によって武道、芸道が高められていく過程がよくわかります。
これは茶道しかり華道しかりです。 秀吉が禅と茶道をたしなみまた家康も禅と武道を修めていたのもよくうなずける。
武士は禅の修行によってその人間性を高めていった。
そしてそれが徳川300年を支えたものがこの禅なのかもしれない。

さて今回参加した若き経営者はこの経験を人生に企業経営にどのように生かしていくでしょうか。楽しみです。
来年は2月の末に企画している今度もまた若手の経営者をつれてきたいとおもっています。

さて最後の “一射” どこえ行くやら。

さて最後の “一射” どこえ行くやら。

メンターの必要性

シリコンバレイのアントレプレナーの互助組織、Tie Org. (タイオーガニゼイション)は会員数千名を要し、新しく起業をしようとする人たちに手を差し伸べています。そして年一回の大きなコンファレンスを開いてアントレプレナーの鼓舞あるいはガイド役となっています。今年は金融危機にもかかわらず昨年を上回る4300名が参加しました。
この組織はインドパキスタン系の成功した企業家たちが後進のために作り上げた組織です。
その精神は 若い起業家を育て上げいろんな面でガイドしてあげる組織です。
成功した人たちの社会えのお返しというか フィランソソフイー としてお金や時間を若い人たちのために使っています。 この会の中心になるチャーターメンバー (約300名)が中心になって若い起業家のメンター(起業のガイド役)になります。
アメリカは会社が上場しますと百万長者が数十名でます。
現在は株式市場が大幅に悪くなっていますから。上場は過去の2四半期で2社とか3社しかりません。過去ですとほぼ200社ほどが上場してしかもおのおの会社が200M$平均で市場からお金を集めています。 ここ10年ほどの年間IPOの数を100社とします。そして各々が200ミリオンドル集めたと仮定しますと少なくとも従業員は 10%から15% のもち株がありますので従業員のとりあえずの取り分として30ミリオンドルほどになりますから。
百万長者が一社当たり10名から20名ほどの金持ちが出ます。 ですから年間平均して1500名から2000 名の 百万長者が出ます。 この人たちは5年から10年にわたり寝食を忘れて会社を立ち上げてきました。ですからその経験は大変得がたいものがあります。ですから新しく起業しようとする若いアントレプレナーに対してすばらしいメンターとなります。経験のみならず人生経験もつんで来ていますのでいいガイド役となります。
これがシリコンバレイの成功のひとつの要因です。
メンターの役割は経営のガイドが一番ですが。また若いアントレプレナーのいろんな悩みの相談に乗ってくれます。
メンター とメンテイー(メンターが指導する相手) の一番いい関係はメンテイーが何でも相談できること、またメンテイーがメンターを尊敬できてること(企業活動のみならず私生活にかんしても)が一番大事です。この関係がうまくいくとメンテイーの企業運営が大変うまくいきます。とにかくメンターは いろんな苦労を経験していますのでその忠告は非常に有益です。
Tie の組織にはこのようにボランテヤーで若い人たちを育っている人たちがいっぱいいます。

残念ながら日本では個人の百万長者が少ないことそのために次の世代の人をメンターしてあげるだけの人材が不足しています。これから日本経済が発展して上場する企業がたくさん出でメンターがたくさん出てくることを期待したいとおもいます。

私のメンター酒井先生のこと 
酒井先生は 電力工学の先生でした、いわゆる強電、すなわち発電所から電力はあちこちにおくることの技術です。
私は弱電すなわちエレクトロニックスの分野に進みたかったので先生の授業は実に入りませんでした。でもどういうわけか先生の発するオーラに魅せられて,遠くから先生を眺めどちらかというと 私淑していたようなしだいです。先生の研究室に入ればもっと薫かを受けたと思いますれけれども送電工学ではてが出ないので直接の指導を受けるまではいたりませんでした。
しかしどういうわけか学校を出てから何か悩み事があるときに先生にお会いして意見を聴きに行ったものでした。そんなわけでますます先生の生き様に大変感化されました。
何かつまずいたりこまったりすると 先生を訪ねて飲みに連れて行ってもらたものでした。

そして2,3か所はしごして、すっきりして、自分の困った問題を持ち出すまでもなくなっていた。先生もあえて何しに来たのかを問わない。
そして先生の話を聞いてこころが晴れ晴れとなり、自分の問題も自然に解決されていた。
数日おいて実はこれからこんな方向に自分の道を変更するとしました、と報告するのが常でした。
 
先生は電気工学のほか書家としても一流どころだったし、いろんな方面に優れた才能をお持ちでした。
先生に会いに行った日は先生は企業の人たち50名ほどに習字を教える日だった、私を認めて平そこでしばらく待っていろといってからみんなのために手本を書いて渡してから、今日はみんなこの手本で練習しておきなさい、と言ってから、私はこれから平と飲みに行くからと公表してしまいました。大変びっくりして頭を下げて会議室を後にしました。50名の生徒よりも迷える一匹の子羊のほうが大事であったのでしょう。
先生に会うのはそんなわけで3年に一度ぐらい道に迷った時に会うだけでした。
師とは有り難いものでいつでも胸を広げて待っていてくださる。
具体的に解決の道を示すのでなく、よもやま話の中から私の悩みを察してその解答を話の中で導いてくれるものでした。
今はこの師もなくなられて、今度はたぶん自分で座して師に語りかけて自分で解決しないといけないのだと思っている。
人生の師をもったことは大変ありがたいことでした。
さて今度は自分が若い人たちのメンターとしていかなければいけないのだが、何とか修行してなにがしかの助けになるようになりたいと思っている。

幸いに最初のメンターとしての役割をインテルのCPU のチップセットの会社を興した若いエンジニヤーと果たすことができました。
彼はすごく頭がよく絶えず新アイデヤを考え出してくれました。
そして毎日のように夜になると我が家によっては会社の問題点をいろいろと相談を持ってきました。優秀なエンジニヤーだが会社経営は初めてであり人間関係の悩みなどよく相談にきたものでした、しかし判断の基準はある程度しかりしていたので安心して任せておいた。社内からの不満が出てから密着取材みたいに彼が主催するすべてのミーテング に出席して何が問題だろうかを把握してから後で彼をよんでこの点はこのように修正しなさいとサジェッションしました。
よく言うことを聞いてくれるので大きな間違いなく会社が運営されていきました。
製品開発が壁に突き当たると毎晩我が家にきて今度はこちらのアイデヤがいいからこれに変えようという、とんでもないこれから方向転回したら6ヵ月遅れとなって商機を失ってしまうからそのまま続けるように指示するのですが。彼の新しいアイデヤのほうがはるかに市場規模が大きので、どうしてもこの方向に行こうといってきかない、時計はすでに夜中の1時をすぎている。
最後にはもう遅い家に帰れと怒鳴って追い返しました。
とにかく彼は私に満幅の信頼をよせていましたし、私も彼を心から信頼していました。
お互いの信頼関係が白熱した議論の後でもいつもと同じように仕事を続けていけました。
よく怒鳴りつけましたが、ついてきてくれました。
かれのオペレ一ションを時折あぶなっかしいところもありましたが。危ない橋をわたりはじめても最後まで見守って落ちそうになってから手をさしのべることにしていました。
失敗は失敗を経験して初めて分かるものである意味では小さな失敗は沢山経験してもらったほうがいいとおもっていた。
とにかく彼はなんでも私の言うことを聞いてくれたのでメンターというよりは兄貴みたいな関係であったように思う。

シリコンバレイの若い起業家たちはこのように外部の人たちがメンターになり指導してくれる。
これがシリコンバレイのスタートアップの会社を成功に導いてくれる要因かとおもう。
社外取締役がメンターの約を果たしてくれることもある。
またベンチャーキャピャピタルがその役をはたしてくれることもある。しかしベンチャーキャピタリストは自分の投資をまもるのが使命ですから起業家の思惑とは反対の方向にリードすることがあったりしてもしそれが起業家の思いと違っていたりすると経営がしにくくなったしまうこともある。こんな時起業家が首にされたりしてそのために会社がおかしくなったりしたこともあります。 とにかくメンターは 起業家の思いを十分に理解して私心なくサポートしていかなければいけません。

日本の場合はこのようなメンターが存在しないために若い起業家が苦労しているようです。あるいは投資家の思惑に従って思わぬ方向に経営を曲げられたりして苦労しているようです。
日本でも早く起業して成功した人たちが次の世代の人たちをリードするメンターがたくさん出てきてほしいものです。
あるいはハンズオンのベンチャーキャピタルがたくさん出てきてほんとに起業家の味方となって企業を育ててほしいものです。
またかってある程度の規模の会社を経営してリタイヤーしたエグゼキュテイブがメンターとしてぜひ若い経営者を指導してほしいものです。またこのような人は良いネットワークを持っていますのでそのネットワークを活用して経営をサポートしてほしいいものです。

Tie Con 参加の面々。(2007)

Tie Con 参加の面々。(2007)

Tie Con 参加の面々。(2008) Plug&Playにて

Tie Con 参加の面々。(2008) Plug&Playにて

世界一おいしいウサギのシチュウ

よく山歩きをしたものでした。冬山はやりませんでした。ただ北八の高見石と麦草峠には冬もよく行った、高見石は当時薩多さんという方が小屋を経営していた。麦草峠も昔からのおじさんが小屋を経営していた。両方とも冬でも小屋に入っていたので渋の湯からの道をラッセルしてくれていて冬でも安全に上ることができた。
毎冬数日をこの小屋で過ごしていたそして白駒池とか近郊を視界の効く範囲で散策したり、またリスを追いかけて写真を撮ったりしてすごしていた。
冬は一面の雪なので道が消えていてあまり遠くへ行くとリングワンダリングをしてしまい道に迷ってしまうことがあるので遠出はしないことにしている。一度リングワンダリング (円を描くようにしていつの間にか元に戻ってしまう) してしまいびっくりしたことがあった、人間の歩行は真っ直ぐ歩いていると思いながら右か左にすこしずつずれてしまうらしい。私の場合は右回転するらしい。
高見石には冬でも数名の登山者があり夜は囲炉裏を囲んで薩多さんの山の話を聞くのが楽しみでした。特に遭難者の捜索の話がすごくて背筋が冷たくなり怖くて時々後ろを振り向きながら話を聞いていました。この高見石の好きな連中が毎冬ここに集まって山の話をしていました。晴れた冬の夜には薩多さんとみんなで星空を見に外にでていきました。薩多さんの星座の話を聞きながら暫くの寒さをこらえながら冬空を楽しんでいました。
日本で野うさぎを捕まえるにはウサギが通りそうなところに針金の輪を作っておくとウサギがこれにひかかって輪がしまって捕まえることができるのです。ですからたまにしか捕まえることができないので大変な貴重品なわけです。

ある年の冬まず麦草峠で一泊してそれから高見石に行くことにした。
夕方に小屋に着くと 小屋の親父が平さん残念でしたね。実は昨日ウサギが一匹とれてね。ウサギ汁をしてみんなで食べたが最高だってという。まことに残念でどうして一日早くこれなかったのかと悔やまれました。
昨夜泊まった人たちもいかにも最高のウサギ汁を食べたと語り合っているのでもうよだれが落ちて仕方がなかった。
それ以来ウサギのシチュウを一度は食べてみたいと長い間思い続けていました。

数十年が過ぎてある年ワイフとともにロンドンに行くことがあった郊外のレストランで夕食をとりにはいった。
メニューを見るとあるわ、あるわ、ウサギのステーキがあるじゃないですか。ああーこれで長年思い続けていいたウサギがたべられると胸膨らませて注文したらウエイターがちょっと待ってください。キチンで聞いてきますという。
そして帰ってきた彼が 旦那すみません、もうウサギは売り切れたという。
がっかりしたがとにかくウサギを サーブ するところを見つけたのでこの機会を逃すことはできないと とにかく明日もう一度来るから是非ウサギを確保して置くようにと頼んで次の日を楽しみしてホテルに帰ったホテルからだいぶ遠くのほうだったとおもった、しかし長年の思いが実現できるのだと思えば1時間近くかかるこのレストランに是非明日も行こうと決心して 帰途につぃた。
さて翌日昼間の仕事を終えてまたのこのことくだんの店にたどり着いた、とりあえず昨日ウサギを頼んであるのでわざわざ1時間もかけてまた来ました。と伝え、とにかくウサギのステーキ をお願いしますと頼んだ今日は昨日のウェイターは 出ていない。
例のごとくキチンで調べてくると言っておくに引っ込んだ、暫くしてウエイターが帰ってきていわく “旦那済ません今日は公休日なのでウサギは 休みででてない“ とのことウエイターはジョークを交えたつもりでしょうが。こちらはもう腹が立って、いたい何事ですか。昨日ウエイターに必ずウサギを確保して置くように頼んで、それでまたわざわざこの店まで来たのだ、マネジャーを出せとどなり散らしました。腹の虫が収まらずにこれでここで食事するのはやめようと思いウイスキーを頼んで暫く腹の虫を収めていました。 しかしワイフはもう腹ペコで動けないというのでしかたなくこの店で デナーをすませることにした。
さあーもうこれからが大変 ウサギ汁の夢は見るし ウサギのステーキの夢は見るし私の食覚はいやがうえにもウサギ の期待でいつも研ぎ澄まされていた。

それからまた数年が過ぎてしまいました。 
ある日わが町の近くパルアルト のフレンチ レストランに友達と尋ねました。
したらあるある なんとウサギの ステーキがあるじゃないですか。
飛び上がらんばかりに喜びました。もうよだれが出てきそうでした。
小さめの白身の肉切れが3つほど皿の上に載ってでてきました。わが人生の最高の幸せを味う瞬間が来たのです。
さて一口食べてみたその瞬間今までの長年の夢がサーとどっかにす飛んでしまったのです。
やっぱりウサギはシチュウでないとだめなのかもしれない。

人生何か手に入れにくいものを望んでいたほうが張り合いがあるようです。美食を求めて食べに行くよりいつか食べてやると思いつづけるほうがいいかもしれない。
この次は熊の掌が食べたみたいものです。これもけして早めに実現しないほうが良いようにおもう。 
私の中国の友人がなんと熊の掌を3つももらい、それを大事に冷蔵庫に入れていい酒を買ってそれから朋友を呼んでゆくりと楽しもうと思っていたが、ある日奥さんがそれを見つけてああすごいのがあるといって友達をようんで3つとも食べてしまったそうです。彼は後でそれを知り大変怒ったそうです。
でもかれは逆に楽しみが将来の伸びただけいいのでは。

後楽園ですね。後で楽しむということです。しかし現代は先に楽しんでしまようで少しは楽しみは後でゆっくり味わうほうがいいのでは、それでもいつかは ウサギ汁をたべたいなあ。
それも山小屋の雪の降ってる夜に食べたいものだ。

ある冬雪のふるころにコロラドスプリングの友人のうちでデイナーを招待された、そしてまた 奇くもまたウサギのステーキをいただく羽目になった、このときはもう味もよく知っているのでおいしい おいしいといっていただきました。多分このあたりは、野うさぎがたくさん取れて町の肉屋で売っているらしい。
日本ではあの愛くるしい赤い目のウサギの印象が強くてウサギを食べようなどとは思わないものです。 ヨ=ロッパでは 野ウサギが氾濫しすぎて農作物を荒らして仕方がないころがあったようです。だから食用として活用したのでは、また狩の対象がウサギだったのを見れがやっぱり食用としてもてはやされていたのだろう。

ある冬にパリの肉屋にいったらなんとウサギがそのままの姿で店にぶら下がっていました。キジや カモも毛皮つきでぶら下がっています。買うときに毛皮をはずしてくれるようです。

われわれ日本人にはやっぱり フグとか ヒラメの縁側のほうがいいですよね。
簡単には手に入らない高嶺の花はいつまでも高嶺の花として保存すべきですね。
日本の高山植物 コマクサをはじめて 硫黄岳の頂上で見たときは感激でした。これこそ採ることができないだけにやっぱりまたみにきてしまうものです。
ヨーロッパアルプスでエーデルワイスを見つけたときは日本のウスユキソウみたいだしまた蓬の花を思い出させるし高嶺でなくても見られそうだという意味では感激がなかった。
コモクサのように2500メータ 以上の山でないと見れないということまた砂利の中に気高く咲いているのとはまたありがたみが違うものです。

ビジョンを高く持つことインクス流(日本の製造産業の将来) 山田 真次郎社長の 挑戦

インクス流

インクス流 (ダイヤモンド社)

金型、日本の製造業を支える縁の下の力持ち、しかし今製造業が中国に移り、金型屋がだんだんなくなりつつあると言う。日本の製造産業の将来が危ぶまれています。

慶応大学の奥村教授にお願いして数年前に蒲田にあるインクスのK2工場を山田眞次郎 社長に案内してもらった。
たった3名しかこの工場では働いていなかったようでした。
この3名で月100型を作っているとのこと。
すべてがコンピュウター コントロールされており3人の若者はコンピュウターの指示に従い切削トウールの置き換えをしているだけでした。

数ミクロンの精度の金型が全自動で作られています。
金型の製造は従来は匠の技をもった金型師によって数ヶ月かけて作られていました。
この金型師は数ミクロンの精度を彼らの指先の感覚で実現していたのでした。
ですから日本にはこのような匠が何千人とおり、それが蒲田とか川口あるいは東大阪に群居していたのでした。これらの匠たちが指先の感覚で数ミクロンの精度を出しそれで日本の製造業を支えてきたのです。
ところが製造業が中国に移りこの金型職人が職を失おうとしています。
それよりももっともっと 気になるのが製造業が中国から日本に逆戻りできなくなってしまうことです。

このような匠の仕事は数ヶ月かかっかっています。
インクスの山田社長はかって三井金属でアメリカにわたり自動車のドアーロックの開発に従事していました。
そして日本ではホンダ車の大半に採用され 更には90年代の10年間クライスラーの全車種にドアロックを供給した つわものでした。
彼はクライスラーのビジネスを採るためにはスピードが一番大事だとして「開発--プロトタイプ--量産」 までの各々の時間を短くするためのいろいろな手を打ちます。日米双方に3次元CAD を置きデーターを両方からアップデイト できるようにします。アメリカで修正要求がきたらそのデーターを日本に送り日本でその修正が可能かをその夜のうちに検討して次の朝には日本から修正されたデーターが入ります。
それをクライスラーに確認を取ってオーケイが出ればその日のうちにまたデーターが日本に送られて今度はそれでプロトタイプがすぐに作られます。2,3日すると今度は試作品がアメリカに送られてきて検討が開始されます。
このように時差を利用したスピードのために見事に並み居る競争相手を蹴散らしてクライスラーのビジネスを物にします。しかも全車種に採用になったのです。
まさしく”時は金なり“です。 しかし山田さんは”時”ではなくそれは“スーピード”が金になったのだという。ですからインクスでは ”Speed is the money” と言っているそうです。そしてさらにはプロトタイプをすぐに作りこれでプロジェクトを加速してビジネスをものにしています。それで次に”Acceleration is the money”となったようです。
クライスラーにおける3次元CAD全社へ の導入さらには光造形 の現場を見せられて山田さんは一瞬 冷や汗が流れ、これは大変だ日本は負けてしまうと思いました。
日本の金型を作るための協業体制、すなわち、設計職人――試作職人―――そして金型職人 の匠たちの連携プランではあまりにも遅くなると認識してこれでは日本は負けてしまう。何とかしないといけないと、一緒に仕事をしていた数人の仲間におい明日から三井金属をやめて新しい会社を興す、ぞう といって4人の仲間と共に会社をやめて日本に帰ります。そしてインクスを設立しこれから 日本の金型産業を救うための大変な努力が始まります。

山田さんは従来45日かかっていた金型の製作期間を6日まで短縮しました。
その手段は匠の世界を見事に数値化してそれとソフトウエヤーを設計して徹底的にコンピュウター制御にすることによって45日を6日まで短縮したのでした。

山田さんはアントレプレナーです。しかし一人の人間だけではこれだけの仕事はできません。
まずは山田さんの大きなビジョウンがあること、そしてその次にそのビジョウンを共有しかつ一つの目標に向って進めるチームが必要です。

アントレプレナーの次の仕事は自分より頭のいい連中あるあるいは 過去のしがらみのないフレキシブルな若い人たちを雇いその連中に次の仕事をさせることです。

山田さんのビジョウンが更なるチャレンジを要求します。
なんとその目標は 6日から45時間です。 さてこの目標を従来のトップエンジニヤーグルプに提示します。しかしなんとその連中はそんな馬鹿なといって絶対だめだというのです。それはそのはずです45日を6日までがんばった連中です。はじめからその目標は頭に入らないはずです。
そこで入社数年の若い連中にこれを投げかけます。
なんとコンピューターを設計したこともない若いエンジニャが私がやります志願してきます。それでほとんどを入社後1,2年の若者たち30名ほどを選んでこのチャレンジを任せます。

人の使い方の究極みたいなものです。人の能力を200%に発揮させる手法です。
そして山田さんは彼らにプロジェクトを与えて自分は決して一言も口を挟まず、すべてを任せたそうです。そしてこの入社数年の若者たちが見事に6日を45時間まで短縮したとのこと、見事な人の使い方です。人の能力を見事に300%も引き出しているのです。
しかし面白いのは金型製造の経験のない ずぶの素人でした。しかも法学部出身のリーダーが優れていました。とにかく先入観がないのが一番幸いしたのではないだろうか。そして挑戦する精神の持ち主だったのがよかったのでしょう。それにしてもこの連中に全幅の信頼を寄せて仕事をすべて任せた山田さんの人を見る目がすばらしいですね。

こんな上司に恵まれてこのチームに人たちは大変幸せだったでしょう。
とにかく匠の感覚を数値化して製造装置の性能をその数値化した値まで精度を上げること。これはすべての変動値に対する精度を出すために大変な努力が伴いました。
それをこの若い連中が一つ一つかたづけていきます。
たとえば1ミクロンの精度を出すためのドリルビットの精度だししかも数万回の高速回転をしているドリルの歯をミクロン単位で制御します。
これも金型を作ったことのない大学を卒業して間もないエンジニヤーが取り組むのです。先入観のないこと従来の概念にとらわれていないからできたことだろうと思います。

しかし山田さんはどんな気持ちでこれらの若い連中を見ていたのでしょうか。
もういつでものどから手が出そうになっていたのではないかと思う。
そしてとうとう彼らは45時間を達成します。
おめでとう、むしろ 山田さんにおめでとうでしょう。

そのほか山田さんはあらゆる製造工程の短縮する手法を編み出します。
そしてその手法を日本の各製造メーカ に提供します。

アントレプレニャーはそのビジョウンをしっかり持ちそしてそれをいつまでも持ち続けることです。そしてそれを共有できるチームを持つことです。そして難しい高い目標を全員一致でチャレンジすることです。

成せばなる成さぬは人の成さぬなり です。
そして”Acceleration is the money” がついには雪ダルマが坂を転がって太っていくようについには 雪だるまが転がっていってますます太りたくさんの利益を上げていきます。この利益がさらに次のチャレンジにつぎ込まれていきます。
今インクスは人がほとんどいない全自動の金型工場”零“工場が長野県にあり、携帯電話の金型を人手を経ないで24時間つくられています。

さて山田さんの次のチャレンジは何でしょう。
もしかすると“零”工場から車が出てくるかもしれない。
山田さんがかかれた”インクス流“ という本にチャレンジの詳細が書かれています。

2008年 タイコンファレンスで講演する インクスの山田真次郎 社長

2008年 タイコンファレンスで講演する インクスの山田真次郎 社長

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