11/10/17 月曜日11:46:46



夢と希望とロマン
無医村奄美大島 徳之島で、夜中にお医者さんが来てくれなくて幼い弟を亡くした徳田虎雄さんそしてその時彼は小学校の三年生だった。この弟の死が彼をして医者になる決意をさせて、夜中でもいつでも病人を見てくれる病院(救急病院)を作ろうと決意します。 それからの徳田さんは目標に向かって必死にがんばります。
大阪大学の医学部に入るために一日16時間の勉強を必死にして3年の浪人ののちに無事大阪大学の医学部にはいります。
その後父親がなくなり三名の弟、たちを大阪に呼び必死にアルバイトをして家族を支えながら医学の勉強に打ち込みます。同時に結婚し、そして又奥さんにも薬学部への進学を援助します。
夢を実現するために必死にアルバイトをし、必死に勉強をします。
そして決して希望を失うことなくがんばります。 その頑張りはすごいものです。
救急病院をたてると言うロマンは決して枯れることはなくそのために必死の勉学にアルバイトにがんばります。 
父親代わりに弟や母さらには妻を抱えながらその努力は大変なものだとおもいます。

徳之島は奄美の中で二番目に大きな島です。 なにせサトウキビを植えて黒砂糖を作る位が産業で後は大島紬を織ってわずかな金を得る位しか産業がありません。
黒砂糖も本土の貪欲な商社によって安く買いたたかれます。これは薩摩の時代からの搾取の歴史です。当時はアメリカの信託統治下でしたから日本にも自由に行けなかったのです。昭和28年日本に復帰できてから日本に自由に行けるようになるのです。日本復帰以後は鹿児島から資本が入り島民は相変らずサトウキビを安く工場に売らざるを得ない構図は薩摩の搾取とあまり変わらなかったのでは。私も学生時代に仲間と日本復帰で政府が奄美振興資金を投入した、それがどのように活用されたかを見るために友人たちとひと夏を奄美の各島々を キャラバンしました。復興資金は結局金のある本土の人たちがその金を使って黒砂糖工場を興し又徳之島には パイナップルを栽培してパイナップルを本土に供給してかせいでいました。農民はやっぱり旧態依然としてその懐にはあまり身入りがないようでした。復帰後も無医村はたくさんありました。
救急病院は後に徳田さんが全島に徳州病院を作られるまでありませんでした。
大病をすると鹿児島か沖縄へ行くしかなかったのです。奄美大島が日本に復帰してからは逆に沖縄へは行けなくなりました。沖縄の復帰はそれからされに遅れて19年後の昭和47年になったのです。沖縄の人たちの苦労がおもいしらされます。
勿論私が小学校を過ごした与論島にも病院はありませんでした。
徳田さんのおかげで我が島にも立派な徳州会病院ができています。 徳田さんほんとに有難う。

三名の弟達の大学への進学を支えながら徳田さんはがんばります。 夢とロマンが彼を支えつづけてくれたのです。弟たちも何年も浪人しながら三名とも医学部に進学そしてついには兄弟四名とも医者になるのです。弟たちは兄貴の背中を見て頑張ったのですね。兄弟四名で何と18年も浪人したのです。

徳田さんの頑張りはどこから来たのでしょう。それは母おやの生きざまだったのです。朝から晩まで野良仕事で家族を養うために頑張ったのです。
徳田さんはその母親の背中を見て自分も頑張らなければいけないと頑張ったのでした。“母の力”の本の中に自分にとっては母親が競争相手であったとかいています。
母があそこまで頑張るなら自分はもっと頑張らなければいけないと自分に鞭打って勉強に励んだのでした。そして難しい大阪大学の医学部に入学をはたします。

医者として仕事を初めます、そして率先して色んな臨床例の経験をつんでいきます。
それは自分が病院を作った時どんな患者でも受け入れなければいけないのでその準備であったのです。
そして最初の病院を立てる時一億何千万円のお金の保証に生命保険をかけてお金をかります。何せ当人は無一文ですから。そしてまた2軒めもさらに十億円以上の保険をかけて病院をたてます。そしてその後は銀行がお金を貸してくれるようになってついに全国で140もの病院をつくります。されには世界200国にも病院を作る計画をたてます。2006年にはブルガリアのソフイアに10階建て1016床の病院をたてました。
“生命だけは平等だ”、“愛があれば頑張れる”と言うフイロソフイー で何と無一文から140以上の救急病院をつくるのです。そしてそれも法人組織にして自分のものでなく法人のものにしています。
何と素晴らしい“利他”の精神です。

我々ベンチャーとの付き合いを生業としている者にとってすごいとおもいます。
ベンチャーはまず金を集めてからスタートします。徳田さんのように目標をきめてからかかり金は後からついてきています。頑張れば不可能はないですね。
Where there is the will, there is the way。 です。

徳田さんはさらに政治の面から医療を見直そうと、衆議院議員に立候補します。そして議会でも活躍します。
残念ながら2002年に筋委縮性側索硬化症(ALS)と言う難病にかかります。
この病気はからだ中の筋肉が動かなくなる大病でいまのところこれを直す薬はできていないようです。 それでも徳田さんは負けずに世界中に病院を立てる夢を追いかけながら陣頭指揮しています。 
徳田さんこそ“命は平等”の精神で利他の心でがんばっています。難病を解決するために何百億の金をつかっている Bill Gates よりはるかに偉いとおもいます。
いまこそ彼にノーベル 平和賞を差し上げたらどうでしょうか。

母の力の偉大さをおもいしらされました。そして兄弟愛、故郷愛の素晴らしさ、又夢を実現するためのあらゆる努力に感銘しました。
起業を心がける若者よ、是非この本をよんでください。そして自分の夢をしっかり持ってそれからたゆまぬ努力をしてください。
金は後からついてきます。 頑張りましょう。



私の息子、拓君(NewYorkで医者)が 徳田さんをたずねました。その時私の本 “エンジニヤーよ挑戦せよ”ももたせてあげました。そしたらわざわざこのサインをいただきました。同郷のよしみで懐かしく思ったのでしょうね。
徳田さんはいまからだ中の筋肉が動かないので車椅子の)生活です。そして眼だけが動くので付き添いの人に目でいろはを指してそれでサインしてくれたようです。
そんな中でまだまだ夢を追いかけ アフリカなどの貧困な国に病院をたてる夢をおいつづけています。近代医学で早くのこの(ALS)を治療する薬ができることを願いたい。