企業家倶楽部へ記事を提供しました。
企業家倶楽部4月号より転記の許可を得ましたので掲載いたします。

 

 
親指文化が作るマーケットの壁

 
親指で文章を打つ日本人

 

 シリコンバレーに長年住んでいると、時々日本に帰った際に浦島太郎のように驚くことが多々ある。それは、携帯電話が大変な勢いで普及していった頃、電車の中で若い人たちが大きな声で通話していたことだ。「公衆道徳が地に落ちたものだ」と嘆いていたが、数年すると電車の中での通話はほとんどなくなっていた。それに変わり今度は若い女性、あるいは高校生が盛んに親指を動かしiモードの交信を始めている。キーボードも見ないで、すごいスピードで文章を作っている。携帯電話の普及はアメリカより日本がはるかに早く、日本に行くたびに驚いたものだ。
 さらにiモードの普及に伴って様々なアプリケーションが普及していた。着信音楽をはじめ、ゲーム、さらにはコンサートの予約、株の売買など携帯電話でのビジネスが物凄い勢いで増えている。アメリカでは目にする事のできない状況だった。これこそ親指文化で形成された大きなローカルな市場といえる。
 逆に私の心配は親指だけを使って慣れてしまうとパーソナルコンピューター(以下、PC)の操作に慣れにくいのではないかということだった。「PCの普及が遅れるのではないか」と心配し、友人に話したら、「1ページの文章を携帯電話とPCとで競争したら携帯電話で打ったほうが勝ったのだから心配はいらない」と言う。IT家電が普及し、テレビでインターネットの入力をするならこの方式こそ日本市場に向いたものとなり、親指文化に保護された市場となるかもしれない。
 ちょうどデジタルデバイド(情報格差)が世界的に言われていたときだけに、この携帯電話の普及は日本のPCユーザーを大幅に減らすのではないかと非常に心配した。もしかしたらPC業界の低迷の原因になっているのでは、そんな心配で朝日新聞社の記者に、「これは大変だ。日本の若者に情報格差が起こり将来が危ない。警告を発してほしい」と伝えた。しかし、彼の記事は三面の隅っこに載っただけで誰も気にかけなかったようだ。

 

米国ではフルキーボードの携帯電話が大ヒット

 

 ビジネス文書あるいはソフトウエアの開発はやっぱり10本の指を使わなければ遅れをとる。英語は26文字を覚えればよくキーの数が少なくてすみ、キーの機能を重畳する必要があまりない。我々日本人や中国人は漢字をあやつらなければいけないので余計なキー操作が必要である。この分だけでも英語圏の人たちは効率の良い仕事ができている。
 もちろん英語も日本の携帯電話のように10キーでiモードができるわけだが、まずアメリカ人は10キーで文章を作るのは苦手である。だからPCと同じフルキーボードをあの小さな電話にも導入したブラックベリーがすごい勢いで売れている。メールの送受信ができることがその要因だが、アメリカ人のあの大きな指で小さなキーボードを押してメールをしている。ブラックベリーの他にトレオなどフルキーボードの携帯電話がビジネスマンに好評で大変よく売れている。

 

文化の違いで売れ筋商品が変わる

 

 このように文化の違いで商品の売れ筋が大きく変わる。また、独特な文化が外来からの市場参入に対する大きな壁となっている。現在、私はアメリカで生活しているが、クレジットカードを日常的によく使う。まず現金はほとんど持ち歩かないし、100ドル札が財布に入っているときはずいぶん金持ちだなあという気分になる。ところが日本では1万円札を持っていても大変心細い。
 こんなことがあった。日本であるとき13万2523円を他の銀行に送らなければいけないのでシティバンクに行き、「すみませんが口座から送ってくれないか」と頼むと、それはできないという。これでは銀行の役割を果たしてないのではと憤慨し、ではどうすればいいのかと聞いたら、係りのお嬢さんが「とりあえずキャッシュカードで現金を14万円下ろしなさい。そしてATMマシンに現金を入れて送り先の銀行名、口座名、金額を記入して送金しなさい」という。7477円のおつりは帰ってくるのだろうかと疑問に思ったが、とにかく手伝ってくれと係りのお嬢さんにお願いし、送金が完結するまで固唾を呑んでみていた。そしたらおつりがちゃんと帰ってきた。まったくもって浦島太郎である。日本の機械は大変進んでいると感心した。現金社会であったからこんなに素晴らしい機械が作れたのかもしれない。この現金主義の経済が機械の精度をこれほどに仕上げたものかと思った。
 同様に、JR東日本のICカード「Suica」(スイカ)も現金を介してチャージする。どうしてクレジットカードからチャージできないのだろうか。これも文化の違いによる市場の差なのだろうか。コンビニエンスストアに行きスイカで買い物をする。店は間違いなく代金を回収できるわけだ。それはそのまま現金と同じだからである。
 ところがもし、このスイカに何十万円も入れておいて、失くしたり盗まれたりすれば被害が大きい。クレジットカードだと紛失したら銀行に連絡するとすぐ止めてくれるから、被害はあまりない。
 中国ではほとんどの人がクレジットカードを使わない。中国は現金流通社会だからだ。日本のATMマシンを中国に持っていったら流通業務が改善されるのではと思う。中国は現金でデビットカードを買ってからインターネットで買い物をしている。これが中国版のスイカである。

 

グローバリゼーションを拒む壁

 

 最近よく言われているグローバリゼーション(国際標準化)は必然の成り行きだが、このようにローカルな市場が文化によって守られている面もある。しかし、この文化の差が逆にグローバリゼーションの妨げになっている。例えば日本の企業では、人事あるいは経理関係のソフトは日本のソフトが大半だ。しかし、そこから発展して国際競争に出られないでいる。
 今後、グローバリゼーションが進んだ場合、この文化で保護された市場だけに安住していたら押し寄せる外国の競争に負けてしまうかも知れない。日本はいろんな点から外国の商品が入りにくくなっている。外国人が日本に来てビジネスをしようと思ってもこれら文化の壁が大きく立ちはだかっているのである。
 その証拠に日本で起業しようと考える外国人が少ない。例えば、現在、私はシリコンバレーで毎年5月に開催されるTiEcon 2007の企画で講演テーマの選択に入っている。TiEconというのは、インド系出身のビジネスで成功を収めた人たちが次世代の起業家を育てるためにボランティアで運営されている組織である。このカンファレンスに世界各国からアントレプレナーが集まり、自分のやりたい事業が見つかったらシリコンバレーで起業する場合もある。あるいはインド、中国でも起業したいと考える人もいる。だが日本で起業したいと思う人がなかなかいない。
 企画会議では、「シリコンバレーに地域を限定してこの会のテーマを決めるべきでない」という意見が大半だ。「アントレプレナーがインドに行ったり中国に行ったりしてもいいのでは」という議論になった。何名かの人たちが「インドと中国の市場は非常に大きい。だから講演のテーマはグローバルなものでないといけない」という発言があった。中国あるいはインドでの起業ということを少なくとも10回ぐらい聞いた。「日本市場が大きいから日本に進出する人もあるのではないか」との意見は一つもなかった。世界第二の経済大国であるはずなのだが、どうやら日本は起業家にとって魅力のない国のようだ。今後日本に対する理解をTie Con で推進していきたいと考えている。
 先ほどの親指文化と同じように文化の壁が、外国人が日本でビジネスをしようとしたときに大きな壁となっているのではないだろうか。「SAPの業務用ソフトは日本にそぐわないから今後は使わない」という話を聞くこともある。文化が自然の障壁となり日本のソフトウエア開発会社を保護しているのではないだろうか。グローバリゼーションが進むとそのうち文化の壁を越えて黒船がやってきそうである。今一度グローバリゼーションに耐えうるような商品開発を心がけたらどうだろうか。

 

平 強(たいら・つよし)