よく山歩きをしたものでした。冬山はやりませんでした。ただ北八の高見石と麦草峠には冬もよく行った、高見石は当時薩多さんという方が小屋を経営していた。麦草峠も昔からのおじさんが小屋を経営していた。両方とも冬でも小屋に入っていたので渋の湯からの道をラッセルしてくれていて冬でも安全に上ることができた。
毎冬数日をこの小屋で過ごしていたそして白駒池とか近郊を視界の効く範囲で散策したり、またリスを追いかけて写真を撮ったりしてすごしていた。
冬は一面の雪なので道が消えていてあまり遠くへ行くとリングワンダリングをしてしまい道に迷ってしまうことがあるので遠出はしないことにしている。一度リングワンダリング (円を描くようにしていつの間にか元に戻ってしまう) してしまいびっくりしたことがあった、人間の歩行は真っ直ぐ歩いていると思いながら右か左にすこしずつずれてしまうらしい。私の場合は右回転するらしい。
高見石には冬でも数名の登山者があり夜は囲炉裏を囲んで薩多さんの山の話を聞くのが楽しみでした。特に遭難者の捜索の話がすごくて背筋が冷たくなり怖くて時々後ろを振り向きながら話を聞いていました。この高見石の好きな連中が毎冬ここに集まって山の話をしていました。晴れた冬の夜には薩多さんとみんなで星空を見に外にでていきました。薩多さんの星座の話を聞きながら暫くの寒さをこらえながら冬空を楽しんでいました。
日本で野うさぎを捕まえるにはウサギが通りそうなところに針金の輪を作っておくとウサギがこれにひかかって輪がしまって捕まえることができるのです。ですからたまにしか捕まえることができないので大変な貴重品なわけです。

ある年の冬まず麦草峠で一泊してそれから高見石に行くことにした。
夕方に小屋に着くと 小屋の親父が平さん残念でしたね。実は昨日ウサギが一匹とれてね。ウサギ汁をしてみんなで食べたが最高だってという。まことに残念でどうして一日早くこれなかったのかと悔やまれました。
昨夜泊まった人たちもいかにも最高のウサギ汁を食べたと語り合っているのでもうよだれが落ちて仕方がなかった。
それ以来ウサギのシチュウを一度は食べてみたいと長い間思い続けていました。

数十年が過ぎてある年ワイフとともにロンドンに行くことがあった郊外のレストランで夕食をとりにはいった。
メニューを見るとあるわ、あるわ、ウサギのステーキがあるじゃないですか。ああーこれで長年思い続けていいたウサギがたべられると胸膨らませて注文したらウエイターがちょっと待ってください。キチンで聞いてきますという。
そして帰ってきた彼が 旦那すみません、もうウサギは売り切れたという。
がっかりしたがとにかくウサギを サーブ するところを見つけたのでこの機会を逃すことはできないと とにかく明日もう一度来るから是非ウサギを確保して置くようにと頼んで次の日を楽しみしてホテルに帰ったホテルからだいぶ遠くのほうだったとおもった、しかし長年の思いが実現できるのだと思えば1時間近くかかるこのレストランに是非明日も行こうと決心して 帰途につぃた。
さて翌日昼間の仕事を終えてまたのこのことくだんの店にたどり着いた、とりあえず昨日ウサギを頼んであるのでわざわざ1時間もかけてまた来ました。と伝え、とにかくウサギのステーキ をお願いしますと頼んだ今日は昨日のウェイターは 出ていない。
例のごとくキチンで調べてくると言っておくに引っ込んだ、暫くしてウエイターが帰ってきていわく “旦那済ません今日は公休日なのでウサギは 休みででてない“ とのことウエイターはジョークを交えたつもりでしょうが。こちらはもう腹が立って、いたい何事ですか。昨日ウエイターに必ずウサギを確保して置くように頼んで、それでまたわざわざこの店まで来たのだ、マネジャーを出せとどなり散らしました。腹の虫が収まらずにこれでここで食事するのはやめようと思いウイスキーを頼んで暫く腹の虫を収めていました。 しかしワイフはもう腹ペコで動けないというのでしかたなくこの店で デナーをすませることにした。
さあーもうこれからが大変 ウサギ汁の夢は見るし ウサギのステーキの夢は見るし私の食覚はいやがうえにもウサギ の期待でいつも研ぎ澄まされていた。

それからまた数年が過ぎてしまいました。 
ある日わが町の近くパルアルト のフレンチ レストランに友達と尋ねました。
したらあるある なんとウサギの ステーキがあるじゃないですか。
飛び上がらんばかりに喜びました。もうよだれが出てきそうでした。
小さめの白身の肉切れが3つほど皿の上に載ってでてきました。わが人生の最高の幸せを味う瞬間が来たのです。
さて一口食べてみたその瞬間今までの長年の夢がサーとどっかにす飛んでしまったのです。
やっぱりウサギはシチュウでないとだめなのかもしれない。

人生何か手に入れにくいものを望んでいたほうが張り合いがあるようです。美食を求めて食べに行くよりいつか食べてやると思いつづけるほうがいいかもしれない。
この次は熊の掌が食べたみたいものです。これもけして早めに実現しないほうが良いようにおもう。 
私の中国の友人がなんと熊の掌を3つももらい、それを大事に冷蔵庫に入れていい酒を買ってそれから朋友を呼んでゆくりと楽しもうと思っていたが、ある日奥さんがそれを見つけてああすごいのがあるといって友達をようんで3つとも食べてしまったそうです。彼は後でそれを知り大変怒ったそうです。
でもかれは逆に楽しみが将来の伸びただけいいのでは。

後楽園ですね。後で楽しむということです。しかし現代は先に楽しんでしまようで少しは楽しみは後でゆっくり味わうほうがいいのでは、それでもいつかは ウサギ汁をたべたいなあ。
それも山小屋の雪の降ってる夜に食べたいものだ。

ある冬雪のふるころにコロラドスプリングの友人のうちでデイナーを招待された、そしてまた 奇くもまたウサギのステーキをいただく羽目になった、このときはもう味もよく知っているのでおいしい おいしいといっていただきました。多分このあたりは、野うさぎがたくさん取れて町の肉屋で売っているらしい。
日本ではあの愛くるしい赤い目のウサギの印象が強くてウサギを食べようなどとは思わないものです。 ヨ=ロッパでは 野ウサギが氾濫しすぎて農作物を荒らして仕方がないころがあったようです。だから食用として活用したのでは、また狩の対象がウサギだったのを見れがやっぱり食用としてもてはやされていたのだろう。

ある冬にパリの肉屋にいったらなんとウサギがそのままの姿で店にぶら下がっていました。キジや カモも毛皮つきでぶら下がっています。買うときに毛皮をはずしてくれるようです。

われわれ日本人にはやっぱり フグとか ヒラメの縁側のほうがいいですよね。
簡単には手に入らない高嶺の花はいつまでも高嶺の花として保存すべきですね。
日本の高山植物 コマクサをはじめて 硫黄岳の頂上で見たときは感激でした。これこそ採ることができないだけにやっぱりまたみにきてしまうものです。
ヨーロッパアルプスでエーデルワイスを見つけたときは日本のウスユキソウみたいだしまた蓬の花を思い出させるし高嶺でなくても見られそうだという意味では感激がなかった。
コモクサのように2500メータ 以上の山でないと見れないということまた砂利の中に気高く咲いているのとはまたありがたみが違うものです。