シリコンバレーのエンジェル投資ブログ

カテゴリー: 未分類 Page 5 of 10

学生と語る、 AIF Forum で東北の学生を中心に議論

9月20日21日の二日間にわたり、出井伸之 さんが主宰するAsia Innovation Forum
の一セッションとして メガネの Jins の田中社長と私で 学生をアンケートで20名選んで招待して、セッションをもちました。 何とか学生の Entrepreneurship とGlobalization
を啓発する試みを行いました。今回は東北震災がありましたので東北の学生を10名他は東京、京都の学生を10名招待してセッショウンをもちました。
東北の学生さんは今回の震災で大変な経験をしてきていますので彼等のアンケートを見ると
ホントに九死に一生を得たすさまじい経験をしています。ですから生きていてよかったと言ています。そしてまたこれからの人生をじっくり考えていきたいとのべています。
彼等はこれから東北の復興あるいは日本の復興に力になってくれるのではないかとおもいます。又ここでNetwork できた他の学生も大いに刺激をうけたようです。

日本で大成功している起業家田中仁さんの話、業績100億以上の経済効果を出して益々発展しているJins の話に皆さん大変興味を持って聞いてくれました。
私はSilicon Valley の起業家と彼等がどのようなChallenge をしているか例をあげて若者の鼓舞をこころみました。さらにSilicon Valley のSerial Entrepreneur Mr. Samba Murthy
にもわざわざ参加いただきかれのEntrepreneur Ship とChallenge の話をしてもらいました。彼は通信業界の歴史を主に歩き且つ技術のLeap Flog のはざまで新しい技術を開発して世界の通信業界に貢献してきた方です。英語のLecture だったのでどれぐらいわかってくれたかしれませんが、雰囲気は理解してくれたものとおもいます。
この後Mentor として IGrow で若い人達を育っている児玉知浩 さん、もと日経BPの編集長 小口日出夫さん、さらに ベンチャーキャピタリスト 齋藤茂樹 の各氏を交えて学生との議論と彼等へのSuggestion をおねがいしました。

皆さんからのFeed Back をもらいました。Globalization についてはこの会をきっかけにしてインド、北欧 に行ってきますと言う人、海外にどびだしていきますと言う人。など。
東北の学生たちとのNetwork ができてよかったという学生。あの凄い経験をした人たちと話が出来たことはみなさんは有意義であったようです。
そして我々若いのが頑張らないといけないと感じたひと。
地域のサポートをかんがえます。アントレプレニヤー を意識してがんばります。
自分の研究からInnovation をおこしたい。
数名の方が東北の復興のために NPO で働きたいといっています。
自分がやりたいことを実行していきたい
さらにこのようなForum で大きなテーマの有識者の話を聞く機会があったことに感謝していました。 皆さんボランテヤでもがんばっているようです。
学生のみなさんこれからもがんばってください。

田中さんと私としてもこのセッション をスポンサーした甲斐がありました。
されにクオンタム リープ の出井伸之さんありがとう。

学生のみなさんこれを機会に今後どんな風に自分が活躍しているかを田中仁さんと私にメイルくれるとたのもしい。

それとMentor になっていただいた皆さんありがとう。皆さんのお話大変参考になりましたと学生のみなさん感謝していました。

又会場に参加していただいた若い起業家のみなさんとアメリカ方で日本で頑張っておられる方々から色んなSuggestion を学生に与えてくれてありがとうございます。
来年は別な形で学生と向き合っていきたいとおもいます。

起業家必読の書

夢と希望とロマン
無医村奄美大島 徳之島で、夜中にお医者さんが来てくれなくて幼い弟を亡くした徳田虎雄さんそしてその時彼は小学校の三年生だった。この弟の死が彼をして医者になる決意をさせて、夜中でもいつでも病人を見てくれる病院(救急病院)を作ろうと決意します。 それからの徳田さんは目標に向かって必死にがんばります。
大阪大学の医学部に入るために一日16時間の勉強を必死にして3年の浪人ののちに無事大阪大学の医学部にはいります。
その後父親がなくなり三名の弟、たちを大阪に呼び必死にアルバイトをして家族を支えながら医学の勉強に打ち込みます。同時に結婚し、そして又奥さんにも薬学部への進学を援助します。
夢を実現するために必死にアルバイトをし、必死に勉強をします。
そして決して希望を失うことなくがんばります。 その頑張りはすごいものです。
救急病院をたてると言うロマンは決して枯れることはなくそのために必死の勉学にアルバイトにがんばります。 
父親代わりに弟や母さらには妻を抱えながらその努力は大変なものだとおもいます。

徳之島は奄美の中で二番目に大きな島です。 なにせサトウキビを植えて黒砂糖を作る位が産業で後は大島紬を織ってわずかな金を得る位しか産業がありません。
黒砂糖も本土の貪欲な商社によって安く買いたたかれます。これは薩摩の時代からの搾取の歴史です。当時はアメリカの信託統治下でしたから日本にも自由に行けなかったのです。昭和28年日本に復帰できてから日本に自由に行けるようになるのです。日本復帰以後は鹿児島から資本が入り島民は相変らずサトウキビを安く工場に売らざるを得ない構図は薩摩の搾取とあまり変わらなかったのでは。私も学生時代に仲間と日本復帰で政府が奄美振興資金を投入した、それがどのように活用されたかを見るために友人たちとひと夏を奄美の各島々を キャラバンしました。復興資金は結局金のある本土の人たちがその金を使って黒砂糖工場を興し又徳之島には パイナップルを栽培してパイナップルを本土に供給してかせいでいました。農民はやっぱり旧態依然としてその懐にはあまり身入りがないようでした。復帰後も無医村はたくさんありました。
救急病院は後に徳田さんが全島に徳州病院を作られるまでありませんでした。
大病をすると鹿児島か沖縄へ行くしかなかったのです。奄美大島が日本に復帰してからは逆に沖縄へは行けなくなりました。沖縄の復帰はそれからされに遅れて19年後の昭和47年になったのです。沖縄の人たちの苦労がおもいしらされます。
勿論私が小学校を過ごした与論島にも病院はありませんでした。
徳田さんのおかげで我が島にも立派な徳州会病院ができています。 徳田さんほんとに有難う。

三名の弟達の大学への進学を支えながら徳田さんはがんばります。 夢とロマンが彼を支えつづけてくれたのです。弟たちも何年も浪人しながら三名とも医学部に進学そしてついには兄弟四名とも医者になるのです。弟たちは兄貴の背中を見て頑張ったのですね。兄弟四名で何と18年も浪人したのです。

徳田さんの頑張りはどこから来たのでしょう。それは母おやの生きざまだったのです。朝から晩まで野良仕事で家族を養うために頑張ったのです。
徳田さんはその母親の背中を見て自分も頑張らなければいけないと頑張ったのでした。“母の力”の本の中に自分にとっては母親が競争相手であったとかいています。
母があそこまで頑張るなら自分はもっと頑張らなければいけないと自分に鞭打って勉強に励んだのでした。そして難しい大阪大学の医学部に入学をはたします。

医者として仕事を初めます、そして率先して色んな臨床例の経験をつんでいきます。
それは自分が病院を作った時どんな患者でも受け入れなければいけないのでその準備であったのです。
そして最初の病院を立てる時一億何千万円のお金の保証に生命保険をかけてお金をかります。何せ当人は無一文ですから。そしてまた2軒めもさらに十億円以上の保険をかけて病院をたてます。そしてその後は銀行がお金を貸してくれるようになってついに全国で140もの病院をつくります。されには世界200国にも病院を作る計画をたてます。2006年にはブルガリアのソフイアに10階建て1016床の病院をたてました。
“生命だけは平等だ”、“愛があれば頑張れる”と言うフイロソフイー で何と無一文から140以上の救急病院をつくるのです。そしてそれも法人組織にして自分のものでなく法人のものにしています。
何と素晴らしい“利他”の精神です。

我々ベンチャーとの付き合いを生業としている者にとってすごいとおもいます。
ベンチャーはまず金を集めてからスタートします。徳田さんのように目標をきめてからかかり金は後からついてきています。頑張れば不可能はないですね。
Where there is the will, there is the way。 です。

徳田さんはさらに政治の面から医療を見直そうと、衆議院議員に立候補します。そして議会でも活躍します。
残念ながら2002年に筋委縮性側索硬化症(ALS)と言う難病にかかります。
この病気はからだ中の筋肉が動かなくなる大病でいまのところこれを直す薬はできていないようです。 それでも徳田さんは負けずに世界中に病院を立てる夢を追いかけながら陣頭指揮しています。 
徳田さんこそ“命は平等”の精神で利他の心でがんばっています。難病を解決するために何百億の金をつかっている Bill Gates よりはるかに偉いとおもいます。
いまこそ彼にノーベル 平和賞を差し上げたらどうでしょうか。

母の力の偉大さをおもいしらされました。そして兄弟愛、故郷愛の素晴らしさ、又夢を実現するためのあらゆる努力に感銘しました。
起業を心がける若者よ、是非この本をよんでください。そして自分の夢をしっかり持ってそれからたゆまぬ努力をしてください。
金は後からついてきます。 頑張りましょう。

私の息子、拓君(NewYorkで医者)が 徳田さんをたずねました。その時私の本 “エンジニヤーよ挑戦せよ”ももたせてあげました。そしたらわざわざこのサインをいただきました。同郷のよしみで懐かしく思ったのでしょうね。
徳田さんはいまからだ中の筋肉が動かないので車椅子の)生活です。そして眼だけが動くので付き添いの人に目でいろはを指してそれでサインしてくれたようです。
そんな中でまだまだ夢を追いかけ アフリカなどの貧困な国に病院をたてる夢をおいつづけています。近代医学で早くのこの(ALS)を治療する薬ができることを願いたい。

Tohoku Tsunami and Earthquakes Disaster

March 11, biggest Tsunami and Earthquake hit Northeastern part of Japan.
Terrible Tsunami Video are televised to all over the world .
Friends from all over the world want to help Japan, they send money and emergency rescue team to Japan. US immediately set the Operation Tomodachi (Friendship). They send USS Ronald Reagan and send heavy equipment to move the rubble. They helped to clean up the Sendai Airport, and they work hard and open the airport together with Japanese self defense forces, very short time.
Last month I visited Tokyo, and like to see disaster area, my wife and I visited Ishinomaki city. Behind the city there was little high hill, and top of the hill there is Hiyori yama Koen(Park), when Tsunami come in many people drive and walk up to the hills.

They saw many of their friend 、 cars, houses are washed away.
We went the park and we saw the City, speech less, there is no house left only Concrete
Hospital few office is remain.
Volunteer from city are explaining visitor how Tsunami washed away ,they lost several of their relative , some say he lost uncle and his son. Some say she lost her husband.
Hard to holding the tear, but now they have nice smile on their face and they are now ready to move for the future.
We went convenient store to buy some food, young girl she said she lost her relative.
But she have nice smile and good sprits.
People really now want to move next step.
All city is destroyed, only this Hiyori Yama area house did not effected.
Who can image 15 meter of Tsunami can come. Human being have so small power, Nature have huge power, they can carry Car and put it on top of the 3rd story building.
It is hard to believe.
After seeing destroyed City I do not know how us individual can help the people of the area.

Government action is very slow, majority people are still stay in the shelter.
Many many people do not have work.
I do not know how I can help.

On our way to Ishinomaki we met Young American who is teaching English to the primary school and junior high school, he have such nice smile and he enjoying to teach children. It is nice who can give a such nice smile , people will be getting some power from him.
I talked Japanese ambassador Roos, is any chance can you send young American to teach the English for children, At least he can show the entrepreneurship and globalization, young student can be enhanced their entrepreneurship..
Ambassador have initiating several project as “Tomodachi Sakusenn”.
United states are ready to help Japan what ever they can.
Ambassor Roos say US Japan relation will more tight after this disasters.
They have several plan to encourage people in Japan.
There is proverb in Japan, “Masakano tomo wa ,shin no tomo”, A friend in need is a frined indeed.
United states are really friend indeed.

Our government must also rush to help the victim.

I wonder if Government set up the Tax free for the company who want operate their business in these area and give tax advantage for several year.
May be we can invite Silicon Valley start up to hire Japanese engineer.
I like to find if there is such company.

Before that government really should set up tax advantages and some financial help for the people who can come to start their business.
We need accelerate to recover these area and must show the world , Japanese are still strong and can overcome the difficulty quick.

Hope I can do some thing to help these are


Ishinomaki city,


Ishinomaki city Destroyed whole city.

Hiyori Yama Park , Volunteer are explaining what happen when Tsunami hit. 日和山公園、

Anecdotes from an Accidental Entrepreneur – The Story of Anand Rajaraman and Junglee

Presentation by Anand at My Story, a TiE Silicon Valley Program on August 4, 2011. Tsuyoshi Taira introduced Anand and joined the Q&A session.

Anand Rajaraman, Venky Harinarayan, Ashish Gupta and Rakesh Mathur and I started Junglee in 1996. It was really good timing for starting a company as the Internet had just arrived and its use was booming. There was a big demand for search engines and many search engine companies were started. When we started, there was no Google yet.

During the annual TiE Conference in 1995, I was kidnapped by Rakesh and Ashish. We went to Stanford University and met Anand and Venky who showed us their search engine. At that time, search engine users could use only one word for search and as a result the engine gave too many search results. It was hard for users to get what they were looking for. We saw a search engine that could search for multiple words – “A and B” and that was a great improvement for a search engine.


My friend Naveen Bisht chaired the event and I joined to Q&A.

The very next day I invited seven Taiwanese businessmen. We had dinner and I told every one: “this is great technology and all of you should invest in this company.” I allocated $100K each, raising $750K as seed money for Junglee.

After very hard work by these engineers, we made a job search site for The Washington Post. We raised several million dollars more from The Washington Post and a few Japanese corporate investors. After several technical improvements, Amazon came in and acquired us in 2009. Internet was still booming and Amazon stock skyrocketed. We had a very good return.

All Junglee founders then moved to Seattle where Amazon is located. There they contributed to create Amazon’s Marketplace business. Their development of competitive analysis search engine really helped with Amazon merchandize sales, which accounted for over 30 percent of Amazon’s gross sales.


I was helping to raise seed money of $750K.

After 3 years of work as hostages at Amazon, all Junglee founders came back to Silicon Valley. Anand went back to school to finish his Ph.D., and he also taught at Stanford.

Anand and Venky started a venture capital fund with Amazon CEO Jeff Bezos’ investment and some additional funds from us. These two brilliant engineers love new challenges and their enthusiasm for search engines never stops. They started Kosmix, a search service for health and medical information. They reached 5 million users and became one of the top three health information providers. Wal-Mart saw the opportunity of this company and they purchased Kosmix with $350 Million. Anand and Venkey’s technology really paid off.


BusinessWeek honored Junglee founders Anand, Ashish, and Rakesh.
Dinner with Rakesh and Ashish’s families.

I was lucky to be acquainted with these engineers. It was very exciting to see young engineers explore their ability and create the new technologies. We need to look for more young engineers who can take on the challenge to create new technology and contribute to the US and world economy.


The triangle helped technology implementation in the real world.

I have been indeed very fortunate to get to know these brilliant engineers and participate in their journeys as entrepreneurs.

Enjoy following Utube video
■part 1

■part 2

戦略に命をかけた男 〜中條高徳さんの講演会を聞く。〜

先月、中條高徳さんの講演を聴くチャンスがあった。
中條さんは朝日ビールの危機を救った経営者です。そしてあのAsahi Super Dry の生みの親です。日本敗戦後にマッカーサーの政策によって朝日ビールは会社を分割されてしまいます。朝日ビールとサッポロビールに、そしてキリンビールと3社がほぼマーケットを三分するように分割されました。当然ながら分割された会社はその機能は半分ではなくもっと小さくなってしまいます。これがその後の朝日ビールの苦難となって行きます。そしてついにはマーケットシェアは10%切るまでに悪化していきます。この危機を乗り越えるために打ち出したのが中條さんのビールは“生”が一番おいしいという戦略でした。
開発部隊、マーケティンググループとの意志の疎通、そして各部署とのベクトル合わせが一番大変だったようです。そしてベクトルがあって初めて皆の力が合わされて大きな力となってプロジェクトが前へ進みます。
このベクトル合わせには中條さん一番苦労されたようです。

中條さんのこの時の苦労を聞くにつけ組織の力学がどのように企業を成功に導くか又は反対に押し流されて失敗に終わるかの紙一重のところに有るのを感じさせられました。ここでプロジェクトを成功させるには前向きで、確固たる信念を持ったリーダーの存在が必要となります。中條さんはビールは“生“の信念を少しも疑わず確固とした信念を持ってチームを引っ張り続けてついにキリンビールを追い越し朝日ビールを日本一にしたのです。
現代の企業 競争の通説は 企業はマーケット シェヤ第一と第二位しか存在しえないそして第三位以下の企業は業績がだんだん落ちて何時かは消えていくと言うのが通説でした。半導体業界然り PC 業界然り、ソフトウエアー業界然りです。MITハーバートのケイススタデーがすべてこの結論を得ていました。

朝日ビールの第3位からトップに躍り出たことは前代未聞だし、アメリカの経営経済学者の鼻を明かしたことは言うにおよばずです。

さてそれではどうしてこのように前代未聞の成功をみちびくことができたのでしょう。
中條さんは孫子の兵法の応用、あるいは作戦要務令の応用だと言われておられます。しかし氏の活動規範を伺う限り決してそれだけではなさそうだしもっと深く氏の人生に対する考え方道徳の有り方に其の成功要因をみることができます。

氏の仕事への取り組みはいつでも命をがけです。
先年上越の友人からその会社の何周年かの記念講演に1年前から約束していたそうです。その日が近づいた二日にめまいがして気分がおかしくなったので急いで医者に診てもらったらこれは大変だすぐ手術をしなければいけないという、さっそく集中治療室に放り込まれ検査を受けたそうです。でも明日は友人との約束した講演会の日です。主治医に必死の思いで頼み込みすまないが明日一日だけ勘弁してください、講演が終わったらすぐ帰るからと頼み込みついに集中治療室抜け出し、上越に向かったそうです。其の時医者は私は責任持ちませんよ、もしかしたら一命を落としますよと警告しました。もしどうしても行くなら息子を連れていくことそして絶対座って話をしてください、立て話したらいけませんよと。

さて講演が始まり話が佳境に入ると、もう当人は立ち上がって話を始めたようです。息子さんは気が気ではなかったようです。そして講演が終わり急いで汽車に乗り集中治療室にむかいます。しかしもう疲れはてて当人はこれでおしまいかと思い遺言状をしたためて息子に渡して病院に急行したそうです。勿論次の日に手術、手術は無事終わりました。心臓の修理はうまく行ったようです。医師曰く先生あと20年位働けるようにしっかりと修理しておきましたよ。とのこと。

この話を聞いてなるほど中條さんの経営はいつも命がけだから3位が1位になれるのだと理解しました。

企業でベクトルを合わせるのは並大抵ではありません。しかも何年にもわたる経営の惰性が部署間の壁を作ってしまいます。各部署が自分の部署の思惑を優先します。もしも会社にビジョウンがなければ各部署の思惑だけで仕事がすすめられてしまいます。会社のビジョンの確立が大事です。そして後はベクトルをあわせることです。日本の大企業は明確なビジョンの確立が難しく、そしてまたリーダーの不在の為にベクトル合わせが出来なくなってしまっています。だから大手の会社がつぶれたり安いバリューでM&Aされていくのです。

中條さんはどの時点でもいつも会社の将来を慮り自分なりの解決策をいつも考えていたようです。決してこのボンクラ上司がいないともっと仕事がしやすいのだがなどとはけして思っていなかったようです。しかしいつもどうしたら会社を発展させるにはどうするかは考え続けていたようです。朝日ビールの中興の士である山本社長が社の現状を話してくれた其の時中條さんはその話を聞いてついに涙してしまった。かってのビールの王がこんなに落ちぶれたのかと涙がでたのだそうです。中村さんはそれを見逃がすはずはありません。早速中條さんをよんであの涙はなにかと訪ねました。朝日ビールの現状を見てあまりにも悔しかったので涙したと答えたそうです。それを聞いて中村社長はそれでは君、会社再建の青写真を作れと命令されたそうです。それが涙の建白書になるのです。それが朝日ビールの再建につながったのです。

森信三の言葉の中に次の様な一節があります。

 ”人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。これは(出逢い)のうちに秘められた。神意と言うか、天意の恵みについてその哲理の表現でありますとともに、一見、偶然と見られる事柄も、すべて必然性の作用によるということです“

中條さんはこの中村さんと言う社長に逢う必然性があったのですね。それからが中條さんの活躍で朝日ビールが再生されて日本一になるきっかけとなっていくのです。

中條さんは人の縁を大事にされています。 袖振り合うも人の縁だと。人生の中でのふれあう縁と言うものそれがもし必然性であったらこんな素晴らしい出会いはないでしょうね。ビールの味について色んな人に聞いています。しかもキリンビールは初め、競争相手の技術者の意見をきいてまわっています。これこそネットワークの真髄です。あるいは中條さんの絶えざる“袖振り合うも人の縁”を大事にしてきたからこそだとおもいます。

サラリーマンで会社の仲間と飲んでいるときの話題の大半は上司への不満が大半です。もしこの上司がいなかったらもっといい仕事ができるのにもっといろんな挑戦ができるのにとの愚痴が大半です。しかしその上司のそのうえの方が貴方の仕事ぶり内に秘めている思いをみているものです。あるいは他の会社の人が貴方をみています。そしてある時逢うべきして逢う人に必ず逢えるものです。兎に角いつも改革の意識とチャレンジ精神を持ち続けておれば必ずメンターあるいはサポーターがあらわれるものです。

講演が始まる前に中條さんとはなしをする機会がありました。そして読みかけの“御爺さん戦争の事教えて“の本に毛筆でサインをいただいた。さらに御自分でおもちであった “陸軍士官学校の人間学“の本までいただきサインもいただいた。書いていただいたのは“一期一会”でした。

私も又、逢うべき人に必然的におあいしたのだと認識しました。
これからは何か相談したかったら時間を作ってくれるものとおもいます。
この縁を生かすのは後は私の努力しだいだとおもいます。中條さん今日の講演会ありがとうございます。

素晴らしい人物にお逢いできて大変うれしく思いました。
孫子の兵法をビジネスの状況に合わせて解説してくださった。

“小が大に勝つ兵法”
朝日ビールの戦略と照らして解説していただいている。
楽しみの一冊です。

“おじさん戦争の事おしえて”
この本で初めて教育勅語をよませてもらいました。こんな素晴らし記述があるのをどうして葬り去ったのか。戦争に負けても自国の誇りは保つべきではなかっただろうか。戦後のマッカーサーのあるいはアメリカの戦略にすっかりはめられて日本を駄目にしてしまったようです。是非一読してください。

“陸軍士官学校の人間学”
さていまの世の中にこれに近い学校を作るとしたらどうしたらよいだろうか。これから我々が考えて若い人たち育てるために考えなければ行かない重要な課題だとおもう。昔の村塾あるいは寺小屋のように人間教育、道徳教育を小さいうちから教えそしてチャレンジ精神の旺盛な子供たちを育てないと日本の将来が危ないのでは。そんな学校を沢山作る必要があるのでは。

感性は力

感性は力                march 1,2011

失われた20年、いまだ立ち上がれぬ日本経済、そして活力を失った日本の若者たち、どうしたら彼等をエキサイトできるのだろうか。

芳村思風さん と行徳哲男さん の共著 “いまこそ感性は力”にその解答があるように思う。

Steve Jobs のことを書いた “The Innovative Secret of Steve Jobs.”の中に若者を奮い立たせるような感性の力が生き生きと描かれている。この二冊の本を読んで人をエキダイトさせるリーダーの姿を見ることが出来た。

今こそ感性を磨いて人間としての本質に還って日本を生き返らせることができる起業家が出てくれる
のを期待したい。

そして起業にチャレンジして世界に冠たる大企業に育て上げて日本経済を立て直してくれる人がたくさん出てくれることを期待したい。

昭和35年 芳村思風氏は “感性論哲学の世界” を執筆し 自費出版をした。その本を最初に買って読んだのが行徳哲男 氏であった。その出会いが二人を感性哲学の宣教師にしたのでした。
西洋の理性を基とした哲学がその力を失って以来、感性哲学こそ、現代の危機を救うのではないかと言う、御二人の持論をもとにして対談形式でこの本“いまこそ感性は力なり”が書かれている。

本の中からそのエッセンスを拾って紹介したい。
王陽明の言葉の中に“天下の事万変(激動、激変)といえども吾がこれに応じて生き残れる所以は喜怒哀楽(すなわち感性)の四者を出ずです。これすべて学の要にして政(マツリゴト)、又すべからくそのうちにあり” 
何と感性の重要性を500年も前に唱えてくれいたのです。
西洋哲学が理性が天から与えられたものだとしてそれを人生の指針としていたので、感性がなおざりにされてしまったのである。

理性とは生きているものを殺す力がある。だから宗教戦争、民族戦争、イデオロギー闘争で大勢の人が殺されるのである。

アジアで最初に ノーベル賞をもらった,哲人 タゴールは国家の崩壊の要因に [哲学無き政治]、
[感性無き知性]、[労働なき富]、[人間性なき科学]、[犠牲なき宗教]、などをあげている。中でも
感性なき知性こそ国家崩壊の最大の要因だと、行徳氏はいっている。
日本の失われた20年も日本のリーダーのこの感性なき知性がもたらされたものでしょう。

今回の金融危機もウォルストリート の労働なき富によってもたらされたものかと思う。

感性こそ今の日本あるいは世界を蘇らせる力かもしれません。
日本のリーダーに期待したいが、あまりにもビジョンがなさすぎる。 感性の欠如なのかもしれません。
芳村思風さんは[感性は何かと一ことで言ったら感性は人間の本質であり。生命の本質である宗教の究極的な実存だとおもいます。ですから感性と言うのを本当に極めて行ったなら宇宙の摂理に則った生き方ができる。そいう絡みがあるわけです。] 
とおっしゃっている。
行徳さんは [フランスの哲学者レイモン、アロンが今の若者を覚醒させるには(死ぬ気でぶっつかれる偉大な思想)が必要だと述べている。]

今日本には確かに若者をエキサイトさせる目標あるいは夢が与えれられていないのでは、感動を与える夢、あるいは国家としての目標みたいなものが必要なのです。

かってケネデ が人間を月に送りそして無事に地球に返すのをこの10年の間に実現しようと言う、目標を掲げた、その目標で若者がどれほどエキサイトしサイエンスに進むひとが増え、また、イノベイッションが啓発されたのです。

バブル崩壊後の資本主義経済の行き詰まりを打開するには感性を基にした大きな目標あるいは夢を掲げる必要があります。

芳村思風さんは[人間にとって最高の哲学とは、(この為なら死ねる)と言うものをもつことです。
それがないと完全燃焼はできませんし、本当の感動はありません。だからリーダーは人を感動させて皆がついて行きたくなるような人間的魅力が必要なのです。そういう人物が今はいないということが非常に大きな問題です。] と述べられています。

ドラガーは日本の明治維新は奇跡だと言っている。どの革命も大勢の人が殺されています。しかし江戸城開城の時には一滴の血も流れていない。それは優れたリーダーが感性型だったからという。
西郷、龍馬、とか山岡鉄舟 などというリーダーがいたからだ。

[第三の波]を書いた アリビン トフラー は情報産業の第三の波にどう対処するのかをたった二つの事を考えればいいとのべている。
一つは イマジネイッション で(こういうものを作りたい)と想像する、それが(創造)につながる。
もうひとつは 情熱です。この二つ以外は下請けに出しなさいと言う。

なるほどSteve Jobs が人が最も使いやすいコンピュウター を作りたいと言う イマジネイッションを持ちそれが Iphone、Ipad に創造されていき確かにこれらはみんな下請けで作られている。

Steve Jobs に見る感性のリーダー。
Steve Jobsの事を書いた “Inovation Secret of Steve Jobs” に見るリーダーのすがた。
Steve JobsはVision を絶えずかかげている。そしてそれにものすごいPassion をくっつけている。  曰く 
“Passion was meaningless without Vision” 
”Dream Big , Create、 Vision is the fuel that give you eneergy to reach your drems, but vision provide the road map.”
Vision に協力な Passion をつけている。
このVision とPassion がゆるぎないものでり一貫していただから一度Apple を離れて復帰してさらに20年にもわたって、そのVision は変わることはなたかってのである。
そして今アメリカ第2の大企業となったのです。

Steve Jobs こそ、”今、感性は力“ に述べられている、リーダーである。
また感性があればこそ Xerox Park でみたユウーザー インターフエス の技術あるいはマウスの概念が使いやすいコンピュウターに必要だという イマジネイションが創造につながったのでしょう。
そして今日の使いやすいコンピュウターが出来上がったのです。

又Apple を追われた後でも Next を作り マッキントシュの技術の進化が維持されたのです。
 リード カレッジをドロップするときにカリグラフ に魅せられたそしてその講義だけは受けた、それがコンピュウターの 美しいホント になりさらにはPixar でのアニメイッションの制作で素晴らしい映画を作ることができたのです。大ヒットした Toy Story など、ができたのでしょう。
Steve Jobs の過去を見る限り、感性の磨きをかける歩みであったようだ、インドを旅し仏教に興味をもち、されにカリグラムに興味をもち、それぞれの点で生きてきた感性をある時神がそれをつなげてくれたようです。

野球選手のイチローが野球世界大会の時最後に彼の打席が来た時に、ヒットを打って日本を優勝に導いたのでした。 この時 インタビユー で彼は何か神が下りてきたように感じたといいている、 彼も又素晴らしい感性持ち主であったからあんな究極の状況でヒットがうてたのです。

行徳さんと 芳村さんが 感性で生きているとは“点” で生きているという、だから 点(てんで)楽しいのだと愉快に笑っておられていたのがおもいだされる。

Steve Jobs も イチロー も点で生きたて来たのだなあと思う。

Obama 大統領が今又第二のケネデー たらんとして再びアメリカの Inovation を活性化し科学教育を強化しようと議会で演説をしています。今停滞している Inovation をもう一度立ち上がらせようとしている。 だからシリコンバレイを訪れて業界のトップをあつめてデナーをしている。(2月17日)
出席者は何とSteve Jobs 若き天才 Face Book のZuckerberg, 
Oracle の Larry Ellison, Stanford 大学の John Hennessy 学長 Twitter の社長、やっぱりInovation はシリコンバレイに期待するのがおおきいのでしょう。

日本のEntereprenur もがんばってほしいですね。先日日米Inovation Forum があり日米の起業家政府の関係者で双方のコラボレイッション でInovationを興していこうと言う集まりがあった。
ルースアメリカ大使が日本の事を心配されて提唱したようです。
有難いですね。なかなかいい会議でした。日本から起業家代表としてJins の田中仁社長が出席されてメガネの革命を話されていた。日本のEntreprenurs も素晴らしいですね。これ又良い感性の持ち主です。

我々は毎日朝に神仏に御祈りをしてその一日をスタートしてきました。爺さん婆さんを見て自然と神仏に御祈りをすることを習慣としてきたのです。それが日本人の 感性をはぐくんできたものとおもいます。
だから王陽明が言うように喜怒哀楽の矛盾の中に生きてこれたのです。

ドラガーが日本人は問題を解決する能力に優れていると言ってる。確かに大化の改新、蒙古の襲来、江戸城無血開城、第二次大戦後の復興など様々の問題を解決してきた。そしてまた今度の経済危機も乗り越えていけるものと期待したい。

芳村さんは日本は世界の色んな文化を矛盾なくうけいれてきた。それは日本人は神道と言う純粋無垢な心を根底にすることによってあらゆるものをうけいれる受容の能力を持っているからという。
それが日本の(和の文化)だと言う。そして大和心を持ち、大和心を実現するために大和魂を養ってきたという。今世紀は和の精神をひつようとしている。世界平和は 和の精神を実現することによって実現されるのだと。そのためには日本人が世界で活躍しなければいけないと提言している。

金融危機の後で

金融危機の後で、 February 8,2011
2010 年6月にスペインのマドリードの国際保健会議(IIS)で日本生命の会長
宇野 郁夫 さんがキーノト スピーカーを務めた。宇野さんは今回の金融危機がウオールストリートが自分だけが儲かればいいということから来ているのだということで警告を発したのでした。
その時の様子を牛尾治朗さんとの対談で(致知と言う雑誌で)語っておられた。徳が備われなくなって結果だとはなされた。
その中で、1776 年にアダムスミスが国富論を書く前に、“道徳感情論”の中で、経済の本来は社会倫理、道徳が確立されて初めて機能すると言った。さらにケインズも経済学はもともと“モラル”を前提として成り立つ学問として出発点としている“。 さすがに素晴らしい警告をしたものです。
話を聞いていた経済界の人たちはシーンとして聞き入ったあまりにも静かに聞いていたのでさては皆興味がないのかと思って話が終わって宇野さんが壇上から降りかけた時に全員が立ち上がっていわゆるスタンデングオベイッション だったのだそうです。
日本にはこのような素晴らしい人たちが沢山いられるのですね。宇野さんは今度会長職を降りましたが話の中に日本生命のDNA は引き継がれると言っていました。

明治の大勲、渋沢栄一は日本の多くの会社を立ち上げたひとでした、500社程の会社の立ち上げに加担して自分はこれから一切財をなさなかった、国民の為にはたらいたのです。
そして“論語とそろばん”などを著し経済と徳の合一を説いたのでした。そして曰く“富をなす根源は何かといえば、仁義、道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができない。”と言っています。
明治維新のころにはこのように国の為に尽くした人たちが沢山でたのですね。勿論江戸から明治への無血革命で若者たちが国の為に立ち上がったこと然りですが。
渋沢栄一の教え、さらには数々の道徳家が日本の若者を教育してその人たちが第二次大戦の後も、頑張って今日の日本の基礎を作っていかれたのです。

この教えを絶やさなければ日本のこれからの発展も問題ないでしょう。
アメリカのシカゴ大学の教授が Falt line という本で今回の金融危機からの立ち上がりをどうするかということを書いています。ウオールストリート の社長の給料が普通のサレリーマンの千倍もするのは異常だと発言しています。このあたりに問題の一環をかいまみることができるように思います。

現代はインターネットが発達しすぎて情報の氾濫と発信の洪水にながされています。コミュニケイッションがない。宇野さん,牛尾さんはこれからはこの為の危機が訪れると心配しています。
いわゆるかってとなり組がなかよくしてお互いに助け合った社会と、戦後教育の弊害で個人中心になりすぎて、道徳が失われてしまっている。
宇野さんはそんな危険性があるのを見て新渡戸稲造は武士道を書いたのではないだろうかといわれていた。

宇野さんはITの社会を非常に心配されている、情報を発信したらそれでおしまいになっている。
そこには情報の発信以上のコミュニケイッションがない。言葉を知らなさすぎる若者が多すぎる。
学問の本来は哲学である。昔はデカルト、カント、ショウペンハウエル(デカンショ)を読まないと議論に入らなかったものらしい。
日本は第二次大戦以降アメリカの物質文明が入ってきて、哲学がおろそかにされた。
ドラガーは経済は根底に哲学があるのだという。

宇野さんはイギリス留学中にイギリス人から“日本はどうしてあの大革命を 一滴の血も流さずに行えたのかと聞かれた、宇野さんは日本にも革命があったのかそれは何だろうと思った、そしてそれが例の明治維新だったときずいた。

又伊藤博文が清朝に行った時彼の漢籍についての知識に清朝の高官が大変ビックリしてこれは大変な人物だ、将来は大物になると言ったと言う。
坂本龍馬、西郷隆盛、伊藤博文、などこれらの下級武士が寺小屋で一生懸命に勉強した成果あるいは吉田松陰のように若者を狂わすような激を飛ばすことのできた指導者がいたからこそ、だろうと。むしろ彼等はグローバリズムでなく良いいみでむしろローカリズムの文化の持ち主たちであったという。これが逆に国際競争力を持たせたのではと。
そのようにしっかりとした文化をもつことが逆に国際競争力につながってのだという。要は自分の考えをしっかり持ってぶれないで行けたからだと。

食住が満たれた後は自己実現の精神的な豊かさを求めるようになるんですね。ですから企業はリーダーが精神性を高めていくとともに 最終的には顧客が求める精神的な豊かさに応えていかなければなりません。(まるで Apple の iPad の開発みたいなものですかね。)
経済と徳、今回の金融危機から反省させられことですね。
又押しても引かれても動かない自分の文化(ローカリズム)を持ったリーダーを嘱望したいですね。 武士道を持って世界に伍していきたいものです。

明けましておめでとうございます、  2011年1月

明けましておめでとうございます。2011年が皆様にとって良い年になることをおいのりします。
日本の停滞感を払拭し日本を元気にするにはどうすればいいのか。多分長い年月をかけて実現しなければいけないテーマかとおもいますが。
シリコンバレイにいる日本の有志はこのテーマに何らかの貢献をしたいといろいろな活動をしています。
まづは 即効薬、大学生をシリコンバレイの風に当てること。各大学がシリコンバレイ研修として毎年30名から50名ほどの大学生をシリコンバレイに送り込んでいます。
その効果は抜群で目覚めた学生が毎年よしおれもがんばろうと意気込んで帰っていきます。しかしもしこの経験がもっと早かったらきっと彼等はもう一つ大きなターゲットに取り組んだのではないでしょうか。

人は目覚めてからの活動が大事です。そして目覚めてから自分の方針をはっきりと自覚してその方向に勉強に研究に打ち込んで来ないと大きな仕事に取り込めません。外国で子供のころを経験した若者(帰国子女をふくめて)が色んなところで活躍しています。それは異文化に触れてしかも日本人としてのアイデンテイテをしかりと認識し日本文化と日本の歴史の中から自然に身に着いた考え方の上に行動できるからかもしれません。

そんなことを考えると日本の活性化は中学生から手をつけないといけないのではないかとおもいます。
中学生を早いうちに異文化に触れさせることそして日本人としての誇りを感じてもらうそんな経験を経ることによって自分の発見ができるのではないかと思う。何もアメリカばかりでなくインドあるいは東南アジアなどの国でもどこでも良いのではこれは中学生をもつ親がかわいいわが子には旅をさせて異文化に触れさせることではないだろうか。アメリカの私立小学校で毎年子供たちを日本に10日間のフイルド トリップ に送り出しているところがあります。
この子たちはきっと将来のアメリカのリーダーとなりうる可能性があるのではないかという気がします。
日本の修学旅行も外国に行くことも考えて見たらどうでしょうか。
京都、奈良はいつでもいけます。是非そんな企画も考えて将来を担う子供のための投資をおねがいしたいものです。
そのためには英語教育をもっと中学生のころから強化すべきでは、先日日本のガーリックの名産地 青森県の田っ子町のガーリックフェステバルにいってきました。カリホルニヤの ガーリックタウン、ギルロイとの姉妹都市で毎年お互いの町の子供達をホームステイにおくりこんでいます。 そして又田っ子町では町の予算でアメリカ人を英語教師として英語教育に力をいれています。
ですから子供達はすでに国際感覚をみにつけています。
東北の田舎町、田っ子町が凄く国際的な感覚をもった町です。町の方々もギルロイにホームステイをした経験のある方が多くとても国際てきです。
村おこしで結構な予算を使っているところもおおかったとおもいます。そんな予算の幾分かでも子供たちに使って子供の異文化交流ということを考えてみたらどうでしょう。
日本の将来を担うのは今の中学生ではないだろうか。

日本でも色んな試みがなされようとしています。たとえば2013年を目指して軽井沢に全寮制の高校を作り将来のアジアのリーダーを育てようというプロジェクトが 小林りん さんを中心に谷家衛 さんなどが参加して企画が進行中です。小林さん曰く “リスクや変化を恐れず、新たな価値観を生み出すことに喜びを見出せる人間を育てる”素晴らし目標ですね。 イノベイッションを興せるアントレプレニヤー の育成です。しかも日本の文化が底に流れている、新しい価値観が生み出される教育です。全寮制です。毎日の生活の中でお互に理解し合い切磋琢磨することによって、良い人材がそだっていくのではないでしょうか。英語を共通語としてアジヤから生徒を募集するそうです。

中学生から英語教育、イノベイテブな、チャレンジ精神に富んだ生徒を育てるためのカリキュラムを是非開発ししかも日本文化の持つ良さを十分に生かして教育を施してほしい毎年100名ほどの生徒を募集するそうですが。これだけでは日本は救えません。しかしこれが10年20年と続けば日本を背負っていく若者が出るに違いない。頑張ってほしい。

小林さんはインターナショナルスクールがお互いに異文化に触れてクリエイチブな自分でものを考える力のある人材を育てることができると言う。
勿論カリキュラムもそれなりの特徴がなければいけないとおみますが。小林さんがかって高校2年の時にカナダで経験した インターナショナルスクールの原体験がその原動力になっています。

インターナショナルスクールとしてスイスの タシス インターナショナルスクールがあります。このインターナショナルスクールは世界各国に有りフランス、イギリス、スイスなどにあります。
私の娘 佳里奈が高校の時にフランスのタシスのサマースクールに行きさらにロンドンのタシスに行きそんな経験から大学卒業後はフランスで仕事をするようになり現在ではフランスをはじめ世界全国で仕事をしています。これもこれ等のインターナショナルスクールでの経験がもととなっています。凄いチャレンジ精神です。

我々が草の根運動として若者を活性化しようとしていますが。今こそ日本の国のために中学生からの教育改革をしていかなければいけないのではそれを実現するにはどうしたいいのでしょうか。
中学生をもつ親がこのような外国のサマースクールに子供達を行かせることそのための英語の準備など長い目の努力が必要におもいます。そしてそんな子供たちが何十万人と増えて日本背負って立つ人材が沢山出てくるのでは。明治維新のように、坂本龍馬、伊藤博文、などの若者のような人材が沢山出てきて第二の明治維新を興してくれるときが来るのでは、今の中国も沢山の若者たちがアメリカで勉強してそして母国に帰りその経済は発展させています。
日本は今経済規模が中国に抜かれ世界3位となりましたが、これから世界に 経済発展のノーハウを提供するような人材が増えてノーハウ料で国が十分成り立つようにするのも夢ではないだろうとおもいますが。
さらには文部大臣に優れた人を選ぶとかあるいは総理大臣にビジョナリーな人を選ぶとか。色々考えないといけないですね。でも何か一つでも実行したいですね。

シリコンバレイのIEEE ミーテング を覗く   December , 2010

現業を離れて今は技術の方向がどうなっているかは気にしなくなった。でも半導体の将来がどうなるかやっぱり気になるし特に日本の半導体業界がどう変化するかが気になる。なんとなく日本の半導体産業がなくなっていくような気がしてならないので学会をのぞいてみた。
元SST にいた野島さんが今でもIDEM などにでていて、Eli Harari (SunDic CEO) などは一番前で聞いているよ。というのでびっくりした日本の半導体産業のTop がこのような学会に顔を出すことはまず無いだろう、それが企業の実力に反映しているのだろうか。
又かっては日本のこのような学会での発表は日本の方が多かった、しかし今は少なくなっているし又学会にくるエンジニヤーもすくなくってしまった。
世の中の動向、技術の動向をエンジニヤーが身近にかんじて行かないと競争に負けるのでは。そして又このような学会に来て他社のエンジニヤーと議論することによって世の中に状況も把握できるのではないかと思う。
エンジニヤーは概して自分のやっていることはオーブンに話しあうものです。
28nm のプロセスについて Applied Material , TSMC, Global Foundries のエンジニヤーが喋ってくれた、凄いあまり包み隠している様子はないしお互いのアプローチも少し違う上、各々自分のやっていることに自信をもっている。そしてすでに28nm の試作を50社程と検討に入っているとのこと。
さすがにFoundries ですね。 日本の場合はこのように先取りしてくれるお客さんがいないから自社開発だけに限られてくる。だから先取りができないまま遅れを取ってしまう。
会場はNational Semiconductor の講堂で行われた近辺の半導体企業のエンジニヤーが沢山集まっている。
この地は横のつながりがいい、みんなが半導体産業に貢献するのだという感じで、彼等の所属する会社の意識がない、むしろ半導体産業という横のつながりの意識がおおきみたい。こんなOpen な社会の連中と競争するには自分達もOpen にならないといけないでしょうね。奇しくも 日本でもGalapagos が問題になったが技術の世界では Global でないとまけますね。あるいは技術レベルの高いお客をもたないと自分が陳腐化してしまいます。
日本の半導体産業をもう一度活性化するのにもっとエンジニヤーのGlobalization に気を使わないと日本から半導体産業がなくなるのでは。

現業をRetire した一エンジニヤーの懸念を記してみた。

ちなみにコンファレンスの内容は下記のようであった。

IEEE Symposium nov. 16th.

Session A- Process and Integration based Scaling for 15nm nodes.
-Chris Bencher , Distinguish The Staff, CTO office , Applied Materials.

Session B- Technology Challenges in 28nm CMOS and Beyond
-Dr. Di Ma, VP of Applications/Technology NA, TSMC

Session C- Design/Technology C0-optimization: Collaborating to
Overcome the challenges of 28nm CMOS and Beyond.
-Nick Kepler, VP corp program management , Global Foundries

致知と私                              November 2010  

アマゾンから 本のサーチをしているときに藤尾秀昭 さんの小さな人生論
という本に出会ったそして凄くひきつけられて4巻までかって読んだ。
そこで致知という雑誌の存在を知った、購読しないと買えないので、小さな人生論が魅せてくれたので躊躇なく購読し、そして、カリフォルニア に送ってもらっている。隅から隅までよむことにしているが。一度によめないから食卓の上、勉強机の上、ベットの横などに数ヵ月前からの致知を置いて気が向いたときによんでいます。
特に安岡正篤さんのことを致知が沢山取り上げてくれるので。安岡さんの本を数々よませてもらいました。日本の国学者、そして道徳家が国を思いそして後進を育ていくその姿が絶えず致知の毎号で紹介される。
又一隅を照らす活動をされている人たちの話はいつも有難くよませてもらっています。かっては学校でも道徳教育が実践されており、若者は国を思い国の将来のために各々努力を重ねてきたのではないでしょうか。そしてまた学問の道にも専念したのではないでしょうか。今色んな意味で世の中が目標をうしなってきているのではないでしょうか。教育が悪い、政治が悪いと言われるけれども一人ひとりが一隅を照らすような心がけがあればこの世の中を変えていき日本を又よみがえらせることができるのではないかとおもいます。そしてまた
アントレプレニヤー 精神(起業家精神)、あるいは人生に挑戦できる若者が沢山出てくるのではないでしょうか。今 イノベイションをいろんなところで起こして国を興す時ではないでしょうか。
最近致知と私というコメントを致知の小笠原さんに送ったら メイルマガジンで私の下記の手記がながされました。  ブログに載せさせていただきました。

致知のメイルマガジンから転載

致知と私 カリホルニヤ シリコンバレイ在住 平 強 (エンジェル投資家)

日本の不動産バブル、そしてアメリカのインターネットバブル、そして今度の
金融危機、これらの原因はみな飽くなき金儲けから来ています。バブルは必ずはじけます。程良いコントロールが必要です。そしてしっかりしたモラルを持つことです。
かって明治の大勲 渋沢榮一は多くの会社を作りそれが日本の産業の発展につながったのですが。私信を捨てて国家の為に奉仕したのでした。そして道徳経済合一を唱え正しい道理の富を説いています。まさしくウォールストリートの失敗を見通していたみたいですね。稲盛和夫さんがたえず言っていらっしゃる、利他の心です。思えばそんな立派な人達が明治この方沢山おりそれが日本経済をここまで発展させてくれたのです。
そしてまたこれらの先達が人間の徳を積むことを次の世代に伝えてくれたのです。致知は私に先達の教えを知らしめてくれます。
8月号の牛尾治朗さんと安岡正泰さんの対談は安岡正篤の教学を知る上で大変役に立ちました。又日本の忘れてはならない美しい話など、これから日本を世界に冠たる国にするための指針が沢山ふくまれています。禅宗の住職のお話しもまた頭が下がります。これらの精神を持ったリーダー(総理大臣)が今の日本には必要ですね。さらに今の日本には次を支えるイノベイッションがひつようです。チャレンジする起業家が必要です。そのために若い人達を鼓舞する活動を小さいながらここシリコンバレイを中心に努力しています。

Page 5 of 10

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén