企業家倶楽部8月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。
前回はシリコンバレーから見た日本市場の特異性や日本政府および日本全体のガバナンスを述べた。今回はシリコンバレーの核心に迫り、どんな企業家がどんな会社を立ち上げ、悪戦苦闘しているかを皆さんにご報告しよう。
1999年、まだインターネット業界が成長期にあったころの話である。インド系の優秀な半導体エンジニア、ムトウー・ローガンが筆者のところに新しいアイデアを持ってやってきた。ムトウーは通信関係のエンジニアで、製品の開発、生産、受注、販売、顧客管理などのすべてをネット上で関係者がいつでも見ることができる業務工程ソフトを開発すれば、すごく便利だし経営管理の効率が上がり相当売れるだろうと事業プランを明かした。ムトウーとサンバ・マーティ、そして私で創業資金を出し合いイージャンクション社を設立した。その後、私の友人である台湾の会社と日本のVCから約1億6千万円の投資を受けることができ、本格的に会社が動き出した。
このソフトは大変好評ですぐ顧客がついた。まず、ノキア、エクスピードが導入した。ノキアは徐々に利用者を増やし、順調に行けばノキア本社でも使うかも知れないという。社員は全員興奮していた。さらに通信業界の大手ジュニパー(06年度売上2600億円)が検討を始めた。もしジュニパーが導入したら利用者の数が一気に増え、会社は利益がでると大喜びしていた。このソフトは業界でも注目され始め、同じようなソフトウェアを提供し、2000年初頭にビリオンダラー(約1000億円級)の株式上場を果たした、セレクティカの会長、ラジ・ジャスワ(現Tie Con 会長)がM&Aの話を持ち込んで来た。
しかし、世の中はそう甘くない。2001年3月、米国のネットバブルが弾けてしまい、通信業界が一気に冷え込み始めた。もちろんジュニパーが最初に波をかぶることになった。またネット特有であるビジネスモデル主体のベンチャー企業が軒並み打撃を受け、それから1-2年の間にネット企業が店じまいしてしまった。その後の9.11事件でさらにシリコンバレー企業の大半が苦境に立たされた。ムトウー、サンバと私もついにこれ以上事業を継続できないと判断し会社をたたんだ。
ムトウーは以前、インテルに勤めた後、アセンド・コミュニケーションでブロードバンド関連グループを率いていた。アセンドがルーセントに買収され、しばらくして退社し、我々とイージャンクションを設立したのだ。ムトウー はイージャンクションの失敗後、数ヶ月ほど次に挑戦するテーマを探し、チームを組み直していた。もちろん私もサンバも彼の新しい会社に投資し、サポートした。彼の新しい会社はブロービズ(broadband Vision)といい、2003年に起業。現在は、インドのチャナイに本拠地を置き技術陣をここに集中させている。VCとの接点として、米国カリフォルニアにも事務所を置き、WiMAX , WiFi(いずれも無線通信の標準規格) のサービスをインド大陸、中東、アフリカ、アジアに展開している。特にこの地域はネットのインフラがないので、このような手頃にハイスピードのネットワークが組めることで、すでに4500台のシステムが出荷されている。ムトウーの第二のスタートアップは順調に行きそうだ。
サンバとは彼が半導体業界出身なので意気投合し、イージャンクションの経営を通して親交を深めてきた。シリコンバレーの企業家は、従来にないまったく新しい最先端テクロノジーへの挑戦、世の中にないものを創造する、あるいは「これは私が世界で最初に始めたのだ」という自負が支える風土の中に生きる人間である。サンバ はその代表的な人物ではないだろうか。また成功の後に後進を育て、世の中に貢献したいと言う慈善活動の精神に満ちている。家族もまた彼の夢を支えてくれる。サンバ が新しい会社を始めるまでの無給時代を奥さんが小学校の先生をして家計を助けていた。サンバ の企業家精神の発揚である遍歴を少し追ってみよう。
サンバ は1985年にインドからシリコンバレーにやって来た。そしてシーク・テクノロジー(後にLSI Logic に買収)に入社。シークはインテルからスピンオフしたゴルディエ・キャンベル(後のチップス・アンド・テクノロジー社の創設者)などによって不揮発性メモリー開発のために設立された。シークが世界最初の電気的に内容を消去することができるメモリーを開発し、さらにフラッシュメモリーを開発して業界の鏑矢となった。シーク はその後、イーサネット(ネットワークの規格)のIC(半導体集積回路)を開発して通信業界の基礎作りに貢献し、スリーコム(ネットワーク機器メーカー)に商品を納入して通信業界の発展につくした。
サンバ はICエンジニアとして、この画期的な技術開発チームと仕事をすることになった。シーク の開発のおかげでイーサネットのデザイン開発が簡単にでき、サンバの開発スピードを大幅に縮めた。このころスタンフォード大学の教授であったレン・ボザックがルーターの原型を作り、シスコを設立し通信機器業界の発展の基礎を築いた。サンバ はそんなわけで通信業界の草分けたちとエキサイティングな仕事に没頭してきた。それがサンバを通信業界に魅せられるきっかけになっている。さらに、彼は IEEE 802.3 業界規格の設定に参加した。すべて世界で最初となる仕事をしているのだ。
彼はこのようなエキサイティングな仕事に関われたことを大変幸運に思うし、それは「Right place and Right timeで、ラッキーだった」と語っている。1995年半ばにシークを辞めて新しいことを始めようと考え、シーク時代のお客さんであったアラック・デブをはじめアンディ・ベクトシャイム (サンマイクロシステムズ 共同創業者) などと議論しながら次のテーマを探している。結局いろいろな手探りの結果アラック, ラマ・ラマクリシナンと組んでギガビット・イーサネット(非常に高速なLAN規格)のIC を開発することにした。それまで100Mイーサネットを世界最初に10倍まで上げてギガネットにしようということになった。
ところがお金を集める段階でどこも資金を出したくれなかった。みんな次世代のネットワークがどうなるか分からなかったのだ。やっと96年夏に資金を集めることができた。約15億円をシティバンク、メリルリンチ、そして日本の伊藤忠、およびChina Developing Corp.から投資を受けることができた。伊藤忠はなかなかの目利きがいたようだ。CTC の元会長、佐竹氏のようにサンマイクロが立ち上がるころから目をつけて手弁当でサポートしたという話を聞いたことがある。伊藤忠というのはそのような遺伝子があるのだ。サンバの会社の名前は、シャテキー。世界最初の2.5GBPS の半導体チップを3個開発して市場に提供した。99年5月シャテキーはビテッシー・セミコンダクターに買収された。金額は約65億円で投資家に6倍から12倍で返すことができた。その後、1年ほどビテッシーにおり、今度の新しい会社、シャンバラをシャテキーの仲間アラック及びラマ・ラマクリシナンとともに始めた。
現在、彼が新しく挑戦している世界最初のセマンテック・プロセッサーの会社シャンバラを紹介したい。2003 年の2月に事業会社から7億5千万円を集め、さらに2005年9月に17億5千万円をVCから集めた。VCはジャフコ、および元インテルの副社長がはじめたモアー・ダビッドゥの2社。さらに今回20億円を集める予定だ。様々なアプリケイションが展開されるにつれて、いろんな通信規格が飛び交う。HTTP, SIP, XML, HTML, SOAP これらの通信規格を理解し、処理しなければデータのアクセスが大幅に遅れ、サービスが悪くなる。例えば、部品番号、お客の種類、従業員の所在地、 郵便番号、注文の金額の多寡などがあり、さらにはキーワードの認識メッセージや同時にセキュリティ処理をしなければいけません。セマンテック・プロセッサーは、これらを解決し処理できる。
セマンテックとは辞典によれば 言葉、語句、あるいは文章とある。いわゆる情報の中のデータと中身(コンテンツ)の両方を理解する半導体チップなのだ。特にデータの遅れをなくさないといけないので物凄いスピードの処理能力が必要だ。グーグル、イーベイ、 ヤフーが大量のコンテンツを動かしている。そこで、何万台というサーバーを使って情報を処理している。セマンテック・プロセッサーがあればサーバーの台数を減らす可能性がある。シャンバラの今後のお客さんとなるわけだ。
サンバ はこれこそ向こう4、5年で解決しなければいけないネットワークの重要な問題と実感していたわけだ。通信規格を理解し、さらに中身を理解し、これを変換そして計算の実施、セキュリティをかぶせる、大変な半導体チップが必要だ。そしてこの各々の専門家が必要になる。チームの構成、さらにエンジニアをひとつの方向に動かすことは、サンバ の挑戦だ。
当時の業界の意見はこのセマンテック・プロセッサーはまだ市場がなく、たぶん2007年の後半からしか立ち上がらないとの意見が多かった。確かに今がその時になっているしシャンバラの開発も遅れていた。今お客を教育しているので市場はこれからのようだ。
IC の設計ではすでにシャテキーで実証済み、今回はまたひとつ上の性能に挑戦している。今回は218Millionトランジスタの半導体チップを開発している。インテル、AMD のMulti Core (複数の処理装置を実装)の半導体をはるかに超える性能でさらに省電力の設計になっている。彼らのIC はCPU を 21個も含んでいるので処理能力がインテル、AMD のMulti Core をはるかに超えている。
何せいろんな通信規格を理解しルール変換を行い、コンテンツを理解し、内容を計算して出力するので大変な処理能力とスピードが要求される。今シスコもApplication Oriented Networking (AON)ということで同じような展開をしようとしている。世界のシスコを相手にサンバ たちの技術は今一歩先に進んでいるように思われる。あるいは数年したらシスコ が数千億円で買収しにくるのではないか。
今後はデータセンター、金融業界, メールサーバーなどで使用されていくものと思われる。
開発からすでに4年が経過しており、すでに25億円を使いここまで来ている。たぶんベンチャーの世界では99里まで来たがまだ道半ばというところかも知れない。さらに今追加で後20億円の投資を募っている。現在の従業員は約55名、年間の総給料額は5億円と推測される。今後、2,3年費やしやっと利益が出るものと思われる。それだけでも10-15億円が必要になる。これからが正念場だが、サンバならきっとやりぬくことだろう。
世界初の最先端テクノロジーを開発するにはこのように多くの才能と多額の金がかかる。このあたりがシリコンバレーのベンチャーキャピタリストの底力だ。テクノロジーにかける目利きがいること。また、新しいことに果敢にチャレンジするサンバやアラックのような企業家がいることがシリコンバレーのダイナミズムなのだ。(第4回に続く)
平 強(たいら・つよし)