孔子の復権

 

安岡 正篤 の 論語に学ぶ を持って スコットランドのゴルフ ツワーに 台湾出身の中国人、数名と出かけた。
論語の漢字の部分を見せて読んでみろといったらなんとさらさらと読んでくれた中国人だし高年だし当然漢字数万をまだ覚えている世代だから当然かと思う。ところで皆さんは何時論語を学んだかと聞いた、小学生のころから学んでおりされに中学、高校と必ず科目があったという。当然論語のある部分はそらんじていることかと思う。孔子の教え儒教は中国人の精神的な支えあるいは道徳観として彼らに中にじっくり浸透しているものと思われる。だから父母への尊敬あるいは家族を大事にする、目上の人を敬うなど自然に身についているのだろう。

孔子という人は紀元前500年も前に戦乱激しき春秋時代に生きてこの儒教の思想を生み出した素晴らしい人ですね。しかしこの孔子の教えも大変は苦難の道のりを超えてきています。まずはあの偉大なる秦の始皇帝が儒教の思想は国政に障害になるとして焚書坑儒をおこなったすなわち儒者を生き埋めにしさらに儒教の本をみんな焼いてしまった。
しかしその後儒教は中国の人々の間にじっくりと根を下ろし精神的支えとなってきている。
残念ながら文化大革命のときも儒教は封建主義的圧制の支柱として毛沢東によって批判され敬遠された。しかし今中国共産党率いる政府は道徳的基盤として儒教を必要としている。共産主義はもはや人民の精神的支えにはなりえなくなっている。
今中国では 貧富の格差、失業、当局への抗議運動などが活発化している。

政府としてはこれらを抑えるのに道徳的基盤としての儒教を見直している。
政府はすべての小学校に儒教教育を必修科目としてとり始めている。
又儒教研究所を随所に立てている。そして世界各国に孔子学院を設立しつつある。

日本人もこの孔子の教えが人々の道徳的基盤あるいは生きる指針として十分しみこんでいます。

中国の古典、四書五経はどれほど日本に影響を与えたことか。日本人は中国の文化をこれらの古典から吸収したのでしょう。
特に明治の偉人達への影響は大きなものがあった者と思われる。

西郷隆盛の伝記を読んでいると彼が徳之島に流されるとき本を行李の中にいっぱいつめて持っていったようです。そしてされに二回目に沖永良部に流されてときも同じよう行李の中に又いっぱいの古書も持っていき流浪の間中読書に余念がなかったようです。
隆盛が折に触れて書き記す漢詩は素晴らしいもので又心打つものです。

明治の偉人たちはこのように漢書に触れて心意気を養い明治維新を断行することができたのでしょうか。
隆盛が揮毫したいろいろな書は詩の内容といい筆使いといい素晴らしいですね。

遣唐使のころに日本人は中国語を話せたかどうか疑問に思うのだが当時は漢文がすらすらと書けるのだからあえて話せなくても筆談で十分であったのでしょうし本を見せてもらえばそれで十分だったのでしょうね。
我々は返り点がどこにあるか分かれないと漢字を追いかけられないですよね。

中国の儒教あるいは仏教がこのようにして日本に伝えられたのでしょう。
下村湖人の論語物語を読んで少しかは孔子の教えをかいも見ることができました。それで安岡正篤 論語に学ぶ を今度の旅で読んでみました。
数年前渋沢栄一の 論語を読みました。渋沢栄一が日本経済の基礎を築いた人

ながら最後までも清貧であったのも又孔子の教えから来たのではないだろうか。
論語は大変奥の深い書ですね。まだまだ論語読みの論語知らずの域を出ません。

なんだかもう一度漢文をじっくり勉強して解説なしで漢詩が味えるようになりたいなと思うこのごろです。
そして自分も筆を持って書をしたためてみたいと思う。
これから習字を習おうかな。