19/01/27 日曜日15:37:44

ふるさとはとおきにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや

ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ

そのこころもて
遠きみやこにかえへらばや


ふるさとは 我を忘れていなかったのです。故郷の地にいくとしすぎて尋ねてみればやっぱり故郷は我を快く迎えてくれたのです。

明治150年を記念して鹿児島県が 世界全国で活躍している同郷人を招待して鹿児島県人世界大会を 開催していただきました。なんと全世界から300名以上の方々が参加しました。また “せごどん”の映画のおかげで明治維新がどのようにして成し遂げられたかがよく喧伝してくれていました。あの幕末の、西洋の脅威からよく国を守り、また文明開化に向けて民族の力を結集して封建社会からの脱出できたことか。“せごどん”の映画がよく描き出されていました。いつの世でも改革を目指す若きちからが発揮されています。




その中でも武士の世界の権力者にも先見の明を持った人がいたものです。久しぶりの鹿児島の訪問 桜島を眺め 鹿児島湾を見るにつけ、 薩英戦争を思うとき危機一髪だったのだなあーと思う。鹿児島湾奥深くイキリの戦艦が攻め込まれ比較にならない火力で街を焼き尽くしたはずです。性能は悪い大砲といえどもイギリスの軍艦を2隻撃沈で来ればこそイギリスの戦艦がびっくりして逃げていったのです。 薩摩はイギリスの植民地にならずに済んだのです。 しかし 島津斉彬の様な先見の明を持った藩主があればこそ前もって 反射炉などを作り大砲なども作っておいたから、かろうじて薩摩がイギリスの植民地にならずに済んだのです。大久保利通を演じた 瑛太、素晴らしい演技ですね。かれは薩摩にいる時から東京に移ってからも彼の表情は全然変わりませんでした、大久保の性格をあの表情で表していったのですね。西郷と大久保利通の友情は素敵でしたね。最後には結局大久保にやられることになるのですが。歴史の進展とともに仕方ないことですね。ただただ西郷隆盛は大人物でしたね。数回にわたる奄美大島への島流し、その度に漢籍を行李にたくさん詰めていきそれが西郷を大人物に育てたものと思われる。奄美大島龍郷に島流しにあった時に中国に留学していた岡程進儀にあい漢籍を教えてもらったのが大いに人間を磨かれるきっかけになったものと思われる。艱難なんじをたまにする。ですね。最後には薩摩の若き青年たちの新政府への不満に押されて西南戦争に赴かざるを得なくなってついに鹿児島城山で自決することになったのですが。西郷の教えは かって西郷に温情をかけてもらった庄内藩の人たちが西郷の教えを西郷隆盛遺訓として出版して全国を行脚して配ってあるいたのだそうです。

幕末押し寄せる欧米の脅威、尊王か、攘夷か、各大名は 藩の財政の立て直しに汲々としていたのではないでしょうか。日本の将来を愁える若者たちが国を救うにはどうしたら良いのかを真剣に考えて動いたのですね。坂本龍馬の改革への燃えるような思い、また改革が必至と心にかけていた 勝海舟、幕臣でありながら坂本龍馬たちを鼓舞し来るべき時代への心構えを説いていたようです。

薩摩、長州の若き改革者たちの努力によって明治維新がなされたのです。薩長連合ができまでの色々な葛藤。薩摩と長州の葛藤 しかしのちに薩長連合ができて初めて大政奉還がなされてなんとか内乱にならずに徳川幕府が自ら政権を天皇に奉還して明治の世になったのです。“せごどん”の中で 桂小五郎と 西郷の葛藤など 西郷はじめ薩摩志士たちがが 桂小五郎に頭を下げるシーンなど 歴史の一編として危ない時期でしたね。何れにしても危ない橋を渡りながら歴史が進んでいくものです。西郷さんの偉大さを知らしめせせる“せごどん”の 大河ドラマでした。

歴史の変わり目でいろんな変化、などが起こり、それをうまく乗り越えないと大変な苦労を強いられたり、戦争が始まったり、してしまします。第一次大戦の大変な惨状。第二次大戦。 そして日本の敗戦、 どう見ても勝てる戦でもないのに何故戦争を止められなかったのか。 資源のない国がよくもあのような戦争をしたのか。どうして止められなかったのか、若き志士たちがいなかったのか。幕末から明治にかけての危なかた時期をよく持ちこたえた日本、大いに参考にして勉強する必要があったと思います。

変化に対する対応が必要ですね。中国にしても毛沢東時代から の改革がよくもここまできたものと思います。鄧小平の登場から よくぞ資本主義経済に移行できたことか。このまま発展していけるのか。あるいはもう一度革命が起こるのか。

トランプ政権の 処構わぬ政策施策で世界はこのままでいけるのか。経済に対する影響は大きな不況がこないといいのかですが。 

インタネートの現状を見るにグーグル、フエイスブック が広告だけで莫大な利益を上げてそのお金で技術のある会社を買いあさって次に技術を抑え込もうとしています。さらにテンセント、アリババ、あるいはアマゾンが リーテイルの 分野で大きな売り上を上げて利益を上げています。だんだんと物を作る会社がなくなっていくような気がします。働いて給料をもらう会社がだんだんとなくなってしますのでは。一億総こじきになる可能性があるのでは。もう一度一次産業の復活果たさないと、一億総、乞食、になってしまいます。一次産業を復活させないといけないが。今こそ農業を 活性化しないと。 一次産業にもっと投資をすべきです。投資が、金がすぐ儲かるところだけに投下されすぎています。


奄美の歌姫とともに踊る友人の耕三さん


故郷はいものですねまた 奄美の歌声はわが心に響き郷愁を誘うものです。 
みはうらぶれても、故郷は我を忘れていないのです。



世界各国からの帰国者を集めて故郷への思いを皆が語り合いました。



西郷隆盛の墓、私心のない、天を敬い、人を愛した大人物でしたね。



盛大な花火祭り



鹿児島県人会 おはら節の披露 Chimmy sanの嬉しそうなひょうじょう、指宿まで足を伸ばして砂風呂に入ってきた。 砂の上に寝てその上から温泉で暖められた砂を体の上にかぶせて蒸し風呂にする、一度は入ってもいいものでした。

そして次の日に知覧の特攻隊の飛行機基地の展示館を見にいった。特攻隊の若き隊員たちが旅、発つ前に家族に友人に、恋人に寄せた手紙がたくさん展示されていた。死を前にして、自分の死を見つめて、死を一つも惜しまない気迫が迫っていました。そして自分の死が家族を守るのだという一念のみが語られていた。特攻隊の若き青年のみならず戦争に出向いた青年たち、壮年たちどの人たちも、家族のために、国のために戦うのだというすごい思いがひしひしと伝わってくる展示でした。知覧の食堂で 若き特攻隊員の母代わりをした“うめ”さん の話など涙が止まりませんでした。特攻隊員が沖縄で死んでそのあと蛍になって知覧に帰ってくる話など涙が止まりませんでした。

日米対戦、硫黄島の戦い、そして2度にわたる原爆投下、なん数十万の人が一瞬にして殺されてしまう。なんであのようバカな戦争をしたのか、もうこの地球上から原爆はなくしないといけないです。広島の原爆記念館、そしてまた沖縄のひめゆりの塔。世界から戦争を無くしないといけないですね。世界の人たちは広島、長崎の原爆記念館を是非見て欲しいですね。





もう秋でした。やっぱりあのカラマツの色ずいた黄色を見たい鹿児島からの帰りカラマツを見に 妙高で仕事終えて、小海線乗った、野辺山で降りてカラマツの中の旅館に泊まった。野辺山の隣の駅 松原湖から北八に登るところに上智大学の山岳部のヒュッテがあった、そしてその壁に カール プッセ の詩、 Uber Den Bergen———がドイツ語で壁に書きつけてあった、 (山のあなたの空遠く幸い住むと人のいう)、八ヶ岳に登るときはいつも、Sophia Hutte は今どうなっているのだろうかと思っていた。 今はもうないかもしれない。

カラマツ林は 素敵です。
やっぱり北原白州の詩が必要ですね。



落葉松林


  一 
   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。
   からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり、   
   からまつとささやきにけり。

野辺山駅の前で。(日本で一番高いところにある駅)
カラマツの林に囲まれた旅館で一息つきました。
カラマツは、寂しかったけれども、嬉しかった。

Uber den Bergen
        Karl Busse

Uber den Bergen weit zu wandern      

Sagen die Leute, wohnt das Gluck.      

Ach, und ich ging im Schwarme der andern, 

kam mit verweinten Augen zuruck.

Uber den Bergen weit weit druben,

Sagen die Leute, wohnt das Gluck.



日本で一番高いところにある駅(野辺山)