挑戦せよ。平 強 (Tsuyoshi taira)

シリコンバレーのエンジェル投資ブログ

TIE CON 2016

Tie Con は5/5 から5/7 までおこなわれました。世界中から5000名にのぼるエンジニヤ、起業家、ビジネスマン、メヂヤの人たち が熱心にTechnology Trend , Business Trend, などを聞き入っていました。300名にのぼるボランティアが6ヶ月にわたり練りあげたプランは素晴らしいものでした。Tie のボランティアたちのすばらしいこと次世代にのこすために自分を惜しまずに数カ月にわたって頑張ったのでした。みなさんお努力に頭がさがります。私も新しくもうけられた、Entrepreneur session に参画し、日本から6社の起業家に参加してもらいました。ピッチコンテストに参加してもらい2社がTop 8に残り本のスタートアップの意気をしめしてくれまました。このゴンファレンスは次のTechnology をさぐる会でもあります。

IOTのみならず、Artificial Intelligence , Data Economy などのExpert のデスカッションが熱をおびていました。entrepreneur ship の素晴らしいエグサンプルとしてJet Blue Technology Venture のBonny Simi さんが子供の頃からの夢を次次に実現していく様子をビデオで紹介してくらました。曰く オリピッックにルウジュでアメリカ代表として参加、727、747 などの大型飛行機のパイロットとして世界をとびまわる。そして今シリコンバレイで最も注目されているベンチャキャピリストとなりました。すごい意志力です。新いテクノロジートレンドがでてきています。来年は是非このエキサイティングなworld Most Valuable Confernce に日本からたくさんの起業家が参加されることを期待しています。

あまりにもアナログ (アナログ と ビジネス の規模)

8年頃前のある年東京で15万4560円を送金しなければいけないことがありました。東京のCiti Bank に行き口座から送金をお願いしに行った、そしたら銀行からは送金できないという。びっくりしてUSではCiti Bank でいつでも金額の多寡に関わらずすぐ送れるのだが日本はそんなに遅れているのかと問いただしました、ができないという、それじゃどうしたらいいのかと聞くととりあえず現金を用意してくださいとのこと、そしてからATMマシンで送るのだという。それで16万円をキャッシュカードでおろしてから銀行の女性に教えてもらいながら送金することにしました。デスプレイから相手の銀行の名前を選ぶそして口座番号、支店名などを選んでそれから16万円をATMマシンに入れるそして送金を押しなさいという送金のボタンを押す時、一瞬10字を切った、何せ16万円はすでに機械に吸い込まれていったからです。さてお釣りは出てくるのだろうか。しばらくして、見事に5千4百40円が見事に出てきたので一様胸をなでおろした。吸い取られた154560円は多分相手銀行に届いているだろうとこちらは諦めて天に任す。現物は兎も角残りの通信網も今時ハッカーがよこ取りしてしまう、危険は確かのあるはずです。この ATM マシンの機能、確度にびっくり、すごい技術だなあとあきれてしまった。現金書き留から、Cash Base の経済、何かやっぱり現金が介在しないといけない文化になってしまっているのか。確かにおおての銀行にいくとこの素晴らし性能のATM マシンがすらりと並んでいる。現金を下ろす以外に支払いをしている人たちの方が多いようにみうけられた。郵便貯金簿からなにやら操作しているおばさんがいるこれも支払いしているのだろうか。自分はアナログのエンジニヤだったからアナロブ趣向だがこれほどまでに日本はアンログだったのかとびっくりする。チェックがあり、クレジットカードがあり現金を持たないで生活しているとアナログ時代をすっかり忘れてしまう。どちらが安心でどちらが効率がいいのかどうだろうか。ビジネスの世界では通用しないでしょうが。とにかく素晴らし機械ですね。多分この機械を作っている日本の会社は大変儲けているのではないでしようか。しかも高価にうっているとおもわれる。かって中国ではクレジットカードは発行しないで デビットカードだけが発行されているときいたことがある。それは銀行に残金があることを確かめないといけないからだという。日本のこの機械を持って行ったら結構うれるのではないでしようか。でも多分高すぎるでしょうね。あるいは機械ごと盗まれてしまうともいわれている。

アメリカと日本を往復しているのでドル送金 などがあるので 日本のCiti Bank に口座を開いた。多分アメリカ的(digital 的な)な使い方ができるだろうと思って利用していた。最近金を引き出すために銀行を訪問して。書類にサインしたら、ちょとまってください、登録されているサインと照合してきますとのこと、そしてしばらくして彼女いわくすみませんあなたのサインは登録したものと違いますという、それで金を下ろすことできないという。それではどうすればいいのかと尋ねたら 三文判ありますかというたまたまカバンの中に入っていたのでありますというと、それでは本人登録をやり直しましようということに成って本人登録をやりなおしました。そして三文判で無事にやりとりができました。印鑑だと登録した印鑑と当人が持ってきた印鑑をコピーして重ねてからああ間違いないですという。 ああそうかこれがアナログ世界なのかと東洋の智慧みたいなのをかんじさせられました。だから会社の印鑑は社長室にしかおいてないのですね。シリコンバレイのソフトウエアー を日本に紹介するときにこれに近い経験をすることがあります。要はアナログ文化をどこかに入れないと日本に馴染めないのですね。いまシリコンバレイの会社の人たちに日本進出のアドバイスとしてどっかに日本文化の香りを入れなさいといっている。あるいはあまりにもデジタル的だと敬遠されてしまうらしい。しかし文化を入れろと言われてもどうしたらいいかわかるはずはないですね。そのうち実企業で試してみたい。

アメリカ人のサインはしかしいつもぴったり同じようにサインをしますね。多分重ねても誤差いないにはいっているのではないでしょうか。かって最初にアメリカの会社に就職したときに上司のノーマン、ドイル さんのサインをみてその美しさにビッックリしました。素晴らしいサインですねといったら、平さん このサインで何万ドルという金が貰えるのだよという、なるほど確かに素晴らしサインでした。まるで日本の草書のようです。多分銀行に登録したものと重ねても間違いありませんと言われてお金が下ろせるのだとおもいます。

ローマジ からのサインだとアルファベット のつながりが草書にしたときにうまく繋がらないのがあってサインを綺麗に書くには苦労するしかしアメリカ人の名前は草書にしたときに綺麗に収まっている。だからノーマン、ドイルさんみたいなサインができるのでしょうね。

1960年代に“太陽がイッパイ”という アランドロン 主演のフランス映画があった。日本で大変人気で主題歌が毎日ラジオでながれていた。話は アランドロンが大金持ちの息子と仲良くなり 彼の親父のID を作りそしてさらに 親父のサインを写真にとりこの写真を拡大してトレースする機械で拡大してサインを毎日練習して、ぴったりのサインができるようになります。 そしてある日その金持ちをヨットに招待して沖で金持ちをころし死体を布で包んで海になげすてます。そから銀行にいって大金をおろす、銀行のテラー が疑い深かそうサインをみているのですが。サインがほとんど登録したものにぴったりなので大金をだしてあげます。そこで 主人公は豪遊してあるくわけです。 そしてある日ヨットで港に帰りヨットをひきあげるのですが。そのときヨットにロープに繋がれた大富豪の遺体が上がってきます。結局完全犯罪はあり得ないという結論になりアランドロン は御用になってしまします。

アナログの極致は日本の草書であり、墨絵であり、浮世絵です、あるいは禅画です。筆だけが書き留めるものだったのでその書はすばらしい。手紙もしかり、源氏物語、枕草子、然り、そしてまた西郷隆盛、山岡鉄舟、あるいは 宮本武蔵、などの書の素晴らしいこと。これらの偉人たちあるいは禅の修行を積んだ人たちの書は本当にすばらしい。小学校で書道を少し経験したことがありますが。幼稚なままでとどまっています。電気工学の教授で、書の大家でもあった恩師 酒井先生の所に、しばらく練習にいったものですが。時々平 今日は習字をやめて飲みに行こうということになって、新橋の先生の行きつけの居酒屋で飲むほうが多くなり、習字はあい変わらす小学校時代の幼稚さのままになっています。これからでも遅くないと思うので頑張ってみよう、ついでに墨絵もやってみたい。 山岡鉄舟の書、西郷隆盛の書、の素晴らしさ、またハワイの超禅寺でみたベニヤ板に書かれた大森曹玄 禅士の書などその墨跡の力強さ墨が板の中までとどいている。やっぱり自分はアナログの世界からは抜けきれないのでしょね。デジタルの世界はインドの友人たちに任せてワインを飲みながらインド人にアナログの香りをととけてビジネスを鼓舞するのが自分の使命のようなきがする。

恩師の書

致知出版を尋ねる

数年前に致知という雑誌を新聞広告で知った。購読はサブスクライブ のみというのでとりあえず1年だけ購読することにした。巻頭の言葉を 中国の古典から人生の指標になるような熟語を選びその熟語の意味するところを、偉人であったり、現在の経営者であったりの人たちの行動のなかで説明していただくのでよく理解できます。朝日ビールでスーパードライの開発に貢献された中条高徳さんが度々登場され中国古典のはなしから道徳のあり方を説いておられた。素敵なかたがおられるのだと、一度お会いしたいなあとおもっていました。ある年、たまたま徳永さんのやっている起業家倶楽部の講演会で中条高徳さんが講演することを知りました。無理やり押し込んでもらい講演会に参加しました‘30分前に会場に行くと中条さんはすでにこられていました。中条さんの前まで行って挨拶したら、それからいろいろ話がはずみました。その時中条さんはご自分の書かれた本を数冊持っておられた、話が終わってから3冊の本にサインをされてからそれを私に下さった。それらの本は、大が小に勝つ兵方の実績(朝日ビールとキリンビール の戦いの時の思い)陸軍士官学校の人間学(中条さんのバックボーンとなった教育)おじいちゃん戦争のこと教えて(中条さんがアメリカに留学している孫娘に大東亜戦争について詳しく話してあげる)いただいた本は次の夜から読みふけった。中条さんに会えたのは本当に偶然のきかいでした。まさしく森信三 が言う人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時にーこれは(出逢い)の内に秘められていた、神意というか、天意の恵みについてその哲理の表現でありますとともに、一見、偶然と見られる事柄も、すべて必然の作用によるということです。それから毎年一回日本でお会いすることができました。中条さんは靖国神社の隣に住んでおられて毎朝、靖国神社にお参りしてから1日がはじまるのだそうです。長野の中学生が シリコンバレイ に研修にきた時みんなが 中条さんの “おじいさん戦争のことを教えて”を読んでいて、アメリカの日系二世の戦争中の強制収容所の話が聞きたいとうのでサンノゼの 日系二世博物館で日系二世の方の話を真剣に聞いていました。この世代の子が戦争のことを聞き考えてくれるのは将来の世界平和のためにあり難いですね。致知は中国古典からのおしえから、また日本の二宮尊徳などのその他の国学者の教えを取り上げて日本にかっての道徳精神が戻るように啓蒙しています。毎月送られてくる本は いろんな困難を乗り越えてあたらしい企業を起こしている方、科学者、物理学者、が未知への挑戦で新しい発明、発見に成功されている話などベンチャー投資をしている自分を鼓舞してくれるような内容がたくさんあり、楽しみにしてよんでいます。

なんと笑顔が素敵な方たちでしょうか。致知の内容がお顔に現れている気がします。私の右側の方が通称“おかみさん”こと 小笠原節子 さん 左の方が坂本潤 営業長。毎月 おかみさんだより として小笠原さんの送ってくれる メイルは大変たのしみです。 阪村真民さんの詩とともに日本の四季をたのしんでいます。下記からみなさんも楽しんでください。
http://chichi.happy.nu/24/winter03/

阪村真民さんの書が会議室にかかっていました。

最後のところに “致知は 父であり母の乳である。父母への恩と同じくお祝い申しあげます。”  とかかれています。素晴らしいですね。これからもがんばってください。

致知では心に残る本をたくさん出版しています。下記が是非読んでほしい本の一例です。 私は大半よんでいます。あと吉田松蔭と山鹿素行の本をこれから注文するところです。先日も茶道の経験をするために三徳庵に行く前に岡倉天心の“茶の本”を久しぶりによみかえしてみました。

【1】『武士道』 新渡戸稲造、夏川賀央
    日露戦争の調停役を務めた米大統領セオドア・
    ルーズベルトも感動させた世界的名著。

【2】『学問のすすめ』 福沢諭吉、奥野宣之
    天は人の上に人を造らず」で始まる
    明治初期の大ベストセラー。

【3】『西郷南洲遺訓』 桑畑正樹
   「敬天愛人」の精神に生きた明治維新の英雄・
    西郷隆盛による唯一の語録集。

【4】『代表的日本人』 内村鑑三、齋藤慎子
    
【5】『五輪書』60数戦にして不敗。剣豪・宮本武蔵が
    死の直前に記したといわれる江戸時代の兵法書。
    宮本武蔵、城島明彦
    http://www.chichi.co.jp/kiji/kotennohi2015/

【6】『歎異抄』 金山秋男
    浄土真宗の開祖・親鸞聖人の教えが記された
    日本で最も読まれている宗教書の一つ。

【7】『茶の本』 岡倉天心、夏川賀央
    世界的ベストセラーになった一冊。
    日本人の美徳を思い出させ  てくれる。

【8】『吉田松陰「留魂録」』 城島明彦
    吉田松陰が弟子に伝承せんとした魂の記録。
    その遺書に込められた思いを読み解く。

【9】『風姿花伝』 世阿弥、夏川賀央
    現代ビジネスパーソンにも有益な日本最古の
    自己啓発書。
   
【10】『山鹿素行「中朝事実」を読む』 荒井桂
    吉田松陰、乃木希典らに影響を与え、
    日本の思想史を激震させた幻の名著。

【11】『新釈古事記伝』(全7巻) 阿部國治、栗山要(編)
    日本最古の史書といわれる『古事記』。
    私たちの中に確かに息づく「大和の心」を感じる名著。

大学生では遅すぎる。平成の咸臨丸プロジェクト。

日本の若者を活性化するには一度シリコンバレーに来てみてその雰囲気。特に起業家精神みたいなものを身を以て感じて欲しいと思い、大学生の活性化の活動を主体に活動していた。しかし大学生だともうすぐ就職が待っているので余裕がなく起業家精神の吸収などは無縁になってしまっている。やっぱりもっと若いうちにその雰囲気を受けとめないと普段の生活にもどってしまうらしい。

できれば中学生の頃にシリコンバレーの雰囲気を味わって将来を考えて欲しいとおもう。幸いにこれに気付いた起業家がいました。Aoki Holdings の青木擴憲 会長です。 数年前から青木さんの故郷長野県の中学生達を10名ほど選考してヨロッパ とアメリカに 各一週間の研修旅行をサポートしています。一昨年から青木さんのこのプロジェクト のお手伝いをしました。ことしもシリコンバレーの起業家精神身が身にしみるような企画を考えてくださいとの依頼を受けて訪問さきをかんがえました。さらには子供達がどんなところを見たいかということを企画の方がまとめておられたので、それも計画の中にとりいれました。シリコンバレーの短い二日間のスケジュウルを一緒にあるきました。13歳−16歳の可愛い子供達でしいた。

Stanford大学 見学と Professor Dasher 先生の講義受講。Dasher 先生が シリコンバレーではどのように新しい会社が起こされていくのかそしてどのようにしてお金を集めていくのかなどの話をしていただきました、そしてもしスタンホード大学に入りたかったらどのような活動を普段からしていかなければいけないかをいろいろをおしえてもらいました。 またスタンホード 大学に在学中の日本人学生のかた数名に来ていただいて学内の案内と さらに懇談をお願いしてその方達の話も聞かせてもらいました。特にスタンホードに在学ちゅうの学生の話は興味ぶかかったようです。

講義中の Dasher 先生。

松井 ナーサリー の訪問

スタンホード大学の見学を終えていそぎで サリナスまでバスで むかいました。松井さんの ナーサリーと一大農業地帯を見るためのほうもんです。松井ナーサリーでは アンデイ 松井さんのこれまでの詳しい起業家としての苦労また成功までの詳しい話をききました。 1961 年にポケットに2万円だけ入れてカリホルニヤに移民として渡りました。 幾多の苦労の末にランの増産に成功します。特に印象ぶかかったのは事業を成功させるためにすごく精細な計画を練ってこられたことです。カーネイッション、および、菊の花の栽培から得た世界からの競争を精細に検討してそれに対する対策を十分練ります。そのために一番の競争相手であった南米の国々に数え切れないぐらい訪問してどのようにしてこの競争に勝って事業を継続していくかを検討します。そして蘭のビジネスの綿密な計画ができあがります。ですからその計画たるや失敗という不安が全然ない完璧なものだったそうです子供達からの質問があり失敗の不安はなかったのですか。 それは全然ありませんでしたというこたえでした。

一瞬この話を聞き、これはずごいとおもいました。日本では失敗は恥だとして人々は チャレンジしません、またシリコンバレイでは失敗は起業家の勲章だと言って何回も失敗して成功した話がもてはやらしています。しかし松井さんはさすがに日本男児失敗は絶対にない。と用意周到に計画したのです。今日本の起業家には失敗を恐れずがんばりなさいとシリコンバレイの人たちは言う、松井さんのこの話を聞いて私はこれから日本の起業家にたいして、絶対失敗するなだから綿密な計画を立って事業をしないさい、そうすれば絶対に成功するのです。もしも不安があるならもう一度計画を一から練り直しなさいそしてその計画を胸に抱いてチャレンジしなさいと言ってあるきます。松井さんいい話ありがとうございます。 

エンジェル投資家として考えを変えなければいけない時期がきたようです。 それともそろそろ足を洗う時期かなあ!子供達ももう身動も出来ないように真剣にきいていました。かれらは この訪問が将来にわたって心の底に残っていればきっと何かを実現することのできる子供たちになって行くこととおもいます。今回のほうもんは 松井さんの話が、万金に値する話だったとおいます。青木さんこの企画ありがとう、きっと長野から総理大臣がでますよ。

そして今世界一の蘭の栽培者としてアメリカ中に蘭の花を出荷しています。何万エーカーに及ぶ広い温室には百万株近くの蘭の苗が 集荷順をまっています出荷の前に花を咲かせるように温室内の温度湿度を正確にコントロールされているとのこと そしてそれはアメリカ中のスーパーマーケットに出荷されています。貧しい絵描きが百万本のバラをおくったのですが。ついに彼女のハートはいとめられませんでした。しかしもし蘭のはならどうですかと山根さんに聞いたらついに返事が聞けなかった。松井さんのところなら百万本の受注Okay だそうです。起業で成功したらぜひどなたかためしてください。温室を見せてもらってから松井さんの 2万円をポケットに入れて移民してきた当時からの苦労話をききました。みなさん、その生きざまをただただ感激して聞いて声も出ない感じでした。ものすごい努力を絶えず継続した人生をいきてこられたようです。子供達も感激していました。

松井さんは、さらには 地元の高校生に何年にもわって大学教育のための奨学金をだし続けて地元えの感謝をあらわしています。

松井さんは自分の成功はこのサリナの地があったからこそ成功できたのだと感謝して自分の所で働いていう現地の貧しい子供たちに奨学金を出してお礼をしたいとして毎年地元の高校生 数十名に奨学金をおくりつづけていました。然し勉強しなくて卒業できない子がたくさん出たのでもっといい方法なないかと大学側と相談して新しく。コンピュウータサイエンス の学位を3年間で取れるようなプログラムを作り今年から実施しました。これは Hartnell Community College と Cal State Monterey Bay 校と共同で3年で 学位が取れるような奨学金を新たに作ったそうです。3年間なので土曜日も授業をするそうです。松井さんは 子供達が学位をとってシリコンバレイで 技術のいい仕事をして、お父さんお母さんをイチゴ 採りのような重労働から解放してあげなさいとの親心のようです。

いちご採りの仕事は腰かがめてするので何時間にわったて作業をするのは大変な重労働です。ですら このしごとを“la fruta del diablo” 悪魔の実としょうされています。きしくも この奨学金をもらった 地元の mateo sixtos 君はもし自分が一生懸命に勉強しなかったら自分も親たちのようにこの重労働をしなければいけないのだと自覚していると言っています。そしてまた 松井 さんの子供達もたちもまた Harverd university にいけなかったら 親たちのような重労働をしなければいけないのだとの自覚から子どたち4名とも皆Harverd University を優秀な成績で卒業します。次女のKathy さんは 日本の goldman sacks で大活躍です。 そしてさらに彼女はバングラデッシュに 女性の大学を作るので活躍しています。そして今はこの大学の 総長になっています。今回奨学金をもらった 学生たちも、すごく勉強しているようです。

子供たちには親の背中を見せるのが一番の教育のようですね。

松井さんは おせわになったサリナスの社会に恩返しとしてこのよう奨学金をだしています。日系人としてすばらし方ですね。

松井さんを囲んで中学生のみなさん蘭を見つめる松井さんの素敵な笑顔ですね。

サリナスの大農場をたずねる。

サリナス一のレタス農家 種村さんの農場をたずねる。
種村さん一世は今年100歳だそうです。三世の種村さんがいろいろ説明してくださった。

種村さんの広大な野菜畑

冷蔵庫付きの大型トラック、3−4日かけて East Coast まで運びます。また野菜を特殊な梱包するためEast Coast まで新鮮なままで運べるのだそうです。エデンの東 の映画でジェムスデーン の父親が貨物列車に大量のレタスを氷とともに運んだのですが。途中列車が数日止まったので野菜が腐ってしまい、大損をします。

今はこの大型トラックと梱包などの技術でEast Coast の人たちも新鮮なオオガニックの野菜(レタス)を食べることができています。

日系人2世の歴史館訪問

日系人の方々の戦争中の苦労を後世に残すために日系二世歴史博物館がサンノゼに建てられました。

強制収容所で苦労された山一さんご夫妻のお話は本当に涙なしでは聞けませんでした。確かご夫妻は90歳近くだときいています。この博物館には強制収容での生活の様子また収容所の中の持ち物などが展示されています。本当に行李一つだけが全ての持ち物であった部屋の様子などが展示されています。また収容所に入れられたノーマン 峯田さんの写真、また442 部隊で活躍され片腕を亡くされたダニエル 井上上院議員などの写真など苦労した日系人の方々の方の写真を飾っています。戦争が終わって峯田さんはその後 ブッシュ政権の運輸大臣となり例のNine Eleven の時に見事な采配を振るったのを記憶にあたらしいところです。また ダニエル 井上上院議員は第二の故郷のために政治の世界で大活躍されました。我々日系人として誇り高く思います。

峯田さんにはわたくしが関係している Keizai Silicon Valley の新年会で Life Time Achievement という賞を贈らせていただいて300名ほどの参加者に話をしていただきました。とても親切は方で参加者が挨拶にくると時間を忘れて最後まで皆さんの話を聞いていただけました。シリコンバレイのアントレプレナーが大変かんげきしていました。

Face book 訪問

アイスックリームをご馳走になって子供達大喜び、とたんに顔がほころんできました。FACE BOOK の雰囲気従業員の嬉しそうに仕事している見る限りこの会社はまだまだ伸びるのだろうという空気がながれています。会社では自分のアイデアを発表して賛同者を募って開発をスタートするのだそうです。そんな中から例の“イイネ”がててきたのだそうです。この会社まだまだ何か出てきそうです。

Silicon Valley の起業家の話を聞く

数々のスタートアップを成功させたシリアルアントレプレナー Sanba さんの話をきく。彼はイノベーッションがどのようにしておこるかを説明してくれました。それは世界の困っている問題をじっくりと見てその中の 時間、テンポそしてリズムを十分にしらべあげ。そしてその解決方法を問題のリズムにあわせます。そうすれば解決します。 ようは作曲をするみたいな感覚だという。ベートベンみたいなものですね。これはちょっと難しいですね。彼はFull Duplex Ethernet の提唱者なのでなるほどリズムがぴったりですね。問題解決には全知全能を動員しないといけないですね。子供達のあらゆる経験がこれから社会に出てきっと役に立つのでしょう。

今彼が開発しているデータセキュリティの会社は大変注目される領域です。市場に出たらきっと大きな反響がでるとおもいます。私も微力ながらお手伝いをしています。ご期待くください。サンバさんの講演の後生徒が一人ずつ質問をすることになりました。皆さんなかなか。するどい質問をしていました。さすがに選ばれた生徒たちでした。

送別会 我が家でサンバさんとともに。私の話が長くなって皆さん随分遅くのデナーになってしましいました。
ごめんなさいね。
これからもがんばってください。

中兼次郎先生 と 気功合宿 April 10-12, 2015

中先生の道場は湯河原の山の上にあります。
湯河原の山の上の空気は実に爽やかで身も心も引き締まる思いです。道場は地下に炭を敷き詰めて電磁波をにがしています。人体の静電気を道場にあがる前と道場に入てからの静電気を測ってもらうと実に倍ぐらいの開きがありました。

道場にいるだけでインターネットづけに成っている日常から解放され爽やかな気持ちになります。さらに先生が世界各国から集められた絵画や彫刻陶磁器などが道場をさらに聖地の雰囲気としています。

そして先生のお話気功の指導がじっくりと身にしみていきます。

我々仲間のためにこの素晴らしい道場で気功合宿をうけ入れていただき感謝しています。

大半が初めての参加者で自分もできるだろうかと心配されていた人たちが多かったのですが、この道場の空気で皆さんいっぺんに目が輝きだしました。そして又初めて合う皆さんともまえの晩の大観荘での一夜ですっかり10年来の友達のようになっていました。新しい友人がふえたようです。

今回は私がベンチャーの講演のたびごとに誘った人たちと,シリコンバレイに研修にこられた人たちです。誘い文句はベンチャーをやるなら宇宙の気を取り込まないとだめだよと誘い、またゴルファーにはゴルフ がうまくなるよとさそいました。 実のところ私のゴルフは気功を始めて少しも上達してないのですが。この誘いが一番効いて相当数のゴルファーがあつまりました。こんどゴルフする機会があれば、気功が少しもゴルフに役に立たないことがあわかりもしかすると袋叩き似合うかもしれない。またベンチヤーを始める連中には、自然の気を取り込みながら起業しないと成功しないぞと脅かして半ば強制てきに参加してもらいました 中国の深圳から Jin Liu 君が一人参加しました。

中先生は学生の頃から中国をはじめ世界各国を行脚され気功の大家のもとで数年に及んで訓練をうけてこられました、そしてまたインド、南北アメリカなどを旅されて聖者が居ると分かればそこをたずねて、ボランテイヤ をしながら聖者の教えを受けてこられています。

先生の聖者からの教えの話などは本当に感激します。中国の気功の先生などは80歳90歳100歳でも、元気に気功をおしえているそうです。

そうして先生はマザーテレサのもとではボランテイヤーをしながらマザー テレサ の 献身的な活動を見てこられました。マザー テレサ の偉大さを我我に説明していただきました。

我々、毎日あくせくと働いている者にとって一時我を忘れて体をゆっくり動かして宇宙の気を取り入れる経験は素晴らしいものでした。参加者は私の講演会に来てくださった方あるいは遠くは福岡の友人、や旧友、学友などが参加してくれました。これから起業したい人たちには気功に来れば必ず成功するよとさそいました。一番いそがしそうにしている会社の経営者に一番効いた殺し文句はゴルフがうまくなるよという一言でした。本当は私などは何年も気功をやっているのですがゴルフはちっとも上手になれません。しかし参加した人たちは皆さん大変楽しんで有意義だったとの感謝のメイルをたくさんいただきましたので あんしんしています。この合宿の後,麻美子さんが ゴルフにいったらすごく良かったとの報告がありました。(良かった一人でも効能があって)

感想文 兄弟二人が参加しました。 弟の方からの感想文です。 彼は介護の仕事をしています。 熱心にメモを取っていました。

感想 (弟のほうから)
合宿では、初めてお会いする方々、さまざまな世界で活躍されている方々とご一緒させていただき、大変刺激的な時間を過ごさせていただきました。また、気功や生き方に関する思想を、すばらしい先生から学ぶことができました。ありがとうございました。兄にも感謝です。兄はアンテナのようで、ソフトで開いた性質があって、いつも、何かためになる経験をさせてもらえます。合宿を終えて数日が経過いたしましたが、湯河原とはうって変わって、恐らく電磁波の影響や、仕事のストレスなどにより、やはり大変、自分を保つのが難しい、ということを実感しています。仕事帰りの私の体は、ギクシャクしていて、部分的にしか意識できず、合宿中に感じていた「ふわり」とした感じを完璧に失っていました。近頃は、家に帰ると、まだまだ下手な気功と瞑想を反復し、自分の世界を取り戻すよう励んでおります。一方で、少しばかり合宿で自分のエゴを取り除けたようで、ここ数日は、過去の自分の失敗を受けとめるような愛も感じられ、以前よりも少し素直になれた気もしています。中先生のおっしゃる通りに、気功を歯磨きのように取り入れつつ、少しずつ人として成長していけたらと、思っています。この度は、参加させて頂き、ありがとうございました。感謝の心を言い表しえませんが、私の成長という形で少しずつ社会にかんげんできればとおもいます。

東急電鉄 S 君より
気功合宿について、お声掛けいただきましてありがとうございました。大変お忙しい中、企画、招集等なにからなにまで、ありがとうございます。気功はいままで全く経験がなかったのですが、こういった機会をいただくことができ、自分を見つめる時間を作れたこと、本当に勉強になりました。力ではなく、心の修業がいかに重要で、かつ自分がさぼってきていたのか、強く認識することができました。また、企業家の方に囲まれてこういった新しいチャレンジの機会に参加できることは、自分にとっての大きな財産だと感じております。引き続き、ご面倒おかけいたしますが、平様の素晴らしい企画・講和に参加させていただければと思っております。また近いうちにお会いできることを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

気功の後にすぐアフリカに行った彼女から。
湯河原の気功合宿に誘って頂きまして本当にありがとうございました。中先生夫妻のみならず、とても素敵な起業家の方々とお会いする事が出来た事心から感謝致します。アフリカから帰ってくる事は平様もサンフランシスコに帰国されていらっしゃると思いますが、どうか今後とも宜しくお願い致します。奥様にも、本当にいろいろお世話になりました。どうか奥様によろしくお伝え下さいませ。またお会い出来る日を楽しみにしております。アフリカは楽しかったようです。 次回は彼女に聞きましょう。

今年のスケジュール例

来年も企画します。
来年は4月23日と24日の一泊2日のよていです。
皆さんよていをあけておいてくださいね。

大学生of the Year 2014.

児玉知浩(Igrow co.jp)さんが数年前から大変苦労しながら、個人で大学生を鼓舞するために、企業から協賛資金を集めて会場を借りて大勢の学生に来てもらい学生達の様々な活動について発表してもらい優秀な学生を表彰するイベント組織、大学生Of The Year を運営していました。私も三年前から審査員として参加してきました。今年から エン・ジヤパンさんが、メインの協賛企業として大半の経費を負担していただけるようになりました。それでも不足な資金を協賛企業からのドーネイションで賄っています。昨年12月は東急電鉄のヒカリエ の会場で開催することができました。学生も300名近くが参加してくれて盛大でした。

昨年と同じように4部門とさらに今年はイノベイッションテクノロジー賞を加えて5部門として各部門より3名に絞りこの3名に大勢の学生,企業家の方の前で発表してもらい審査員が審査して各部門から1名を選び表彰し若干の賞金を 提供しました。この5部門は ビジネス部門、エンターテンメント、ノンプロフィット部門、ICT 部門 イノヴェイションテクノロジイ部門です。どの部門の発表者も,思いがこもっていて素晴らしかった。若者の思いと真摯な気持ちがひしひしとつたわってきました。

イノベイション テクノロジイ 賞をもらった電気通信大学院の博士課程の粕谷昌宏 君はブレン コンピュターのインターフェスの研究をして、その応用として義肢、や義足を動かす研究をしています。 このブレン コンピュターで脳から指示で体を動かすことができるようになれば ALS の患者さんが歩けるようになりのではないかと大きな夢を持ちながら研究しています日本のものづくりの為に 粕谷君の今後の研究に期待したいとおもいます。

この粕谷君のほかに、わたくしが感動したあとの二人の発表者を紹介したい。

霜田直人 君の思い

東京農大の霜田君は日本の一次産業の活性化をどうすればいいのかを考えて 農林水産省の事業を行う“いろり”という学生団体に参加して全国の大学生たちと一次産業についてどうするかということを議論し行動する活動を継続しています。地方の農業、漁業などの現状を理解するために各地で実習に行き、その地方の方たちと交流を持ちどうすれば若い人達が一次産業にかかわっていけるかを体験とうして学んでいく活動を続けています。霜田君は“田畑と森と海でつながる学生団体いろり”(HP: http://irori-japan.com/ )の第3代代表として頑張っています。霜田君の一次産業に対する興味は2年前 アメリカのノースダコダの肉牛農家でひと春実習に行った時に農業や一次産業がいかに人々の生活になくてはならないものかを実感させられてそれから日本の一次産業産を真剣に考えるようになったようです。

若い人たちが森と海と農業に真剣に取り組、またそれが地方創生どうつながっていくのかをかんがえようとしています。
一次産業が自然との語らいで行われることは若い人たちにとってロマンかもしれません。しかし継続してビジネスにしていくには魅力ある産物を生みださないといけないしそして企業として利益も上げないといけないとおもいます。時あたかも TPP の話しが持ち上がっているしJA(全農)の改革も検討されているようですのでビジネスとして充分生きていけることをもっと真剣に考える時期だとおもう。霜田君は すごく真摯な情熱を持った方でした。これからもこのテーマを持ち続けて頑張ってほしいとおもいます。大根片手に意気のこもったプレゼンテイションでした。

上野啓司 君のチャレンジ
日本の学生がGraph 500 ベンチマークと言うグラフの問題を解くAlgorithm を設計して誰が一番早く問題を解決できるかを競うコンペティションで世界一となった。

東京工業大学の博士課程の 上野晃司君がスーパーコンピュターを用いてグラフのBig Data を処理する競争で世界一となりました。このコンペティションには世界の頭脳といわれる研究機関あるいは研究者が参加しています。インテル、IBM などの優秀なエンジニアが組織として参加していました。これに対して上野君は一人で立ち向かったのでした。そして見事、世界一になりました。

上野君は2011年から参加し、東京工業大学や東京大学のスーパーコンピュターを用いて2011年4位、2012年4位、2012年11月には「京」を用いて3位。そしてついに2014年6月「京」を用いてついに世界一になったのです。グラフの問題解決の指標として1秒間にどれだけのノードに行きつけるかを競うのです。GTEPS (Giga Traversed Edge per Second)でスピードが測られます。 

上野君は2011年からアルゴリズムの改良を続けついに世界一になったのです。上野君は理研の「京」を使って一位になりました。コンピュターの性能は現在はIBM のSequoia が世界一となり 京は2位になったようですが、上野君はアルゴリズムの改良を続け、次も1位を目指したいそうです。

とにかく個人で世界の頭脳と真正面から立ち向かって世界一になった上野君のチャレンジ精神にエールをおくりたい。また日本も京という スーパーコンピュターを作りそれが上野君の挑戦に貢献したのもまた日本の技術の優秀さを世界に誇示できたものとおもう。

将来は上野君が頑張ったこのようなアルゴリズムをもちいてBio Medical の研究あるいは 人間の脳の研究、あるいは交通量のSimulation などのBig Data の処理などに応用される可能性があるようです。上野君世界一おめでとう。これからも頑張って世界にはばたいてください。

世界の頭脳を向こうに回して世界一になりました。日本の若者もすごいです。上野君の今後の活躍に期待したい。そして今後とも 頭脳も Computer も世界一を維持できるように頑張ってほしいものです。

青の洞窟、目黒川ぞいのEvent

日本の三名のノーベル物理学賞を記念して三氏の青色ダイオードの開発を記念して未だ咲かない桜の木に見事な青色ダイオード の花を咲かしてくれました。

目黒川両岸の見事なブルーLEDの花
この点灯は12月25日まで点灯されるとのこと。
 

目黒川の両岸の桜の木に500メートルにわたってブルーLEDの花が咲いて春の桜とともに点灯したらどうラなるだろうか。

目黒川の両岸に見事な青色の花がさいていた。中目黒の商店街協賛で中目黒青の洞窟実行委員会が企画したもの。中村修二さん、赤崎勇教授、天野浩教授 の三名の研究者によってブルーLED が実用になりそのために御三名がノーベル物理学賞の栄誉に輝いたものでした。

赤と緑のLED は東北大学の西沢潤一博士の発明です。LED 開発の当初は 気相成長でGaAsP が用いられ赤、橙、黄色 しかできなかったそしてまた輝度がそれほど上がらなかった、東北大学の西沢潤一博士の開発で GaP を使いLiquid Phase でLED ができるようになってから緑と赤の明るいLED ができるようになった。西沢先生は日本のLED の開発に大きな貢献をされたのです。そしてさらにLaser Diode の研究にもつくされたのです。GaP の明るい赤と緑のLED ができて信号機の照明にLED が使われるようになりました。これも日本の半導体メーカの努力によってなされたものです。特に緑の明るいLED ができてDigital Signage に使われていきました。Sanyo の緑のLED は明るく米国市場において重宝されました。 輝度の明るいチップを選別してF-16 のコックピットのデスプレイように納入したのも思い出の一つでした。ブルーLED を明るくすための数々の努力が日谷化学 豊田合成 などでなされ今日の明かりLED ができたのです。そしてやっと白色のLED ができるようになってタングス電球の置き換えが出来るようになりました。 そして電力の少ない白熱電球が普及してきました。電力消費が半分以下で同じ明るさの電球ができ、今CO2 削減の選択肢だい一位となっています。樋口さん石井俊彦君 などがこのGaP のLED開発に専念しSanyo のLED に大きく貢献しました。アメリで明かるい赤のLEDを見せたらさっそく走る文字の広告版 が大流行になった。ブルーのLED の開発も力をいれていたが。シリコンカーバイトの基板に結晶を成長させるのに苦労していたように思う、その点日谷さんが先に量産に成功したのでした。

目黒がわの青の洞窟でノーベル賞受、受賞の三名の為に記念して栄誉をたたえてくれた地元の商店街の方たちに感謝したい。

高所から見ると青色の光の 靄が目黒川の上にかかてっている。

高野山気功合宿

中健次郎 先生と仲間たち。

日本の気功の大家 中健次郎先生の気功合宿に何時もの平塾の仲間とでかけた。稼業優先でどうしてもあつまりがわるい。それでも全国から常連の人達が総勢50名も参加しており我々もその仲間となりました。そんな初めての皆さんとともに3日間を気功の修練に励みました。高野山は弘法大使が開かれた天空の一大、真言密教の宗教都市です。標高800メートルほどの山あいにある盆地で松林の中にある静かな修行道場です。各お寺の修行僧が朝早くから各寺を回り読経をして回りその後修行にいそしんでいる場所です。空海が唐での修行を終り日本に帰るときにどこにお寺を立てるのがいいのかと旅立つ前に三鈷杵(さんこしょ)を投げてお寺を立てるところを示してください。と投げたら紫の雲が現れ三鈷杵は雲ともにはるか彼方に飛んで行ってしまったそうです。のちに高野山を天皇から下賜され伽藍建設をするのですがその時夜な夜な光る木があるというので見ると空海が投げた三鈷杵が松の木の枝にかかっていたそうです。この松は松の葉が三本あり三鈷の松とよばれています、大伽藍影堂の前にこの松がたっています。隣には真言宗の大本山として金剛峰寺という大きなお寺があります。修行僧が何百人もとまれそうなお寺です。台所は大きなお窯があり100人分のごはんがいっぺんに炊けそうな大きなかまでした。このお寺には蟠龍庭(ばんりゅうてい) という素晴らしい庭園があります。密教の世界にふさわしい

庭園です。

蟠龍庭(ばんりゅうてい)

この町は修行僧と信者が泊まる宿坊とお寺に関係する人達また宗教大学などの学生が住んでいる宗教都市です。人口3千500人ほどの素敵な街です。すがすがしい空気がいつも流れているところです。毎朝の宿坊での勤行もあたりの空気をピリリ とさせているようです。弘法大使が長い間衆人を教え導いてきたのでその空気がいまだただよっているようです。弘法大使の祭られている奥の院では今でも毎朝弘法大使のために朝ごはんを必ず差し上げてまた服の取り換えも用意しているようです。 いまも まだ生きていらっしゃるのですね。

中先生は若くして中国にわたり、中国の仙人、仙女から教えをうけてこられた、険しい山奥で修行されまた北京の町中でこれらの達人賢人と生活を共にして修行された。そしてまた先生は世界各国をまわり聖人といわれる人達に教えをうけています。インドではマザー、テレサ、 またサイババなどにもあって教えをうけています。 ガンジス川で沐浴しヒンドゥー教徒 のキャンプで一緒に生活したりしています。すごい先生です。中先生はマザーテレサのところでボランティアをした時に、マザーとシスターたちの愛に溢れた姿を見て涙したそうです。またあるシスターがマザーと町を見回りに行った時、道端に飢饉と病気で動けなくなった大男がいました、マザーはこの大男を担いで修道院に歩かれたそうです。シスターは自分ではとても担げないと思いました。それはまるで天使が手助けしているように見えたようです。汚れていようが関係なくマザーはこの行き倒れの大男を修道院に軽々と担いで行ったのです。そしてまた修道女たちも何の嫌がりもなくこの人を介護していたのです。 崇高な光景だったのですね。

中国の気功の大家やまた仙人に近いひと、仙女に近い人たちもまた不思議な力を発揮するのだそうです。先生はこの人た
ちと交流をいつも持ちその人たちの写眞などを撮られていた。 80歳、90歳あるいは100歳を超すこれらの人たちのわかわかしいこと肌がまだまだ若者の肌です。演武はまるで若者のように空中を舞っています。 なるほど仙人は空を飛ぶというがほんとかもしれない。大変な修行をし、自然の気をわがうちに取り込めば空も飛べるようになるのでしょう。

気功とは自然の気を自分の丹田 に込めてこの気を利用することによって自分の体を動かして内臓を鍛え健康な体にするのです。小さな動きで体を動かし、内臓を活性化するのです。そして自分も自然と一緒になり、自由になるのです。重要なのは 自分の我をすてることです。我をとりのぞいて 自分を解放するのです。そうすれば空を飛ぶのもできるかもしれない。中先生の身のこなしのなめらかなこと、バレリーナ よりも自然で空気の中をゆったりとうごいていかれるのです。もし後ろから思い切り押してみたとするとたぶん押した人が自分の力で前方に投げ出されてしまうのでしよう。先生の動きを見ていると気功の大家が人を飛ばしてしまうというのがよくわかります。丹田に気を込めて指一本で相手を押し倒したり寝ている巨漢,巨女を簡単におこしたりできる経験をさせてもらいました、気はみんなのものですね。 その要は自分が自然と一体になることです。 自然と一体になり我をすてることです。

さてこの教えをいつまで持ちこたえられることか。来年の平塾まで訓練してきてその成果を仲間にかたられるようにがんばってきたい。中先生に 来年もお会いして自分がどれほど成長したか見てもらいたいものです。わたくしは腰が痛いので毎朝起きて毎日―捻天柱―というのをやって腰痛をおさめています。これからももっともっと今回教えていただいた動きを実践していきたいとおもいます。

先生はどのような生活態度で毎日を過ごすしたらいいかを 説いてくれました。先生いわく。毎日よきことを思い、 よき行いをして、世界中の人によきことがあるように祈っていけば世界が平和になるし自分もよき人生を送れるとおっしゃっていました。イスラエル と アラブの戦い ロシヤと周辺国とのいざこざこれらもお互いのことを思っていけば平和になるのでしょう。稲盛さんがよく 〝私心なかりしか、これは利他の心か?“ と絶えず自問自答して経営に当たられたとおっしゃておられる。それであのむつかしいKDDIの経営を成功させ日本のテレコム業界をやっと世界伍していけるまでに成功させたのです。そしてまた京セラを世界有数の会社の育て上げあるいはまた JAL の 再生に成功されたのです。

弘法大師の教えも、仙人 仙女の教えもこの自然と一緒になって自己を高めることによってよき経営者 起業家になれるのです。平塾の若き経営者も何かつかんだようです。これからの経営の指針になったかとおもいます。
来年もまた参加してください。
中 健次郎先生 ありがとう。 来年もよろしく。

中先生の 気功の本 いい本です。

Yosemite 紀行

日本から気功の大家でいらっしゃる、中健次郎先生が訪ねてこられた、何年ぶりかでYosemite に御案内することにした。園内のHotel が取れないので南側の公園入口の近く近くにTenayan Lodge という瀟洒なロッジがあったので予約をした。 Yosemite の見逃せない一つである, Giants Sequoia が南側の入り口にある。おかげさまで初めてGiants Sequoia を楽しむことができました。

Yosemite Valley から南に抜ける岡の上からYosemite Valley が一望に見渡せる、2,3の滝が丁度雪解け水を十分に集めて素晴らしい流れをみせてくれる。夏になるとこの滝のみずもかれてしまう。春先が一番すばらしい。ここからトンネルを抜けて南側の入り口にむかう。昔はここYosemite Valleyにはインデアンが住んでいた、彼らは Ahwhneechee (Ahwahnee の住人)と呼ばれていた。この素晴らしい景観と自然を守るために国立公園にすべく愛好家が政府に働きかけ 1864 に Abraham Lincoln 大統領によってYosemite Grant と言う法案がサインされた。

写真家のアンセル アダム はYosemite をこよなく愛し たくさんの写真を残している、Valley の中にはアンセル アダム の記念館がありたくさんの Yosemite の写真が展示されている。

ビジターセンターではヨセミテ の自然を説明するいろんな資料が展示されているしまた、ヨセミテの四季の素晴らしい映画も上映してくれている。Valley の中は無料の電気バス が走っておりどこに行くのも便利です。Valley の中のホテルは早めに予約しないと取れないのですが。公園の南口をちょと出たところにたくさんのロッジがあるのでここに宿をとるといい。


Lower Yosemite Fall と中健次郎 先生

1903年に Roosevelt 大統領が5月に3日間 Glacier Point にキャンプしてその素晴らしさに感激してさらに Mariposa Grove も国立公園に含めることになったそうです。Glacier Point からのヨセミテバレイは 圧巻です。 この景観はいつまでもアメリカの宝として保護していってほしいものです。


Giant Sequoia

公園の南側の入り口にGiants Sequoia が林立しているところがある。すごく大きな木で樹齢3000年近くのものがたくさんある。 もうたくさん生きたからもういいよとでも言いたいほどの痛々しいのもある。高さは90メーターあり太さは15メートルから20メートルもある。うえのほうはそれ以上栄養がいかないのか成長がともったような感じになっている。それでも3000年の永きにわたって必死に頑張っているという感じです。その根はあまり深くなくよくも水分と栄養を供給できているのがと思うと大変な苦労をして今日までいきつづけてきたものだと感心する。

かって Wawona Tunnel Tree (別名トンネル Tree )と言う幹に穴をあけて自動車がとうれるようになった大木があった。高さ69メートル幹の太さ 27メールで大勢の人がみにきたものだそうですが,1969年に雪の重さで倒れてしまったそうです。現在はもっと小さい木で中がくりぬかれた木が California Tree の名でのこっている。


California Tree


Fallen Monarch Tree (3000年の樹齢の巨木)


Giant Sequoia
この大きな根が必死に大地を捕まえているように見える。


かわいい赤い花がGiants Sequoia の合間にさいている。

Yosemite の南側から入る道は小さな半径で小刻みなカーブの連続です。途中から山の方にのぼると Glacier Point に行ける、南入り口から約1時間ほどで頂上につける。Glacier Point は標高2199 メートルでここから見るYosemite Valley とそれを囲む山々の素晴らしいこと花崗岩の素晴らしい坊主頭のHalf Dome そしてEl-Captain などの山々の神々しいこと、この上もない。氷河期から数千年あるいは数百年にかけて作り出された自然の芸術です。Roosevelt 大統領もここで3日間キャンプをして、この偉大なる自然の神々しさに感激したことでしょう。


Glacier Point から見るYosemite の山々。


Granite の山Half Dome.


Yosemite fall と周辺の


Half Dome には坊主がよく似合う。中健次郎先生と


Misty Trail への挑戦、Vernal Fall 手前で。

Misty Trail, 二つの滝がつながって谷間に落ちて行くTrail を登ってくと霧というよりも水しぶきを浴びて濡れてしまう。先ず初めにVernal Fall の水しぶきの 歓迎を受けるそしてされにもう一段上まで行くとNevada Fall にたどり着くが ここまでくると もはやしぶきでなく雨にあうのです。階段は全部で600階段、中先生はNevada Fall までたどり着かれた。とても元気な先生です。わたくしはVernal Fall までであとは Give UP. たぶんグラナイトの200階段 ぐらい 登っただろうか。 自分で写真を撮るのさえ疲れてしまって ギブアップ この写真はWeb から拝借。

Giant Sequoia は古いもので3000年から4000年のものがある。太い幹が40メートル から50メートルにもなっている。木の先端のほうは60メートル付近で成長がとまっているようだ。この太い幹をこれ以上に維持するのが大変なので、上のほうへの栄養がいかないのではないだろうか。 この大木を見ていると必死に、数千年かけてここまで生きてきたのだと感激する。そしてまたこのような大木が力尽きて倒れているのを見ると ほんとにご苦労さんといいたいようなきがする。根はあまり深くないようだしよくもあの大木を支えて必死に大地にしがみついて生き延びてきたのだと思うとかんげきする。たびたびの山火事にもめげず生き延びてきている。 確かに周りには若い木たくさんはえていて、それが老大木を守っているようにも見える。このGiants Sequoia を保護しまたYosemite の素晴らしい景観を保つべく努力している公園の管理をしている人達に感謝したいとおもいます。素晴らしいYosemite National Park でした。

中先生の著書

わたくしは毎朝先生に教えていただいた気功で腰をなおしています。

起業家と資金調達、海賊と呼ばれた男の苦闘

数名の友人が若い企業家を育てようと、ファンドまで用意して財団をたちあげた。たまたま日本に来ていたので、ついでに仲間にシリコンバレイ の話をしたくれというので、シリコンバレイでの起業の仕方、資金の集め方、ベンチャーキャピタル の活動などの話をした。

シリコンバレイでの起業はまず個人、あるいは数人の仲間で新しいアイデヤ をねりあげます。これが一番重要でいろいろ資料を集めたり、マーケット調査をしたり、あるいはポテンシャルのお客になりそうな会社の人に意見をきいたりします。特許 をとるための調査も十分におこないます。6ヶ月から1年あるいは2年かかることもあります。そして資金集めにかかります。個人の投資家をエンジェル とよんでいます。 5千万えんから1億円ぐらいの目標で金を集めます。この段階では自分たちで出せる資金。 そしてエンジェル投資家、あるいは企業の経営者などの友達からお金をあつめています。

これらのお金は融資でなく投資家がリスクを自分で負って出す、お金です、ですから返す必要のないお金です。見返りは 会社が上場したときに株式市場から換金できます。またM&A によって他の会社が買収しますとその時に大きな見返りがもらえます。最近ではVideo Distribution の会社などが開業して1年にもならない会社が数百億とか一千億とかというような価値で買収されることもあります。 シリコンバレイあるいはアメリカにおけるベンチャーへの投資はあくまでもリスクマネーです、すなわち会社がつぶれたら一文にもならないのです。そんなわけで SEC(証券取引委員会)ではベンチャーに投資する人の資格を規定しています。 すなわち年収が二百五十万ドル以上、あるいは資産が一億円以上の個人でなければいけないとなっています。貧乏人が投資してあとで困ってしまうといけないからです。

ですからシリコンバレイあるいはアメリカ で集めた資金は返す必要のないお金です。善意であるいは利他の気持ちで投下されたお金なのです。しかしベンチャーの成功の確率は1% にも満たないものです。エンジェル投資家は投資したお金で大儲けしようという考えはほとんどありません。むしろ若い起業家を助けたい、あるいは彼の夢に共感するので投資するのです。

こんな説明をしたら友人たちの大半がびっくりしていた、とにかく返却する必要のないお金が存在するのが不思議のようでした。

懇親会の時いろいろきいてみると大半のひとが親の借金を数億もかぶってそれを返すのに大変苦労した、自分の会社の運営のほかに 夜の道路工事、レストランンの、ウエイター などをして昼夜休まづにがんばってやっと借金を返した。そして会社の運営をコツコツとして売上をのばして今日やっと安泰になったのだと。まさしく失敗を許さない社会のなまなま しいはなしでした。

わたくしが起業の大半が失敗に終わりそして各々が数億円つかってついには会社をしめたいう話を聞いてむしろそんな起業家はけしからんといった感じを持ちながら聞いておられたように思う。日本では失敗は許されないし一度失敗するともう二度と立ち上がれないという社会通念が厳然としてあるのをひしひしと感じさせられました。ですから失敗を恐れずがんばろうとか一度、二度の失敗を恐れずに頑張ろうという掛声があまり現実味のあるものでないことを実感させられました。

だから日本での起業は大変だなあーとおもいました。リスクマネーを出してくれる資産家があまりいないこと、日本でも資産家はたくさんいるはずですが。投資のほうも失敗は許されないのですね。だから土地などあるいは国債などの価値がゼロにならないものにしか投資しないのです。 資金の運用もリスクの大きな株式投資にはされていないのです。アメリカの資金運用が株式投資がメイイン になっているのとの大きな違いです。企業の年金などの資金が株式投資にむけられています。そしてまたそのお金がベンチャー キャピタルのところにも回ってきているのです。アメリカでは一度、二度の失敗はなんということはないのです。しかも大きな失敗をした人ほど人がまた投資をしてくれるチャンスがおおいようです。それには失敗の原因を十分に検討して次は同じような失敗をしないという確証があるのでしょう。

日本もそろそろ一度、や二度の失敗をゆるして若き起業家をサーポートしてほしいものです。そしてもっともっとベンチャーキャピタル に資金を投下してほしいものです。アメリカの ベンチャーキャピタルの年間の投資額は年間3兆円以上もあります。そした年間4千社ほどのスタートアップ に資金が投下されています。そしてほぼ一社平均すると7億円以上の投資となっています。新しい技術、新しいビジネスモデルには少なくともこれぐらいの資金がひつようですね。それに比べて日本のベンチャーキャピタル は年間わずかに二千億円ですよ。これでは一社当たりはわずかな金額しか投資できないです。

スタンフォード 大学のダシャー先生が日本の企業のIPO までの期間を調べたらなんと20年だという話をされていた。またシードマネーがおじいちゃん、おばちゃんからもでている場合がるとのこと。おじいちゃん、おばあちゃんは かわいい孫のために箪笥貯金をしているのですね。たしかにオレオレ 詐欺でおばちゃんが 一千万もだまし取られたという話が新聞に出ていることからもうなずけるところです。 桃太郎も鬼が島に鬼退治に行く時はおばちゃんの投資(きび団子)があったから、犬や猿や雉 をやとえたのです。若い起業家の皆さんとりあえずおばちゃんにあたってみたら、その前におばちゃん孝行もおわすれなく。

日本の企業のIPO までの時間が20年もかかっているのはベンチャーに投下される資金が少ないしかもその後の発展のための資金が銀行融資しかないことによるものとおもわれます。先ほどの友人が親の借金を背負って借金を返しそしてコツコツ自分で稼いだ金を元にして発展の資金としてきたことまた銀行借り入れで運転資金を借りているので企業の運営をものすごく慎重に行い不渡りを出さないような慎重な会社経営をしてきているのでIPO までの時間がますます長くなっているのです。稲盛さんが京セラを始められる時に篤志家が資金を出してくれたようです。 たぶん数百万円ぐらいではないだろうか。いわゆるエンジェルですね。 その後は自社の利益と 銀行融資で発展させたようです。 上場した時も市場からはそれほど大きな金を集めたという話しを聞いていないのでその後は自助努力によって大きくなったのです。そしてそれで世界に冠たる企業に成長していることはいかに経営がうまかったかということだとおもいます。日本の大企業は財閥企業意外は 大なり小なりこのようにして大きくなったのでしょう。

スタートアップ の資金調達は 最初のシードマネー をエンジェル投資家から数千万から一億ぐらいでスタートしてその後1年以内に3億円から 5億円 ぐらいあつめます。このお金でプロトタイプを作りあるいはインフラのソフトの開発を終えるように努力します。そのごいよいよ商品の販売あるいはソフトウエアーの販売などの次のステップ にうつります。そして次に本格的な量産販売にうつります。このあたりで10億から30億円の資金調達が必要になります。このころには多くのベンチャーキャピタルにお願いして資金をあつめます。そして売上をあげて利益をあげ自給自足できるようにしないといけません。

日本では第二弾の3億とか5億がまずあつまらないのでこのあたりが銀行融資でまかなわれていたようです。だから日本の経済はこのように大手の銀行によってサポートされていたのです。そしてこの融資を受けるための人と人のかかわりあいが重要であったのです。融資は現実にはアカントレシイーバブルのかたがわりで 補償金みたいなものだったのでしょう。スタートアップの企業が大きな商売をするのに結局は数億円の補償金が必要だったのです。

出光 佐三 の伝記を小説化した "海賊と呼ばれた男“を友人が読んで初めから終わりまで涙を流しながら読んだのでぜひ平さんにも読んでほしいと言ってわざわざ日本からおくってくれた。いや素晴らしい本だったというかなんと素晴らしい人間がいたものだとところどころ涙を流しながら読んだ。 この本を読んでなるほど日本では絶対に失敗してはいけないのだときがついた。失敗しないために死に物狂いで事業をする、そして従業員をだいじにし、従業員を家族のように最後まで面倒をみる。出光 佐三 は小説のなかに国岡鐵造 というなまえででてくる。鐵造には日田 重太郎というメンター がいた。日田は 国岡鐵造の人物を高く評価しその評価を一時もくずすことはなかった。日田重太郎は 淡路島の資産家だったが実家との折り合いが悪くひとりで神戸で生活していた。そして自分は仕事もせずに茶や骨董を楽しむ風流人であった。鐵造は従業員数名の酒井商会で活躍するのですが。実家の凋落を知って独立をかんがえます。しかしお金はないのでどうしたらいいのか迷っていました。それを感知した日田が京都の別宅を8千円で売って6千円をお前にやるから独立しなさい。という当時の六千円というのは今の六千万ほどの額になります。鐵造はそんな大金をただでもらうわけにはいかないと返済など条件を決めようとします。しかし日田 はそれはお前にあげるのだといいます。そしてそれなら次の3つの条件をいいます。

1) 家族と仲良く暮らすこと。
2) 自分の初志を貫くこと
3) このことは誰にも言わないこと。

このお金で鐵造は機械オイルの商売をはじめます。これが鐵造が石油の商売にかかわるきっかけとなります。恩師から頂いた 士魂商才 (武士の精神で商売をやる)の額を掲げてがんばります。

しかし3年たっても一向に売上があがりません。 そして日田からもらった6千円も底をつきます。愈々会社を閉める覚悟で日田に深深と頭を下げて日田さんもう駄目です店をしめます。いただいたお金を使い果してしまいました。と言います。日田はそうかと言って二人で門司のまちを海の見えるところまであるいていきます。そして日田は 鐵造さん神戸のうちを売れば7千円になる、鐵造さんこれでもう一度頑張りなさい。と言ってまた7千円を工面します。そして日田は鐵造さんとことんやってみろそしてそれでもだめなら“一緒に乞食やろうよ”。といった。鐵造は感激で言葉にならなかった。

いや! 素晴らしいこんな人がいたものですね、あるいは鐵造という男の魅力がすばらしかたのか。その後鐵造はいろんな苦労を経ながら大きくのびていきます。 いつも部下を思いそして国家を思いながら事業に邁進します。

その後の鐵造は 石油の確保のために大変な苦労をします。戦後の日本はアメリカからの石油の割り当てで何とか産業が維持されていました。 欧米の石油メーカー大手7社が 7人の魔女と呼ばれて日本の石油産業を牛耳ろうとして日本の石油会社に資本を入れ合弁会社を作り持ち株比率大きくもって進出してきます。 鐵造にはそれがわかっていたのでこの7人の魔女との戦いをくりひろげます。 またGHQ が欧米の大手の後ろ盾になったりしているのでその戦いは大変なものでした。 しかし日本の将来のために鐵造は必死にがんばります。 GHQにも殴りこみにいたり、日本政府にも絶えず意見をぶっつけていきます。日本のため将来の日本の石油政策のためにこれほど頑張った人はなかってことでしょう。そしてこの石油のための戦いに全神経をつかいます。 ひとつ間違えば石油産業は 7人の魔女のために日本の復興がおくれてしまします。そしてこの戦いのために大型タンクの 手だって、そしてついには大型精油工場の建設とどれも大きなお金のいるプロジェクトでした。 もしこの戦いに負ければ日本の復興はおくれてしますのです。国家のために一大時です。 鐵造はいつも国家のためを第一考えて大きなリスクを自分でかぶって勝負にでます。それにはまた大型タンクの買収には国岡商店のはるかに及ばない資金が必要だったのです。ここでも資金源は大手の銀行だったのです。日本経済は大手の銀行によってささえられていたのです。銀行の頭取の裁量によってなん百億という融資が決済されていたのです。 その後も大型精油工場をつくる時もまた大きなお金がひつようです。そのつど鐵造の信念と国を思う 意気に感じて融資が決まっていき産業の基礎が次々うちたてられています。そして圧巻は 日章丸 の建造です。そしてイラン がイギリスからの圧力で石油が 輸出できない時に鐵造は 日章丸を イランのアバデーン に向かわせてイランから大量の石油を購入します。 イランはこの時イギリス から経済封鎖さされており日章丸が石油を大量に買い付けた おかげで国の経済がすくわれたのです。日本はこの時イランの救世主となったのです。

とにかく資金繰りの難しい日本の社会でこれほどの苦労をして個人で国を支えて人はなかってのでしょう。とにかく日本での起業はいつもこの資金源の確保に大変苦労してきたのです。もっと機関投資家が企業をサポートして産業を活性化しないと一個の企業一人の個人でできるこの荷は限界があります。鐵造のチャッレンジ は素晴らしい、それも国家のためという大義名分をいつももっていたからできたのでしょう。昭和というときは終戦後の経済の建て直し相当な苦労が大きかったのです。これからはもっと資金調達がやりやすい社会にしていきたいですね。それにはベンチャーキャピタルにもっと資金を投下してほしい。不動産で儲けているところなどは少しは ベンチャーキャピタルにお金を投下してほしいですね。そうすれば アップルとかあるいは第二の京セラ などのような大きな会社ができて経済をささえてくれるのではないかとおもいますが。

この本を読んでエンジェル投資家として投資した 二人の起業家のことがおもいだされます。一人は ハイエンド のイメイジ プロセッサー の開発の会社、もう一人はオンラインイーコマス 二人ともがんばって事業を大きく育っててくれそうな人物でした。自分のお金をある程度とほかのエンジェルさらに 台湾のベンチャーキャピタルからお金を入れてもらいました。 しかしイメイジプロセッサアー のほうはなかなかソフトに開発がおわりません。次から次えと問題が出て開発は大幅におくれてしましまいます。ついには資金がきれてしまいました。投資してくれていた台湾の VCもサジをなげてしまいました。

オンライン、イーコマスのほうも追加の資金調達が追い付かず自分の金も底をついたのでどうしてもそれ以上ささえることができませんでした。 二人の起業家に済まないがもうこれ以上支えられないと宣言しました。 二人とも最後の望みを持ちながら頑張ってくれたのに最後にはわたくが支えらずついに会社をとじました。最後は従業員を全員解雇して当人たちも給料もなしで最後の締めくくりをしてもらいました。自分は家を売ってまで支える力はありませんでしたしまた彼らを2,3が月支える金もだせませんでした。ごめんなさいなんとか自分で頑張ってくれと言うしかありませえんでした。二人にはこの経験を生かして ここから立ち上がってほしいと祈っています。

もう一社テレコムニケーッションの会社は インターネトのバブル期の前後に2変 3変してたびたびの方向転換をしながら苦労しました。 IPO 準備終了ご 次の日についにマーケットがクラッシュ して、その後のいろいろな方向転換をしながら苦労しました。 その時に メインの投資家だったVC が 最後の最後まで 支えてくれました。しかし我に運なくついに会社を閉めました。 最後まで助けてくれたベンチャー キャピタルにいつの日にか恩返しができればいいなあとおもっていますが。 いつになることやら。

起業はただお金を儲けるためにやるのではなく世のため人のためになる 大きな使命を持ってしなければいけないのです。 起業するには自分にちゃんとした哲学があること。 使命感を持ってスタートしなければ挫折してしまいます。鐵造の使命かん 国家のため人のためという大きな志がひつようです。

本の最後にフランスの世界的な作家 アンドレ マルロー と出光 佐三 とのインタビユウの 様子が書かれています。30分の約束で始まったインタビュウは なんと3時間に及んだそうです。それももっぱらマルローの一方的な質問だったようです。マルロー は首を切らない会社 出勤簿のない会社に非常に興味を持ったのです。マルロー は出光の ”マルクスが日本で生まれていたら“ という本を既によんでいたので特別に彼に会いたかったようです。 マルローは日本でのモナリザ の展覧会のためにドゴール政権の文化相としての来日だった。マルロー の質問は 武士道から 仏教から日本文化などの広範囲にわたったようです。さすがは文学者そして歴史学者そしてマルローの最後に質問は なぜあなたはそれができたのかでした。 出光は “それは人を信頼していたから”でした。 マルローはさらにそれは国家でも同じかと問うた 出光はそうだといった。さすがにお互いに人を見る目をもった人物だったのです。

この本を読みながら数々のスタートアップに投資してきてそしていろんな危機に直面して苦労してきたが これほどに窮地を潜り抜けそして物事を成功に導いている 鐵造の人物に触れて大変感激した。 起業とは世のため国家のためにする大義名分も必要なのです。

これから起業する若者はこの本をぜひ読んでください。百田さんという作家のすばらしさ。 これほど迄に出光佐三 の業績を明らかにしてくれてほんとにありがとうございました。

出光 佐三 
が愛した仙崖 和尚の 双鶴画讃  鶴は千年亀は万年我は天年 と銘うたれています。

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