挑戦せよ。平 強 (Tsuyoshi taira)

シリコンバレーのエンジェル投資ブログ

相棒と熊の話

企業を成功させるにはチームワークが大切です。 それも専門の違う人がチームを組むことが大事です。 お互いを補完できるような相棒でなければいけません。ソニーの井深大 さんと 盛田昭夫さん、本田自動車の、本田宗一郎さん、と藤沢武夫さんそしてまた松下幸之助さんと高橋荒太郎さん などのコンビが会社を興しその会社を世界の大企業に育てあげたのです。一方が技術屋で一方が営業或いは 金融のエキスパートであったりします。お互いに専門 領域が違いしかもお互い強烈な個性の持ち主です。お互いに自分の領域については余人の介入を許さないぐらいに確固たる自信をもっています。そしてお互いに尊敬しあっているそんなコンビそれが大成功しています。ここにあげたコンビがまさに其のいい例ですね。そしてそのコンビ がお互いを補完し合い素晴らしい会社をきずきあげたのです。

シリコンバレイの有名なベンチャーキャピタリストに自分の信頼できるパートナーを見つけるにはどうすれば良いかを聞いたことがある。その時彼は次の様な話をしてくれた。ある時新しく会社を始めた二人がヨセミテの山にハイキングに行ったそしたら偶然に熊に出逢ったしまった。さて二人はどうしようかと相談し彼はもう逃げるのは間に合わないから死んだふりをしようと言ったが、友人はいや兎に角逃げるべきだと言って友人はすかさずすっ飛んで逃げてしまいました。彼は仕方なく一人で死んだふりをした。そこに熊が彼のところに来て耳元でささやいたのです。あいつは仲間を置いて逃げていくとはけしから君はあいつと一緒に起業すべきではない、友達を大事にしない奴と仕事しても成功しないから他の人さがして起業しなさいと言って、そして熊はGood Luck と言って又森にかえって行ったそうです。

それで彼は安心して逃げた友達のところにあるいていきました。先に逃げた友人はびっくりして、よくお前無事だったなあと安心しました。 ところで熊はお前の耳もとで何か囁いていたが一体熊は何かおまえにはなしたのかとききました。それで彼はこれからはおまえと一緒に仕事するのはやめたと宣言して、新しく相棒を探して起業します。この相棒とはすごく馬があいお互いに補完しあえるタレントだったのです。そしてて会社は大成功します。

ヨセミテでは熊がたくさんいます、しかも彼等は 餌を探しにキャンプ地におりてきます。ヨセミテで車を止める時絶対に食料を車の中においておくなと注意されます。かって車のトランクに食料を残しておいた人がいて、夜中に熊が来てボンネットのうえにの登って巨体を何度もジャンプさせて遂にボンネットを壊して中の食料をみんな食べてしまったそうです。車は台無しになりました。

ある夏に家族でヨセミテで泊まりました。 ヨセミテには丸太で組み立てた小さなキャビンがたくさん作られていてホテルに予約できなかった人達がここにとまるのです。その夜窓の外をのっし、のっしと大きな音がするのでそとを見たら何とすごく大きな熊がのっしのっしとあるいていくではないですか。 びっくりして足がすくみもしこのガラス窓を破いてて中に入ってきたらどうしようか、愈々、死んだふりすべき時が来たのかと大変悩んだことがありまっした、しかし無事熊は我々を無視して歩いてしまいました。

ある友人が同じくヨセミテにキャンプ行ったそうです。その時の話が又愉快でした。アメリカのチャンプは 1週間ぐらいの食料を用意して車でチャンプ場の近くにとめます。そしてそこから2,3日分の食料をもちテントをもってキャンプにいきます。そして2,3日を過ごしてから 又車に戻ってさらに別方向に2,3日分の食料をもってでかけます。日本のキャンプ、あるいは山登りはほんとにありがたいですね。食料をもって1週間でも2週間でも山 を従走することができます。又山小屋が 1日行程位に必ずあります。食事も出してくれれるので食料も非常食のみでいけます。そして山を降りたら必ず駅が近くにあります。だから日本は山の好きな連中にとっては天国みたいなものです。
そしてまた日本の山々のすばらしいことそして高山植物又山の動物がいたり最高ですね。
又熊は余り出てこないので死んだふりをするかどうかも迷う必要もないしありがたいです。

ところで友人は最初のキャンプ地に到着してテントをはります。そして食事の後で明日の食料を木の上に括りつけます。これは熊が食料のにおいを嗅いで取りに来てしまうのでなるべく高いところに食料をぶらさげておきます。友人と彼は食後にコヒーを沸かし、暮れゆく山の霊気を感じながら歓談します。星空が素敵だったそうです。そしてこれから始める自分たちの会社の戦略の思いをはせてかたりあいます。 夜も更けてきてしばらくすると遠くの方から大声と大きな金属音がきこえてきます。其の騒がしさがだんだん自分たちのテントに近づいてきます。

そしてついにテントの近くでのっしのっし と言うおとがします。急いでそっとそとを見ると大きな熊が2匹食料をぶら下げている樹の下で飛びあがって食料をとろうとしています。びっくりして、他のキャンパーがいっていたこをおもいだしました。兎に角大きな音を立てれば熊は逃げていくと聞いていたので急いで鍋とスプーンを取り出して必死に鍋を叩きながら大声おあげていました。熊さんをいくらとびあがっても食料に手が届かないのでしばらくしていたら今度は木にのぼりはじめました。そして食料のはっている袋をつかんでおりてきました。そして中から食料をとりだしてゆうゆうとたべていました。こちらは手が痛くなるほど鍋を叩き、大声を張り上げてもうのどが渇ききって声も出なくなってました。 熊氏は 食料を全部たいららげた後我々には目もくれずにゆうゆうとあるいていきました。 案の情次のテントの連中が又大声をあげていました。熊が去って一安心やっと不安ながら寝袋に入ってねることができました。次の日、もう明日からの食料がないので車のところに食料をとりにいきました。そしたら同じように食料を取られた連中がいてお互いに昨夜の様子をかたりあいました。近くでこの会話素聞いていたもうひと組のキャンパーが 写真は撮ったのかという。冗談じゃないよ、あんなおそろしい時に写真など 撮れるわけがないよと話したらばかだなーという。熊は食料を取るのが一生懸命でそのほかは何もお構いなしだと言う、だから写真をとりまくりなさいという。それからできれば食料は 大きな木と木の間に紐を張ってその中間に釣るしてぶら下げる方が安全だと言う。それではと又食料を2,3日分もって次のキャンプ場にむかいました。さてと夕食を終えて忠告どうりに大きな木と木の間に紐を通して其のまんなかに食料をつりさげました。夕食の後でくつろいでいると又例のごとく遠くの方からわめいたり鍋を叩いている音がだんだんと近ずいてきます。愈々来たなあと 今日はじっくりと熊の写真を撮ってやると準備して待っていました。愈々熊さんがおでましになりました。3匹です。そして彼等は ぶら下がっている食料をめざとくみつけました。 3匹の熊が食料の入っている袋の下で愈々ジャンプをはじめます。我々はこの光景を熊なく写真におさめました。 しかしだいぶ高いところに吊るしてあるので届くわけはありません。 3匹のダンスがつづいています。そこでしばらくして拉致があかないので一ぴきが一方の木に登りロープを引きちぎって食料を入っている袋をおろしてしまいました。3ぴきはやっと食事にありつぃてみんな平らげてしましました。 その代り彼等は熊のダンスを心行くまで楽しみそしてすごい写真を沢山とることができました。結局は食料がなくなったのでこのキャンプ計画はこの日で終わりになり2,3日早くキャンプを打ちきって家に帰ることになったそうです。

こんなに熊が近くまで現れるのにいまだキャンプ地で人が襲われたという話は聞いたことがありません。 熊も餌を提供してくれるので仁義を感じ人に危害はくわえないようです。だから死んだふりをした方がたすかるのです。

武士道とは、日本文化とは

落語で禅の修行をしていた若き僧侶が 有名なお寺の僧侶と禅問答をして負かしたいと思って まずは、お寺の僧侶の影響がどれぐらい浸透しているかを調べてみようと門前町にやってきます。そこで豆腐屋を見つけ、亭主に禅問答をこころみます。店先に立ち、親指と人差し指で丸を作り亭主につきだします。 親父、考える間もなくかた手を開いてこれをつきだす。え! と若い僧侶びっくりします。 この親父わかっているなと、それではと今度は三本の指をつったてて、親父につきだす。これを見た親父、真っ赤になっておこりアカンベーをします。若き僧侶は又、又大変びっくりしてこれはかなわないやと、豆腐屋を後にしてにげだします。

それを見ていた隣の駄菓子屋の息子が豆腐屋の親父に何だかあの坊主と面白そうなことやっていたが何をしていたのだと聞いたら豆腐屋の親父は、変な坊主が来てガンモドキはいくらかと言うから5文だと5本の指を伸ばしてつきだしたらあいつ 3文に負けろときた冗談じゃないよと、人差し指で目をおおきくして アカンベーをしたのだという。
駄菓子屋の息子それも何だかおかしいと思い急いで若き坊主を追いかけて、一体おまえと豆腐屋の親父は何をしていたのかと聞く、すると若い坊主は 実は私は禅の修行をしていてここのお寺のお師匠さんは有名な坊さんなので禅問答をして負かしたいのでその前に彼の教えがどれほど町の人に行きわたっているかを確かめに来たのだが、さすがに凄い坊さんだ、坊さんの教えが豆腐屋まで行き届いている、とにかく、まず宇宙とはいかにと 指で丸を作って聞いたところ親父 それは我が“たなごころ”にありときたね。おれはもうびっくりしてそれならこの質問には答えられまいと“三千世界”とはいかにと三本の指で聞いたら何と親父我が眼中にありと言ってアカベーをしたね、これでは ここの お師匠さんにはかなわないから修行のやり直しをしてから出直そうと思ってにげてきたのだという。

あるアメリカの夕食会の集まりで日本文化について話してくれと言うのでこの落語の話をした。数名が頷いて笑ってくれたので救われた。この人達は日本に行ったことがあり或いは禅の話 仏の話を知っているのかもしれないとあんしんした。

禅の教えが庶民の生活の中に知らず知らずのうちに浸透しているのだと思わせたかった。
要は宇宙とか三千世界とか五千世界とかを庶民の中にも普段に話が出てくるのだとおもわせたかった。実際は落語のはなしなのでそんなことはないのだが。
日本文化とは まずは外国人は“武士道”とか“茶道”とか ”書道“ とかなどで代表されるとおもっている。
渡戸稲造の “武士道”は英文でアメリカで最初に出版された、ですからアメリカの知識層のたいがいが読んでいる。

第二大戦の日本軍は “武士道”で教育されそれが特攻隊とかお国の為に死ぬことと見つけたりと教育されてきたのだとマカーサーは多分思ったにちがいない。だから日本人にこの武士道精神を打ちけすような教育をしないと又戦争をするに違いない。と思ったのです。
それがGHQの戦略で戦後の道徳教育を廃止し個人の自由を大事にすることを第一番にして子供たちと学校の先生を洗脳したのです。
道徳教育を外された子どもたちは自分の権利だけを主張するような大人になっていったのです。

国を思うとか他人を大事にするとかと言う気持ちが大変なくなってきたのでしょう。
だから子供が親を殺したりする、そしてまた“いじめ”が横行し、しかも先生が又は親がこれを止められない世の中となってしまった。
国歌の斉唱の時、国歌を歌わない子がいたり先生でも歌わない人もいるし或いは国旗の掲揚に反対したり。国を思う気持ちがだいぶなくなっていると聞いて残念におもう。

ソ連とアメリカの冷戦期間の最中。 ある夏日本に帰ってからシリコンバレイに帰ってきたら、Fairchild の同僚のアメリカ人が 顔色を変えて大変だと言うどうしたのだと言ったら今ソ連はSilicon Valley を爆撃する準備をしているという。シリコンバレイを破壊すれば将来のアメリカ経済の何パーセントを破壊することができ又イノベイッションの中心だから今のうちに叩いておこうということらしい。
そして彼は いよいよ おれも銃をもって国を守らなければいけない,招聘が来たらすぐ駆け付けるのだという。 すごい愛国心です。大半の若もが皆そうおもっているようです。
アメリカはその後ベトナムに、イラクに、そしてまたアフガニスタンに 多くの若い人達をおくりこんでいます。彼等は 大統領の命令を絶対服従して出兵していく。
彼等のよりどころは 聖書とアメリカ憲法、なのかもしれません。大統領は命令を拒否できないものとして理解しているようです。大統領の命令は絶対のようです。
かってFederal Reserve の議長だったGreen Span がNixon 大統領の時に大統領に呼ばれて政府の要職につけと言われたらどうしようと非常に心配していた、もし言われたら絶対拒否できないとおもっている。Green Span はNixon が大嫌いだと彼のThe Age of Turbulence の回想録に書いている。アメリカの大統領の命令は絶対なのです。

日本は戦争に敗れGHQの教育に骨抜きにされて国を愛する気持ちをそがれ、国歌を歌うのも厭われていることは何とも残念です。 これから教育の見直しをして道徳教育そして正しい日本の歴史をしかりと教えかっての大和魂をもった若き青年を育てないと日本の将来があぶないとおもう。

日本は神仏集合の多神教です。そしてすべてに仏がやどっています。
新渡戸稲造の武士道 はキリスト教に関して随分と詳しく書かれています。 すごい見識です。だからアメリカ人も偏見なくこの本を読んだのだとおもう。
そして日本の仏教,神道などにふれて双方の考え方を詳しくのべている。

日本文化とはたぶん、仏教、の世界、さらに神道の世界そして木々に草花に神が宿っているという考え、そういう諸々の事が文化になっているということだとおもう。

日本人に受継がれた徳の精神は日本食によってもたらされたのだと言う。フォード大統領のころマクガバン上院議員が委員会を作りアメリカの食生活について検討した レポートが発表されそれによると 理想的な食事とは 日本の元禄以前の日本食だと言う(致知9月号)
そしてそれによって健全な精神が宿り徳を身につけることができるのだと推論しています。
日本は山国であり、山には森があり其の森の中を流れてくる水がたくさんの栄養素をもってくるのでそれが海に流れ豊な海産物をうみだしているのだという。
かって宮城の海産物が取れなくなった時これは森の木が少なくなったからだと宮城の人たちが植林をしてそのおかげで今日の豊かな海産物がとれるのだと言う記事を読んだことがある。又今回の3.11 の津波のあと有難いことに宮城の牡蠣がよみがえってきたという。
自然の再生のちからですね。自然はたいしたものですね。これからも山や木を大事にしないけない。特にCO2 を本格的に減らさないといけないですね。
先だって3泊4日の座禅の合宿に行った。朝夕の精進料理を大変おいしくいただきました。そして2日目には何だか自分の体がすっきりしたような感覚になりました。食の影響ですね。
日本はそういう意味では大変健康的な食がたくさんあり有難いとおもいます。
日本のすばらしい自然が今回の災害にあっても 秩序ただしく、生きていく東北の人たちみんなが持っている利他の精神。この人たちを見て世界が 賞賛したことでも、日本文化日本の食がこの人たちを徳のある行動にむすびつけているのです。
日本人が長らく自然からそして神仏から受けてきた教えのたまものです。
 これからは教育を、見直して道徳そして人を大事にし国家を大事にする次代の若者を育てる必要があります。今がチャンスです。
今でも時時山に登ります。山の木々がそして草花が、空気がすばらしいです。山小屋の夕餉が又いいですね。日本の食の元があります。
この山の空気日本の自然こそが日本文化を支えているのだといつも感謝しています。

将を獲んと思わば馬を射よ。 Steve Jobs とのBusiness

LCD デスプレイがまだまだ開発の途上であったころ、工場の暴れん坊が上司にないしょでCGA(480 dot X 120 dots)のサンプルをつくってきた。これは面白いとSteve Jobs がNEXT を立ち上げた時だったので、アップル時代に知り合ったEngineer を頼ってデモにいった。
まだLCD display が世の中にそれほど出ていないころだったのでEngineer 氏はびっくりして一寸待ってくれと人を呼んでくるからという。それも会社の受付でした。
そして連れてきたのはなんと Steve Jobs だった彼にDisplay を見せたところ大変感激しておれはこんなDisplay を探しているのだとおもむろにノートを破いてLCD のスペックを書き始めた。添付の写真が彼が書いてくれたスペックです。当時まだLCD はNeumatic Display でスピードはとても遅く白黒でした、又彼の言うような 90 dpi はるか数年先にできるかなあと言うようなじきでした。

でも流石にVisionary の彼はこれができればいくらでも買うという。
確かに彼の要望は我々LCD を作る者にとっては将来 Challenge するべきテーマでした。
その前にLCD がColor にできるのかなど数々の技術を乗り越えなければいけない時期でした。

しかし彼にそれではもしこの貴方の要求するものができたら言った何万台買ってくれるのかといきたら 沢山買うと言う。それでは我々エンジニヤの目標にしては漠としているから是非
一体何万台をいくらで買うかをここに Commit してくれとたのみました。

その結果がたくさん買うそしてねだんは$250ドル 以下だと書いてくれた。5月2日1988 でした。その後Technology が進みColor のVGA Display が$200以下になった、それはその後5年ごのことでした。
どうしても百万台買うと言ってくれとねばったが。ついに Lotsで逃げられた。
しかしこの一枚が鳥取三洋電機のLCD Business の大きな目標となったものです。

彼は絶えず一歩も二歩も先を考えて物の開発を考えているようです。
Iphone しかり Ipad しかりですね。 やっぱりほかより一歩先に行かなければBusiness はサバイブできないのです。
この一枚の紙は同僚のエンジニヤ 岩崎君の書斎に今も額に入れられて保存されている。
商売は会社のトップに言えば一番話が早いしかしトップの人に逢うのは大変です。まずアポイントが取れない、又そのトップが技術の内容をどこまでしっているかは分からないので無駄に終わることがたびたびです。
ですから世界で初めて開発されたものなどを持って行って初めてSteve Jobs をおびきよせられるのです。
それと絶えず将来にチャレンジしているエンジニヤーを絶えず標的にする必要があります。

現在の部品の置き換えの商売は新製品の商売よりもはるかに難しいのです。
そのためにはセーリスマンこそ先を見る目をもちチャレンジしなければいけない。
私のセールスマンの経験は絶えず新しい部品を開発してBusiness をかいたくしてきました。
Sales Man よChallenge せよですね。

幽境に遊ぶ - 大陽寺の合宿

秩父の山の中に太陽寺と言う禅寺がある。仏国国師が山に入られてここに禅寺をたてられた。
仏国国師は当初山の洞窟で座禅されて修行されていた。 後に寺が建てられて今の太陽寺の元が築かれた
昨年までHawaii の超禅寺で3泊4日の座禅会をやっていたがみんなのスケジュウルが難しくなったので京都か何処かで座禅できるお寺はないかと探しているうちの太陽寺をみつけた。西武三峰駅からそれほど遠くないところにあるのでここに決めた。街の近くなのに秩父の山は深い又急勾配の峰が峡谷に落ちている。
本堂は江戸時代に作られたとのことよくこの渓谷にこのような壮大なお寺を作ったものだと感心した。
座禅道場のすばらしいこと悠久の中のたたずまいは静かに自分を省みるのに素晴らしいところです。
座って目の前には万年の木立が霧の中にたたずんでいる。膝の痛さをこらえて目の前を慧作を構えて歩いて行かれる浅見禅師を恐る恐るそっと垣間見て我慢する。朝のきりの中のたたずまいは素晴らしい。夜は了解を得て我々だけで窓に面した戸をあけ40分位座禅を楽しんだ。

霧の渓谷に向かって夜の座禅


三峰への登り霧の中霧の中が素敵だ。

朝はホトトギスが鳴いている、トキョキョカキョク と聞こえる又 テッペンカケタカ とも聞こえると言う、ホトトギスは鶯の巣に卵をうみそして子育ても鶯に任せているとのこと、多分子ども達は育て親に感謝して ホーホケキョ と鳴き声をまねたが上手く行かなくて けきょく 特許許可局 になったのだとも言われていると人に聞いたことがある。鳥の世界にも怠けた親がいたものだ。
昔はホトトギスの初鳴きを聞くために徹夜をしたのだそうです。
そんなことで百人一首 の中に
“ほととぎす鳴きつるかたをながむれば ただ有明の月ぞ残れる。” 後徳大寺左大臣

我々は徹夜しなくてもホトトギス の声を早朝から夜中まで楽しんだ、どうやら夜中の鳴き声はお寺の電話の アナウンスだったようだ。浅見さんもしゃれた坊さんですね。
朝6時45分から朝の勤行 浅見さんのお経と共に我々もお経をそらんじました。
それから禅道場で40分ぐらいの座禅、途中の径行は道場のベランダで谷間の向こうの木立を眺めながら足のしびれを癒した。

兎に角静かな山の中 ホトトギスの声がすてきだった。

宿坊ここで布団を敷いてみんなで雑魚寝。

座禅堂

初日 今日は三峰の稜線まで行ってきましょうと浅見さんに御握りとたくあんの弁当を作ってもらい。みんなで出かけた流石に稜線の急なこと45度ぐらいの傾斜が稜線までつづく。
稜線で雨になったので今日はここまでとして太陽寺におりてくる。
なにせ急な坂で膝ががくがくしてもう大変だった。岸さん麻美子さん、潮菜さんJing 君皆さん頑張って降りてくれた。さすがに私は膝が笑って苦労した。Jing が時々助けてくれて何とか寺まで降りることができた。

二日目は昨日の苦労でみんな山行きはあきらめて全員 般若心経の写経で心をしずめた。
三日目は寺を降りてニジマスを釣りに行った何といくらでも釣れる、魚が腹減っているみたい これを店で焼いてもらいみんなで美味しく頂いた。

写経に真剣に取り組むJing君

虹鱒よく釣れる 焼いたのが大変美味しかった

精進料理浅見禅師のお母さんがお寺の裏の畑で育てた野菜の数々で毎日美味しく食べきれない程の食事をいただいた。

仏国国師は洞窟の中で何年も座禅して修行していたのでひげ茫々で天狗のようになたので国師の面として保存されている

本堂に祭られている釈迦如来の像
来年の合宿は京都のお寺にしようかな。

Solar Panel の効率の向上さらに発電エネルギーが製造に使われたエネルギーよりも大きいくなるパネルの製造。

東北大学の大見先生が理論上から考えて最大になる発電効率さらに世の中の資源を少しの無駄もなく使うようにするためのSolar Panel の製造装置の研究でめど を立てられた。
今、世の中に普及している効率の悪いSolar Panel は製造にかかわった資源即ちCO2の発生が
パネルができてから発電してCO2削減に貢献する分よりも大きくなってしまっています。
ですから世の中の資源の出し入れから見ればマイナスですね。

だから少しでも資源の出し入れがプラスになるような製造をしないと結局はCO2 削減効果がうすれてしまいます。そしてまたそれは資源の無駄遣いになります。
アモルファスと単結晶の効率が光の波長によって変わるところに注目されシングルクリスタルとアモルファス結晶をタンデム接続することによって効率30%以上が実現できるパネルの開発にめどをたてられました。
製造の効率を最大にするために一つのチャンバーの中ですべてのプロセスを済ませる為の色々の工夫がなされて又そのための特殊な技術を日本中のベンチャー企業から探し出して共同開発してすごい装置を実現しました。
プラズマ発生装置の開発これには金属表面波の発見さらにこの応用としてプロセス装置の開発を完成させられた。

結晶を成長させるためにガスの噴き出し口で異常放電が出ないようにアルミ合金に0.13mm の穴を0.3mm ピッチで空けてシャワー プレートを用いることによって安定した結晶のデポジッションンができた。このアルミ合金の穴をあけると言うのが大変な作業でしたが。新潟の中小企業が型で実現してくれたそうです。アルミ合金の板に13.5万個の穴を見事に作ってくれそうです。この会社を探し当てるのに何と1年以上もかかったようです。
何といっても日本の匠の技がとこかに残っていてそれが大見先生の理論追求から来る装置えのこだわりを実現させてくれたのでした。中小企業の中にはこのような素晴らしい技術をもった企業が存在するのですね。これこそ物づくりを長い間続けてきたからこそ実現できたのでしょうね。
これらの企業が大見先生のこの製造装置が世界中に使われるときにその企業も大きく発展できるのだがそれまでサバイブしてほしいものです。大見先生の理論から推してきた材料の選択さらに装置を物にするために細かい部品への要求を満たしてくれるイノベイテブな中小企業がまだまだ存在していることが大きななぐさめです。

もうひとつ一台の機械ですべてのプロセスをこなすためにガスを入れ替えるための切り替え装置も又長野の中小企業がスパイラルが段階的に変わるギヤーをこれ又世界最初のものとして開発に貢献しています。
大変エキサイテングなお話を伺い、又日本の物づくりの底の深さをしらされました。これらの技術の継承が続くことを祈りたい。その前にこのような技術を使って今まで実現できなった開発を次々と生み出していくことこそが日本のこれからの生きる道ではないだろうか。 

ソッシャル ネットワークだけだと汗水流して物づくりをする人がいなくなってしまいます。
兎に角半導体産業をここまで育ててくださって大見先生 の努力に感謝したい。そしてまた効率
30% 以上のソラーパネルがだいだいてきに世の中に出てCO2 削減に早くつながってほしいですね。

大見先生と 竹井智宏さん(竹井さんは東北の復興に身を投げ出してがんばっています。)

Silicon Valley と Tie Con 2012 May, 2012

5月18日と19日の2日間今年のTie Con がSilicon Valley で開かれました。Worthで、アイデイヤ と起業家精神に関する会議の中でTie Con が7位に選ばれた。ダボス会議は10位でした。

今年のTie Con の参加者は3200名でした。
日本から起業家15名程が参加しました。

Tie Con の前後に会社を数社訪問しました。
インキュベター として益々盛んな Plug and Play, 通信業界の雄 、Cisco System, バーチャリゼイッション で一略トップ企業となった、VMware,  スタートして数年になるALM enterprise Soft ware の開発の会社 Kovair, そして、スタートして間もない SnapStick などを訪問しました。これらの訪問からSilicon Valley のInnovation がどのようにして起こっているのか企業がどのように変革していくのかを目の当りにかんじることが出来たとおもいます。変革の激しさは 操業して18ケ月で大手に買収され契約をサインするその日に偶然にも SnapStick を訪問することができました。

Tie Con Key note Speaker Dr. Vishal Sikka , SAP CTO の話。
SAP はどのようにして脱皮できたのかをDr. Sikka があかしてくれました。SAP の創業者である、Dr. Hasso Platner から Dr. Sikka に対して、今ある技術をもう一度見直して企業が飛躍できる技術を確立してほしいという課題を3年前にもらったそうです。

Dr. Sikka は3年間考えてやっと“ああ、そいうことか” という結論を見つけてこのプロジェクトにとりかかります。 まず世界中の優秀なエンジニヤー をつなげます、イスラエルの優秀なエンジニヤー、中国人のエンジニヤー、そしてアイルランドのエンジニヤーを束ねます。中国人のエンジニヤ は枠にはまらない発想をします。イスラエルの エンジニヤはチャレンジ精神がいっぱいです。
アイルランドのエンジニヤ は奇抜な発想をだします。 この連中をDr. Sikka が束ねてプロジェクトを推進します。この連中はまるでSilicon Valley のスタートアップの会社のようだったそうです。後にDr. Sikka が大企業のStart Upと称していたのも妙をえています。
これらの優秀なエンジニヤーをNet で束ねて、従来のサーバーよりも千ばいも一万倍も速いサーバー “HANA” が完成したのだそうです。
日本でのSAP の評判は悪くなっていた、値段だけが高く融通が利かないなどと敬遠する会社が増えていたところです。 ところが今回のHANA のソリュウッションに関したは評判がよく多くの日本の企業が飛びついたようです。ときあたかも Big Data 時代皆さんが飛びつくのも時代の要請なのでしゅう。

SAP HANA の特性

それにしても会長の Hsso Plattner の先を見る目と言うか、将来をどのように展開していくかということを絶えず考えそれを実行に移す、その見識は素晴らしいものです。そしてまた Dr. Sikka のような秀才がしかりと技術を飛躍させてくれるリーダーがいるからこそ実現したのでしょう。大会社の Start Up とは, 時宜を得たチャレンジが企業を腐らさないで活性化していくために必要な組織でしょう。日本の大企業もこのようなリーダー を作りあげないといけないでしょうね。そうでないとみんな腐ってつぶれてしまいます。日本の場合は企業が停滞してきたら取り合えず Top を変えてみようかということになります。しかしそのTop が リーダーシップがあり、或いは Vision をもち企業の変革を絶えず考えることのできるリーダーかどうかについては余り考えられていないようです。或いは企業経営の中から次を考えさらに新しいVision を作ることができるような人材を時の社長が考えながら人材の育成を考えていないからではないだろうか。兎に角生きるために技術或いは、開発商品の飛躍をどのように探っていくかを考えていかなければ会社は腐っていきます。Cisco に見る Dynamic Obsolescence ,絶えず自社の商品の上を行く商品を絶えず開発していき既存の商品を自ら陳腐化させていくようなダイナミックさが必要です。或いはSAP のように技術の飛躍をみずからみつけていく。Apple にしてもこの Dynamic Obsolescence がものの見事に表れているのではないだろうか。Iphone, その次は Iphone II, そして Iphone S などなど人がどうしても又あららしいのを買いたがるような商品にしいてい。 それは特性が 10倍 100倍になっているから買いたいのでしょう。ですから Iphone, Ipad を作り続けていけるのだろうと思う。これに勝つには Apple の10倍のいや 20倍の商品を作らない限り競争にはかてないでしょういね。日本のTop も商品をどのように凄い性能の出るものを作っていくか言う点に視点を移して経営しなければ社長を変えるだけでは無理があります。それではその社長の資質とは、今経営で成功している世界の企業の社長を見ればその解がおのづからわかります。 John Chambers, Hasso Platner, 然り,Steve Jobs 然りです。 

Dr. Sikka と友人の Samba Murthy と共に

Key Note Speaker のもう一人 Dr. Sam Pitroda インドの首相のアドバイサーとして数々の変革を指揮します。
インドで生まれてインドの大学をでてシカゴの大学で学位をとり、それからアメリカの通信関係の会社ではたらきます。色々と新しい技術に挑戦して特許なども100件以上も取得しています。1980年代から アメリカとインドを 往復してインド首相のアドバイサーとしてインド通信インプラ の構築に力を発揮します。インドの発展変革のためにはインド国内の通信インフラを確立しないといけない。それがとりもなおさづ、インドの貧困をなくする即ち 住居と食料、そして水を供給するために必要だとして政府に働きかけ片田舎まで電話を開通させます。そしてワイドバンドの重要性を説き国内のワイドバンド化をはかります。

今日のインドのIP,  Soft Ware 産業の基礎は彼が通信の インフラを築いてくれたおかげです。兎に角凄い すごくエネルギーのある方です。まるで日本の明治期の 志士のような 八面六臂 の活躍をされた方です。

シリコンバレイの 時の若きヒローは Mark Zuckerberg だったり、Larry Page 或いは Sergey Brin だったりしました。今回は Box を学生の時に立ち上げた  Aaron Levie でした。ものすごい情熱を発散させて自分の意気をまくしたてていました。 Moderator がたじたじになりもう質問事項はなくなるのではないかと心配したほどでした。

Mr. Aaron Levie とModerator 氏

その他 Panel Discussion は時の話題のSocial Network, Mobil application, Green Energy
などがとりあげられていました。

Cisco の訪問
昔からの友人 Rajiv Limaye (VP Engineering )の案内で Cisco を訪問そしてRouter
のデモRoom を特別に見せてもらった。CISCO の商品開発の仕方そしてJohn Chambers さんの Management の仕方などを社内のエベントに絡めて話してくれた。ここも同じように前世代の商品を千倍も一万倍も速いような商品を絶えず開発しているのだと言う。このあたりも SAP と同じようにしているようです。今回開発したサーバーは 同じく数万倍も速いものになっているようです。増え続ける通信量を処理するには必要のようですね。Chambers さんも 同じように先々をどうするかをみとうしながらエンジニヤーに発破をかけているようです。アメリカではどうも大きいことは良いことだ ではないようです。GM 然り、HP もそろそろ見直さなければ、GEもそろそろ気をつけなければ、大きいことは大変危ないことだと思っているようです。 そんなわけで絶えず世の中の技術の動向を見てそれえの対処を絶えずかんがえています。そんなわけで必要ならその会社を買収していきます。 結局は 優れたEngineer を確保するためにM&Aがあるのです。

Cisco の買収物語 の事例が下記の表です。

友人のRajiv と日本からの起業家達。Cisco のルーターデモルーム にて。

ALM Soft Ware を開発している Kovair を訪問 創立者の Bipin Shah に話をきく。彼には創業の苦しみどうしたら成功できるかの条件を話したもらった。からのSoft Ware は今やっと大手か使ってくれるようになった所です。インドの大手 Infosys, IBM, HPなどが使いやっと先が見えてきたようです。 そんな経験から彼は 我々のために成功の7条を教えてくれたどの項目も私が苦労した条件にぴったりです。今起業に苦労している日本からの皆さんには すべて心当たりのある項目のようです。

Kovair の Bipin Shah の話

企業を成功させるための7ケ条。

スケジュウル終了して又明日からの活動に備えリラックスのひと時を過ごす。

来年は業界にどんな変化が起こるだろうか。 又Silicon Valley がどのようにかわるだろうか。世界経済は凄い変化をきたしそうです。日本の起業家に頑張って日本を或いは世界を支えてほしいものです。

California Poppy  May 4,2012

今カリフォルニヤーの道端、野原には カリフォルニヤー ポピーが まっ盛りです。カリフォルニヤーポピーは またカリフォルニヤー州の花として親しまれています。とても可憐で素敵な花です。こんな花を我が家の裏庭に咲かせようと思い種を買ってきて蒔いてみたがちっとも芽が出てこない。しかし道端にはあちこちにきれいに咲いている。
完全に自然でなければいけないのか。人工をきらうのでしょうか。昼間の暑い盛りにきれいに花をひろげている。そして夕方になると花弁をとじてしまう。

夜に 何かから自分を守るためなのか。夜はそれほど寒くならないのに。明日えのエネルギーを蓄えるのか、そして最昼のカンカン日照りに見事に花弁をひろげてくれる。
我が家の裏にはそのうちきっと咲かせてみよう。


ゴルフ場の California Poppy

そんな花畑にボールを打ちこんで探しているゴルファーもいます。 花をふまないで。
でも沢山あるから大丈夫か。

Tie Con へのいざない。

The Indus Entrepreneurs Organization. 当初インド、パキスタン系の人で大企業でTop まで行きついた人、また起業してIPOで大成功した人たちが後進の指導、援助のためにボランテヤーで始めた組織です。その後インドの優秀な人たちがここシリコンバレイで起業して大勢の起業家を生み出すもとになる組織です。
現在チャーターメメンバーという活動の主体となっている人達が250名ほどおります。この人たちの年会費で会の運営資金の一部がまかなわれています。
私も15年以上にわたって チャーターメンバー の一員としてインドパキスタン人の中で一人日本人で活動しています。今年はTie が出来て20周年そのお祝いを兼ねてチャーターメンバーのParty に参加しました。

Tie の活動は若手の起業家を啓発するために毎月色んな集まりがありす。
又毎年5月に大きなコンファレンスがあります。 これが TieCon です。
Worth Magazine がWorld Best 10 Conference という記事でTie Con が7位にえらばれています。
ちなみにWorld Economics Forum は10位にとどまっています。
下記にTie Con の昨年のOverview をみてください。
http://www.tiecon.org/home/content/conference-overview (2011年Tie Con Summary)

Entrepreneursが集まる熱気に満ちたコンファレンスです。Key note Speaker は時の話題の人であり又New Wave の提唱者であります。時代を先取りしてきた人たちの講演は素晴らしいです
過去のSpeaker としては、Cisco のCEO, John Chambers, Tesla Motor のElon Musk、Sales Force .com の Marc Benioff だったり又2007年には我らがもとSony の会長出井伸之さんであったりしました。昨年は約2500名ほどが参加しました。去年位からシリコンバレイの意気込みで何とかアメリカ経済を支えなければいけないという気概が満ち満ちしてきました。 それだけにスタートアップへの協力を惜しまないで手助けをしています。

今年は又世界経済が停滞する中でシリコンバレイのイノベイッショウンを鼓舞しようといきごんでいます。
昨年は将来の有望企業の紹介として展示がおこなわれました。日本から i3System (福岡のIphone アプリ)、Asial (PHP を用いたEnterprise 用ソフトウエアの会社)。京都の Questetra (enterprise Softwre) の3社に展示おねがいした。いずれも100名ほどのEngineer 、Executive of the company などがみにきたとのこと。今年も何社かたのんでみようかとおもっています。
兎に角会の雰囲気又参加者とコーヒーを飲みながら或いはLunch 時間で歓談がはずみます。この機会にNetwork を広げることができます。Silicon Valley の皆さんは日本えの進出をたえず考えていますので、協業などの話しなどチャンスがあります。

今年のTie Con は5月18日と19日 の二日です。
7,8年前から日本の若い人たちをこのConference によんでそしてSilicon Valley の起業を訪問していました。今回もこの試みを企画してみます。
是非参加ください。そしてSilicon Valley の会社を数社訪問する企画をかんがえたいとおもいます。
Plug and Play (Silicon Valley のインキュベイター), Cisco , Tesla Motors 他、これから起業する会社などを訪問したいと思っています。

Tie のアクチビテ の中から My Story で話をする 一緒にJunglee を立ち上げたAnand のSpeech から。

水滸伝 北方謙三

Hawaii でクリスマスと正月をすごした、息子の家族、娘もパリから来るので家族以外とのアクテビテイの計画はなし、ゴルフも諦めた、孫が二人なので孫たちと遊ぶのが
メインのアクテビイとなったしかし孫たちの昼寝の時間と夜は自分の時間なのでホノルルのBook Off に日本の本をさがしにいった。水滸伝が数冊あった、水滸伝は原本の翻訳ものを昔に読んでいたが北方さんの本なので原本の翻訳よりははるかに面白いに違いないと思って数冊買うことにした。

北方謙三の三国志は凄く面白かった、13巻もあったが面白くて3週間ぐらいでみんな読んだと思う。北方三国志には劉備と関羽、張飛の桃園の義兄弟の契りの項はなくなっている北方さんの解説がこれは不自然だし始めてあってすぐ兄弟の契りとはおかしいとしてこれを省略したそうだ。だから北方さんはこの三国志を全く北方三国志に創作しなおしたのだとおもう。 それだけに原語の翻訳よりもはるかに血沸き肉躍る三国志になったのではないかと思う、有佳チャンに三国志の面白さを話したら何と次の週に13冊買ってきて何と1週間で読み終えたとのこと、凄い集中力というか頭の良さというか、おそれいりました。そしてまた知将の戦略を経営に取り入れたいと言う。また又恐れ入りました。

今度も北方水滸伝を推奨しようかと思っている。
兎に角売れ残りの三冊、第一巻,第二巻と間が抜けて十八巻を買った。三巻から十七巻とさらに十九巻は日本に行って日本のBookOff にでも行って見つけることにしよう。大体各巻である程度話がまとまっているだろうという予測の元に十八巻も手にいれた。
第一巻、第二巻 兎に角面白い、この本には何と数千名の人物が登場してくると言う。
だったら各巻はそれなりに独立しているだろうと思い十八巻も買ったのでした。時々本を買って最後の章を先に読んでから初めに移る癖があり十八巻目を読んだらどうなるだろうかとの楽しみでもあった。第一巻、第二巻 兎に角面白かった
北方さんの古典の解釈は素晴らしい原本で関連の薄い登場人物を見事に連携させている。戦闘場面の描写が見事である、丸でほんとにその場を見てきたようにビビットに展開してくれる。戦いの場の土地の起伏描写は目の前に見ているようだ。中国の数千年前の地形が今そこにあるような気がする。まるで木の一本、一本が映像としてうきあがってくる。

三国志が劉備、曹操、孫権が主な 主人公であるのに比べて水滸伝は登場人物がたくさんいてそしてそのおのおのが凄い個性をもっている。そして上にたつ人の部下の使い方が絶妙に上手い。三国志が大将の活躍であるのに比べて水滸伝は組織の中の大将とその部下のかかわり合いがおもしろい。組織論みたいなとこもろもあって面白い。
部下の使い方或いはリーダーの資質がどんなんものでなければいけないかをよくしめしてくれる。三巻から十八巻に飛んで読んでもちっとも問題なかった十八巻は
梁山泊の戦いが主で今まで出てきた英雄たちが戦いに敗れて散っていく。英雄を生かしておいてほしいと思うが。何時までも超人ではありえないのです。
林冲などは生かしておきた英雄だが、決して窮地に陥らないこの騎馬隊長もついに歩兵の槍の林に囲まれて戦死してしまう。又林冲を打ち取った敵の童貫将軍もそれなりの戦略を発揮している。
18巻では楊志はすでになく、息子の楊令の代になっていた。楊令の活躍ぶりは痛快であった一人の英雄が逝きしかし彼よりも強くなった息子の活躍をもって先代の英雄がまだ生きているような印象を与えてくれる。楊令の強さは北方さんがでっちあげたのかもしれない。林冲を死なせたくなかったからかもしれない。楊令が童貫将軍の部隊長の首をはねて戦況を逆転させようとするがさすがに童貫将軍の手のもの見事に立ち直ってします。これがために戦況は益々硬直して長期戦にはいるのです。

兎に角北方水滸伝はたのしみました。あと17巻 読むのがまちどうしい。
かって北方謙三の 楊家将を読んだ時騎馬隊の 活躍に吾を忘れて読んだことがある。北方の戦闘シーンの描写の凄いことまるで北方さんが馬に乗って縦横無尽に走り回っているような気がする。戦闘シーンはまるで状況判断と戦略を駆使してみごとである。そして数秒のあるいは数分の遅れによって無敵の騎馬隊もやられてしまう。そして楊家の兄弟が一人二人としんでいくのです。
マーケテング でアクッションのとり方を一つ間違えると会社がおかしくなっていくのによく似ています。
北方古典は手に汗を握って面白い。そして又これをビジネスのシュミレイッション
と見たてて読むと又一段とおもしろい。

かって司馬遼太郎の本は大好きで坂の上の雲は大変面白く読んだものでした。そんなわけで久しぶりに“峠”を読んでみることにした。維新の前の情勢その中で藩士として長岡藩を支えた河合継之助の先見性そして戦略。そして今にも継之助のすばらし戦略がすぐにでもいかんなく発揮されそうな話の持って行き方なのですが。ちっともそんな状況にならない。まるで司馬遼太郎さんが新聞の連載ものを書いて原稿料をかせぐために延延と話をながびかせているみたいだった。結局 継之助の武士としての戦略を遺憾なく発揮するのは本のほとんど終わりの章では北越戦争のときです。しかし時すでに官軍の勢いは凄く又十分な火器にはかなうはずもなくはなばなしく全員討ち死にしてしまいます。そして結局は長岡藩の人たちを大勢死なせることになるのです。

しかし継之助の生き方はほんとに長岡藩をどうして救おうかそして自分はどう生きていくかを追求したことでした。そのため山田方谷をわざわざ備中松山の人しれない山奥に尋ね師事するのです。継之助は山田方谷に師事することによって自分の生き方をみつけたのでしょう。そして空しく多くの藩士を道連れに北越戦争をやむを得ず戦ったものとおもう。

昨年一度お会いしたいと思っていた、中條高徳 さんにお会いして語り合った時にまず氏が仰ったのは継之助がわざわざ四国の山の中人里離れら山奥に立すねていったことの意義をおっしゃって、森信三さんが 言われた“人間は一生のうち逢うべき人に必ず逢える、
しかも一瞬遅すぎないときに、、、、“それが継之助と山田方谷の出会いですとおっしゃった。
そんなのでこの分厚い三がんのこの本もこの人生の師に逢う事の重大さをといているのだろうか。司馬遼太郎はそんなふうにして読者を延延と繋ぎとめていったのだろうか。
司馬遼太郎の竜馬が行く の本は 6巻もある。もうこの何かに引きずられるなら読むのは一寸御免こうむって他の著者の 竜馬をよもうかなあ。

Pay-It-Forward-Culture (メンターの文化)

Sunyvale のCosco を覗いたらSteve Jobs の本が山積みになっていた。そして買い物にきた人が次々に本をピックアップ していく。これは大変だすぐなくなるに違いないと思わず一冊ピックアップしてきた。凄い売れ行きです。さすがにSilicon Valley が産んだ希代の起業家、誰でもが彼の死去をおしんでいる。500 頁に及ぶ分厚いほんです。英語でこれを読むには数ヵ月かかるかもしれないが記念に買うことにした。

Silicon Valley でZilog, Mips computer を立ち上げたSerial Entrepreneur のSteve Blankさんのブログを読んでいたらこの Pay-It-Forward-Cultureの言葉を見つけた。
そして若きSteve Jobs とIntel 創立者、Dr. Robert Noyce の写真がのっていた。
何とSteve はDr. Noyce に面識もないのに話を聞かせてほしいと 電話をして会いに行ったとのこと
Dr. Noyce はこの若者を気にいて彼の羽根のなかに取り込んだのでした。それ以来Dr. Noyce は彼とたびたびあって自分が他の人から面倒を見てもらったお礼に Steve のメンター的な役目を果たしたとのこと。これがSilicon Valley の文化だと説明しています。
又Steve の話として彼はまた Hewlett さんにも電話して発信機を作るから部品を分けてくれとそうだんしたそうです。勿論Steve はHewlett さんと友達になったのです。Silicon Valley のCEOはこのPay-It-Forward-Culture の気持ちをだれもがもっているようです、そして若い人たちをそだてているのです。だからSilicon Valley では次々と若き起業家がそだつのでしょう。


Steve Jobs and Robert Noyce

1972年にFairchild Semiconductor に就職した。そぐ近くのWagon Wheel というBar に連れて行ってもらった時があったそしたら何とそこら中の半導体のエンジニヤーが集まっているではないか。そしてお互いにいまOp-AMP を設計しているがどうしてもOffset 電圧が取れないお前のところはどうしていると聞いている、お互いに競争あいてです。ここでは皆が仲間でお互いの問題一緒に解決しようという雰囲気でした。そしたら次の日には確かNational Semiconductor で働いてたはずの
John がFairchild にうつってきたのです。業界が同じだと皆仲間なのですね。まだ揺籃期だからお互いに助け合わないと業界が発展しなかったのでしようね。

でもこのPay-It-Forward-Culture の文化というのは素晴らしいですね。
そんな文化が  TIE の組織を生み出しさらにAAMA(Chinese 系の組織)などが出来て若手をそだっているのです。
日本でもメンターをしてくれる、成功者がたくさん出てほしいですね。
兎に角チャレンジしましょう。 若者よチャレンジしょうではないか。

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