超禅寺はホノルルのカリヒバレー の閑静な山裾にある。
剣の達人で禅師であった 大森曹玄 老大師 がハワイの田上天心 老師 と共にこの超禅寺を起こされた、寺の建設には田上老師と修行者そして多くのボランテヤーがこのお寺の建設に貢献しました。そして今も禅と武道、陶芸などの修業の場として多くの人たちに利用されています。そしてまたアメリカの経営者の修業の場ともなっています。
今回座禅をとうして自分たちの企業をどのように育てていくかを考えてもらおうと若手の経営者を連れて座禅と弓道の修業に行きました。
禅は達磨大師がインドから宋の時代に中国に伝え、それが鎌倉時代に日本の入ってきて武士の間に普及しました。
武士の精神的な支えとし大いに普及したようです。武田信玄、そして 上杉謙信 なども禅の修業者であったし。 そしてさらに秀吉、家康に引き継がれて武士の心のよりどころとして多くの帰依者をふやしていったようです。
武士道もまたこの流れから来たものと思われる。
禅の修行は座禅によって自分を見つめてどのように人生を歩むかを会得して悟りをひらくものです。我々は3日間ですから悟りを開くなど大それたこのではなく、自分を見つめてさてこの不況をどのようにして乗り越えていくかで考える機会があればと思うぐらいです。
悟りを開くには何年も何年も長い時間を 結跏趺坐してはじめてえられるそうです。
江戸城の無血開城を果たした山岡鉄舟は 何年も毎晩のように結跏趺坐して45歳の時に悟りを開いたという。
鉄舟が座禅を始めると家じゅうのネズミがみんな静かになったというそれだけ迫力があったようです。しかし鉄舟が悟りを開いてからは鉄舟が書をしたためているとネズミが彼の肩の上にとって遊んでいたという。鉄舟はあばら家の貧乏暮しで鼠が沢山住んでいたようです。
悟りを開いた後の鉄舟の剣は向うところ敵なしであったようです。ですから江戸から並みいる官軍の中を薩摩藩の藩士と二たりで静岡まで西郷隆盛に江戸城の無血開城をの交渉に会いに行けたのだという。また彼の書もこの悟りを開いた後のものはことさら迫力のあるもののようです。
山岡鉄舟は人によく書を 所望されると簡単に書いてくれたようです。ですから後世になって鉄舟 の偽物が沢山出回って高くでうれたようです。しかし見る人が見るとうまくまねしていてもわかるようです。それだけ迫力が違うのだそうです。
書家も陶芸家もまた武道家も悟りを開いてその道の奥義を極められるのでしょう。
超禅寺には 陶芸家の作品が展示されています。そして悟りを開く前そしてその少し前それから悟りを開いた後の三つの作品がならんでいます。
横山禅師が説明でこの三つの作品には大きな差があるという。悟りを開いた後の作品にはすごい迫力があるという。A,B,Cの順に迫力がすごいという。(私にはわからない)
そして最後に四角のつぼをさしてこの迫力どうだという、(ますますわからない)。
さて参禅の後でこれを見る目が少しでも違ってくるだろうか。
今回は武道の経験のない人が多いのと女性も入っているので誰もやったことのない弓道を訓練の主体としました。
座禅、弓道、書道、尺八、さらに、お経,を入れたプログラムを横山老師が作ってくれた。
呼吸、禅の基本は呼吸法にあります。
呼吸は腹の底からやるらしい、丹田(へその下5センチぐらいのところにある)が体の中心でこの丹田に力を込めることによって自分の中心をしっかりと固定するのだという。
座禅は朝5時半から第一回めそしてお昼と夕方にあと一回づつ行われる、一回15分から20分ぐらい、初日はとても足が痛いが2日からは痛さを耐えることができた。
禅の呼吸法は吸気をこの丹田の方に押し込めて行う。胸での呼吸では姿勢が定まらないという。座禅にしろ、弓道もすべてこの呼吸法が基本となっている。
呼吸法を教えてもらって座禅に入る、座禅で呼吸法を会得してから、これを弓道、尺八あるいは書を行うときに応用していく。もちろん剣道、空手などすべてこの呼吸法が基本となっている。
弓道、の修業
津波(ツハ)老師が弓道、の師範です。
さていよいよ弓道の指導がはじまりました。まずはしかり立つことこれは風が吹いても雨が降ってもしかり立っていることです。人が押してもビクともしないようにしかりと地上に立っていることです。この訓練を一日中やらされた。次の日は一日中弓の構え方弦の引き方そして矢を離すときのタイミングと矢をはなした後に姿勢などをじっくりくんれんしてもらいました。
津波さんは弓道を治めるにはこのような準備は何年もやってから初めて矢をつがえさしてくれるという。しかし我々は数日でその真髄を得ようというから大変なことです。
しかしこの各々の動作がなかなか決まらないなるほど芸は永い永い訓練の後になんとか一人前になるのだということがわかる。
構えて矢をつがえてそして弦を引きそれから矢をはなす。そのあとの姿勢がまた大変である、しかりと大地に立っていなければいけない。
一連の動作の中でどっかで呼吸が乱れてしまい。連続性がなくなってしまいます。
後で実際に矢をつがえて的を撃つときにこの乱れがそのまま矢のみだれとしてあれわれてします。
いよいよ最後の日やっと矢をつがえて的を狙える日がきた。
とりあえず1メートル先の俵の的に向かってすべての儀式を踏まえて矢をいる。
ほんの1メートル先の俵の的に初めて矢を放つ、そのうれしさで心が高ぶり早く矢をはなして俵の中心に深く打ち込もうという思いでもうすべての動作がちぐはぐになって呼吸は乱れてしまっている。さて矢をはなしたらなんと俵を支えている板に矢が当たってしまった。
ケネス クリスナの一射絶命の本の中にも弓道を修行する人は1年間はこの俵の的だけを練習させられと書いていたのでなるほどと思った。呼吸が整っていない丹田に力が入っていないすべてがちぐはぐになって1メートル先の俵を射ることもできないのです。
この一瞬で弓道の深さを見たようなきがした。
しっかり大地に立ち丹田に気を込めて呼吸を整えないと矢は真っすぐにとんでいかないのです。
津波老師がまずデモンストレイション をしてくれた。一礼して“足踏み”という地球に磐石に立つことからはじめます。
そして“胴 作り”と呼ばれる次のスッテプ、“弓構え”いよいよ矢をつがえる。
“打ち起こし”で弓を頭の上まで持ち上げる。”引き分け“ 弓を1/3 ほど、まで引き最終的に口のところまで弓を引く。
″会“ 弓を充分に引き体の縦横を十文字に作る。“離れ”そして弓がはなれる。“残心”矢を放たれたあと体は十文字になってしかり地球の上に立っている。
どういうわけだが矢は2本もっている。結局は2回的を射るわけだけれど。一本をつがえて後の一本を右手の小指にはさんでもっている。一射絶命なのになぜ2本なのか、例のロピンフートが自分の息子の頭の上のリンゴを射る時、彼はもう一つの矢を隠し持ったのに似ている、津波さんに聞いたが答えはなかった。
座禅で呼吸法をしかりと身につけてそして心を無にして的にむかう、弓禅一如なのです。
いよいよ的を射る時が来たはじめは5,6メートルから初めてだんだんと 離れていきついには28メートル 先の的を射る。
一つも当たらない、津波 老師が離れが悪い構えが悪い、残心がなっていない、と講評してくれるなるほどはじめから終りまでの一つずつのどの動作の狂いが矢の方向をくるてしまう。
どこかに余計な力が入ってしまい。くるっているようです。ついに心に思うような矢は一つも出ない中で最後の修業が終わってしまった。
武道と禅がこれほど合い補うのかを理解することができた。沢庵和尚の不動智神妙録は柳生宗則に与えた書なのですが。沢庵和尚はまるで剣の達人のように剣の極意を言いえて妙である。
悟りを開いた禅師はそのまま武道にも通じているものなのか。
不動智神妙録では自分の心をどこにも留めないことがだいじだという。もし敵の刀に心を止めるとその先の行動が刀だけに心がとめられて他からの攻撃におうじられなくむなしく切られるのである、あるいは四方の敵に対処できなくなる。
要は心をどこにも置かないでいることによってとっさの事態に対処できるのだという。
間髪をいれずとは二つものが重なって間には髪の毛さえも入る余地がないことです。
あるいは石火の機(石を打ち合わせると火が出るのと石を打つ間には隙間がない)ことなのです。
弓を引くために心をどこにも置かないで弓を引きそして矢をはなさないといけない。
そうでないとシークエンス の途中で狂いが生じて離れがうまくいかない、この離れが"石火の機“でなければ矢は的に当たらないという。
沢庵和尚の禅の教えはすなわち武道の教えであったし、また芸術の遂行の過程もまたしかりのようです。
弓を引くことがすなわち禅の実行なのです。
横山禅師の不動智神妙録の話をうかがう。老師も英語が第一言語です。難しい、よくも禅の真髄を英語でしかも沢庵和尚のこの不動智神妙録をこれほどまで理解できているのかどうして修業したのだろうか、田上天心 老師もまたどのように修業して後進を育てたのか、一度ゆっくりきいてみたいものです。 横山老師の話は宇宙のはなしから 波導工学にも及ぶまるで物理学者の話そのものです。そしてまた禅をとく。悟りを開いた人の話はすごいそして人を見る目がすごい。
老師の講義の中で一人ずつ 大きな声で気合をかけさせられた。そして全員が終わったあとで各人に次のように講評した。
あなたはもっと大なしごとができるはず、おもいきりやりなさい。
あなたは周りのことを気にかけすぎる、自分の思うことを迷わずにおこないなさい。
あなたはリーダーだから自分のやりたいことを部下に迷わず実行させなさい。
参加者の人となりをしている私として大変びっくりした。適格な評価です。
いったい悟りを開いた人というのは人を見る目がこれほどできているのか。
まるでわれわれと10年以上の付き合いをしているような講評でした。
例の 百丈和尚のところに大潙山の主人選びに来た老師が修行僧を一人ずつ呼んで三歩あるいてから”エヘン“と咳ばらい をさせて人物を見たという。まずは一番弟子が”エヘン”とやったがこれは駄目だと即座にはねられた、とうとう最後に典座(炊事係)であった潙山が“エヘン”とやったらこれだと言って、潙山が大潙山の主人になったという。
まさにそれである。
もしかするとベンチャーをはじまめるまえに 起業家を連れて来て横山老師に見てもらえば人物判断ができるかもしれないと一人でほくそえんだ。
書の修業。
今回の修業に書道をいれてもらった、どんな風に教えてもらうのかとたのしみにしていた。
横山老師がフロワーに新聞紙を広げて硯と墨汁を持ってきて大きな筆をもってきた。
そしてみんなに ”一“という字をかかせた。さてみんなが書き終えてからそれをはりだして一づつ講評してくれる。例の気合のときの講評とほぼ同じで見事にその人物のことを見事に言いえていた。
そして書とはすなわちその人の人間性が表れるのだとそしてその勢いが書にあらわれるという。山岡鉄舟の話とおなじである。どれだけ勢いのいい字が書けるかは禅の修業の深さによって現れるという。やっぱり只管打座して禅の真髄にちかいづかない限りいい書が書けないようです。達人の書はその墨が机の板の中までも入るのだという。
なるほど山岡鉄舟の書が優れておりあるいは白隠和尚の、あるいは沢庵和尚の書が迫力に富んだものだということがよくわかる。
そして気合いの入れ方を教えてもらってそして次の日もまた同じ”一“という字をかかされた。初日の ”一“と 二日目の”一“ を比べて 横山老師も進歩したねと褒めていただいたようでした。
結局は技術ではなく精神なんだというごとです。丹田に力を込めてそして気合いもろともにかくのです。ですから武蔵とか、達磨大師の書のあるいは超禅寺にある大森曹玄の書のすばらしいこと。
とにかくきれいな字を書くのではなくいかに自分の全精力をうちこむかということのようです。結局は書の修業は ”一“を二つ書いて終わりになりました。
ケネス クリシュナー というアメリカ、ウイスコンシンの青年がアメリカで禅の修行をし、そして超禅寺に弓道の修業にきた。禅の修行と弓道の修業をしてさらに弓道にひかれ日本に渡り須原 耕雲 和尚に弓の手ほどきを受けます。 禅の修行の過程そして弓道の修業の初心のころからの経験は書いた本で日本語訳も出版された。
とてもよくかけた本です。特に日本文化にどのようにして溶け込んでいくのかの過程そしてまた難しい弓の道をどのようにして会得していくかを書いてくれるので非常にいい本でした
“一射絶命”がそのほんです。我々にみたいな座禅が初めての経験そうして弓道もはじての人にすばらしい入門書です。また外国人がこれほどまで禅を理解しされに弓道まで理解するその努力はすばらしいものです。
剣禅一如、書禅一如、さらには弓禅一如 と禅の修行によって武道、芸道が高められていく過程がよくわかります。
これは茶道しかり華道しかりです。 秀吉が禅と茶道をたしなみまた家康も禅と武道を修めていたのもよくうなずける。
武士は禅の修行によってその人間性を高めていった。
そしてそれが徳川300年を支えたものがこの禅なのかもしれない。
さて今回参加した若き経営者はこの経験を人生に企業経営にどのように生かしていくでしょうか。楽しみです。
来年は2月の末に企画している今度もまた若手の経営者をつれてきたいとおもっています。