09/01/10 土曜日10:19:23



一生のうちで会いたい人が何人かいます。
松下幸之助 さん と稲盛和夫さんがその人たちでした。しかし松下幸之助さんには生前にはついにお会いすることができませんでした。
日本の企業組織は、社長に会うにはその下の数々の障壁を乗り越えなければ会えないものです。従業員にしてもしかりです。
アメリカの会社だと社長はいつでも、My office is always open , please come to see me.
といってくれるので会おうと思えば簡単に合えます。そしてたいがいが壁のないオープンなオフイスです。
しかし日本の会社の社長は一番奥の大きな個室となっています。多分人事部長の部屋、総務部長の部屋、秘書課の部屋などを過ぎたその先にありますから面談をするのもこれらの部署を経由してアポイントを取らなければいけません。たいがいば第一番目の関所ではねられてしまいます。
どうしても会いたいならこれらの関所のない自宅の門前で座り込みをしなければいけないわけです。信念のある人はそのようにして目的の人にあったものです。
移民の父といわれて鹿児島から農業移民を300名もアメリカに送り込んだ 内田善一郎氏は一週間も座り込みをしてつぃに通産省の役人に会うことができたのです。そして自分のアイデヤを説明して補助金をもらったそうです。

かって三洋電機の半導体事業部USA に勤めていた頃、井上 敏 会長に会いたいと思ってとにかく筋を通さなければいけないだろうと思い、敏会長に一番近いだろうと思われる取締役に面談をおねがいしました。そしたらくだんの取締役氏いわく平君あなたの身分で会長に会うのは失礼だよ、それが日本の組織というものだよとのたまわれた、何か提案があるなら私に持って来い、善処するからとのこと。
敏会長とは氏が群馬でオーデオ事業部長だった頃私はエンジニヤーとしてたびたびお使えしたことがあるので直接乗り込めば会えないことはなかったと思います。
しかしトップグループのこのような硬直ではあまり期待が持てないと思い敏会長にお会いするのをあきらめました。それからしばらくして私を三洋をやめて独立しました。
日本の大企業はほぼ同じような状況かと思います。社長が My office is always open
Please come to see me any time となるよな雰囲気を作らない限りいい人材は育たないのでは。

スタートアップの会社の技術屋を連れて日本の大手企業の事業部長クラスにアッポイントをとるのですが。まづ総務課あるいは秘書室ではねられます。いくら素晴らしい技術だといてもけんもほろろに断られます。アメリカだと興味があれば必ず会ってくれます。またこちらが小さな会社でも快くあってくれます。アメリカのほうがその意味ではビジネスが大変やりやすかったと思っています。

10年ぐらい前に日経ビジネス の何十周年かの行事で大きな講演会がありました。
このときにNASDAQ の当時の会長 Frank Zarb氏を呼べないかということで相談を受けましたので、やってみるかと引き受けました。まずは友人を通じてZarb 氏の電話番号をもらいました。日本だとこの秘書の段階でまず総務部に回されるか、その場で断られるのが落ちですが。Zarb 氏の秘書は話しを聞いてくれました。そして日本経済新聞社主催の講演会に日本に来て講演してくれないかと頼みました。勿論日本経済新聞社のブランドがあるからだと思いますが、話を聞いてくれました。いろいろ話しを聞いてくれてZarb 氏のスケジュウルを追いかけてくれました、そして4、5日かけてやっと訪日を了解してくれました。日経ビジネスも大変助かったと思う。
このときの日本の講演者が ソニーの出井さんでした。 彼はキャシュフローの経営について滝に流れ込む川で流木につかまっている経営者がアップアップしている絵を出してキャシュフロー経営がいかに大事かを話した居られました。多分ソニーではそんなことができてないときに出井さんが導入したのではないかと思われます。このときの出井さんの話が素晴らしくそのうちお会いしたい人の一人に加えておきました。

Zarb 氏は Nasdaq がベンチャー企業の上場を助けそれがアメリカ経済を大きく貢献していることを説明していました。そんなことがあって日本でのNasdaq 市場ができたのかと思います。彼のはなしは アメリカのベンチャー企業のがどのようにして成功してそしてNasdaq に上場した後大きな企業になっているかを説明していました。日本のベンチャーの鼓舞になったかと思っています。


1996年ごろからInternet が立ち上がりまじめました。この頃Yahoo が立ち上がりサーチエンジンが各社から発表されました。このころスタンホードで勉強中のインドの学生数名がサーチエンジンを開発していました。縁あって彼らと会社を始めることになりました。
会社の名前がジャングリー です。資金集めで台湾の友人からシードマネーその後日本の企業からの投資を仰ぎました。そのなかに京セラがはいっていました。
会社はその後波に乗って順調に推移して、創業後3年後にアマゾンの目に留まりました。アマゾンが会社を180億円で買ってくれました。何せIT バブルです。アマゾンの株が半年のあいだに9倍にもなりました。これですべての投資家に相当なリターンをお返しすることができて胸をなでおろしたところでした、何せベンチャー投資の確率が1%も満たないのが常識でしたから。  勿論京セラもこの恩恵に浴しています。
次のスタートアップの資金集めのときに今度は稲盛さんに会おうと思いすじをとうしてアッポイントを入れるのでがやっぱりブロックされました。
多分このときは自分に“動機は善なりや、私心なかりしか” を自分に問いかけてなかったのがいけなかったのでは、ちょっとした、成功だけで押し付けがましくアッポイントを申し入れたのがいけなかったのだろうと思っています。それ以来どうして稲盛さんに会えるかをいろいろ考えていました。

幸いについ最近に盛和塾シリコンバレイができるということで友人の阪 和彦氏におねがいして塾に入れてもらいました後で聞いたら年齢制限をオーバーしていたようですが稲盛さんにお会いしてゆるしてもらいました。

稲盛さんのかづかづの本を読み稲盛さんの人生哲学に触れることができました。
特に西郷南州遺訓の教えに共感を持たれて利他の心を実践されておられます。
すなわち ”動機善なりや、 私心なかりしか。“ということを絶えず自問自答してことに当たられたようです。特に第二電電を作られるときこの問答を繰り返し私心なくして賛同者を集めることができそれでNTTに対抗できる会社を作り上げることができたようです。そして自分は一株ももらわないでこの大事業を成功させます。
まさしく 動機は善なり。私心なかりし。 でした。このおかげで日本の人たちが全国どこでも安い電話をかけることができるようになったのです。昔は東京から北海道に電話すると大変高いものでした。(それにしてもNTTとはどうしてあんな高い料金を設定できたのでしょうか。NTTこそ”動機は善なりや“は思う必要があったのでは。)

成功された方は成功の事実だけが残りその足跡がわかりにくいものです。しかし稲盛さんの ”稲盛和夫のがきの自叙伝“には稲盛さんが企業経営でいろんな苦労をされたこと。仲間を守るための苦労、あるいはあたらし技術の開発に死に物狂いで取り組み世界で始めての多層のセラミックパッケイジを開発して半導体産業の進歩を助けたこと。そしてPHSなどの次世代の通信インフラを作り上げ通信のコストダウン に貢献されたことなどがかかれています。起業をする人たちは是非この本を読んで燃えるような信念を持ち続けて会社を経営すれば必ず成功するとの確信を得ることができます。



稲盛さんは又 フイランソロフアーとしても鹿児島大学に稲盛経営講座を開いたり私財を投げうって稲盛財団を設立したり京都賞を設けて学術芸術の功労者を表彰したりされています。
またアミバー経営法を編み出して利益の上がる会社経営法を編み出しています。

やっと稲盛さんにお会いできて身近にお話を伺う機会ができました。大勢の塾生ともに話をいただき塾生一人一人を大事にその悩みを聞いていただきそして的確なサジェッションを与えてくれます。
仏門に入っておられたので仏の法話を聞いているような思いで一言一言が心に響いてきます。


致知出版社の藤尾秀昭 さんが”ちいさな人生論“ の中で二十代だった稲盛さんが
松下幸之助さんの話を聞いたときのことが述べられています。
幸之助さんは ”ダム式経営すなわち人材と資金をダムのようにプールして経営をしなさいという話をされたようです。そのとき聴講者から質問がありどうしたらダム式経営ができるのですか。秘訣を教えてください。と質問したら幸之助さんいわく“わかりませんな”と答えてそして”ひとつ確かなことはまず”ダム式経営をしょようと思うことです“ といわれたようです”。
このとき稲盛氏は そうかまづは思うことなのかと脊髄の奥に火がついたように感動して心を熱くしてその心の火が信念となって凝固したと述べられています。

そしてその信念が京セラを確固たる地位を確保することになったと言われています。

信念あるいはビジョウン が最も大事でしかものその信念をあるいはビジョウンを従業員全員で共有してはじめて事業が成功するのもです。
稲盛さんはこのビジョウの共有のために絶えず従業員と膝を突き合わせています。
そして仲間をまもるためにどのような経営をすればよいかを絶えず考え続けてこられたようです。

アメリカン エクスプレスからIBM の会長になったルー、ガースナー氏の著書”巨像もおどる“ のなかでも ビジョウンをすべてのIBM の従業員にいきわららるために大変苦労しています。そしてビジョウンがいきわたってはじめて 巨像も踊ったのです。

更に稲盛さんはビジョウのほかに利他ということを絶えず言い続けています。

私はやっと20年目にして稲盛さんに身近にお会いすることができました。そして稲盛さんの燃えるような信念に感化されました。
この感動を次の世代の人たちに伝えたいものです。
合唱。