シリコンバレーのエンジェル投資ブログ

月: 2010年11月

上を向いて歩こう

November 2010

“見上げてみて月がとってもきれいです。”

彼女が呟いた、ああそうか、夕方6時確かに月がきれいだ、気づいたら、白鳥が北東に位置にある。牽牛と織女も輝いている、天の川はさすがに月の光で見えない。いつも月も星も輝いているのだ、忘れていた自然がそこにある。

さらに明け方5時に起きて空を見上げたらオリオンが輝いている、素敵だ。毎日の仕事、懸案事項のためにふと空を見上げることもなくなっていたのか。たまには回りも見まわしてみるものです。東京では 明るすぎて星が見えないがカリホルニヤの少し町から外れた場所だと星が良く見える。星空を見上げるのは何となく夏が多い、だから夏の星座はよく見憶えている。しかし星座は24時間回っている。太陽の光にさえぎられる時間あるいは明るい月の光のない時は輝いている。ただ上を見上げる余裕がないだけである。

坂本 九の「上を向いて歩こう」
この歌をおもいだす。いい歌だった。
上を向いて歩こうね。

   “幸せは雲の上に、幸せは空の上に、
      上を向いて歩こう、涙がこぼれないように。

腰骨を真っすぐにして上を向いて歩けば何かみつかるのでは。
教育学者、森信三が腰骨を立てる教育で、性根のある子を育てることを提唱している。腰骨を真っすぐにすることも、又一つの人生訓です。

上を向いてiPhone をかざそう。と言って拍手喝さいを浴びた若い起業家がいた。いつまでも腰骨を真っすぐにして上を向いて歩いて成長してほしいものです。

そして時には夜空の星を見上げてください。

頭のいい子を育てるコツ

November , 2010

私の本 ”エンジニアよ挑戦せよ“ の中の一章、〜ある創造型起業家のこと〜 の中にDr. Sadeg Fairsのことを書いた。1999年ごろに彼が開発した3Dの技術にシードマネーを少し入れて以来、彼の新しい開発にすべて投資してきた。リヒュラブル電池の開発、リフレクテブポラライザーの開発、そして新しい電池の開発など,みんな夢がある。だから夢に投資してきたのです。すべての投資がすべてゼロになったとしても、ある時期夢を共有したことで投資が報われると思っている。それがシリコンバレイの投資家あるいはベンチャーキャピタリストの思いです。リスクマネーを提供するからこそスタートアップの人が成功するチャンスがあります。

彼はリビヤの出身で、ガダフィ大佐から上手くのがれてUC Berkleyに留学します。とても頭がいいので、「どうして貴方は頭良いのか」と聞いたら、「家が貧しかったので毎日の食料のために海に行ってイワシを取ってそれを生で食べていた」という。そしてもう一つの秘密は、「柿を皮ごと食べたからだ」と言う。柿の皮には頭の良くなる栄養素がいっぱいあるとのこと。

是非頭のいい子を育てるのに実行してみたらどうですか?そして少し大きくなったらイワシを沢山たべさせることです。きっと大成功します…とは、今のところいえませんが、一つだけ、決して何事にもあきらめない凄い子供になると思います。

当時3Dのマーケットは、なかなか立ち上がらずに彼は大変苦労していた。教育用のアプリケーションを開発して細々と生業を立てていた。今、日本で3DTVなどが出てきて、少しは3Dのマーケットが増えそうな感じですが。果たしてどれほど立ち上がることか。日本では、有沢さんが彼の技術を使い3DTVをマーケットに出しています。有沢さんもまた、決してあきらめない経営者のひとりです。事業を成功させるために一番肝心なことは最後まであきらめないということです。

Dr. Fairs はIBM時代に沢山の特許を取りいろいろな画期的なアイデアに挑戦していた。そして又沢山の失敗の山を築いている。しかし彼は決してあきらめない。いつも荒廃の中から逞しく立ち上がってくるのです。マレーシアのマハテールさんが首相の時にマレーシア政府が100M$の投資で開発センターをDr. Fairsのために作ってくれた。ここで次世代の電池の開発にとりかかります。しかしマハテール退陣のあと、新しい首相はなんとDr.Fairsへの投資を中止し、しかも彼の会社を国が取り上げてしまった。ここでも又Dr.Fairsは大変な苦労をします。そしてまた、NYに帰り研究を継続します。7転びどころかすでに9転び位しているのでは、いよいよ10起めです(9転10起)。あきらめない限り彼は必ず成功すると思う。私の投資のリターンはすでにあきらめていますが、最後に一つだけでも成功してシャンペンで乾杯するのを夢にしています。それが一番のリターンだとおもっています。

久しぶりに又、彼からメッセージが入った。私は彼のことをこの本で相当宣伝したから、広告費を払ってくれるようにいつも言っているのですが。彼は彼の一章があるからこの本は売れたのだと言ってロイヤリティーをくれといっている。おかげさまでこの本の在庫はすでになくなった。友人が本くれと言うんで、いよいよ仕方なく、ついにamazonで中古の本を買って知人に渡す羽目になっています。できればNetで再販しようかと思っている。

そろそろ彼との付き合いで10年以上にもなる。久しぶりに彼方からメールが届いた。相変わらず本のロイヤリティーのことを言ってきた。

日本の子供たちに是非柿の皮を食べることをおすすめします。
久美子さん、陸チャンに試してみたらアイキューブドシステムズの有能な後継ぎができますよ。
有佳さん、赤ちゃんができる前に貴方も柿を皮ごと食べて、頭のいい子を産んでください。
アシアルの有能な後継ぎが生まれますよ。

以下、Dr. Sadeg Fairsからのメール本文
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November 18, Sadeg to Tsuyoshi

Dear Taira-san,

I hope that you, your family and your business are in great health. I apologize for not making contact with you. It has been a while since we communicated. The economy went bad and that affected our recovery. I am optimistic that 2011 will be a lot better. I have not forgotten about your investment. I am persistent (I eat persimmon with the skin) and will succeed. Our 3D technology is now bearing fruit. After many years our 3D TV partner Arisawa-san is achieving success. (http://community.whathifi.com/blogs/industry_insider/archive/2010/04/08/japan-passive-3d-tv-supplier-plans-expansion.aspx )

I am going to be in Japan, and remembered the great time we had and the great help going up and down the train stations that kept you young and healthy.
I hope your book is doing well it has the best chapter that should make too much royalties. Instead of writing about garlic we need a book about persimmon .

I will call you today.

Best regards
Sadeg Faris

以下、私からの返信
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Novembr 18, Tsuyoshi To Sadeg.

Nice to hear from the past ,I am looking for another Sadeg Faris in Japan, there is some but need to encourage him to challenge aggressively , I met Arisawa san at Karuizwa golf course when I play golf with Idei san we chat little about you.
Any way nice to hear from old friends looking for hearing from you soon.

そして決してあきらめない経営者に贈るとっておきの一枚。
この写真を取った写真家は何と30分もカメラを構えたまま蛙さんの戦いを見守っていたそうです。
そしてついに蛙さんは鷺のくちばしから逃れたのです。

日本のグローバリゼイッションは田子町(たっこまち)から

(日本一のガーリック生産地を訪ねる。) October , 2010

日本一のガーリックの生産地は青森県で、その中でも田子町は品質日本一といわれています。毎年10月の第一土曜日と日曜日に盛大にガーリック祭りがおこなわれます。今年は2日と3日でした。アメリカ一(いち)のガーリックの生産地はカリフォルニアのギルロイです。ギルロイは、Silicon Valley の南に車で40分ほど行ったところにあります。エデンの東のスタインベックが愛した、小高い丘の連なる農村です。田子町とギルロイはいつの日からか姉妹都市の関係を結び、お互いの交流がはじまりました。毎年数名の人たちが交互に訪問し合ってホームステイをたのしんでいます。今年は 咸臨丸米国訪問から150周年たっているのでサンフランシスコで大きな式典が行われました。

【田子町の入り口】

大政奉還のきっかけとなり、坂本龍馬などに多大の影響を与えたJohn Manjiro、そしてJohn Manjiro を救ったCaptain Whitfield その交友が、その後もその子孫まで続きそして70年にもおよんでいます。そしてこの交流を広く一般の人たちに広め、日米民間の交流と平和を推進するために、国際草の根運動が1992年に発足しました。(会長はあの小沢一郎さんです)

今年は咸臨丸San Francisco 入港150年の記念式典と共にJohn Manjiro とCaptain Whitfield の行事も相前後しておこなわれました。何と日本から250名の人たちがここサンフランシスコ近郊にホームステイに訪れたのでした。この中にも田子町から数名の人たちが参加していました。アメリカの人たちは金持ちも貧乏人もありのままにホームステイを受け入れてくれます。そして普段と同じような生活でお客をもてなします。決して豪華なもてなしをしません。ありのままを見てもらいます。そんなわけで何と250名の多くの人たちを受け入れてくれたのです。やっぱり姉妹都市の人たちが一番多くホームステイを受け入れてくれています。

私は移民の父と称された鹿児島から農業移民を数百人もカリフォルニアに送りこんだ内田善一郎さんの息子、テッド内田さんとこの会の資金集めを手伝いました。何しろこれだけの人達の色んな費用などに相当なお金が必要です。幸いテッドのネットワークのおかげで、目標のお金が集まりました。日系の企業の協力あるいは、姉妹都市の関係の人たちが寄付していただき、この草の根運動の資金が調達されました。

このホームステイに福岡の大学生が20名ほど参加していました。オープニングセレモニーで話した学生達の気迫のないことに、いささかガッカリしました。しかし彼等とクロージングセレモニーで話した時の彼等の眼の輝きは、一段と生気に満ち満ちしていました。このように異文化を垣間見るだけでこれだけ違うのかとビックリしました。そして彼等がホームステイで受けたもてなしが、どれだけ彼等を活性化し、今後の生き方に影響を与えたことか。

閉会式では 次の世代に引き継ぐ地球儀のトーチが引き渡されました。John Maniro の5代目中浜キョーコさん、Captain Whitfield さんの5代目、そしてペリー提督の4代目のみなさんが登壇し、次への引き継が行われ、なんと170年もこの精神が引き継がれているのです。この草の根運動のアメリカ側のチャーマン、かつての日本のアメリカ大使 Michel Amacost さん、そして Executive Director が日系二世のMegumi Inoue 嬢、彼女の活躍と頭脳明晰さには大変感心しました。彼女の活躍がこの会を大成功に導いてくれました。そのうち私のスタートアップの会社の社長にしたいなと思っています。

【Amacostさん、日本アメリカの草の根運動会長の渡辺さん、
アメリカの代表Dr. Richard Woodさん、そして田子町の恵子さん勝予さん】

又、Amacostさんの努力でアメリカ側の色んな団体が協力してくれました。Amacostさんは会っただけで温かい感じを人に与える素敵なひとです。日本も彼のような大使がある時期日本に来てもらって、日米友好を維持してくれていたのだとありがたいおもいがしました。さすがにアメリカの人2回目に会った時はすでに”Tsuyoshi Nice See you Again. “です。

【日米デザイナーによる愛情の表現】

閉会式では、日本から訪問してくれた人たちの何と生き生きしていることか。この草の根運動のもたらす意義が彼等の彼女等の眼の輝きにあらわれています。微力ながらこの活動に参加した大きな対価でした。そして提灯行列、盆踊り、サンフランシスコの日本町をみんなで踊り歩きました。そのほかに田子町から来た佐藤恵子さんと宝田勝予さんが参加されていました。そして是非田子町に来てくださいとの招待を受けて、テッドさんの奥さんの万貴子さん、お母さんで田子町を訪問しました。ガーリック祭りは町の広場に大きな鉄板焼きが用意されており、切符を買ってこれをもっていくと何と、霜降りの肉と野菜とガーリックの入ったパッケイジを渡されます。これをもって大きな鉄板の前で肉と野菜を焼いてたべるのです。

兎に角肉の美味しいこと、ガーリックのおいしいこと。たれが付いていたが、塩でも食べてみたいと思った、恵子さん来年は塩も用意してください。ギルロイから来たガーリックの女王と、田子町の女王とみんなで鉄板を囲み大変美味しい肉と、野菜、ガーリックをいただいた。そして土地の高校生のボランティアの皆さんに、いろいろ面倒を見ていただいて楽しい食事でした。八戸の米軍基地が近いので、米軍の人たちが家族ぐるみで車で大勢参加していました。そしてエンターテンメントは何と日米両語での司会です。

さすがにグローバルな町です。これもギルロイとの姉妹都市がもたらす効果なのかもしれません。夜は我々アメリカから来た人たちのために、パーティをひらいてくれました。食べきれないほどの海の幸山の幸でした。町長の松橋良則さん、そして沢口町議会議長のみなさんと歓談することができました。町では町の費用でアメリカ人を英語の先生として雇っています。ジェシカさんすでに町の人気者で町の生活に溶け込んでいます。若い人たちの友達です。そして気楽に町の人たちと交流しています。今年は中学生を10名ほどギルロイのホームステイに送り出すそうです。そして来年は高校生を20名ほど、同じくギルロイにホームステイに行かせるとのこと。実に町をあげてグローバリゼイションに積極的です。これらの学生が町に帰ってきたら、きっと町の将来のために、イノベイティブなアイデアを出してくれるものと、頼もしくおもいます。流石に町長さんのこのような努力に感謝したいとおいます。

日本を活性化するには、中学生からグローバルな視野をもつように啓発しないといけないと思う。我々は大学生の活性化を考えて、日本から訪米する学生をいろいろSilicon Valleyで、現地のチャレンジ精神イノベイションを体現できるようなプログラムを組んでいるのですが。むしろ大学生では少し遅すぎるようなきがする。高校生中学生なら彼等が大学に入る前に、自分はどうしたらいいかを考えて自分の進む道を早めに見つけてくれるものと思う。黒川清さんが、大学の一年を休学して是非世界を見て来い、という提言をしています。何もアメリカがいいのではなくインド、フイリッピン、バングラデシュ、アフリカなど、兎に角日本以外の国を見て来いと言っています。いい提言だとおもいます。

【大勢の中学高校生のボランティア達】

今、田子町では、このギルロイを見てきた中学生小学生、高校生そして大人の人たちがいっぱいおります。この人たちはすでにグローバルです。日本のグローバリゼイッションは田子町からおこります。もうすぐこれ等の子供たちが大学生になったらグローバルに活躍する人たちが沢山でるものとおもう。他の町でも同じようなグローバルな活動のできる子供達を育てたらどうでしょう。この町の英語教育に対する取り組みも又参考にしてほしいとおもいます。是非町のお金でアメリカ人の若者を雇って英語教師としたらいかがでしょうか。町長さん是非全国にこの考えをすすめてください。

田子町での楽しみを、会う人会う人に話したら、もう皆さん涎を垂らして来年は是非連れていけとの要望です。すでに15名ほどコミットしています。佐藤恵子さん、あの一つしかない旅館よりもこの時だけ一般の家庭で民宿をやったらどうだろうか、きっと大変喜ばれるのでは。みなさんがギルロイで味わったのと同じように田舎を知らない東京の人たちが喜ぶのでは。それと体験ガーリック植えをして次の年にそのガーリックを食べにくるイベントをやったら毎年必ず尋ねる人が多いのでは。私の仲間には稲を植えに行って、そして秋に刈り取りまで行って、さらにそのお米でご飯を炊いて楽しんでいる人もいいます。又、肉が大変好きな人、毎日でも肉を食べたい人など沢山います。牛の丸焼き、あの肉はさすがにおいしかった。残念ながら焼くところはみのがしてしまった。

【宝田さんの家で大勢の若者が集まっている】

来年行く連中は肉の好きな連中です。我々の仲間にはあと肉を数枚余計に入れておいてほしいですね。是非田子町の肉を食べてグローバルになりましょう。来年たのしみです。仲間のみなさん10月の第一土曜日、日曜日をあけておいてくださいね。

久しぶりの対戦 〜徳永卓三さん(企業家倶楽部社長)と〜

昨年徳永さんと一緒に武宮正樹名人に、碁の手ほどきをいただきました。二人とも一回だけの指導で弟子だと自称している。久しぶりに徳永さんと一戦まじえることができました。

師の教えは、“陣取りに行くな打ちたいところに打て”でした。
さて、そこまでの悟りに至らない我々は、せっせと陣取りと喧嘩に赴く。石が死にそうだと必死に太らせていき、挙句の果ては丸々と太った豚になり果てて、局地にローストポークを沢山つくってしまう。さすがに私のほうが豚の数が若干おおくなる。碁は大局観をしっかり持って打たないと、負けてしまいます。初心者は一か所、危なくなるともう必死になってその場所を守りに行って、結局は太った豚で死んでしまう。スタートアップの経営みたいなもので、もう局地しか見れないし、方向転換をするタイミングをいつも見失っている。

時には将棋を指すこともある。将棋は一手で勝負が決まる時があるので、一手一手が最後と思って打たないといけない。私のBusiness 相手は時に将棋指しであったり、時には囲碁さしであったりする。当然将棋さしとのBusiness は一手もおろそかにできない。だから全神経を集中してBusiness にあたる。一方碁さしとの商売は、すべて長期戦と大局観でもって対処するので、少々のミスがあってもあとからリカバリーがきく。

これは身内との対応も同じことです。
将棋さしの上司には散々いじめられた。しかし、碁さしの上司とは、実に長期計画と戦略を練り大きな成果をあげることができた。そして、このような上司は実に影でのサポートがすぐれている。碁でも将棋でもその人の考え方が大きく影響しているものです。研究所の人たちとのかかわり合いは、碁さしとのかかわりあいであった。工場の人たちとはそれはものすごい将棋さしです。日本の半導体の経営者は将棋指しが多く、経営の効率が悪いようなきがする。碁さしの事業部長をもって来ればもっと良いのにと思ったものでした。

徳永さんの碁は大変大らかで、大局観に優れておられた。さすがは日経新聞の俊腕記者だっただけあって狙いが正確でした。
私の碁歴は、東京三洋時代に、お昼のサイレンが鳴るとともに、みんなでものすごい勢いで食堂に走る。そして早飯をすませ又、ものすごい勢いで事務所に帰って実験室の中で碁版を広げて打つ。(なにしろ食堂棟まで走って数分かかる広い工場だった。元中島飛行場の跡地に経っていた。)兎に角25分ぐらいのうちに一局終えないといけないので、お互いにノータイムで打つ、そして殺し合いを盤面いっぱいに広げる、こんな碁をうっているものだから、とても大局観など眼中になく、局地の殺し合いに終始してしまう。いまだこの癖が残り、どうしても殺し合い中心の手をうってしまいます。兎に角久しぶりに相手が見つかって楽しい数局をたのしみました。どうやらお互いほぼ互角の実力のようだしこれからの対局がたのしみだ。

下記の写真が対局の途中。もうどちらが誰の手か推測がつかれたと思う。

次回のお手合わせが楽しみだ。

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