数年にわたって起業家の皆さんと起業家の苦労、これからどう展開するのかなどを夜を徹して議論する会を持って来ました。その頃私が出会ったのが中健二郎先生の気候合宿でした。中先生の習得された中国の仙人が教える気功でした。先生はその後さらに修行を積まれてインドの聖者を回られてさらなる極みに邁進されています。インドのマザーテレサの元での修行、さらには聖者サイババとの面談などそんな話を聞き大変刺激になっていました。そんなわけで先生にお願いして我々の平塾を先生の道場で毎年おねがいしていました。いつも3月の中旬に1泊2日で行なっていました。今回は残念ながら私が体調を崩し日本行きを4月の初めに伸ばした関係で中先生のスケジュうるが合わなくなりました。さらに中先生もさらなる魂の探求にインド、ネパールの各地のコムニテーでのくんれんに数ヶ月の予定で訪問されていますので今回楽しみな 中先生の道場での合宿は延期します。またいずれかの日に再開しますのでそれまでお待ちください。中先生の魂の旅がインドかく地で展開されています。先生の訪問先での記録そしてそこに参加されている人たちの思想哲学などそして心の安らぎを求平和な社会を作る努力などの感想を寄せてもらいましたので先生の許可を得てここに掲載させていただきます。来年あるいは今年の後半にでもまた平塾を再開したいと思います おまちください。中先生貴重な体験談ありがとうございます。またよろしくおねがいたします。

中先生からの 便り。


私は1月27日より、南インド・ポンディチェリーの郊外にあるオーロヴィル(聖者オーロビンドの霊的パートナーであったフランス人のマザーが作った共同体)に来ています。スペインで私の講習会を開催してくれた友人夫婦がここに住んでいて、色々と案内して貰っています。ここでは、世界52ヶ国から来た2500人もの人々(インド人が約1000人)が霊性を高めながら、平等かつ平和に暮らしています。面積はおよそ20平方キロで、学校は幼稚園から高校まで10校あり、ホリスティックな医療を取り入れた医療施設も整っていて、ヒーリングセンターもあります。ここの皆さんは意識が高く、交流するだけでいろいろとインスパイアされます。もちろん農業もオーガニックで、50年前には荒れ地で砂漠化していたという広大なエリアが素晴らしい森と畑に生まれ変わっていました。何と今までに300万本もの木が植樹されたそうです!オーロヴィリアン(オーロヴィルの住人)以外にも、インド各地から若者たち(建築科の学生)が自然な家造りのためにインターンに来ていたりと、とにかく活気があります。青年たちの純粋さと情熱、そしてクリエイティブな力に圧倒されます。男女一緒に明るく楽しそうに働いていて、ここでの実習が大学の単位として認められるらしいです。日本でもこのようなシステムができると素晴らしい若者が育つと思いました。オーロヴィルは今年50周年を迎え、その式典にはモディ首相も来られるとのことです。さすがはインド、政府もずっと予算を割き支援しているのです。 シュリ・オーロビンドは、お若い時にインド独立のために奔走され、拘置場に拘留されていた時にヴィヴェ・カーナンダ(聖者ラーマ・クリシュナの弟子、宗教家、ヴェーダンタ哲学の真髄を欧米に伝え、岡倉天心とも深交があった)との出会いで、政治から霊性への転換が起こり、悟りを開かれた方です。マホトマ・ガンディーにも多大な影響を与えられました。ポンディチェリーにあるシュリ・オーロビンドが晩年お住まいになっていた住居を案内していただいた時は、その崇高な意識とエネルギーを感じ、魂が震えるほど感動しました。何かがダウンロードされたような感じでした。

人々と地球の霊的進化のため、自主的に生き生きと働かれていらっしゃるオーロヴィルの方々、それぞれがユニークで、しかも経済的にも自立していて、一人一人の生命が内なる喜びで花開いているように感じました。色んな問題を抱えながらも、実際に行動に移している姿に心底感銘を受けました。

福岡正信さん式の自然農法をされている方やダウジングで土地や建物のエネルギーを整えていらっしゃる方にも出会え、毎日が感動の日々でした。ヨットで世界一周した後、持続可能な社会の必要性を感じ、オーロヴィルに移り住んだと言う方もいました。ここのスーパーでは食べ物や洗剤等もオーガニックなものを安価で買え、オーガニックレストランも何軒かあり、太陽光やバイオガスによる発電・風力による地下水の汲み上げシステム等、全ての面でエコに徹しています。
ここでは、音楽をはじめとする様々な芸術・ダンス・ヨガ・合気道・乗馬等自分の才能や持ち味を皆とシェアすることが自然に行われており、私もインターンの大学生たちに為に気功講習会を開くことができました。体調の悪い人へのアドバイスと治療もさせていただけ、ハートが満たされました。オーロヴィルにあるチベットパビリオンにも行ってみました。チベットの文化を伝える施設で、15才でチベットから亡命して来た一人の女性が作ったものです。ダライ・ラマも3回来られたとのことで、ダラムシャラのチベット孤児たちも冬休みの間、こちらに滞在しています。オーロヴィルで、国家や民族を超えて互いに理解し合っている姿を観ると、世界平和の雛型がここにあるような気がします。始まりは、マザーことミラ・アルファサ(Mirra Alfassa)女史の『ドリーム』でした。日本でも、日本の霊性文化を取り入れたこのようなドリームが具現化すれば良いのになと切に思いました。ちなみに今回お世話になったY さんは、このマザーの『A Dream 』という文章に触れ、スペインでのすべての仕事を投げ打って、ご主人とここに移住する決心をされたそうです。オーロヴィルの良さは、創始者が亡くなっても、勢いが衰えることなく、益々発展しているところだと思います。普通ならば尻すぼみになりそうな活動ですが、逆に場所も広がり、住民も増え続けています。純粋な動機と地球にとっての必要性があるからだと思いました。最近、シュリ・オーロビンドのご本「インテグラル・ヨーガ」(発行:アルテ)を借りて読んでいますが、オーロビンドの説かれたエッセンスが書かれてあり、その宗教哲学の深さには心を打たれるものがあります。彼の文章は非常に難解で、日本で何度か読もうとして途中で諦めていたのですが、今回は彼の伝えたかったことが、スッと入ってきます。

2月4日のフライトでここを離れる予定でしたが、ふとしたご縁で、2月4日からオーロヴィルの近くにある『Sri Vast アシュラム(道場)』でリトリート(静修)に入りました。その後2月11日に出るつもりだったのが、覚者Sri Vast さんから「もう少しで全てのチャクラが整うから、滞在を15日まで延長しなさい。費用はこちらで持つ。」と言われ、今その流れに従っています。日本を出る前に予約していた次の目的地へのエアーチケットとホテルはキャンセルとなりましたが、魂は神の計らいを喜んでいます。こちらでは霊性修行以外にトリートメント(ここではプロセスと言う)を受けることもできます。それらは各チャクラに働きかけるもので、アーユルヴェーダのハーブやオイルを使って二人がかりで特殊なマッサージをします。シロダーラのように温めたオイルを垂らしながら、7つのチャクラを優しく刺激することもあります。毎朝4時から瞑想、6時からインナー・ヨガ(内なるエネルギーを整えるソフトなヨガ、ワニになりきって砂場を這う運動もある)を行い、時々サットサン(覚者との清朗の集い)があります。意識の覚醒を身体や感覚から入るのが、気功や太極拳と似ていて、大変興味深く参考になります。『身体に刷り込まれたネガティブな感情エネルギーや条件づけされた意識を解放すると、真の自由を取り戻し、過去や未来にとらわれず、開かれた意識で瞬間瞬間に自己を表現しながら、至福で生きられる』と、Sri Vast さんがおっしゃっていました。オーロヴィルとSri Vast アシュラムでの体験は、グラウンディングとクリエーテイビティという両面で非常にインパクトがあり、私にとって何か新しい始まりのきっかけになりそうです。2月15日の夜行寝台バスでケララ州に行き、数日後にヒマラヤの麓にあるリシケシュというヨガの里に向かいます。そこでは一昨年お出会いした何人かの覚者の方々をお訪ねするつもりです。どのような方々に出会っても、適度な間合いを保ち、のめり込むことなく、しかも謙虚に学ばさせていただければと思っています。大いなる導きの中で、静かなる自己を守りながら、皆と共に今、今、今を感謝と喜びで生きていく!これに尽きると思います。

『すべての生命は、その見かけの背後を見れば、広大な自然のヨーガであり、自然は意識的にも潜在意識的にも、自らの極致を実現しようと、いまだ実現されていない可能性をますます表現し、自分自身を自らの神聖な実体と一体化させようと試みている。』(オーロビンド)『生命全体がその神聖な源泉を意識して、知識、意志、感情、感覚、肉体のそれぞれの活動のなかに、神に由来する衝動を感じられるように。それは世俗的な目的に欠かせないものを何ひとつ拒否せず、それを拡大し、今はその目から隠されている、もっと大きくもっと真実な意味を見いだして、それを生きる。それを限定的、世俗的、死を免れない運命のものから、究極の、神聖な、不滅の価値をもったかたちへと変容させる。』(オーロビンド)今回の旅では、『真の自由とは何か』について常に問いかけられているような気がします。

人類全体が無限の存在に目覚め、ひとつになりますように!
中健次郎

付録:
『A Dream ( ドリーム) 』 
「地球上のどこかにどこの国のものでもない場所、うそ偽りのない志を持つ善意ある人々が世界市民として自由に暮らせる場所、人々がただ一つの権威と呼べる至高の真理にのみ従う場所、そんな場所があるべきなのです。平和と友好と調和の場所、そこでは人間の闘争本能というものが、苦しみや惨めさの原因を克服することや、弱さや無知に打ち勝ち限界や無力さを征服する為だけに使われるのです。その場所では、魂(精神)の必要性と進歩への配慮が、欲望と色情を満たすことや、快楽と物質的楽しみの追求よりも優先されます。この場所で、子ども達は魂とのコンタクトを失うことなく、統合的に育ち発達することができるしょう。教育は、試験にパスしたり免状や役職を得る為に為されるのではなく、持って生まれた能力を伸ばし、新しいものを引き出すために為されるのです。
(中略)
一言で言うならば、普段もっぱら競争や闘争だけをベースにしている人間関係が、協力と真の兄弟愛によってより良きことを為していく人間関係に置き換わっていく、そういう場所になることでしょう。」(マザー)