シリコンバレーのエンジェル投資ブログ

Pay-It-Forward-Culture (メンターの文化)

Sunyvale のCosco を覗いたらSteve Jobs の本が山積みになっていた。そして買い物にきた人が次々に本をピックアップ していく。これは大変だすぐなくなるに違いないと思わず一冊ピックアップしてきた。凄い売れ行きです。さすがにSilicon Valley が産んだ希代の起業家、誰でもが彼の死去をおしんでいる。500 頁に及ぶ分厚いほんです。英語でこれを読むには数ヵ月かかるかもしれないが記念に買うことにした。

Silicon Valley でZilog, Mips computer を立ち上げたSerial Entrepreneur のSteve Blankさんのブログを読んでいたらこの Pay-It-Forward-Cultureの言葉を見つけた。
そして若きSteve Jobs とIntel 創立者、Dr. Robert Noyce の写真がのっていた。
何とSteve はDr. Noyce に面識もないのに話を聞かせてほしいと 電話をして会いに行ったとのこと
Dr. Noyce はこの若者を気にいて彼の羽根のなかに取り込んだのでした。それ以来Dr. Noyce は彼とたびたびあって自分が他の人から面倒を見てもらったお礼に Steve のメンター的な役目を果たしたとのこと。これがSilicon Valley の文化だと説明しています。
又Steve の話として彼はまた Hewlett さんにも電話して発信機を作るから部品を分けてくれとそうだんしたそうです。勿論Steve はHewlett さんと友達になったのです。Silicon Valley のCEOはこのPay-It-Forward-Culture の気持ちをだれもがもっているようです、そして若い人たちをそだてているのです。だからSilicon Valley では次々と若き起業家がそだつのでしょう。


Steve Jobs and Robert Noyce

1972年にFairchild Semiconductor に就職した。そぐ近くのWagon Wheel というBar に連れて行ってもらった時があったそしたら何とそこら中の半導体のエンジニヤーが集まっているではないか。そしてお互いにいまOp-AMP を設計しているがどうしてもOffset 電圧が取れないお前のところはどうしていると聞いている、お互いに競争あいてです。ここでは皆が仲間でお互いの問題一緒に解決しようという雰囲気でした。そしたら次の日には確かNational Semiconductor で働いてたはずの
John がFairchild にうつってきたのです。業界が同じだと皆仲間なのですね。まだ揺籃期だからお互いに助け合わないと業界が発展しなかったのでしようね。

でもこのPay-It-Forward-Culture の文化というのは素晴らしいですね。
そんな文化が  TIE の組織を生み出しさらにAAMA(Chinese 系の組織)などが出来て若手をそだっているのです。
日本でもメンターをしてくれる、成功者がたくさん出てほしいですね。
兎に角チャレンジしましょう。 若者よチャレンジしょうではないか。

学生と語る、 AIF Forum で東北の学生を中心に議論

水滸伝 北方謙三

2件のコメント

  1. 田中國重

    鹿児島県小さな与論島から世界に羽ばたいておられる強先輩が,『致知』を愛読しておられることを知り,大変心強く思いました。
     私も以前から愛読させてもらっておりますが,11号の特集「人生は心一つの置きどころ」も大変参考になりました。与論の尊いことわざに「思イドゥ 運命」(ムイドゥ ヌサリ」=思い願うことがその人の運命である)というのがありますが,将に今回の特集はこのことわざの証言の数々であります。「吾,相撲の道を究めん」「我が中村天風論」も良かったのですが,11月24日の校長会では,昇地三郎氏の「人生は自分自身との戦いである」を紹介します。その時,先輩のプロフィールも紹介させていただきます。
     来年の11月11日に予定している「ユンヌンチュ世界大会いnヨロン」に是非御参加いただいて,「世界から見たふるさと与論への期待」と題する御講演を,よろしくお願い致します。

  2. tsuyoshi taira

    与論町 教育委員会教育長 田中国重さま、先日お会いできて光栄です。

    室生犀星 が
                   ふるさとは遠きにありて思ふもの
                   そして悲しくうたふもの
                   よしや
                   うらぶれて異土の乞食となるとても、、、、

    と歌いました。
    しかし故郷は私にとっては何時か 帰るとこだとおもっています。
    故郷は我が心の棲みかなのです。なんていうか心がぶれないための重しのようにおもいます。与論で生まれて与論の自然に浸って育ったのがわたくしのここのおもしです。
    うらぶれても成功しても何時か帰るところだとおもっています。
    母を葬(おくってから)なおそう思いました。自然が人を作ってっくれました。 だから故郷より遠くにいるにつけ故郷はいつも近くにあるのです。
    来年の与論世界大会は楽しみです。小学生に話をさせていただく機会を大変光栄におもいます。
    平 強 、東京にて。

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