LCD デスプレイがまだまだ開発の途上であったころ、工場の暴れん坊が上司にないしょでCGA(480 dot X 120 dots)のサンプルをつくってきた。これは面白いとSteve Jobs がNEXT を立ち上げた時だったので、アップル時代に知り合ったEngineer を頼ってデモにいった。
まだLCD display が世の中にそれほど出ていないころだったのでEngineer 氏はびっくりして一寸待ってくれと人を呼んでくるからという。それも会社の受付でした。
そして連れてきたのはなんと Steve Jobs だった彼にDisplay を見せたところ大変感激しておれはこんなDisplay を探しているのだとおもむろにノートを破いてLCD のスペックを書き始めた。添付の写真が彼が書いてくれたスペックです。当時まだLCD はNeumatic Display でスピードはとても遅く白黒でした、又彼の言うような 90 dpi はるか数年先にできるかなあと言うようなじきでした。

でも流石にVisionary の彼はこれができればいくらでも買うという。
確かに彼の要望は我々LCD を作る者にとっては将来 Challenge するべきテーマでした。
その前にLCD がColor にできるのかなど数々の技術を乗り越えなければいけない時期でした。

しかし彼にそれではもしこの貴方の要求するものができたら言った何万台買ってくれるのかといきたら 沢山買うと言う。それでは我々エンジニヤの目標にしては漠としているから是非
一体何万台をいくらで買うかをここに Commit してくれとたのみました。

その結果がたくさん買うそしてねだんは$250ドル 以下だと書いてくれた。5月2日1988 でした。その後Technology が進みColor のVGA Display が$200以下になった、それはその後5年ごのことでした。
どうしても百万台買うと言ってくれとねばったが。ついに Lotsで逃げられた。
しかしこの一枚が鳥取三洋電機のLCD Business の大きな目標となったものです。

彼は絶えず一歩も二歩も先を考えて物の開発を考えているようです。
Iphone しかり Ipad しかりですね。 やっぱりほかより一歩先に行かなければBusiness はサバイブできないのです。
この一枚の紙は同僚のエンジニヤ 岩崎君の書斎に今も額に入れられて保存されている。
商売は会社のトップに言えば一番話が早いしかしトップの人に逢うのは大変です。まずアポイントが取れない、又そのトップが技術の内容をどこまでしっているかは分からないので無駄に終わることがたびたびです。
ですから世界で初めて開発されたものなどを持って行って初めてSteve Jobs をおびきよせられるのです。
それと絶えず将来にチャレンジしているエンジニヤーを絶えず標的にする必要があります。

現在の部品の置き換えの商売は新製品の商売よりもはるかに難しいのです。
そのためにはセーリスマンこそ先を見る目をもちチャレンジしなければいけない。
私のセールスマンの経験は絶えず新しい部品を開発してBusiness をかいたくしてきました。
Sales Man よChallenge せよですね。