17/09/01 金曜日3:43:23

Stanford 大学の 若き博士課程のエンジニア達が訪ねてきた。いずれもインドのIIT(インド工科大学)の優秀なエンジニアータチでした。新しいSearch engine のソフトが出来上がったので見て欲しいと言われて無理矢理にStanford 大学のComputer 室に連れて行かれた。これからのIT 業界はSearch engine が大事になる、きっといいBusiness になるから資金を集めてくれとのこと。そんなわけで若き彼らが目をかがやかせて説明してくれた。Hardware のエンジニア~である私の理解するところではなかった。だからIT 業界でSearch Engine がどんなに大事であるかわかるはずがなかった。しかし目をかがやかせて説明する彼らの熱気はひしひしと感じられた。すんだ目をしている。そんな訳でシートマネーを集めてあげることにした。時あたかも台湾経済華々しい時でした。PCの立ち上がりと半導体ビジネスの急成長でした。同時に台湾政府が経済の活性化を期待してCapital gain Tax をゼロにしたために大いに投資をあおっていたので]我も我もと投資を考えていました。かって若き台湾のエンジニアーに投資して大成功させたため台湾の投資家がよく私を訪ねてきてくれました。またタイミングよく7名(こちらも7名でした)の台湾の投資家がシリコンバレイにきていたのです。早速みんなを集めてStanford 大学のコンピュター室に案内してまたSearch Engine のデモをしてもらったその後みんなで日本食レストランに夕食に行きました。そしてこの会社のシードマネーを70万ドル集めたいから皆さん一人ずつ10万ドル出してください。とお願いしたら、2、3の人がいや俺は15万ドル出したい。いや私は20万ドルだしたいと大変な意気込みでみんなが盛り上がってしまいました。彼らとてサーチエジンがどういうものかわ私以上に知る由も無いのです。ですが時の流れがみんなをエキサイトさせているのでした。なんとかなだめて結局一人10万ドルの投資があっという間に決まってしまいました。そしてそれから1週間後にお金が集まり会社が設立されたのです。

当時のシリコンバレイは IIT (インド工科大学)での技術者が企業の上層部に昇進したりまたIT 関係の会社を上場させていたりして 活躍しているときでした。これらのインド人一世たちがなんとかインドのわかい人たちを助けてあげようとして数名が集まり色々相談をして互助組織を作りました。月に数回の集まりを企画してここにわかい人たちえを集めて大企業のこれらの成功者や、新しく上場した会社の社長などが,起業の心得、技術の動向、などをコーチしてくれました。この時に集まった有志も7名だったそうです。そしてTIE Organization が設立されたのです。7名という数字はいい数字なのですね。だからことを始めるには7名とか8名でスタートするのがいいとのことです。またグループで 課題を検討するのも4名から8名までがいいそうです。そんなわけで黒澤明の七人の侍。あるいは荒野の七人などが世界的に大当たりをしています。またIntel を作った 8名の反逆者などが有名です。Tie Con も7名の有志のおかげでのちの参加者4千名に登る世界一のTie Organizationできたのでした。この立ち上げに頑張ったのがもとIBM Kentucky のプリンター事業部の事業部長だったKailashi Joshi 博士でした。私は以前からDr. Joshiと知り合いであった関係でこのかいの立ち上げから手伝いをしたり会にでたりましたいました。この会が始まったのが1993年でした。初めの集まりは20名から30名ぐらいの集まりでしたがそれがだんだん大きくなって千名に近くのエンジニアーが集まるようになりました。当初あの7名の侍はDr. Joshi , Bipin Shah ,A.J.Patel などの7名でした。

そして最初に会長になったのが Dr. Suhas Patil さんでした。Dr. Patel はCirrus Logic という半導体会社を設立して走りのAsic Design の技術を設立しました。これが Fabless 半導体ビジネスの走りとなり誰でもがIC を設計できるきっかけとなりました。そしてIC の製造の方は日本や台湾の半導体メーカーに頼んでいました。NEC, Hitachi , Toshiba Sanyo などがIC を作ってくれていました。もし日本の半導体企業が皆がDram に集中しないでASICにも力をいれていたらTSMC やUMC に全てをもって行かれなくて済んだと思うし日本の半導体産業がこれほど落ち込むことはなかったと思うが、その後のTie を盛り上げた人たちが次の歴代の会長です。



Dr. Joshi , Dr. Patil にはビジネスのほかいろいろお世話になりました。日本からの起業家たちとよくDr. Patil の 会社でいろいろお話とサジェッションをいただいたものでした。また我々が立ち上げたPico Power を買収してもらい感謝しています。その後のかく会長ともいろいろ日本からの訪問者を受け入れてもらったり、また 元 Sony の会長出井伸之さんのKey note Speechをアレンジしてもらったりしました。こ方達は本当にわかきアントレプレナーたちをガイドしてくれていました。これがシリコンバレイの起業家たちを育てる、シリコンバレイのインフラを作り上げてくれたのです。

Tie Con が大きくなり年に一度開かれる大きな大会には3千名4千名という規模になりました。



2007年の出井伸之 さんのKey note Speechこの時は4千名が参加していました。

Junglee はこんな状況の中で発足しました。ときあたかもinternet の黎明期でInternetによるBusinessがたいへん多くスタートしました。Junglee のサーチエンジンは当初は職探しに採用されました。Washington Post が新聞紙上で簡単な職探しができるようにしたものでした。されにアパートの部屋探し、あるいは家を買うときの検索などいろんなところに使われていきました。当時の検索は単語一つで検索するので何万とういう検索結果が出ますからそれをいちいち調べるのが大変でした。Jungleeのサーチエンジンは数個の単語でサーチできるので効率が上がりました。しかし検策の精度を上げるにはいろんな知識、また言語学などを総合していくので検索エンジンの精度を上げるのに大変な研究がついて回りました。ソフトウヤーのエンジニヤの数は増えていきます。インド側にも人を採用して研究に費やしていました。そんな頃アマゾンが自社で検索エンジンを開発しよとしてジャングリーを買収するという話が出てついに210Million $ で受け入れれことにしました。そしてインターネットバブルにかかりアマゾンの株は300倍、400倍と上がっていきました。このために従業員は一時的に百万長者が数百人とできました。そのご2001年以降のバブル崩壊とともに株価かは大幅に落ちてしまいましたが。それぞれにある程度金持ちになって次のチャッェンジに向かっていきました。ベンキイ、アナン、アシシ、ラケッシュの経営陣は捕虜としてシアトルのアマゾンに3年間勤務しました。そして彼らが今のアマゾンのサーチエンジンを開発して無事シリコンバレイに戻ってきました。 

そしてバブルの後いろんなビジネスモデルが考えられてインド人技術屋がますます活躍するようになりました。彼らは ジャングリーの創業者に色々相談して彼らの会社を創立します。そして金を集めたいがどうしたら、いいかと聞くと彼らは、Mr. Taira に聞けという。そんなわけでインド人の起業家たちがいっぱい訪ねてきます。そして熱心にビジネスプラを説明してから自分のことを宣伝し始めます。どの人も異口同音に自分はIIT 何年卒業でその年のTop 10で卒業したというのです。どうもみんながTop 10 というのでおかしいと思い、ところであなたの卒業して年の人が訪ねてきて同じ年のTop 10 という方が5人もきたがあなたは本当にTop 10 だったのですかときくといや実は物理の教室でのTop 10 だったという。

日本では能ある鷹は爪を隠すというがインドではどうやら爪は見せびらかさないと、競争に勝てないらしい。
Junglee の成功の物語がBusiness Week のアジア版に載った。表紙を飾ったのはベンキー、アナン、アシシ、ラケッシュ の写真だった。なんとそしてベンキ、アナン、アシシ、3名の大学時代の成績が載っていた。ベンキ、アナンはまさしくNo. 1 だったらしい。アシシ もTop 5 ぐらい だったようです。ラケッシュにお前の成績が載ってないが君もTop 10 だったのかと聞いたらいや Mr.Taira 俺は後ろから数えた方が早かったという。みんなの兄貴分で社長を務めてもらった、社長の成績は違う評価しないといけないようです。でもラケッシュは兄貴分としてよくみんなをまとめて会社を運営してくれた。

Tie の例会で、ナビン、ビスト(Nayna Network を二人で設立)がJunglee の話をTIEの例会でしろということでベンキーと二人で講演した。下記のYou Tube をご覧ください。



さてTechnology はますます進歩しています。ビジネスモデルも大きく変化しています。起業はますます難しくなっています。しかし新しい分野に勇気を持ってChallenge しないと夢は達成されません。またもう一つ新しい夢に向かって挑戦したいものです。

山のあなたにはなお幸い住むと人のいう。チャレンジしましよう。日本の発展のために。

シリコンバレイの成功はStanford 大学が若き起業家たちを応援して会社を成功に導いたこと、そしてまたのちの基幹産業たる半導体会社Fairchild Semiconductor がDr. Noice 達によって設立されたことが大きい。さらに事業で成功した人たちが次の世代の起業家に資金を提供したりメンターとして援助し続けたところにあります。それがベンチャーキャピタリストの発生を促し、大きな資金が投入されることになるのです。残念ながら日本ではこのようなリスクマネーがなく銀行借り入れだけが資金源だったので企業を大きくするのが困難だったのです。

日本のベンチャーキャピタルの資金は年間で 数千億では シリコンバレイの数10兆円に比べてあまりにも少なすぎます。日本の機関投資家がもっとベンチャーキャピタルに資金を投入しなければ日本の産業の発展は期待できないですね。日本の機関投資家あるいは不動産産業が、もっとベンチャーキャピタルに資金を提供しないとベンチャー起業が立ち上がれません。



Junglee の仲間たちとの集まりで。(Palo Alto にて)

読んでいただいてありがとう、Analytics のデーターが欲しいので是非Likeを押してくださいね。