出井さんは1昨年”日本進化論“を出版されたこの本はその続編として日本としてどうのように世界と対応していくかの提言をされている。
時あたかも民主党鳩山政権の誕生と合わせて日本としての行く道を示唆されていてタイミングのいい出版だとおもいます。
出井さんはソニーを引退されてから、企業を離れて日本と世界を視野にいれたおおきな活動に入られた。それが氏の主催されるAsian Innovation Forum でした。
当初アジヤの視点から福岡で二年間開催され、昨年は東京で開かれた、アジアの視点から世界の視点に変わったものかと思われます。
日本の閉塞感を打ち破って次の発展のために日本で何をすべきかを考えるフォーラムでした。
今回は若い世代の人たちも企画に加わり問題点の解明と対策を打ち出さんとしたフォーラムでした。
本の中で参考文献として取り上げられている、サミュエル、ハンチントン の“文明の衝突と21世紀の日本”もまた日本の特殊性とその文明が他の文明と大きく異なっていて、独自の文明を作りだしていること、そしてその文明は中国ともアメリカとも違った文明だと述べている。
そして21世紀が違う文明と文明の衝突によって各地で紛争が起こっている。イスラエルとアラブ諸国との紛争。東欧におけるイスラム文明と 東方正教会との摩擦。それに加えて米国の超大国が相変わらず世界のポリス然として自国の勢力を伸ばそうとしていること同時に中国が第二の経済大国として近隣を自分の勢力範囲に入れようとしているなどによって世界は新しい勢力範囲が形成されようとしている。
ハンチントンも日本は文明的にはアメリカとも中国とも違う、したがってどちらに近づくかが大変難しい選択であると述べている。
卑近な例では鳩山総理が 東南アジヤ構想を打ち出せばオバマ大統領はすぐさま環太平洋構想を打ち出して東南アジヤ構想はアメリカ抜きには駄目だぞというサインを送っている。
日本は経済的には中国との提携なしでは考えられないし、又勿論アメリカとの提携は安全保障上からも経済上からも必要なので両国とのかかわりにはいろいろ注意が必要になりそうです。
ハンチントンも日本は其の特殊な文明のために中国ともアメリカとも摩擦の種を持っていると述べている。そんな中で日本はどう動いていくのか又日本の経済を立ち直らせて違った文明とどのようにかかわっていくのかを考えなければいけなくなるようです。

出井さんは中国の天津でのコンファレンスに出られて天津の様子を沸騰する都市であると述べられている。今ここでは世界の金融の人たちが集まって金融の中心たらんとして動いているそうです。そしてシンガポールの会社がここにエコーシテイ を中国政府と共に建設しているとのこと、これこそ出井さんが日本の企業に期待する21世紀の産業だと考えておられることです。出井さんは日本のインフラ産業を集めて組織化すれば開発途上国の発展のために貢献できるとみています。

時あたかも世界中が新しい技術すなわち、Green energy,(太陽電池、風力発電、地熱発電)、また CO2を出さない エコーシテイ、エタノールの開発、21世紀の問題、飲み水を作る技術、そして又新幹線の技術などを必要にしている。ありがたいことにこれらの技術はすべて日本が持っている、もしこれをアグリゲイトするソフトと企画があれば日本の企業群が世界に貢献できるのだと説く。
これこそ日本の東南アジヤ構想の要とすべきだと提唱されている。

私が思うのに今こそ日本の商社がこの役割は果たせるのはないかとおもう。ただし従来どおりの系列だけのアグリゲイッションではなく、系列を越えたアグリゲイッションでなければ世界に対して優位に立てないのではないかと思う。そんな意味で商社も冬の時代を抜け出せるのではないだろうか。

又出井さんは日本の会社は グローバル に展開しなければいけないという、日本の会社は初めからガラパゴスとなっているたとえば会社の名前がJ(Japan)だったりN(日本)だったりあるいは東京だったりする、JR, 東日本、東京電力、初めから日本だけのマーケットをめざしてしまっている。出井さんはG(Global)とか,あるいはA(Asia)にしたらと。
ガラパゴスの最たる例が日本の携帯電話です。NTTが日本独自の規格を決めてしまったので日本のメーカーは 外国向けの商品を作ることができずに気がつたら世界のマーケットから締め出されていた。それにつけてもフインランドのノキヤ が何と世界一の携帯電話メーカーとして大変な勢いを保っています。ノキヤが何と世界の40%のシェヤー、その次がサムソン、日本のメーカーは完全に蚊帳の外に置かれている。いかにグローバリゼイッションが必要かをものがたっています。自国だけの規格は外部からの競争をシャットアウトするけれども逆にグローバリゼイッションをシャットアウトしています。やっぱり国際規格に賛同してそれに参画すべきですね。

志のあるベンチャーを志のある大企業がそだてる。と提言されています。しかし私は大企業の NIH(Not Invented Here)が底に流れているところでは無理ではないかと思う。
むしろ大企業が胸襟を開いて優秀な技術を開発しているベンチャー企業を買収して自社の研究部門として取り入れて開発を進めていけば大企業もまた一つ先に大きくなれるのではないでしょか。そのためにはNIH をなくすと同時にベンチャーの技術を正当に評価できるマネジャーの存在が必要かとおもう。
日本のM&Aは大きな会社で経営がおかしくなったのを引き受けてそれを立て直すという例はたくさんあるけれども、ベンチャーをM&A して自社の発展の柱にする事例をあまり見あたりません。
一方シリコンバレイではシスコ のように技術を持ったベンチャーをたくさん買いあさってそれらの技術を自分の企業の核として大いに発展しています。
いわゆるアントレプレニヤーのイノベイション を十分に活用しているのです。

このようなベンチャー企業はまずはベンチャーキャピタル がある程度まで育て上げています。そしてシスコ、あるいはグーグルが買収した時でも十分な利益をあげています。
そんなわけでシリコンバレイのベンチャーキャピタル と大企業はお互いに利用し合ってテクノロジーの強化と企業の発展に大いに利用しています。
日本のベンチャ―キャピタルの投資総額は年間はわずかに3千億円ぐらいです。それに比べてアメリカでは10倍の3兆円です。せめて日本のベンチャーキャピタルの資金がアメリカの半分一兆5千億円ぐらいまでベンチャーキャピタルに金が入れば日本のイノベイッションももっと増えてくるのではないでしょうか。
日本の株式市場(イクイテイ)もこのようなベンチャーがM&A されたりあるいは上場することによって株式市場もおおきくなり一般の投資家もベンチャー企業への興味も増していくのではないだろうか。
もっともっとベンチャーキャピタルが凄いテクノロジーを持った会社をたくさんサポートして大きくしていかなければいけないのでは、日本の金融業界はベンチャーキャピタルへの投資が少なすぎる、又税法上の優遇策も必要に思う、企業が失敗した時の税の控除あるいはアメリカ並みにキャピタルゲインの税率は下げて投資家の保護をもっとすべきではないでしょうか。日本の機関投資家がベンチャーキャピタルに金を出さないなら政府が7千億ぐらいだしてベンチャーキャピタルに運営を任せる、同時に日本の大会社が30社程集まって7千億円ほど投資してこれもベンチャーキャピタルに運営を任せるそうすれば5年ないし10年以内にはこの中から世界に誇れるベンチャーができるのではないかと思う。そうすれば日本のシスコ、あるいはグーグルができるのも夢ではないだろうか。
そしてそのようなベンチャー企業が大手にM&A されてますます大きくなっていけば経済の拡大あるいは活性化されるのではないだろうか。
日本でアントレプレニヤーの育成ベンチャー企業の育成が21世紀の向かって一番大事ではないだろうか。

TiE2007 Keynote Speech (シリコンバレイにて)

TiE2007 Keynote Speech (シリコンバレイにて)

シルクロードコンサート
ソニーミュージックで長年にわたってマイケルジャクソンを見守り続けた出井さんポップシンガーして 越境と統合を成し遂げた偉大なるミュージャンの死をいたく悲しんでおられる。同時に日本のミュージッシンもまた其の特異な文化がもたらす、世界に受け入れられるユニークな音楽を作り出しているのではないかといわれる。

そんなわけで出井さんはシルクロードコンサートを提案する、日本のグループ“エキザイル”あるいは 安室 奈美恵、ユーミンなど世界に通用するミュウジッシャンでコンサートをして、その利益でシルクロードの砂漠を緑のロードの変えることができるのではないかと提案する。

又京都が持つ独特の文化は世界に誇りうるものだし、奇しくも地球温暖化の議論の末に決まった京都議定書はまさしく京都をそのエコ シテーとしてのシンボルにするにふさわしい協定だと思う、出井さんが言われるように京都発でエコカーのラリーをするのもまた京都文化を世界に知らしめる一つではないだろうか。
それこそ日本文明の世界への発信ではないかとおもう。

アメリカの ウオルストリート のグリーデーさがが(アメリカ文明の落とし子として)世界の金融危機をもたらした。
今こそ日本文明で世界の発展をどのようにして持続させるかを世界に示して、今回の様な金融危機が二度と起こらないように示す必要があるかと思う。それこそ神道、仏教、儒教、あるいは禅から来る心の持ちようを 世界にしめすときではないだろうか。
日本のユニークな文明が世界を救うのではないだろうか。

出井さんの本を楽しみ、かついろいろと考えさせられました。